東海岸爆撃
新作です
1941年12月8日 ノーフォーク
前日の日本の宣戦布告以来東海岸にあるこの海軍基地も忙しくなっていた。開戦前は太平洋艦隊だけで日本軍とは殺り合えると考えている者が多かったが開戦と同時のミッドウェー、ウェーク両島に対する上陸の際に両島に航空機を輸送中であった空母2隻が撃沈されてしまった。更には、真珠湾が機雷で封鎖され、湾内にいた戦艦八隻のうち五隻がイタリア軍と同じ手で大破着底させられた。この時戦艦は出航準備中であったため艦内に多くの乗組員がおり、多くの者が戦死者を出した
「お前たち気合いを入れろ、1日でも早くこのホーネットを配備させるんだ。それが今できる死んでいった者への最大の手向けだ」
新空母ホーネットは現在訓練航海の最中であり後一月ほどで実戦配備することができそうだった
「艦長、遠方より多数の航空機接近中。100機はいます」
「訓練飛行か?お前たち飛行機乗りの奴等に負けるなよ、気合いを入れろ」
向かってくる航空機は見事な編隊を組んでいたが、どれも見たことのない機種で、翼に色々と懸架していた
「艦長、日本軍機です。あの機体には日の丸が描いてあります」
「見間違いだろう?ここは大西洋だ。奴等の空母がバレずここまでは来れないぞ」
しかし、この時の見張りは間違っていなかった。向かってくる機体には日の丸が確かに描かれていたのだ
「米軍の奴等で今まで溜めてきた鬱憤をはらそうぜ、全機突撃だ」
編隊を組んだまま幾つかに別れた航空機がホーネットやノーフォークの港湾施設に襲いかかった。逆ガル翼の航空機は翼に懸架されていた爆弾の他にも胴体に爆弾槽が有るようで観音開きになった爆弾槽からも爆弾を投下していた。別の機種は至って普通の低翼機だが、翼に懸架したロケット弾を乱射した後に機銃掃射で地上の動くものを凪ぎ払っていった
「トラトラトラ奇襲に成功せり、敵に空母あり第2次攻撃隊求む」
第二次攻撃隊約100機によってホーネットは撃沈されノーフォークも大損害を受けた。後にノーフォーク攻撃と呼ばれることとなるこの攻撃で米軍を悩ませたのは空母をやられたことや東海岸の主要港であるノーフォークに大損害を与えられたことではなく攻撃してきた航空機はいったいどこから来たのかであった。
翌日、今度はワシントンとニューヨークが爆撃され、自由の女神とワシントン記念塔、ホワイトハウスが破壊された。ホワイトハウスに居たアメリカ首脳部は地下シェルターに避難していたおかげで助かったが、首都が爆撃されたこととシンボルを破壊されたことはアメリカ国民の全体に怒りを呼び起こすと共にいつ爆撃されるか分からないという恐怖を植え付けた。
1941年12月10日 横須賀
10月に海軍総司令部が戦艦長門から陸上に移されておりそこの一室、連合艦隊司令長官の執務室で一人の男が客と話していた
「早乙女博士、貴方のおかげで今回の作戦は上手くいきました。今後もよろしくお願いします」
「いえいえ、技術があっても使いこなせなくては意味がありません。あれを使いこなせるだけの優秀な人材が海軍に居たからこそ今回は成功したのです。大日本帝国存続のためなら何でもしましょう」
男の名前は山本五十六、人知れた連合艦隊司令長官その人であった。そして、そんな人物が敬語を使っている相手は早乙女大五郎博士、未来から来たと自称する天才であった。この二人によってアメリカ東海岸爆撃が計画され予想外の方法でそれが成された。それを説明するにはまずは1934年まで遡らなければならない。
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