32.言わせてほしい
どくどくどく……
心臓が飛び出していしまうのではないかと思うほど、強く早く打ち鳴らされていた。きっと掴まれた手首から、その脈動が爽にも伝わっているのではないかと思うぐらいに。
気持ちを――――――爽が好きなのだと知られてしまった。
太一の無情な扱いにより無理やり言わされた言葉だが、紛れもなく今の陽奈の気持ちだ。
太一から閉め出された部屋のドアを見つめながら気まずい沈黙を過ごした後、ぽつりと爽が「俺の家に来て……」と言った。そして恐る恐る顔を上げた陽奈に「今、太一信用できないからさ」と困ったような表情を浮かべて言い放った。返事をする暇もなく、そのまま爽に手を引かれ爽の家の門をくぐることとなった。
家に入ると、爽は玄関に立ちそこから見える階段に目を向けた。
階段を上がれば、そこは爽の部屋だ。爽から受けた熱い抱擁やキス――――――……あの時のことは夢ではなくその一瞬は幸せで不思議なほど自然に二人の心が交わったと思えた時間だった。この家に来るのはあの日以来。そう意識した瞬間、再び緊張感が走りバッと爽の手を引き離した。
突然の陽奈の行動に驚いたのか、爽が陽奈を振り向いた。
顔が見れない。今の自分はきっと真っ赤だ。
「……そうだな……俺も止められなくなったら困るし……」
爽はそう意味不明な言葉をつぶやくと、再び手を取ってリビングへ連れて行く。そして無理やり陽奈をソファーに押し込むと「飲み物取ってくる……」と言って、一人でリビングへ向かっていった。
どどどどど……どうすれば!?
こんな時、どうすればいいのだろうか?
恥ずかしさから顔を上げれないことも原因だが、今爽が何を思ってどんな表情をしているのか全く予想が付かない。
好きだって……聞いてたんだよね?
太一の意地悪なあの笑い声から考えれば、おそらくはそのほとんどを聞いていたと考える方が妥当だと思う。しかし爽は先ほどからそのことに関して、一言として口にしていないのだ。
聞こえてなかった……わけではないとすると……
いろいろな考えが頭の中に回るが、どれも答えのようで違うような憶測でしかなく自分だけではパズルのピースは見つかりそうもない。次第に考えてはいけない領域に踏み込み陽奈の心を蝕んでくる。
―――――漠然とした不安。
そしてハッと頭の中に、あの日の……爽の部屋での、彼のばつの悪そうな表情が浮かんだ。
“爽はあなたのこと、好きじゃないわよ”
そうだ……忘れてた。
オトオサをしていて気持ちが高揚していたためか、一番大切な事実を見逃していたのかもしれない。
どうして思いつかなかったんだろう……
あれは……あの陽奈へのプレゼントのメッセージは――――――爽が言ったことではない?
“はるな”が気が付いたことは、所詮は太一が思い立ったことなのだ。あれが真実であると、爽が言ったわけでもないのだ。
もしかすると……すべて、私の―――――勘違い?
そう思った瞬間、ザーッと冷水を頭からかぶったように体が冷えてくる。それと同時に、頭の中が冷静に分析を始めた。
そうだ――――爽が本当に陽奈のことを好きだったとしたら、どうしてあの時に、はっきり答えなかったのだろう、と。
『私のこと好き?』
爽は困ったような顔をしていた。
そもそも欲しいものには不思議なほど一直線で、執着を見せる爽だ。きっと……陽奈が好きならば、こんな回りくどいことするわけない。
さっきから何も言わないのは……迷惑だったから……?
先ほどとまったく正反対な考えにつじつまが合い始めると、ショックで不思議なほど笑えてくる。
なんてバカだったんだろう……
勘違いしていた自分が情けないほど恥ずかしい。期待して……こんなところまで、のこのことついてきてしまった。今から、振られることにも気が付かないで――――――……え? 振られる?
その事実に行きついた瞬間、先ほどとは比べようのないほど不安が胸に広がった。
とたん、勢いよく立ち上がる。
怖い……怖い!! どうしよう……こんなこと考えてもなかった!?
「陽奈? どうした……?」
衝動的に帰ろうと、足を踏み出した陽奈の背後から、驚いたような爽の声が響いた。その声に、ハッとして足を止める。
どうしようもない不安に心臓が耐え切れないと嘆きどくどくと嫌な音を立てた。
振り向けない。でも……固まったように足が動かなかった。
そんな陽奈の背後で、カップが机に急いで置かれたことをもの語るようにゴトンッと大きな音を立てた。同時に爽が近づいてくる気配がして、陽奈の腕が後方に引き寄せられた。勢いよく引っ張られた拍子に体が爽へ向く。とっさに顔を見られたくなくてうつむいた陽奈の顎を、彼は両手で強引に引き上げた。
「なんで……泣いてるの?」
その声にハッと自分が涙を流していたことに気が付く。ショックで、情けなくて……こんな自分を見られたくなかった……
「……泣いてない」
「嘘。泣いてる」
「……もういいの……私のことは放っておいて……」
「嫌だ。俺が……陽奈のこと、放っておけるわけないだろ?」
「そんなの嘘……」
「嘘? 何が嘘なの?」
「それは……何でも無い……」
顔を固定されてもなおも、こちらを頑なに見ない陽奈に業を煮やしてか小さく爽の嘆息する音が聞こえた。そして爽から逃れられない一言が陽奈に静かに言い放たれた。
「さっきの言葉は、本当?」
「……え?」
「太一と話してた前後の話はよくわからなかったけど……俺が好きだって言ったよね」
「あ……」
どうしよう……やっぱり聞かれてた!?
動揺からとっさに爽に視線を向けた。爽は真剣な瞳で、陽奈を見つめていた。その強い意志に囚われて、取り繕う言葉は全く浮かんでこない。
ダメだ……ここで認めたら――――――終わっちゃう!?
「違っ……」
「違う? 違うの?」
「それは……」
「あのね。下手な嘘をついて誤魔化しても、それぐらい僕にはわかるんだよ?」
「あ……」
きっと見透かされているんだ。ダメなのに……想いが勝手に……
「何を怖がってるのか知らないけど、もう逃がす気ないからね。これが本当なら……やっと俺も言えるんだから」
「え……?」
「いや……もうそんなことどうでもいいよ。初めっから……俺は……陽奈がどう思ってようと、俺の気持ちは変わらない。いい加減限界だ」
爽はそう言い捨てると、陽奈を見つめながら「もう言わせてほしいんだ」とつぶやいた。その表情は今までに見たことがないほどに辛そうで、陽奈の心臓までもキュッと苦しくなる。
「言わせて……欲しいって……?」
「約束したんだ、陽奈のおじさんと。こっちに帰ってくる条件だった。覚悟はしてたけど……こうも苦しめられるとは思ってなかったよ。近くにいるのに……伝えられないなんて、拷問のようだった……」
父親? ……拷問? いったい何のこと?
「陽奈を抱いた後、俺すごく幸せで……でも後悔したんだ。こんな曖昧なままじゃ、陽奈に誤解されるかもしれないって。まだ陽奈の気持ちもわからないのに、このままじゃお前を失ってしまうって思った。現に陽奈に遊びだって言われた時、ショックだった……でも、『やっぱりか』って思える自分もいたんだ。結局俺は陽奈のおじさんを理由にして、逃げてただけかもしれないって。一番卑怯だったのは、俺だから……。だから、この先どう頑張ってもダメな気がしてた……陽奈が俺と縁を切りたいのならば、望みを叶えてやることも、俺にしかできないのかもって……。でも……やっぱり、考えても考えても陽奈のことしか浮かばないんだ。どうして陽奈じゃないといけないのか、そんな疑問すら俺にとっては愚問なんだよ」
そういうと、爽は少し辛そうに顔を歪めた。そして爽から語られる内容に呆然と聞き入る陽奈に、悲しそうに笑いかけた。
「陽奈……ごめん。愛してる。愛してるんだ……」




