シーズンス・オブ・ザ・クラウディ・クラスタ
ドーモ、カラヒトです。
好きだったアーティストが数年前、エクスタシー(MDMA)使用等で逮捕されました。そして昨今、また別のアーティストが逮捕され、そのニュースを見た時に思いついた短編小説。
自分たちの正義の在り処は本当に正しいのか?或いは、法律は本当に正義なのか?そんな疑問に突き動かされ、執筆したものです。
1
ジリリジリリと、遠くで目覚まし時計が鳴るように、初夏の蝉しぐれが振る。アスファルトはじんわりと焼けて、今にも溶けていきそう。そんな空想を抱きたくなる暑い日。
首都郊外のコンビニ、壊れて動かなくなった自動販売機の前。男女が一組、外気の熱をさらにふくらませるかのように、ぴったりと寄り添っている。
しかし、どうやら愛をささやくカップルではないらしい。
「マサキ、それどんな味……?」
まるでゲテモノを食べた感想を聞くような言葉と表情で、彼女が言う。黒いロングヘアが清楚な感じの、悪く言えば地味な、有り触れた若い女だ。
「いや。特に……。」
「味、無いの?」
「無くもないけれど……。」
聞かれたマサキは、低い背をさらに縮め、誰もが少年と思いこむような幼い顔貌をしかめて答えた。そして、一拍おいてから
「あ、でも!なんか、コーヒー牛乳みたいな風味がする!」
マサキは目の前に財宝の山でもあるかのように目をきょろきょろさせながら、その視線を追うように口をもごもごと動かし、言った。
「コーヒー牛乳……、これがァ?それも風味と。」
ちょっと想像つかないな、と付け足しながら、たった今『これ』と呼んだのは、小指の爪ほどの円形の白い物体。それを口に運ぼうとし……、やめた。
「カコ、気になるんならヤればいいんじゃんか。」
「いいんや、あたしゃあ作るの専門よ。」
婆臭い声色と動作で嫌々と手を振るリカコ。彼女は自分が作った『商品の味見』をいつもマサキにさせているのだ。
「にしても、コーヒー牛乳ってなァ。もっとこう、『ビターピル』って名前がついちゃいそうな、そういうのに憧れるんだけれども。」
「じゃあコーヒー牛乳風ビターでいいんじゃね?」
「チョコレートかっての!!」
自分で言ってアッハッハとリカコは笑った。だが、対照的に、マサキは恍惚とした表情を浮かべて、ぼんやりとしている。
「……回るまでが遅すぎる、かも。」
リカコは真面目くさった顔で言い捨て、その辺に置き去りにされている、誰のかわからない自転車に跨った。
「俺はこんぐらいでもいいかも、なぁ。」
「いいから早く乗れ。」
リカコはおよそ女らしくない口調で言い、自分の(ものにした)自転車の荷台を顎でしゃくった。
2
「エヘヘ、毎度ありがと。場所、わかるよねぇ?」
冷えた闇夜が人工の光でくすむ路地裏。少し寒いくらいに感じるのは昼間かいた汗をそのままにしていたからだろうか。そんな事をぼんやり思いながらマサキは、リカコが自分には向けない声で話し、『客』の頬にキスをするのを眺めていた。
「カコ、あといくつ?」
「単位2、かねぇ。」
手の中でしわしわに握りしめられた白いポリ袋の中を眺めてリカコは答えた。中にはコインロッカーの鍵が二つ入っている。
「すげえじゃん、売れ行き。やっぱ、みんな好きなんだ。コーヒー牛乳。」
何が面白いのか、うつろな目でクックックと堪え笑いを漏らすマサキ。
「シィティシィだって。」
「なんだっけ、何の略だっけ。もう忘れたわ。」
また気味悪く笑うマサキ。
「セル・トゥ・クラウド、教え直すのもう3回目なんだけど。」
別に癪に障った様子もなくリカコは答えた。
「どうする、アンタ、残り買う?雲行きの銃弾。」
小首を傾げ、手に持っていたポリ袋を提げて揺する。
「あー、どうすっかなァ。試作品、ないのか?俺、もう今月コレなんだけど。」
そう言って顔の前で両手の人差し指を交差させてバッテンを作った。金欠、と言いたいようだ。
「自分で稼げよ、ボンボン。」
「どうやって?」
ぼんやりと遠くの街灯を眺めながらマサキが言う。
「知るか。尻でも売れば?お前さん、ガキみたいだから意外といけそ。」
「オッェ、吐きそうな事言うなよ。」
血走った目をリカコへ向けながらマサキは大げさなリアクションを取った。
「ハンッ、便所から手も洗わず出てきてそうなおっさんにキスするのも大差ないさね。」
「なにそのネタ、ウケる。」
そう平たく言い、一切頬を動かさないままリカコの唇を眺めた。
「まぁ、明日売るかね。」
リカコはそう言ってクシャクシャのポリ袋を手の中に収めきった。
「ぅえ?ケツか?」
「バッカ、CtCだよ!ま、買い手がつきそうならそっちも考えとくか。」
ヘッヘッとリカコは喉を慣らしてから、さっき盗んだ自転車に跨った。
肩をすくめながらも今度はマサキも遅れずに座り、リカコにしがみついた。こうなると、遠目に見ればカップルどころか姉弟、最悪母親と子供にさえ見えそうだ。
3
小さい家……というより廃墟。リカコが『うち』と呼ぶそこが彼らの活動拠点。
本当に彼女の家なのか?マサキにはわからない。
だが、とりあえずギリギリ生活が行えるように、年季の入ったカセットコンロと、粗大ごみにでも出されていたのであろう中身の綿が少しはみ出たボロボロの皮張り椅子、ビールケースに板を倒しただけのテーブルがある。水は50mほど行った先の市民公園で調達すればいい。
「タバコ。」
そう言って右手をチョキにし、口元へ持ってくるマサキ。
「だからうちにはねえっての。」
鍋に入れた水をカセットコンロの火にかけながら、カップラーメンのふたを半分剥がすリカコ。
「えっ、お前吸わねえの?初耳かも。」
マサキは少年のような顔をガサついた声で濁した。
「いっつも言ってるよ。あたしゃやらんって。」
「そりゃヤクだろ?こっちはいいんじゃんよ。」
「おまえさァ……」
言いさして、ハァっと一つ溜息。
「なんだよ?」
「タバコだって、ヤクだよ。」
「ハァ?」
「アルコールも、チョコレートも、コーヒーにお茶も。全部ヤク。」
カセットコンロから昇る焦げ臭さを鼻孔に感じ、リカコは顔をしかめた。
「意味わかんね。」
「あー、バカなアンタにわかるように説明するとね。日本政府様が、都合がいいって判断したドラッグは作っていい売っていい使っていい。たとえば今言った酒やタバコ。いいいい揃い。いわば、ドラッグと意識しなくたってさえいいってされてる。」
スッと息を吸い直し
「日本政府様が、都合悪いなって思っちまうもんは作っちゃダメ売っちゃダメ使っちゃダメ。例えばあたしが作ってるような合成麻薬や、スピとかエクスタとかね。こっちはダメ揃いさね。あたしみたいだ。……大体さ、アンタ将来オヤジさんのあと継ぐんだろ?そんなんでいいの。」
マサキの父親は酒造会社の社長だ。大手とは言えないが、それなりに知名度があって、それなりに安定している。
マサキは面白くなさそうにタバコを催促しっぱなしの手をチョキチョキと動かした。
「別に、ダメじゃねえぞ、カコは。」
そう言って、リカコの薄い胸元へ寸前までチョキだった手をそっと伸ばそうとするが、
「一人で盛ってんじゃないよ。」
という素っ気ない一言とともに払われた。言葉を繋ぐ。
「別に、いいのさ。ダメとか、いいとか、あたしゃ気にせんよ。だがね、気にするやつは多いし、体面を繕っといて悪い事はない。そして、繕う必要があるって事は、まぁ、それだけダメって事さぁね。」
マサキはリカコのこの独特の婆臭い喋り方が好きにはなれない。彼女がいつもどこかで劣等感を抱えてるようで、そしてその劣等感がその話し方に関係している―――それで誤魔化しているような気がして……。
マサキが、CtCの残り香に酔ってぼんやりとしている間に、リカコは出来上がりには少し早いカップラーメンをすすり始めていた。
4
「ララーラァー、ラァラァ、ラララー」
ボロ屋の外の道の上、リカコは歌う。いつかどこかで聞いた歌、歌詞はわからない。だから鼻歌で。―――澄んだ、美しい声だ。
結局食事を終えても、マサキは自分の家へ帰らずにこのボロ屋にまでついてきた『お目当て』にありつくことは出来なかった。
夜空の多くの星々は人工の光にむしばまれて、人の目に映る事はない。しかし、月は綺麗に見える。リカコの鼻歌のように澄みきった綺麗な満月、……のような気がするのはマサキの目が悪いからで、実際は朧月。どっちだってよかった。
不意に歌が止む。
「確か、この歌。大事な人が死ぬことの、暗喩なんだ。あの世に行っても、夢追い人であれ、って。好きな事を続けていていいよ、っていう、そういう感じの。」
「へぇ。……でも、歌詞、わかんないんじゃあな。」
マサキは淡々と返した、そんな事はどうだってよかった。CtCの効果はすっかり切れて、眠たいような楽しいような感覚はすっかりない。ただただ、寂しい。
「カコ、クスリくれよ。」
「金は?」
リカコは目を細めて首を傾げながら言う。可愛らしい仕草にも思えたが、それこそ、どうだってよかった。
沈黙を回答として、リカコは大げさに肩をすくめて見せた。
「明日の分、作っとくかな。」
そう言って舗装もされていない道の上から、ボロ屋の中へ戻る。
「新作は?」
「そんな毎日毎日、新作やら試作品やらがあるわけはないさね。」
小屋の中の隅っこに適当に置いてあった大きなコンテナ。その中から、フラスコやら試験管やら乳鉢やら何とかハサミやら、普通、学校の科学の実験でしか目にしないような道具が、板切れのテーブルに広げられていく。
そして、乾燥された何かの葉っぱ。そいつを乳鉢で粉々にしたり、無色の液体を混ぜてみたり……。
『ドラッグアーティスト・リカ』、それが彼女の専らの通り名だ。本人いわく、別に特殊な薬を作ってるわけじゃないらしいのだが、ジャンキーだかヒッピーだか、そういう連中の間では今や軽くトレンディなアイドルだ。
その、リカって名前を言うのが嫌で―――彼女の事を、ドラッグを作るだけの人間として扱うような感じがして、マサキは彼女の事をカコと呼んでいる。彼女は人並みに笑うし、歌うし、飯も食うし、寝るし、泣く事だって……、あっただろうか。ただ、一つ言えるのは頭のいかれた連中に崇拝される偶像などじゃない。
……もちろん、リカコという名前が本名なのかどうかはマサキにはわからないし、恐らくは違うのだろう。そして、マサキは自分自身が頭のいかれた連中に入らなくはない事もわかっている。もしかすると、だからこそ自分はリカコの泣き顔も思い出せない(知らない)のかもしれない。
5
「おい、起きろ。ていうかそろそろ帰りな。」
リカコのそんな声がする。
「ああ、いや、なんか、眠くなって。」
さえきらない頭を掻いて、振って、少し小突いて、それからマサキは居眠りしていた椅子から立ち上がった。何か、夢を見ていた。
「CtCは一日三回が限度さね。アンタ、もう二回使ったじゃないさ。そりゃ眠りたくもなるよ。」
「ああ、なんかそう聞いた気が……、ウッ!」
突然、吐き気に襲われ、口元を抑えるマサキ。
「作用も言ったでしょ。リミも長いし完全に切れりゃアディクも少ないけど、気持ち悪くなるかも、って。はじめは少し過敏になるだけで、少し我慢すれば慣れるさね。」
「ああ、ホントだ、なんか、収まってきた。なんだ。カコの前でゲロったら、俺どうしようかなって焦ったよ。」
ハッハと乾いた笑いを漏らしてから、
「あたしの前でヤクに潰れてるのに吐き気には負けたくないって、お前さん、おかしいわ。」
リカコはどうやらかなり疲れているらしい。外は明るくなってきているからきっと徹夜でクスリを作っていたんだろう。
「寝れば?」
そう言って、薄汚れたなんて表現では物足りない汚さのベッドを、親指を立てて指し示すマサキ。無言で小さく頷くリカコ。
「一緒に寝てやろうか?」
そう言ってわざと卑下た笑いを作ってみせるマサキ。だが、今度は何の返事もなくリカコはふらふらっと汚いベッドにへばりついていって、動かなくなった。
―――マサキは夢の中の光景を思い出していた。
小さな白い鳥が、羽ばたきもせず独りでにマサキの手から飛んでいき、居なくなる。そんな夢。何か思い当たる光景ってわけでもなかったが、なんとなく、その夢はリカコに関係している気がした。
昨日の死んだ人間の為の歌だっていう、リカコの鼻歌を思い出して、なんとなく不吉な気分になった。
6
隙間風があるおかげで、カビ臭いなんて印象を受けなくて済む、笑えない廃墟で目を覚ますリカコ。
「何、まだ居たの?」
「居た。」
顔の皮膚の上に、昨日から落していない化粧がチリチリという感触を伝えた。
「売り、行くんだろ?」
「そりゃ、そのために今朝まで作ってたんだよ。今何時?」
マサキは自分の腕時計を見た。父がくれた、すごく高いやつらしい。ブランドやらなんやら名前を言われたが、よくわからなかった。
「6時、ちょい前。」
時計なんて、時間がわかればそれでいいんだと思いながらそう言った。
「にしては暗いやね。雨でも降る、か。」
もぞもぞと起き上って、身だしなみを整える。
「やめとく?」
「やめて、どうすんのさ。アンタと一緒に明日までってか?願い下げだわねぇ。」
チッと舌打ちをしてから、マサキは何か言おうとしたが、やめた。
「ララーラァー、ラァラァ、ラララー」
控えめな音量で例の歌を歌うリカコ。
「なぁ、その歌、やめないか?」
今朝方感じた不吉な思いを蒸し返したマサキが口をついて言う。
「なんで?」
あっけらかんと聞き返すリカコ。
「だってさ、人が死ぬ歌なんだろ、それ。……なんか今朝、カコがばたっと寝付いたの見たらさァ、その、さァ。」
「あたしが死にそうってか?」
黙って頷くマサキ。
しばし沈黙が流れる。―――そして、
「……別に、いいじゃない。」
少し俯いて、リカコが言った。それはいつもの芝居がかった婆臭い声じゃなく、20前後の若い女性らしい声音だった。……そう、いつも『客』にしか向けないあの声。
「私だって、好きで、こんな、こんな人生を選んだんじゃ……そんなんじゃ……、ない、のに。」
彼女の手がプルプルと震えた。
マサキは、取り返しのつかない言葉を言ってしまった気がして、喉の奥の方がつーっと冷えていくのを感じた。何か言葉をかけないと、そう思ったけれど、全然何一つとしていい言葉が浮かばない。
やっぱり自分は馬鹿なんだ。そう思うのが―――精いっぱいだった。
「なん・ちゃっ・て。」
リカコはそう言って普段と変わらない顔をマサキへ向けた。
「お前さん、やっぱり馬鹿さぁね。もうすぐ死ぬような人間がこんなボロ屋に居るもんかい。いいや、居るかもしれないが、少なくともクスリは作ってないよ。使っては居るかもしれないがね。」
「なんなんだよぉ、もう。」
今度はマサキが泣きそうになった。心配で損した、という感じ。
安心した途端、何で泣いてるのかもわからないような涙が一粒、その目から零れて、頬を伝う。それが唇の端に触れようとする。
けれどそれより先に、もっと温かく、柔らかい、けれども明瞭な、そんな感覚がマサキの唇に触れた。
リカコと口づけを交わしたと気づいた時にはもうその感触は離れていて、代わりに、やっぱりいつも通り、何ともない風な感じのリカコの顔が、目の前にあった。
「だけど、心配してくれたのは、ありがとう。」
リカコは婆臭い声じゃなく、20前後の女の声でそう言った。
マサキには、どっちが本当の彼女なのか、さっぱりわからない。
―――
「雲の塊、って感じ。まさに天国、みたいな。」
身支度を進めるリカコに、思い出したようにマサキは言った。
「何が?」
リカコは聞き返す。
「味。」
端的に答える。
彼女は意味を察して、フンっと鼻を鳴らす。
「雲の塊の味、ね。綿菓子かっての。」
何時か笑ったように、けれど、もう少し彼女らしく、リカコは笑った。
「キスの味に言及する」というお馴染みのお題。
しがないクスリの合成者兼販売者と、その友人兼お手伝いのお話。
作中、ビターピルとかララァーとか、歌を意識したものにしました。一応どちらも、元ネタの歌があります。
コーヒー牛乳に関しては、 化学式C18H21NO4の事。わかんねえよってね、えへへ。
今回もまたプロットなしで全力疾走する系の書き方。短編ですので。6節構成。6って中途半端な数、不完全な数字。もう一つ、前か後ろに行けばきりがいいのに、と尊敬する作曲家が言っていたのでそれに準えて、6節構成。
作中でも語られましたが、チョコレートもアルコールもタバコもカフェインも、ドラッグです。
僕はタバコはあまり好きませんがお酒は飲みます。子供の頃はショコラホリックだった。別にそのこと自体が悪いとは思わない。だって、してもいいって言われてることをしてるんだから、別にいい。それに僕は二十歳になるまで酒もたばこも一切やらなかった。
でも、恐らく、そのニュースを聞いてあれこれ言ってる人の多くは、未成年の頃から酒やタバコに手を出していた人らなんだろう。
「法律」とは力です。その力が味方する以上、エクスタをやった人物が糾弾されるのは仕方ないというか当然です。でもそれは、本当にたまたま法律が味方をしてるというだけ。
つまるところが、未成年の頃から酒やタバコに手を出した人たちは法律に味方されていないのだからジャンキーやヒッピーと変わりはないはず。何より恐ろしいのは、いい大人が酒に酔って犯罪や迷惑行為を起こした際「酒に酔っていた」と平然と言い訳してしまう事のような気がします。
こういう人々の勝手な心で割を食うのは、法律という力を正しく味方につける人間でも、自業自得で捕まる人間でもなく、ただただ心優しい人々です。
今回は偶然目に見えるテーマがクスリだっただけで、本当に大事な事はそんなんじゃあない。
別にこのくどいあとがきなんか忘れてもいい。
だけど、あなたの周囲に居る心優しい繊細な人の味方は、あなたがしてあげてほしい。それだけは忘れないでほしい。