唯花 1話
彼女に出会ったのは中学一年の春。この大田女子大学付属中学校に入学して間もないころだった。
家が学校から遠かった私は自転車で通学していたのだったけれど、その通学途中で交差点から出てきた彼女のことを私は避けることができなかった。ハンドルを切って避けようとしたのでバランスを崩して彼女へと倒れこんでしまった。
「あたた…だ、大丈夫?」
「だ、大丈夫なんですけど…その、重いよぉ~。」
「え?あっ!ごめん!」
彼女は倒れこんだ私の下敷きになっていた。急いで彼女の上から退いて彼女のことの手を取って引き起こす。その瞬間、私は目の前の少女に見とれてしまった。自分とぶつかってしまった彼女があまりにも美しかった。白く透き通るような肌、ぱっちり開いた目、整った顔立ち、サラサラで綺麗な栗色をしたセミロングの髪とこれほどまでに綺麗な人を私は見たことがない。まるで人形のような美しさだった。
「あの、大丈夫…ですか?」
引き起こしたままぼーっと立ったままだった私は、彼女の声で我に返った。
「え、あっ!ご、ごめんなさいっ!私の不注意でっ…!」
深々と頭を下げる。
「ううん、私もちゃんと確認しないで交差点に入っちゃったから…ごめんなさい。」
「そんな、謝らないでください!悪いのは私ですから…えっと、怪我とかしていませんか?」
「私は大丈夫。あなたは怪我してない?」
「あ、はいっ。大丈夫です。あの、本当に怪我してませんか?い、一応救急車を…」
「大丈夫だから。救急車なんて大げさだよ。」
彼女は微笑んでそう言うのだが、事故を起こした私には被害者である彼女を救護する責任がある。いくら大丈夫だと言われても、こんなに綺麗な人に後から何かあったのでは大変だと私は気が気でなかった。
「じゃ、じゃあ学校の保健室行きましょうっ!念のために!ねっ?!ああ、そうだ。自転車で送りますよ!後ろに乗ってください!」
「気持ちは嬉しいんだけど、二人乗りはだめだよ~」
「ああ、えっと、そ、そうですよね!二人乗りなんて…じ、じゃあ一緒に学校まで行きましょう!保健室まで送りますから!」
「ふふっ、落ち着いて、落ち着いて。私も一人で歩くの退屈だったし、一緒に行ってくれるなら嬉しいな。」
「もちろんですっ。どこまでもお供…あ、あれ?違う、えっと…」
「ふふふっ、あなた面白い。お名前は?」
「あ、唯花。久保唯花って言います!」
「私は長坂優希って言うの。よろしくね」
優希と名乗った彼女はその白く美しい手を私に差し伸べた。その手を受け止めて握手をする。白い肌とは逆に彼女の手はとても温かった。彼女の手の温かさのおかげで私は少し冷静に戻ることができた。
学校への通学路を二人並んで歩いているうちに彼女のこと、私のこと、色々話をした。優希さんは一学年上の先輩で、生徒会に所属しているという。対する私は今年入学の1年生でまだどの部活に所属するか決めあぐねていた。そのことを話すと優希さんは生徒会に入らないかと勧めてくれた。
「どうかな?ほかにやりたい部活がなければ生徒会に入ってみない?」
「え、でも生徒会ってそんなやりたいって言ったらなれるものなんですか?」
私の中での生徒会のイメージは生徒会選挙で選ばれた人が生徒会に入れるものだと思っていた。
「私たちの学校は生徒会も部活動扱いなの。だから入部希望を出してくれれば誰でも入れるよ。」
「へぇ、そうなんですね。全然知りませんでした。」
「部活動説明会でも言ってなかった?」
「あ、ごめんなさい。あの時少し居眠りしてて…」
申し訳なさそうに私が苦笑するのを見て、優希さんが笑う。ただ笑っただけなのに優希さんの笑顔には吸い込まれそうなほどに可愛い。
「ふふっ、だよね。あの説明会退屈だもんね。」
「本当はちゃんと聞かなきゃいけないんですけど、どうしても一方的に喋られると眠くなっちゃって。」
「わかるわかる。私も授業とかよく眠くなっちゃうんだよね。」
「優希さんも眠くなるタイプなんですか。そういう風には全然見えないですけど。」
「あら、どんな風に見てくれてたのかな?」
「生徒会委員って聞いてやっぱりすごい人なのかなって、勝手に想像しちゃって。」
「私たちの学校は誰でも生徒会入れるから、私は全然すごくないよ~。でもそういう風に見てもらえたのはうれしいな。」
少し照れくさそうに優希さんが笑う。優希さんが笑ってくれるとそれだけで私もなんだか嬉しくなってくる。
「あっ、唯花ー!」
急に後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返るとクラスメイトで友達の綾ちゃんがこちらに小走りでやってきていた。綾ちゃんとは入学式でたまたま隣の席になり、そこで仲良くなった私の友達第一号で、クラスも一緒だ。いつもは自転車で通学している私の方が先に登校して、綾ちゃんとは教室で顔を合わせることが多かったのだが、今日は優希さんと一緒に歩いていたので追いつけたのだろう。
「おっはよー!珍しいねこんなところで…って長坂先輩っ!?」
綾ちゃんは私と優希さんを交互に見つめて、目を丸くして驚いた。
「ちょ、ちょっと唯花、長坂先輩と一緒に登校ってどういうこと!?」
「え、えっと実は今朝、優希さんと事故っちゃって…」
「はぁ!?事故ったー!?」
「ちょ、綾ちゃん声大きい…」
「長坂先輩、怪我はなかったんですか!?」
「うん、なんともないから安心して。そんなに大きな事故じゃなかったし。ね、唯花ちゃん?」
「え、あっ、はい。」
「あっ、はい。じゃないよ唯花!長坂先輩のこと知らないの!?」
「あーっと…生徒会所属でとか、今さっき会ったばかりだから…」
はぁ、と大きくため息をついた綾ちゃんが私の耳元で教えてくれた。
「あのね、長坂先輩は生徒会一美人で有名な人なのよ。それこそ学内にファンクラブがあるくらいにはすごいんだから。成績優秀であの美貌、次期生徒会長確定とまで言われてるあの人と事故ったなんてことが噂になったら…唯花この学校いられなくなっちゃうよ?」
「そ、そんな…」
はじめて見たときからとても綺麗な人だと思ったが、まさかそこまでの人とは知らなかった。というかそんな人と事故を起こしてしまった私はなんてドジなのか。
「す、すいませんでしたっ!」
思わず頭を下げる。そんな凄い人を轢いてしまった罪悪感とこれから待ってるだろう恐怖で反射的に謝ってしまった。
「どうしたの急に。」
きょとんとした顔で優希さんが首をかしげる。
「その、優希さんがそんな凄い人だと知らずに…」
「長坂先輩、私からも謝るのでどうか今回の事故は秘密にしていただけませんか。この通りです。」
私の横で綾ちゃんも頭を下げて、優希さんに懇願する。
「そんなっ!大丈夫だよ、私怪我してないし誰かに言いふらしたりもしないから。だから、ね?そんなに謝らないで?」
手をふるふると横に振りながら苦笑する優希さん。それを見ても私はまだ罪悪感が消えず、謝罪の言葉を口走る。なんだか急に怖くなってな泣いてしまいそうだ。
「本当にすいませんでした…!」
「大丈夫、大丈夫だから…落ち着いて、ね?」
優希さんは心配そうに私の背を撫でてくれる。
「とりあえず学校まで行こう。保健室まで連れてってくれるんでしょ?」
「は、はい。」
私が優希さんを介抱するはずが、いつの間にか私が介抱されている。まったく情けない。
「綾、ちゃんだっけ?一緒に保健室まで行ってくれる?」
「あ、はいっ!もちろんです!さ、唯花行こ。」
「うん…」
綾ちゃんと優希さんに促されて、私は自転車を押して歩き出した。
私はどこか浮かれていた。こんな綺麗な人と知り合いになれたと調子に乗っていたのかもしれない。その人がどんな人かも知らずに。次期生徒会長候補を轢いたなんてことが学校に広まれば、私の居場所なんて学校から消え去ってしまうに決まってるのに。それを綾ちゃんに言われるまで気づかないなんてどんなに馬鹿なんだろう。
「唯花ちゃん、大丈夫?」
「…はい。」
「安心していいからね。私、今朝のことは誰にも言わないから、ね?」
「……はい。」
そこから学校に着くまで三人は一言も喋らなかった。