34.父親達の確執
その日は宴会だった。
久しぶりに帰ってきた爽の両親を歓迎すると、いつの間にか陽奈の家の食卓には豪華な料理が並べられており、興奮冷めやらぬ陽奈の父親、爽の両親(主に小次郎だったが)は互いに酒を飲みかわし、乾いた笑いと泣きのどんちゃん騒ぎだった。
陽奈の母親に関しては、陽奈の顔を見るなり嬉しそうに「よかったわね」と言ったきり、あとは父親をなだめたり酌を注いだりと忙しそうにしていた。
陽奈と爽、太一はそんな両親たちから離れ、静かにその様子を見守りながら同じ空間の中で食事をとった。
父親の怒ったように小次郎と言い争う姿や取り乱した様子は珍しく、戸惑う陽奈に対して爽や太一は冷静そのものだった。どうやらそんな父親達を見るのは初めてではないらしい。
「昔っから仲悪かったからね」
爽は不安そうな陽奈を見かねてか、困ったような笑みを口に携えてそう言った。
「そうなの? でもよく一緒に旅行とか行ってた気がするのに。全然知らなかった……」
「まあ、父さんは頑なに陽奈にだけはそんな素振り見せなかったからね」
陽奈の言葉を受けて、太一がやや素っ気ない口調で加勢する。そしてその言葉を受けてさらに爽が続けた。
「それは俺の父さんも一緒だよ。そもそもさ……発想が子供なんだよ。いくら陽奈のおじさんに初恋の人を奪われたからって……その悔しさをいまだ引きずってるなんて……」
「え? 初恋って?」
初めて聞く小次郎の話に驚いて聞き返す。すると爽は呆れたようにため息をついた。
「俺の父さんと、陽奈の両親が同郷って知ってるだろ?」
「うん」
「父さん昔はかなりモテて、結構遊んでたみたいなんだよね。でも高校の時に初めて好きになった女の人がいて……父さんの遅い初恋だったわけだけど、まあそれが陽奈のお母さんなんだよ」
「……え!?」
「父さんかなり入れこんでたみたいなんだけど、陽奈のお母さんにはもうすでに好きな人がいてあっさり振られたんだよね。相当ショック受けたみたいなんだけど……それよりも女性関係には変に自信があったから、要は父さんにとって初の黒星で、かなりプライドが傷ついたわけ。それでその妙なプライドは、その陽奈のお母さんを奪った相手にライバル心を燃やすって方向に、進んじゃったわけなんだよね」
「まさか……その相手って……」
「そう、陽奈のお父さん。まあ、そのあと陽奈の母親のことは完全に吹っ切れて、遅くして俺の母さんに出会って円満にお互い結婚したわけなんだけど……その二人のライバル心ってのが、いまだ引きずられてるんだよね」
「どういうこと?」
「そもそもさ……陽奈のお父さんも、幼いころ好きな人を父さんに奪われた過去があるんだよ。まあ父さんにしたら、一方的に言い寄られただけでただの遊び相手だったんだけどね。それがあって陽奈のお父さんも、俺の父さんに嫌な印象しかなくてね。それなのに、なぜか偶然家が隣同士になっちゃったんだよね。しかも、妻同士は意気投合。子供も同じ年で、幼馴染ときたら……完全に腐れ縁ってやつだよ」
「……そうだったんだ」
まったく知らなかった。確かに父親同士は、もともとあまり話をしないというか、仲が良いという印象はない気がする。しかし、母親同士はすごく仲が良かったので、あまり気にならなかったのだ。男同士なんて、そんなものなのだろうと思っていた。
「まあそこに来て……陽奈って基本、おばさん似でしょ?」
「まさか………」
爽の両親、特に小次郎に関してはかなり陽奈を可愛がっていた。実の娘のように……もしかすると実の息子の爽よりも、可愛がってくれていた気もするのだ。
それはつまり……"初恋の人の娘"だったから陽奈と母親を重ねていたということにも通ずるわけで……
「それで、私のことをあんなに可愛がってくれてたの?」
「まあ、それ以上に陽奈自身のことが可愛くて仕方ないってのもあるんだろうけど……そこは否定できないんだよね。今度こそ、おじさんから奪ってやろうと思ってんだよ」
「……そんな……!?」
「で、陽奈の父親も、それがわかってるから必死で抵抗しようとしてたんだよね……」
「抵抗って……?」
「俺は憎き小次郎の息子だからね。まあそんな奴にだけは、陽奈を取られるわけにはいかないってことだよ。万が一、俺が陽奈と結婚でもしたら、小次郎に取られるわけだからね」
なるほど……確かに。
今の父の乱れ様は、そんな理由から来ているのだと思えば納得がいく。
「だから、俺が陽奈とくっつかないようにいろいろと手を打ってたわけだよ。物心ついたころぐらいからおじさんのいる日は陽奈の家に出入り禁止になってたし、中学高校にしたって俺と通学時間がずれるように陽奈だけ送り迎えとかしてたでしょ」
そういえば、中学高校と父親はやたらと過保護になり、『女の子は危ないから』という理由で可能な日は陽奈だけを車で送り迎えしていた。
思春期を迎えたころはいやだと言ったのだか、そこは頑なに譲らなかったのだ。
そして太一は……爽と登校していた気がする。
まさかあれは、そういった理由から!?
「嘘でしょ……」
「ほら……朝倉課長のことだって、そうだろ? 婿養子になりそうな人と陽奈をさっさと結婚させて俺から引き離そうとしようとしたわけだし、俺が本社に帰ってくるときだって、結構むちゃくちゃな条件を付けられたしね」
「……それって」
さっき陽奈に告白してくれた時に言っていた、“条件”?
「朝倉課長が好きな陽奈を邪魔しないように、自分からは絶対に“好きだ”と言わないこと。そもそも陽奈にそういった恋愛感情を持つのも禁止。あくまでも幼馴染として、というか必要時以外は近づくな。もしそれを守らなかった場合は、再び支所に飛ばす。と、まあ……そんなとこだね」
「なっ、何よそれ!!」
「まあ……最初は本当に陽奈は朝倉課長が好きなんだと思ってたから、そんな条件も仕方がないかなって思ってたんだよね。そうでもしないと、暴走しそうな気がしたし……」
「そんな、むちゃくちゃな……」
「でも結果的に、まったくの誤解だとわかって……そっからは葛藤だったな……言いたいけど言えないなんてさ」
そうだったのか。
幾度となく爽からキスをされることがあっても、『好きだ』と具体的な言葉がなかったのはそういった理由だったかと、改めて納得する。
“キスなんて大人になれば大したことはない”
この言葉は爽にとって、幼馴染でしかいることのできない自分の立場から来た誤魔化しのフェイクだったのかもしれない。
ずっとこの言葉が爽の本心なのだと思っていた。しかし言葉がなくとも、爽の行動は陽奈が好きなのだと言っていた気がする。今はそう信じることができる。
「爽が『そのままでいい』なんて意地張るからややこしくなっただけでしょ」
初めて聞く爽の境遇と心境を、戸惑いと嬉しい気持ちで受け止めていた陽奈の横から、呆れたように太一が口を挟んできた。
「でもあそこで約束はなかったことにしてくれって言ったって、おじさんは納得しなかったと思うな。できるだけ陽奈を俺に接触させないように抵抗しただろうし、また違う当て馬を持ってくることも厭わなかったと思うよ。結果的に油断させてKOさせたんだし、俺の粘り勝ちってことだね」
「……良く言う。へこんでたくせに……」
「結果オーライでしょ」
そう言って楽しそうに笑う爽に、「実直そうに見えて、実は腹黒いよね」と冷ややかな視線を投げかけ、太一は諦めたようにため息をついた。
「でも、本当に私何も知らなかった……そりゃ、そうちゃんとパパのことは分かるはずないけど、せめてパパ達にそんな縁があったなんて知ってたら、少しはそうちゃんのこととかおじさんのこととか仲直りできるようにできただろうし、パパのおかしな行動も止められたかもしれないのに……」
「まあ父さんにしたら、くだらないプライドの争い事なんて情けなくて娘には見られないって事なんじゃないの」
「まあ、そんなところだね」
がっくりと肩を落とした陽奈を、勇気づけるように爽と太一が同時に陽奈の頭をポンポンと撫でる。
二人とも陽奈を責める様子は微塵もない。なんだかつくづく二人に甘えてきたのだと実感せざる得ない。
「それにしてもやっぱりおじさんのとばっちりって、父さんて言うより全部俺に向かってたよね……」
「お前の陽奈への執着が明らかに目についたんだよ」
「子供には、親とは違う人生があるってわかってもらいたいもんだよね」
「……まあ、さすがにわかったんじゃないの?」
「どうかな……抵抗は必至って感じだけど。今も……睨んでるし」
「ご愁傷さま」
「まあ……これも醍醐味だよ……実感、湧くね」
「そんなこと言ってると、痛い目見るよ」
「痛い目ねぇ……でも一番厄介なのはあの人じゃないからね」
「……へぇ」
「興味ないふりしても、無駄だよ。お前が一番厄介ものだからね」
「………」
二人は話を始めたかと思うと突如じっとお互いを見つめたまま動かなくなった。父親達のことに想いを馳せていたため良く聞いていなかったのでいまいち何の話をしていたのか陽奈には知る由もない。
それに三人は幼馴染だといっても、爽と太一の間には男同士ゆえか陽奈には入り込めない部分が数多く存在しており、うらやましいがそこは仕方がないと諦めているところなのだ。
「ねえ、そうちゃん」
放っておいたら二人の沈黙がそのまま続きそうなので、間に割って言葉をかけた。注意を引くために少し爽の袖を引っ張る。
爽は一瞬そんな陽奈の動作に驚いたのか、そんな陽奈の手元を信じられないといった表情で見つめた。やがて袖に添えられた陽奈の手を取ると、蕩けるほど甘い笑顔を向けてきた。
「ん? 何、陽奈?」
「……っ!」
その笑顔に心臓がドキンっと大きく跳ね上がった。
突然、そんな顔をするのは反則だ。
ここには太一も離れたところにみんなもいるのに、ドキドキして……――――――どんどん好きのボルテージが上がっていく気がする。
「あの……」
「何?」
「聞きたいことが……あって……」
「うん」
「その前に……そうちゃん、手、離して?」
話しかけたのには理由がある。しかし爽から思わぬ笑顔を受けて、そんな気持ちが爽一色になる。しかし頭の片隅には今はその時じゃないと警告を鳴らしており、その思いにすがるように必至で体制を整えた。
そして困ったことに、いっぱいいっぱいになった陽奈が冷静になろうと努力する傍ら、陽奈を翻弄すべく爽の手が陽奈の手を弄ぶように絡まってしまっていた。
「え~……やだ」
「やだって……」
「陽奈は、俺と手繋ぎたくないの?」
「……それは……そんなことないけど」
「じゃあいいじゃん」
「だめ……離して!」
「なんで?」
「なんでって……ダメなものはダメ……」
「ふ~ん……そんな理由だったら納得いかないよ。俺はもっと触れたい」
「触っ……なっ、それっ……」
「なんならこのままキッチンでした時みたいにここにキスする……?」
ギクリ
“キッチン”と聞いて、爽に玉ねぎで悪戯を仕掛けた後に受けた襲撃を思い出した。唇に触れるか触れないか、吐息でこの手を愛撫されたことを。不覚にも過剰に反応してしまい腰が抜けてしまったのだ。
もし今そんなことをされたら、一層平常心でいられる自信はない。
戸惑う陽奈の目の前に、徐々に陽奈の手に近づいていく爽の顔が見えた。とっさに言い繕う様に叫ぶ。
「どっ……ドキドキするの!! そうちゃんに触られるとドキドキして……死んじゃいそうになるからだめ! 私……こんなんじゃ話できないから……」
顔を真っ赤にしてそう言った陽奈に、爽は満足そうに破顔した。まるで陽奈がそう言うことを予測していたかのように。そして笑顔のまま陽奈の肩をつかむと、その顔を近づけて……――――
「ストーーーーップ!!!」
瞬間、強い力で陽奈は爽のもとから引っ剥がされた。
その力に驚いて顔を上げると、憮然とした表情の太一が映った。太一は陽奈の背中側から腕を回し、陽奈を抱きかかえると、引きずるようにして爽の向かい側まで連れていった。そして爽とテーブルをはさみ対角線上の位置の椅子に陽奈を座らせると、その隣にドカッと腰を下ろした。
「太……一?」
「無駄にいちゃつかないでよね」
太一はそういうと、じろりと陽奈を睨んできた。無意識の行動ゆえに、驚きと恥ずかしさと相まってとっさに言い返す。
「いっ、いちゃついて……ないっ!」
「兄の前で恥ずかしく無いわけ?」
「違っ……!」
「太一、やきもち?」
必至で言い返した陽奈の言葉に重なるように爽の声が飛ぶ。爽は楽しそうな笑みを浮かべて、太一を見据えていた。
「はぁ? 馬鹿じゃないの」
「あ~……やっぱり。妹取られて……むかついたんでしょ?」
「……黙れ、むっつり」
「はは……負け惜しみ」
「誰がっ……」
「……高みの見物してたのに形勢逆転だなんて、気分悪いよね。まあ俺はそのおかげで一番欲しいもんが手に入った」
「……父さんに加勢しとくべきだったと後悔してるよ」
「無駄だよ」
爽はそう言うと、ハラハラと二人の様子を見守っていた陽奈に向かって名前を呼んだ。
陽奈がその声に視線を向けると、向かい側から爽が体を乗り出して陽奈の顎を掴むとその唇にキスを落とした。
「なっ……んっ……」
驚いて体を引こうとした陽奈の頭に爽の腕が回り込み、逃がさないという様に再び唇を奪われる。
三度ついばむようなキスを受けた後、爽は体を離し陽奈に優しく笑いかけると「俺はね……」と語り掛けるように口を開いた。
「陽奈が振り向いてくれなくても、ずっと陽奈が好きだったと思う」
「そうちゃ……」
「だからいくら周りに邪魔されても無駄なんだよね…………これからも変わらず、好きだよ」
「わっ……私も好……」
蕩けるほど甘い告白に思わず周りが見えなくって爽の気持ちに応えようと口を開くと、すごい勢いで背後に顔を引っ張られた。視線の先にいつも冷静で表情を崩さない太一が、明らかに顔を引きつらせ、こめかみに青筋が立てて息を荒立出せていた。
「だぁ―――――!!! 止めんか! 僕の前でいちゃつく……」
「なななななな!!!! おまっ……おまおま……お前、今何してたぁ!!!」
「お父さん、落ち着いて」
太一の言葉に被る様にして、リビングにいた父親の声が響いた。気が付けば4人ともこちらを見いたようで、いきり立ったような陽奈の父親にそれを必死でなだめる母親。互いの手を取り合って何やら喜んでいるような小次郎たちの姿が見えた。
「私の可愛い娘にぃぃぃぃ……!?」
「往生際が悪いですよ、おじさん?」
「何!?」
「俺はきっちり約束を守りました」
「それ……は……」
「だから陽奈は俺のものです」
爽のきっぱりと言い放った言葉に心臓が大きく跳ね上がった。驚くと同時に嬉しさから顔が熱くなってくる。
溢れんばかりの愛情で独占し自分を甘やかしてしまう爽。人の目もはばからずその堂々とした振る舞いを意外に感じると同時に、またいっそう爽を想う気持ちが強くなっていく。
どこまで好きになったらいいの?
憤りを露にしている父親を背にして、爽は立ち上がると赤くなった顔を伏せるようにして俯いていた陽奈の隣に来る。
「陽奈。ここはうるさいし、どっか行こうか?」
「え?」
「ダメだ!! 陽奈、行っちゃ……」
「爽! お前調子に乗るなよ!」
戸惑って声を上げた陽奈の声に被さるようにして、父親と太一の声が響く。爽はその声を無視して陽奈の腕を引き陽奈を立ち上がらせると、なおも抗議の声を上げる二人に対して、皮肉を込めた笑顔を向けた。
「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやらって言うでしょ? せっかく気持ちが通じたのに……これ以上、邪魔しやがったら……」
涼しげな表情に似合わず切羽詰まったような威圧感を込めた凄味のある声を発した爽に、二人は途端に口をつぐんだ。そしてそんな二人を嘲笑するように鼻を鳴らすと、さっきとは打って変わって穏やかな笑みを浮かべて陽奈に向き直った。
「行こうか」
「え……どこに……?」
爽は陽奈の手を引いてダイニングのドアに向かっていく。陽奈は戸惑う様に振り返ると、呆れるような太一の視線にぶつかった。太一は陽奈の顔を見ると表情を和らげかすかに口角を上げながら右手を小さく振った。
「陽奈ぁぁぁぁ~!!!」
「さすが、我が息子よおぉぉぉぉ!!!」
そんな叫び声が響く中、不機嫌そうな爽の手によってダイニングのドアが勢いよく閉められた。
「陽奈の部屋行こっか……」
「うん……」
「さっきの続き……したいけど……」
――――――続き?
そう思って考えを巡らすと、その意味に気が付いて顔が真っ赤に染まっていく。
「でも……今日はこれで我慢するね」
爽はそう言うと、優しく触れるだけのキスを落とした。
真っ赤になった顔を見られたくなくて俯く陽奈の頭上で、爽が微かに笑った気がした。




