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37.女神様降臨・・・・・・?

「ただいまぁ~」

 玄関からそんな疲れた声音が響いた。

 同時にカラカラとキャスターが転がる音、靴が床に落ちる音が響いて、爽が玄関に足を踏み入れた気配がした。次第に足音は陽奈のいるダイニングに近づいてくる。外はもうすっかり暗くなって時刻はPM7時に差し掛かろうとしていた。家の中明かりは玄関と陽奈のいるこのダイニングだけ。きっとそこに陽奈がいると察しているのだろう。


 朝倉と平田の一方的な指示によって、爽は強引に朝倉と千歳の祖母のいるところに陽奈の店のケーキを届けに行ったのである。爽が連れていかれてから小一時間、朝倉の彼女である千歳と店のカフェで話をしていた。

千歳は第一印象に違わず、穏やかで笑顔が可愛らしい女性だった。話をするうちに、どうしてあんな男と付き合っているのか不思議に思うぐらいだった。陽奈の朝倉の評価と言えば顔はモデル並み、いやそれ以上だと言わざるを得ないが、性格は高圧かつ自己中心的で陽奈は好きそうにはなれないタイプだ。陽奈の父親の噂のせいで多大な迷惑をかけたことは十分承知しているが、その父親のアプローチも完全に無視を決め込んでいた様子であり、陽奈と初めて顔を合わせたときもあからさまに嫌悪感を示して睨まれた。その少々失礼ともいえる振る舞いを考えると、お互い様で朝倉にあまりいい印象を持たなくても仕方のないことだと思う。よって陽奈から見れば千歳には朝倉はもったいないと思うのだ。千歳ならもっと穏やかで優しく彼女を大切にしてくれる相手が見つかるだろうにと。

 しかしながら千歳に接する朝倉の態度を見れば、朝倉が千歳を手放すはずもないことは明らかだ。そして千歳自身もそんな朝倉に満足しているようだった。そう言った意味ではお似合いの二人なのだろう。

 そしてそんな千歳の口から語られた思いもよらぬ事実――――――

 


 陽奈は飲んでいたコップをテーブルに置くと、立ち上がってダイニングからつながる廊下へと駆け寄る。しかしそれよりも先に爽がダイニングに顔を出した。


「ただいま、陽奈」

「おかえ……」

 陽奈の言葉が言い終わらぬうちに爽は彼女を引き寄せその身体を抱きしめた。時を惜しむように早急で迷いのない動き。途端に爽の香りが鼻孔いっぱいに広がって、胸の中に明かりがともったかのように温かくなった。

 想いを伝えあってから、不思議なほどのすれ違いでこんな風に近くで触れ合ったのはすごく久しぶりのことだ。こうして爽の腕の中にいると、どんなに爽に焦れていたのか彼の温もりを欲していたのか考えずにはいられなかった。そしてまた爽も同じ気持ちでいてくれたのかもしれないと思うと胸が苦しくなる。幾度となく繰り返してきた思いなのに、その一つ一つがかけがえのない貯金箱のように大切な何かが溜まっていくような感じ。

 引き返せないぐらい強く心の中にある気持ち。


「そうちゃん……」

 名前を呼ぶと、陽奈の背中に回された腕の力が強くなった。その心地よい息苦しさに身をゆだねる。


 好き……

「会いたかった……」

 まるで陽奈の言葉を代弁したかのような、爽のつぶやきに嬉しくなって「私も」と素直な気持ちが口から飛び出した。その言葉に爽の腕が固まったように動きを止め、すぐに一層強く包まれた。

 そしてその動きは緩急に陽奈の体を爽の腕から離し、その次に訪れる瞬間を予期するような時が流れ爽が顔を傾けた瞬間―――――


「ちょっと……いい加減にしてくんない?」

 背後から冷静かつ氷河のように冷たい声色が響いた。その声にハッと我に返る。同時に爽も弾かれたように顔を上げた。


「うわぁ!! なっ……なんで太一がここにいる!?」

「なんでって……付き添いだよ」

「付き添い~~~!!」

「もう……うるさいなぁ。そんな怒鳴らなくても……元気有り余ってんね」

「質問に答えろよ!」

 憤った爽の言葉に太一は面倒くさいと言わんばかりの表情を浮かべた。そんな太一の態度に再び抗議の声を上げようと体を乗り出した爽の行動を制して、代わりに陽奈が答える。


「太一は本当に付き添ってくれただけなの。家に……パパがいたから」

 陽奈の言葉に爽は目を丸くしてやがてその意味を理解したのか、体の力を抜いた。

 陽奈と爽が恋人同士になった当初は家族を巻き込んで大騒動となったが、その後も父親の陽奈への説得が続いていた。はじめはなんとか納得を得ようと努力していた陽奈だが、だんだんその頭の固さにイライラが募るようになり、次第に無視を決め込むようになった。そうなることを一番恐れていた父親はついに折れ、渋々ながら二人の交際を認める言動を見せたのだ。

 しかしながらそれも所詮建前でしかない。

 今日も仕事から帰り、再び出かけようとしていた陽奈にしつこいまでの詮索をしてきた。面倒なことになってはと「友達に会いに行く」と言った陽奈に遅くなったら危ないといって太一を同行させたのだ。

 友人に会いに行くのに双子の兄を連れていくなど聞いたことはない。しかし必至な形相の父親に諦めるしかなかったのだ。しかし友達と会ったことを確認したらすぐに太一には帰ってもらうことを約束させて。

 陽奈が抱えている面倒な環境については爽にもたびたび話をしていた。爽自身も覚悟していたこととあってか、爽は二人でゆっくりと打開策を考えていこうと言ってくれていたのだ。


「わかったでしょ? 怒るなんて見当違いもいいとこだよ」

「……悪かった」

「ふん……跪いて三回まわってワンってしたら許してあげてもいいけど」

「てめぇ……」

「そうしないとすぐに帰らないからね」

 からかう様に鼻で笑う太一に、爽は鋭い視線を送っている。

 陽奈はそんな二人の喧嘩のようで喧嘩ではない様子を爽の腕に抱かれながら静かに見守っていた。いつもとは言わないものの、このようなやり取りはじゃれ合いのようなものだ。全くなんだかんだと仲のいい二人なのだ。

 そんな言い合いをしばらく聞いていた陽奈は、ふと頭に浮かんできた疑問を口にする


「ケーキは無事届けたの? それにしては時間遅くなったね」

 爽はその声に陽奈に目を向け「ああ」とうなずく。


「一緒に食べていけって引き留められちゃってさ。平田さんとよばれてたんだ」

「そうなんだ」

「課長の彼女のお祖母さんも一緒に住んでるみたい。しかもその二人がやたらと強引で断れなくってさ……話も長いのなんのって」

「ふふ」

「ああ……あとはもう一人女の子も来てたよ。課長の従兄妹(いとこ)だってさ」

「従兄妹?」

「平田さんも知り合いみたいで、やたら引き留められて困ったよ。“萌”って言ったかな……課長も結構な美形だけどその子も高校生にしては結構美人で……」

「もっ、萌!!!」

 突然爽の言葉を切って太一が立ち上がる。いつも物静かで冷めている太一には珍しく必至な形相で、頬は赤く上気していた。

爽はそんな太一の異常なまでの反応に動じることなく胡乱な視線を投げかけ眉を顰める。太一がどんな様子であれ、今の爽にとっては“陽奈との会話を邪魔した奴”でしかないらしい。


「なんだよ、太一」

「いいいいい……今、萌って言わなかった?」

「はぁ?」

「言っただろ!! 高校生ぐらいの……女神のような美しさと天真爛漫な性格を合わせ持った“萌”と言う名前の彼女と遭遇したって」


―――――女神? そんなこと言った?


「言ってない」

「言った!」

「……言うわけねーだろ!!」

「言っただろ!! なんだよ、さては彼女に気があるから隠そうと……」

「はぁ? そんなわけあるか! 俺は陽奈以外にはまったく興味もないし、陽奈さえいればいいんだから今更わけわかんないこと言うな」

 突然降って湧いた嬉しい言葉に爽の腕の中から顔を上げる。爽は陽奈の視線を感じたのか、太一から目を逸らし陽奈を振り向くと笑いかけた陽奈に愛おしそうに視線を返した。

 爽の思いがけない告白によってようやく想いが通じ合った二人だが、こんな時彼がいかに自分を想ってくれていたのかを実感する。

 『ずっと愛していた』と言ったその言葉が、真実であるかのように自分を包み込むのだ。


「ちょっと、爽! 聞いてんの!? 僕の質問に答えてないでしょ?」

 なおもお邪魔虫の太一の言動に明らかに苛立ったのか、爽は不機嫌な表情を隠すことなく太一に向き直った。


「だから……なんだよ?」

「本当にその娘、“萌”って?」

「……そうだよ」

「下村 萌?」

「上の名前なんか知らないよ」

「え~……使えないなぁ」

「てか、なんなんだよ、さっきから! その萌って娘と知り合いか?」

 その言葉に突如太一は嬉しそうに破顔した。たまらなく嬉しい出来事がそこにあるかのような純粋な笑みに通常との太一とのギャップを感じぞっとする。


 何……これ?

 こんな太一今まで見たことがあっただろうか。いや、もちろん食べ物や二次元の世界における出来事への関心事は人以上にあるかもしれない。しかし現実社会の……ましてや生身の女性に対してこんな風に表現する太一は見たことが無い。

 これは、まさか――――


「……その娘の事好きなわけ?」

 半信半疑ながら、思わず頭に浮かんだ疑問を口にする。それこそありえないと思いながらも、その可能性を否定できないなんて……もしこのことが事実ならば、間違いなく太一の“初恋”にあたるからだ。

 そう……この年齢にして初めての……


「はぁ? え? 太一、そうなのか??」

 全くその思考に至らなかったのか、その言葉を受けて同様に驚きに満ちた爽の声が響く。太一はそんな二人を見つめ目を見開いたまま戸惑ったように視線を泳がせた。


「い、いやだな……そんなわけないじゃん。ちょっと前にオフ会で知り合った女の子が“萌”って名前だったから」

「オフ会?」

「ネットで知り合った人同士の……交流の場だよ。そこに萌って娘が来ててさ……無茶苦茶可愛いんだけどまだ高校生らしくて……。声も天使みたいに澄んでてさ……笑顔なんか直視できない感じで……しかも信じられないことに住む場所が近かったんだよ。今までどうやって彼女を見過ごして来たのかって、悔しくて。それで、もしかしてって思って……」

「近いって……連絡先交換したの?」

「そっ、そんなわけないじゃん! そりゃアドレスぐらいは知ってるけど……あんな殿上人に……話しかけるのも勇気が……遠くから見てるだけで」

 そう言ってもじもじと下を向く太一の様子を見る限り、その思い入れは尋常じゃなさそうだ。


「気持ち悪……」

「……同感」

 太一の様子を見つめながら本音を漏らすと、小さく爽が同意を示した。思わず顔を上げると、爽が悪戯っぽい笑顔を浮かべて片目をつぶった。


「なあに?」

「いい機会だし……追い出そうか」

「え?」

 陽奈が驚いてそう言うと同時に、爽の視線は再び太一に向けられた。爽の腕は陽奈にただそこにいればいいと語るように、僅かに力が込められていた。


「なあ、太一。いいきっかけじゃん?」

「え?」

「すぐに帰ってその萌って娘にメールしろよ」

「え……でも……」

「もしかすると本人だったかもしれないだろ? 例え違っても話題の一つにはなるし、彼女だった場合はしめたもんだよ。朝倉課長(従兄妹)の名前も知ってるし、俺や父親が共通点もあるんだし親しくなるきっかけになるだろ?」

「……そっ、そうか?」

「善は急げ。すぐ帰ったほうがいいって」

「………だよな」

 太一はそう言うとゆるゆると立ち上がって、様子を見守っている陽奈たちには目もくれずにダイニングを抜けて廊下へ出ようとする。しかしそんな太一の肩を押しとどめる様に爽が掴んだ。


「待った。そんな太一の“女神様”へのきっかけを作った俺に出来る事……わかってるよね?」

 太一はその言葉に、陽奈と爽を交互に見て小さくため息を吐いた。


「……父さんは適当に誤魔化しておいてやるからご勝手に」

「わかってんじゃん」

 ニヤリと笑った爽の顔も見えているのか見えていないのか、太一はそう言うなり早々に玄関から帰って行ってしまった。


「うまいこと追い返せたな~」

「……口がいいんだから」

「嘘は言ってないでしょ? あながち、あの萌って娘が朝倉課長の従兄妹だって推測、間違ってないかもしれないよ」

「本当に?」

「さあね。……まあどうでもいい」

「太一、本気かなぁ……現実の女の子なんて、絶対無理そう」

「さっきだけで相当なヘタレっぷりだからね……“女神”だってよ……遠くから見てるだけって……くっく」

 爽の笑い声を聞いて陽奈自身も可笑しくなって噴き出してしまった。

 しばらく向き合って笑い合う。静かな廊下で響く二人の笑い声は心地よく耳に響いた。幾度となくここで向かい合い会話を交わした廊下なのに、今は二人きりでその時間を宝物のように共有している。

 やがて爽に手を引かれ再びリビングに足を踏み入れたとき、ふと気が付いたように爽が口を開いた。


「あ……忘れてた。あの娘、平田主任が好きみたいだったよ」

「……ええ!!」

 茶髪のキラキラしたオーラを放つあの得体のしれない男、平田。陽奈は数えるほどしか話をしたことはないが、あの外見のみならず中身は相当の食わせ物のような気がする。そして男性としての魅力、恋愛経験においても相当のレベルだろう。

 太一が張り合おうとしても、彼にとっては赤子をあしらうようなもの。

 かなうはずはない。


「そんなぁ……じゃあ絶対無理じゃない」

「どうかな? 平田主任にその気はないみたいだったけど……」

「でもあの人が本気になったら即負けるよ……」

「でも太一だって……」

「無理無理。あのカッコよさ並じゃないし、スキルだって相当高いと思うわ。笑顔見せたらいちころよ。太一がちょっと足掻いたって指一本であしらわれる……」

 陽奈がそう言うと、爽は突如手を伸ばし陽奈の顎を持って上を向かせる。突然の行為に驚いて、言葉を切ると顔をしかめた爽がじろりと陽奈を睨み付けてきた。


「なっ、なに?」

「なんでそんな平田主任の肩もつの?」

「はぁ?」

「まさか……陽奈も興味ある、とか言わないよね?」

 真剣な瞳で陽奈を見つめる爽の様子に瞬きを繰り返す。


「……やきもち?」

「当たり前でしょ。彼女がほかの男性を褒めて気分良い奴なんかいないよ」

「“彼女”……? さっきも言ってくれたよね……いい響き」

「はぐらかさないでよ」

「はぐらかしてないけど……だって、嬉しいんだもん」

 陽奈はそう言うと爽に身を乗り出してその唇にキスを落とした。触れるだけの。

微かに触れた場所からか、掠めた髪の匂いかジュニパーの深い香りが陽奈の鼻孔を擽った。

 爽はキスを終えて満足そうに笑顔を見せた陽奈を赤くなった顔で見つめると、やがてその腕を引きよせて再び深いキスを返した。

 チュッとついばむキスが何度も角度を変え次第に粘質な爽の舌が陽奈の口腔内に差し込まれると、知らずに甘い吐息がこぼれ出す。深まるキスに思考がマヒしていくのに、あまりにも鮮明な想いばかりだけが溢れんばかりに陽奈を襲ってくる。


「ん……ぁ……そぅ……ちゃ」

「……ん?」

 その自分を限りなく甘やかす声も。


「……だ……ぃ好き」

「……~~~!!」

 うわごとのようにつぶやいた想いを耳にした瞬間、爽は弾かれたように顔を上げた。


「……そうちゃん……?」

 爽の腕に支えられたままに頭上を見上げると、先ほどよりも赤いゆでだこのような顔で途方に暮れた表情をうかべる爽がいた。


「どうなってんの? 陽奈? 俺、死ぬ」

「え?」

「いや、死んでもいい」

 爽はうわごとのようにそうつぶやくと、陽奈の体を横抱きに抱きかかえそのままリビングから廊下に後戻りする。その切羽詰まった様子に驚いてようやく我に返り、何事かと爽に尋ねようとして、はと爽が向かおうとしている場所が頭に閃いた。

 爽が今から陽奈としようとしていることも……

 高鳴る胸の鼓動と次第に熱くなる身体のすべてが陽奈の今の喜びを表している。爽は陽奈を抱えながらも難なく階段を上がっていく。そんな爽の首にギュッとしがみつき、その温もりを余すことなく味わった。



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