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6、懐かしい仕草と……

「平田主任、油断も隙もないですね」

 突然のことに驚いている陽奈の頭上から、聞き覚えのある声が聞こえた。そしてその腕は、陽奈を離すまいとするように、後ろからがっしり絡みついている。

 陽奈が頭上を見上げると、すぐ隣に爽の顔が見えた。しかも走ってきたのか、息が上がってその吐息が陽奈の耳に降りかかり、二人の距離の近さを自覚する。

 背中から、爽の熱い体温と速い鼓動が伝わってきた。その鼓動の速さにシンクロするように陽奈の鼓動速くなっていくような気がした。


「あ……早かったね」

「何してるんですか? 山城さんや小波さんが探してましたよ」

「美波ちゃん達が? ……う~ん、面倒だな」

「面倒でも帰ってください。ここには、平田さんの用事はないでしょう?」

「ん……まあ、そうなんだけどね……」

 そう言うと、平田は爽の腕に抱きかかえられたままの陽奈に視線をちらりと向けた。そして何を思ったのか、少し目を見開くと、再び楽しそうに笑う。


「ははは……なんだ、無自覚なだけか」

「平田主任、つべこべ言わず帰ってください」

「ふふふ……分かったよ。でもその前に、あと少しだけ陽奈ちゃんと二人で話させてくれない?」

「ダメです」

「え~一言だ……」

「ダメです!」

 爽はそう言いながら、腕の力を強めていく。爽の身体は温かく、胸板は固い板の様なのに包まれていると不思議なほど心地いい。それに、どうしてそこまで平田と接触させたくないのかは不明だが、まるで爽に独占されているような錯覚を覚える。その感覚は甘美で、胸の奥が騒がしい。

 やがて、二人がやり取りをしている背後から、少し派手目の女性が現れた。平田はその女性に気がつくと、「仕方ないな~」と言って皆のところに戻って行った。

 意味不明な投げキスを陽奈に送ってから。

 騒がしいが、華のある人だったと思う。



 爽は陽奈が何度断っても、頑として“送る”と言って聞かなかった。

 仕方なく、二人並んで帰路に着く。時刻は間もなく午前0時に差し掛かろうとしていた。お店を出たころに西の空にいた上弦の月は、いつの間にか沈んでしまっていたようだ。暗く静かな夜空に、小さな星がチラチラと微かな光を放っていた。

 静かな住宅街に、二人の足音が響く。

 こんな風に二人で歩いたのは、いつぶりだろうか。

 横に並んだ爽は、間違いなく爽なのに、あのころよりもずっと背が伸びて、身体も大きくたくましくなった。女の人みたいだった横顔も今は頬骨がごつごつしていて、剃り残したひげが、爽をまぎれもない男の人だと主張しているような気がする。


“梶原ってモテるよ?”

 先ほど平田が言っていた言葉が、頭の中によみがえった。爽は昔から女性に人気があったし、今更驚くようなことではない。しかし、先ほど感じた腕の強さや、胸の温かさを誰かが独占しようとしているのだと思うと、なんだが苦しくなった。

 陽奈は嫌な感情から目を離すように、爽から視線を外す。

 考えるな。そうすれば……―――――そうすれば?


「平田主任のことでも思い出してるの?」

 じっと考え込んでいた陽奈に、突然爽が、そう話しかけてきた。考えにふけっている陽奈を、先ほどのことを思い出していたのだと勘違いされたらしい。


「全然」

 まったく。忘れていたぐらいだ。


「なにか言われた?」

「何かって?」

「……一言で言えば、口説かれた?」

「口説く? 私を? まさか、それはないよ」

「そうかな」

「そうよ。変な人だったし……」

「変? 平田主任が?」

「うん。顔はまあ悪くないけど、頭の中に花が咲いている感じ」

「花?」

「なんでも笑うでしょ? きっとなんでも面白いのよ。幸せな人だよね」

「あははは……」

 爽は陽奈の言葉を受けて、楽しそうに笑い始めた。

 どこがおかしいのかわからないが、屈託なく笑う爽の姿を久しぶりに見た気がして、嬉しい。

 二人の雰囲気がほぐれ、しばらく取り留めのない話をする。


「父さんが、陽奈に会いたいって嘆いてたよ」

「え? 小次郎(こじろう)おじさん?」

「暇なんだか知らないけど、この頃頻繁に電話してくんだよね……しかも出たら、あれこれつまらないこと話してから、必ずと言っていいほど陽奈のこと聞いてくるんだ。……結局、陽奈のこと聞きたいだけなのに、その回りくどさが最高にうざいんだよね」


 小次郎おじさん、もとい”梶原 小次郎”は爽の父親だ。爽と同様背が高く、見た目はなかなかのダンディーなおじ様だ。普段はあまり口数は多くなく、その見た目からもクールな印象に見えがちだが、昔から陽奈の前では違っていた。小次郎は陽奈を、我が子のように……いや、それ以上に溺愛してくれていたのだ。小次郎は女の子の子供も欲しかったらしく(爽は一人っ子なのだ)隣同士で太一と一緒に頻繁に出入りしていた陽奈のことが何より可愛いがってくれていた。爽と疎遠になっていた時は、(その二人の行動を察してか)小次郎は爽のいないときにのみ、陽奈を夕食に招待した。なので、不思議なことに爽の両親との交流は爽以上に年月が深いのだ。2年前、爽の両親が引っ越すことになったときは、散々一緒に行こうと誘われた。もちろん、一緒に行く理由もないので断ったが……その時の小次郎の悲しそうな顔は、今でもはっきり覚えている。なおも、諦めず誘い続ける小次郎に、爽の母親である和歌子(わかこ)が割って入ってくれてようやく諦めたのだ。しかし陽奈自身も小次郎も和歌子も両親同様大好きだったので、引っ越してからしばらく、電気のつかない隣の家を見るたびに寂しくなったものだ。


「私も……会いたいな……」

 陽奈が正直な気持ちをつぶやくと、爽は一瞬顔をしかめて苦笑する。


「確か、そうちゃんのおばあちゃんの介護のために引っ越したんだよね? 電車でいけない距離でもないんでしょ? 会いに行ったらダメかな?」

「やめときなよ……そんなことしたら、父さん帰してくれなくなるよ」

「まっさかぁ~」

「嘘だと思う? 甘いね、陽奈は。俺はあの人の息子だからわかるんだよね……きっとこの迷惑な思考はDNAに刻まれてんだよ」

 DNA?


「それ……どういう意味?」

「……まあ、こっちの話」

「こっち、って、何よ」

「こっちは、こっちだよ。梶原家の話」

 う~ん……わかるようでわからない。要は踏み入ってくれるなという事だろうか?


「放ってても、介護のめどがついたらこっちに帰ってくるつもりみたいだから、いずれ会えるよ」

 爽はそういうと、これで話は終わりというように、ポンッと陽奈の頭を叩いた。そしてその動作に顔を上げた陽奈に、柔らかい笑顔を見せた。

 その動作、笑顔……どれもが、覚えのある爽のしぐさだ。懐かしい……それに二人の雰囲気が、あまりに自然で、10年間も疎遠だったことが嘘のように感じる。

 そんな陽奈の隣で「でもしばらくは……着拒だな~……」などとつぶやきながら、たまらなく嫌そうな顔をする爽に、可笑しくなって思わず笑顔がこぼれる。

 不思議なほど、この空間が楽しい……。


 その時間をかみしめるように、言葉を交わすことなく歩いていると、ふと、未だ肝心なことを伝えていなかったことを思い出した。

 そもそも、今日はキラ男から妙な誘いを受け、偶然現れた爽が追い払ってくれたのだ。陽奈が改まってお礼を言うと、爽は苦笑しながら「どういたしまして」と返事を返した。


「でも、あんなはったり、即席で良く考えられたね」

「はったり?」

「私のこと“俺の女”だとか、他人に触れられるのが嫌だとか……スラスラ言えちゃうんだもん。しかもすごく強かったし、びっくりした」

「そう……」

「うん。妙に説得力あったし、キラ……あの人も信じたと思う。私が同じ立場でもビビッて逃げるなぁ~」

「ふ~ん……陽奈は信じなかったの?」

「え? ……だって、嘘だってわかってるし」

 陽奈がそう言うと、突然爽は足を止める。そしてその様子を見つめる陽奈の方へ振り向いた。

 爽の表情は街頭を背に受けていて、良くわからなかった。


「陽奈。相手に自分の言い分を信じ込ませるには、何が必要かわかる?」

「え?」

 爽は一歩前に踏み出し陽奈と距離を詰めた、そして、右手を挙げ、陽奈の左耳にかかるふわふわの髪の毛をゆっくりと撫でた。

 その動作に、一瞬にして緊張感が走る。

 脳裏に浮かんだ“大人の幼馴染の付き合い”という、爽の言葉。


「それが本当でも嘘でも関係ない、本気でやるんだよ。本気でやれば、やがてそれが真実になるんだ……」

 爽はそう言いながら、顔を下げて身体を硬くする陽奈の耳にチュッと口をつけた。

 背中にびりっと電気が走ったように感じて、陽奈はビクッと身体を震わせた。


「今から証明してみようか……?」

 爽は陽奈の耳元でそう囁くと、その耳朶を軽く甘噛みし、角度を変えながらキスを落としていく。


「……ぁくっ」

 しびれるような感覚に思わず声が漏れる。身体の奥がもぞもぞして、くすぐったくて首をすくめると、その首筋に爽の温かい手のひらが滑り込み、顔をうずめるようにキスが降ってきた。

 チュッと艶めかしい音が響いて、生暖かい唇の感触が陽奈の首筋を襲う。

 抵抗しようとして伸ばした腕は、難なく爽の手のひらに捕まってしまった。


「やめっ……んっ」

 声を出そうとすると、それが分かっていたように爽に口を塞がれた。下唇を爽のざらついた舌が愛撫する。抵抗の声を出そうと口を開いた陽奈の隙をつくように、爽の舌が入り込み隅々まで奪われていく。

 私……このままじゃ……

 理性が悲鳴を上げて陽奈に抵抗しろと警告を繰り返した。

 しかし、身体が思うように動かない。いつの間にか背中に添えられた爽の腕が無ければ、立つこともできないぐらいに……。

 どうしよう。優しくて、艶めかしくて、こんな風にキスされたら溺れてしまう。こんな感覚は初めてだった。

 ダメ……ダメなのに―――――爽のキスが気持ち良い……!?


「可愛い……陽奈」

 爽の手のひらが陽奈の胸の前で、くるりと円を描く。その優しいタッチに下半身が熱くなっていく。


「やぁっ……そうちゃ……」

「あぁもう、無茶苦茶抱きてぇ……」

 爽の低くつぶやいた声は、甘く陽奈の脳天を刺激する。

“ムチャクチャダキ……”?

 身体が燃えるように熱くなって、思考が上手く働かない。

 次第にエスカレートする爽の動きに、抵抗する力はもはや残っていなかった。

 

 ♪~

 びくぅ……!?

 その時、カバンの中で陽奈のメールの着信音が鳴り響いた。二人は突然の音に驚いて、思わず動きを止めた。

 やがて、何事もなかったかのように着信音が止まり、二人の間にまた静かな夜が下りてきた。

 陽奈は我に返って、そのままの態勢で瞬きを繰り返す。爽は陽奈の肩に顔をうずめたまま動かない。

 いつの間にか外されたシャツの前ボタンの隙間から、初秋の冷たい風が通り抜けた。


「くっくっくっ……」

 気がつけば、肩に顔をうずめたまま爽が身体を揺らして、笑っている。


「そ……そう……?」 

 どうすればいいのか、思考が混乱したまま、かける言葉も見つからない。思わずそうつぶやくと、爽は陽奈の両脇から腕をすべり込ませて、ぎゅうと陽奈を抱きしめた。

 爽の吐息が微かに陽奈の首筋をくすぐる。

 そのまま二人とも何も言えないまま、しばしの時が流れた。

 街灯の間をすり抜ける風が、陽奈の頬にあたり、気持ちが次第に落ち着いてきた。

 とくんとくん……と、爽の穏やかな心音が、触れあった胸の奥から陽奈の耳に響いてくる。そして爽のすべてから、爽のぬくもりが伝わってくる。かつてないほどに爽に近づいているのに、不思議なほど落ち着いている自分が不思議だった。


「陽奈」

 やがて、爽が穏やかな声色で陽奈を呼んだ。


「何?」

「今週末……どっか行こっか……」

「え?」

 どうして、陽奈が休みであることを知っているんだろう。そう思って、ハッと先ほどのキラ男との会話を聞かれていたことを思い出す。

 あの時、爽が聞いていてもおかしくない。


「誕生日プレゼントだと思ってさ……付き合ってよ」

“誕生日”

 そうだ、今日は……いや、正しくは昨日は爽の誕生日だった。

 二人で?

 当然そう考えるのが妥当なのに、そう思うと再び先ほどのように胸がドキドキしてきて、どう答えればいいのか迷う。


「ダメ?」

「……」

「ひ~なちゃん? 聞いてる?」

「……う……うん」

「夜はちゃんと帰すからさ~」

「あっ、あったりまえでしょ!?」

「あ? じゃあ、いいんだ?」

「え……」

「いいよね。行こう」

「……あ……う、うん……」

「よし!」

 半ば勢いに押されるように承諾した陽奈に、嬉しそうに爽が笑顔を見せる。


「プレゼントはいらないからね、当日食事でもおごってもらうし~」

 念を押すようにそう言うと、爽は楽しそうに陽奈の手を取り、再び歩き始めた。


 出かける? 爽と? だってそれって、デー……

 心臓が早鐘を打ち始めた。陽奈はその考えを打ち消すように首を振る。

 そんなわけない。爽がデート(そんなこと)に陽奈を誘うはずがない。

 ただ単に、こちらに帰ってきたばかりで(すでに1ヶ月経っているが)遊び相手が欲しかっただけだ。おごって……そう、おごってもらいたかっただけだ。


「着いたよ」

 いつの間にか、陽奈の家の前についていた。

 爽のその声にハッと我に返り、思わず我が家を見上げる。二階の太一の部屋の明かりが、カーテン越しに漏れている。太一は夜型なので、またゲームでもしているのだろうとぼんやりと考える。きっともう両親は寝ているに違いない。

 玄関の明かりだけが、煌々と陽奈の帰りを待っていたようだった。


「じゃあね」

 その声とともに、爽の手が陽奈の頭にポンッと乗っかった。先ほどと同じ動作。昔から、爽は陽奈にそういったスキンシップらしき動作をする。懐かしくて……やはりうれしかった。

 しかし爽が踵を返そうとした瞬間、ハッとして爽を呼び止めた。



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