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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

お忘れ物にご注意ください

作者:

初投稿です。よろしくお願いします。



淡い青色の紙に書かれた090から始まる十一桁の数字の羅列。

電話機の上部に貼ってある付箋に視線を固定しつつ、町田(まちだ)は渋い本革の分厚いシステム手帳を脇に置いて受話器を取った。

ボタンをプッシュしてから数回のコールの後、「は、はいっ」と明らかに焦った調子の声が応対する。

自然と込み上げてくる笑いを抑え込んで壁に寄りかかり、町田は慣れた調子でもしもしと言った。


相模和大(さがみかずひろ)さんの携帯でお間違いないでしょうか。こちらは■■駅お忘れ物センターです」


絶対にお間違いないのは知っている。だってこの番号にかけるのは今日が初めてのことではないから。

電話の向こうで相手がはっと息を呑んだのを感じ取り、町田は、白い手袋をはめた指で手帳をひと撫でしてから受話器を持ち直した。

さあて。これまでに何度聞いただろう「すみません」が今日も聞けるぞ。


『しゅっ、すみません!また落としちゃったみたいでっ…!』


予想通り電話先の彼は上擦らせた声を出して勢いよく謝ってきた。

この調子だとこちらに見えるはずもないのに向こう側で頭をペコペコと下げているに違いない。


『えっとあのっ、手帳ですよね!?うわああのすみませんすみません!!』


可哀相なくらいに謝り倒してくる彼にいえいえと言って苦笑する。

制帽をずらして耳に当てた受話器から聞こえるのは乱れた息づかいと優しい声色。

その聴き心地の良い響きは、いわゆるイケメンボイスと賞賛すべきもので。

落とし物常習犯こと相模和大さん――――実際の彼自身も、声に見合った麗しい容姿をしている。



「毎度毎度本当にすみませんっ!!」


当センターにてお待ちしておりますと電話を切ってから三十分弱。

飛び込むようにして相模さんはやって来た。相当急いだようで、髪が少し乱れてしまっている。

ヘアスアイルが少々ボサったところでイケメンはやっぱりイケメンなんだなあ。

そんなことをぼんやり思っていると窓口近くに立っていた同僚の海老名(えびな)がちらりと相模さんを一瞥し、それから町田の方を見てきた。

「お前が対応しろ」、そう言いたいのだろう。

当然そのつもりだったので椅子から腰を浮かせて相模さんの元へと歩み寄れば、海老名はふんと鼻を鳴らして時刻表に目を移した。

おいおい、さすがにそれは失礼だろう。

お客様を前にしてよくそんな態度が取れるものだ。興味がないにしても扱いが雑すぎる。

そう思ったのは幸いにも町田だけのようで、相模さんは別段気にした風もなく、上気した頬に伝う汗をハンカチで押さえながらじっとこっちを見ていた。


「こんにちは。お忙しいのに取りに来させちゃってすみませんね」

「いえいえいえそんなっ!こちらこそ何度もお手を煩わせてしまって……あの、本当に申し訳ありません……いつもいつも、すみませんっ!」


声も顔も爽やかイケメンの相模さんが大袈裟なまでにがばっと頭を深々下げる。

ここは改札口に近い窓口で人通りも多い。大の大人が駅員に向かってそんなことをすれば人目を引くのは当然なわけで。


「ちょ相模さんっ、他のお客様の目もありますので!」

「はっ、そうですよね!ごめんなさいっ……」


しまったと言うようにすぐに顔を上げあたふたと申し訳なさそうに眉を八の字にする相模さん。

おずおずと窺うように町田を見つめる彼は困り顔まで美しい。

……この人、こんな整った外見してるのに中身がそんなんで大丈夫なんだろうか。

相模さんと会話するたび、町田はそう思ってしまう。

ファッション雑誌の表紙を飾りそうな美しい顔、長い脚によく似合うシャープなスーツに、上品なノンフレーム眼鏡。

全体的にすっきりしていて完成されつくした相模さんは一見隙のない優秀なサラリーマンで、同じ男である自分の目から見ても特別格好いい。

だけど蓋を開けてみれば、その正体はかなりの天然さんだった。



最初に相模さんの私物がこの窓口に届けられたのは確か去年の夏頃だったと思う。

深緑色のパスケースを拾ったと車掌が持ってきたその一分後、相模さんが初めてここに来た。

慌てた様子で駆け込んできて、「ぱしゅけーしゅ、落としましちぇ!」と早口に言って。

思わず後ずさりたくなるくらいに必死過ぎる剣幕に町田は最初に圧倒され、次にあまりにも整ったその顔の造形に目が釘付けになった。

こんなやつが、本当に実在するのか。

この世に生を受けてから二十数年、町田は、こんなにも綺麗な人を今まで見たことがない。

思わず不躾なまでにまじまじと眺めてしまう。テレビで見るアイドルなんて目じゃないとさえ思った。

その繊細な輪郭をした頬を滑り落ちる汗なんてドラマの演出みたいにキラキラして見えて、同性ということも忘れてしばらく見入ってしまったくらいだ。

目を見開いたまま固まったこちらの様子を、どうやら向こうは違う意味に捉えたようで。

両手で口を押さえた彼は先ほど噛みまくったことをひたすら恥ずかしがっていた。

それからしばらく青くなったり赤くなったりと百面相していたその見目麗しい男は、気付いたように視線を一点に留めると、震える指で町田の持っていたパスケースを差した。

爪の形まで綺麗だなんてアホなことを一瞬思ってから、彼の指が示す方向――自分の手元へと町田は視線を落とす。

「さがみ……相模和大さん?」定期券に書いてあった名前を読んで尋ねる。

コクン、と子どものように。心底安心したように彼は頷いたのだった。



「ではお手数ですが、こちらの用紙に名前と電話番号をお願いします」

「は、はい」


正直必要無いと思っているけど形式上書いてもらわなければならない。決まりは決まりだ。

その代わり、本人証明の手順だけはすっ飛ばすことにしていた。これは相模さんだけの特例。

だってこの人が相模和大であるということは、この駅に勤めている駅員ならほぼ全員が知っているから。


「……前から思ってましたが、相模さんは字もお綺麗ですね」


相変わらず綺麗な色と形をしているもんだとペンを持つ彼の爪先を見ていたら、自然と口からそんな言葉が出ていた。

直後、町田は言ったことを後悔した。


「ひゅえっ!?」


相模さんの肩がびくんと跳ねて、細い指先からペンが転がり落ちる。

何気ない気持ちで言ったつもりが相模さんを非常に驚かせてしまったらしい。


「ああっ!ごめんなしゃい落としてひまいまひたっ……」

「っと、すみませんそんな驚くとは思わず……俺が拾いますっ」


少し屈んで手を伸ばすと、同じように拾おうとした相模さんの手と接触した。


「あ」

「ふはわッ!!」


……ふはわ?


「…………何コントやってんの」


面白い奇声を上げた相模さんを思わず見つめてしまった町田の後ろで、海老名が呆れた調子でつっこんできた。

「ばかじゃねえの、おまえら」なにやら聞き捨てならない台詞を言い捨てて、さっさとペンを拾って書き途中だった用紙の上に置く。

耳の穴に小指を入れてほじりながら、くだらないとでも言いたげな目つきで二人を見た。


「ガラス越しにイチャついてんじゃねーよ」

「――っ!」

「海老名おまえッ……失礼だぞお客様に向かって!」


海老名の言葉に相模さんが絶句する。

それを見て思わずカッとなり詰め寄ると、海老名はうっとうしそうに町田の頭を制帽の上から強めにはたいた。


「うっさい、ニブちんクソ野郎が」

「ああ!?どういう意味だよっ!いや、この際それはどうでもいいから、とにかく謝れ!」


激高する町田には、自分の背後で顔を強張らせる彼の顔は見えていなかった。

海老名は、そんな町田を無視して自分達を交互に見つめる彼の前に立ち、はあーとため息を吐く。


「あんたもさ、もうちょっと上手くアピれよ。いくらなんでも不器用すぎ」

「…………」

「海老名?おいおまえ、さっきから何言って…」


二人の間に流れる妙な緊張感に訝しんで町田が声をかけると、振り返って海老名が言った。


「町田さあ、その手帳、開けて見てみれば。そうすりゃいい加減分かんだろお前も」

「はっ?なんで手帳?」

「っ!!」

「……相模さん?」

「っあ、えぇと……あの、そっ、うぅ〜……」


そのあからさまな反応を見るに手帳が関係あるのは本当らしい。

あわあわと動揺する相模さんには悪いが、手帳を開くことでこの得体の知れない空気感が解決するなら……。

意を決して町田は、持ち主に返却するつもりで近くに置いた手帳を手に取った。


「ま、町田さんっ」


相模さんが焦った声を出す。

しかし、町田は持った手帳を開くことなく――目の前の彼の手元にそっと置いた。


「え。……町田さん?」

「さすがに、持ち主の意志を無視して勝手には見れませんよ。手帳の中身は立派なプライバシーですから。だから、相模さん。あなたさえ良ければ開いて俺に見せてください」


呆然とする彼に安心させるように笑いかける。

それが海老名には気にくわなかったようで、つまらなさそうに舌打ちするのが聞こえた。


「チッ……このお人好し」

「うっさい馬鹿。横暴すぎんだよおまえは」


さっきのお返しとばかりに頭を叩いてやる。

海老名はむっとした顔をして、だけど何も言い返すことなく乱暴に椅子に座っただけだった。


「相模さん」

「っへぁ!?」

「そういうことですので、嫌なら拒否してください」

「こ、ここっ」

「ここ?」

「こわっ、怖いですっ…!」

「怖い?嫌なのではなくて?」

「でで、ですが、み、見せましゅ!」

「……本当に良いんですか?無理してません?」

「はいっ!えっと――――えいっ!!」


オーバーな動きで大きく開いて目の前に突きつけられる。相模さんは意外と思い切りが良かった。

もっと渋ると思っていたのに、やけくそなのかさあ見ろと言わんばかりにガラスにぐいぐいと手帳を押しつけてくる。

そこに書かかれていた文字を目にして、町田は口をぽかんと開けた。


『2/4 ( )

 空の名刺入れ。失敗。


 2/12 ( )

 カード付きチョコレート箱。失敗。


 2/14 (26)

 袋に入れたワイン。成功。

 いつものお礼と言って2本のうち1本を渡せた。


 3/1 (27)

 マフラー。成功。

 前にも落としたからか色を覚えてくれていた。


 3/6 ( )

 手袋。失敗。


 3/15 ( )

 折りたたみ傘。失敗。

 帰りにトイレのゴミ箱を見たら捨てられていた。


 3/21(28)

 音楽プレーヤー。成功。

 誰かに踏まれたらしく壊れていたのを謝られてしまった。

 今後機械類はNG。


 4/5( )

 手帳。』


「…………えーとすみません、なんですかこれ」


書かれていることを三回読み直してもまったく分からなかった。


「う。分かんないですか……そう、ですか……」

「町田、お前やっぱ馬鹿だわ。にぶい通り越してただの馬鹿」


両手で手帳を持ちながらプルプル震える相模さんを海老名があーあ、カワイソーと気の毒がる。

それからとうとう耐えられなくなったように相模さんがへなへなとしゃがみ込んでしまったので町田は焦った。


「うわあ本っ当にごめんなさい!まったく理解できなくてすみません!馬鹿ですみません!それで申し訳ないんですけど……良ければ説明してもらえますでしょうか……」


それと、できれば立ち上がっていただきたい。

彼に屈まれるとこちらから顔が見えなくなる上に周りからも何事かと思われる。


「つーかさ、なんで分かんないの。日付はここに落とした物が届けられて連絡がくるか挑戦した日で、成功とか失敗とかはその結果」

「へっ、それって」

「相模サンは健気に色々忘れたり落としまくったりしてたってわけ。理由は、町田、お前に会いたくてだ。ドゥーユーアンダスタン?」


アイドントアンダースタンド……と言いたいところだが、さすがに理解した。

というか何でおまえがそれを知ってるんだ。

そう思ったのが顔に書いてあったのか、海老名はニイと笑って腕を組んだ。


「そりゃあ優しい優しいこの海老名様が応援してやってたからに決まってんだろ。あと手帳見ろつったの、メモの方じゃなくてお前の写真が挟んであるからだからな」

「はっ!そっちでしたかー……」


海老名の意図していたものはちょっと違う展開だったらしい。

しくじったと頭を抱える相模さんはさすがの天然っぷりだ。


「あの、どうして相模さんが俺の写真持ってるのか訊いても?」

「そっそれは…」

「それはだな、前にその手帳がここに届けられた時に俺が入れてやったから。サービスっての?中身読んじゃったお詫びとして」

「オイッ、人のプライバシーを勝手に読むなよ!」

「ああ、それは大丈夫です気にしてませんので」

「そこは気にしとけよっ!?」

「ひいっ!?ごっ、ごめんなさい!!」


しまった。我に返ったがもう遅い。

つい流れで相模さんにまで怒鳴ってしまった。

こっちを見る相模さんは怯えた目でビクビクしている。


「あの、すみません大声出したりして……」

「い、いえ……こちらこそすみません」


あ。この感じちょっと新鮮。

今まで慌てた顔とか申し訳なさそうな顔とか嬉しそうな笑顔とかしか向けられたことなかっただけに、怖がられるってなんか新しい。

というか正直、うん、ショックだった。そんなふうに怯えさせるつもりはなかったのに。

相模さんを虐めてるみたいにだんだん思えてきて、落ち着かない居心地の悪さを感じた。


「つまりそのー、相模さんは俺と仲良くなりたいってことですよね?」

「ちがくないけどそれはちげーだろボケ。どこまでニブいんだよカス」


猫なで声を出して悪印象を払拭しようとした町田に海老名がすかさずつっこむ。

どんどん口が悪くなるなこいつ。いい加減ちょっと黙っててくれよ。

町田は相模さんに見えないように海老名に蹴りを入れた。


「ま、町田さん、」


そろそろと立ち上がってこっちを見てくる相模さん。

眼鏡の奥の瞳が不安げに揺れていて、何故だかチクリと町田の胸が痛んだ。


「あの相模さん。さっきので分かったと思いますが、俺かなり鈍くて馬鹿みたいなんで。この際相模さんがどうしたいのか、はっきり言っちゃってください。俺に直接教えてください」

「は、はいっ!えっと……あの、でしゅね」


ああまただ。

相模さんは焦ったり緊張したりするとすぐに噛む。

どうにもシリアスな雰囲気が長続きしない人だと思ったが、場面が場面だけに笑いそうになるのを町田は堪えた。


「しゅっ」

「しゅっ?」

「…っきです!町田しゃんのことが……しゅ、好き――なんでしゅ!!」


ゴンッ。にぶい音を立てて、窓口のガラスに白魚のように美しい彼の手がぶつけられる。

愛の告白をすると同時に、相模さんは真っ赤にした顔の前に両手を突き出してハートの形を作った。


「えーと…………」


その必死の気迫と新事実に面食らい町田は後ずさる。

背後では海老名が、よく言ったと小さく感嘆の声を漏らしてパチパチと拍手していた。


「……その、まずはお友だちから……お願いしま、す?」


そう口にした途端花のように顔を綻ばせた相模さんに町田全身全霊で感じたのは、この人もしかして無茶苦茶可愛いかもしれないという、胸に込み上げてくる新たな衝動だった。




ちなみに

その日の相模さんの手帳には、こう記された。


『4/5(29)

 手帳。成功。

 今後はわざと落とすのはやめてくださいと言われたのでこのメモは今日で最後。

 次は落とし物作戦メモじゃなくて町田さんメモリアルを書こうと思う。』





end


町田荘(まちだそう):駅員。鈍感。無自覚面食い。

相模和大(さがみかずひろ):眼鏡リーマン。どもり、噛み癖。中身ほわほわ天然系。

海老名(えびな):駅員。一応既婚者。でも年は二人より若い。

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