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30.兄の想い ~太一side~

「陽奈の気持ちが……まったくわからない」

 空耳かと思うほど小さなつぶやきに、目の前の集中から状況を忘れそうになっていた頭を現実に引き戻した。いつの間にか暗くなった部屋が隅に置かれた間接照明と目の前に明々と光るパソコンに照らされてぼんやりとその室内を映し出している。この空間は自分の世界のすべてであり、何事にも代えがたい大切な時間の結晶だ。このパソコン()の中のように、すべてが思い通りに自分だけの彩りを生み出す。そして気まぐれで図々しい光が差し込まない夜は自分の姿さえ映さずより好い。


ギシッ

背後から微かにスプリングの軋む音が聞こえて、シーツが擦り合う気配がした。

そうだ、空耳じゃない。

華奢な自分に比べ大きく引き締まった図体を投げ出し、まるで自分が所有者とでも言う様に自分のベットにうつぶせている人物。なんとも情けない言動を吐き出したその幼馴染に、太一はゆっくりと視線を向けた。


爽は突然この部屋にやってきた。

 4日間遠方に出張だと聞いていたので、しばらくは来ないだろうと思っていた。まして帰宅日である今日は。

しかし爽は部屋に現れた。出張先から直接来たのか、黒いボストンバックを持ち、少しくたびれた紺のスーツを着た爽は、先日見たときよりも幾分やつれているようだ。そんな爽の姿が、かつての父にかぶって見える。ごく短期間しか会社員を経験したことのない太一にとって、自分の意志に反してあれやこれやと仕事と言われては押し付けられ、出張だと連れ出され付き合いだと行きたくない飲み会に参加する会社員にはつくづくなりたくないと思う。安定は望めないが、こうして地味にやりたいことを、ちまちまとやっている今のほうがよっぽど幸せだと思うのだ。

そんなことを頭の中に巡らせる太一に、爽は来て早々焦ったようにお決まりの第一声を発した。


『陽奈は?』


気になるのなら、わざわざ自分のところに来ずとも、直接行けばいいものを……と毎度思う。しかしこの男は昔から太一の双子の“陽奈”に関してだけは、いつもの社交性や飄々とした容量の良さを発揮できないでいる。そして思春期のあること(・・・・)をきっかけに、完全に自信を無くした。一時期は全く陽奈を無視し突っぱねて続けていたが、この年になってようやく諦めきれないことを観念し、今の今まで引きずる、情けないぐずぐず男なのだ。

陽奈とは一緒に住んでいるとはいえ、日々の生活スタイルが全く違う。陽奈は昼に活動し、太一はもっぱら夜に活動するのだ。陽奈のことなど知るよしもない。隣の部屋からはあまり物音がしない気がするので、適当に『いないんじゃない?』と答える。すると爽は沈んだ様子でため息をついたのだった。

 ふらふらとベットに近づくとそのまま倒れ込み、そして何も言わなくなった。



 寝たのか?

 疲れていると考えられないこともない、しかし、ならどうしてここに来たのか?

 太一は空耳のような言葉を発したまま動かなくなった爽から目を逸らすとパソコンに向きなおって、ここ数日の陽奈の様子を思い出した。

 陽奈は太一のことを避けている様子だった。

もともと用事がなければそれほど話をするわけではない。しかしふいに目が合うと、おびえたように瞳を揺らすのだ。悪いことをした時や、隠し事があるとき陽奈はそんな顔をする。

 ここ最近関わりがないだけに、自分に何かされた覚えはない。思い当たることと言えば……―――――1週間前に隣の部屋から押し殺したような泣き声聞こえてきたことだろうか。

 夜にバタバタと階段を駆け上がる音がしたかと思うと、隣の部屋のドアが大きな音を立て閉まった。何事かと思っていると、壁の向こう側から妙な嗚咽が聞こえてきたのだ。

 陽奈は意地っ張りなので、大泣きすることは少ない。我慢する方だ。しかし、その日は夜中まで泣いていたようだった。

 気になって次の日、聞いてみようかと思ったのだが……あの瞳を見てやめた。要は、詮索されることが怖いのだ。

 時期に落ち着くだろうと放っておいた。


 ん……?

そういえば……昨日久しぶりに話しかけてきた。真剣な顔で“はるな”のことを何か聞こうとしていたようだった。

あのゲームに関しては一度陽奈に見せてやったことがある。もともと読書と同様ゲームも全く興味のない陽奈は、太一がいくら勧めようとも“絶対やらない”と宣言していたから、そうだろうと思っていた。

しかし……何か様子が変だった気がする。

もしかして気が付いた……?


「なあ、太一……なんか言ってた?」

 その声ではっと我に返る。寝ていたと思っていた爽だが、ベットにうつぶせたまま憂鬱そうな瞳をこちらを向けていた。


「何って?」

「陽奈だよ。……俺のこと、なんか言ってた?」

 俺のこと?

 妙な言い回しだ。ここ数日の陽奈の落ち込んだような様子は、このバカ爽に原因があるということだろうか?

 つい最近のことだ。陽奈はようやく自分の心に素直になって(こいつ)が好きだと認めたのだ。トラウマに縛られてつらそうな陽奈の様子をずっと見てきた太一にとっては、それだけでもホッとしたものだ。

意地っ張りで天邪鬼だが、誰よりも頑張り屋で子供のように自己犠牲を厭わない優しい心を持った陽奈には、兄として誰よりも幸せになってほしいと思っている。

 それが、この鈍感バカに託さなくてはならないとしても、だ。


「知らない。 ……っていうか、お前が何かしたの?」

「それは……」

 爽はそういうと、フイッと反対側を向いてしまった。何も答えないということは肯定を意味する。

 怪しい。いったい、陽奈に何をしやがった?!

想像して、ちょっとした殺意を覚える。しかしこれ以上考えたくないので、ここはとりあえず話を変えることにした。


「ていうか、沖縄に出張だったんでしょ。いかにも帰りですって格好して部屋に来て、お土産の一つもないの?」

「無い」

「はぁ? カバンの横に“紅いもタルト”あるでしょ」

「陽奈の」

「はぁ?」

「陽奈に買ってきたやつだから、お前のは無い」

 ムカッ

 その言葉に、カチンとくる。いつも"陽奈陽奈……"と言うくせにこの体たらく。いい加減に、傍観せざる立場の人間のとこも考えてもらいたいものだ。

 

「そんなもんで陽奈の機嫌をとれるとでも思ってるの?」

 その言葉で、ようやく爽は太一を振り向き、恨めしそうな視線を向けた。


「直接渡しに行く勇気もないくせに」

「……ぐっ」

「さっさと僕によこしなよ……そうすれば、今すぐここから追い出すようなことはしないからさ……とりあえず陽奈の近くに入れるだけでもましでしょ? これは僕から陽奈に渡してあげるからさぁ~。ついでに爽のことフォローしてあげてもいいんだよ」

 太一の言葉に爽は、睨みつけるように鋭い視線を向けた。

 怯むことなく太一がバカにしたように笑ってみせると、爽はあきらめたようにため息をついてから、バックの横にある袋を投げつけてきた。


「フォローはいらない……」

「言うと思った」

 太一は袋の中からピンク色のに彩られた箱を取り出して開けると、中に入ったお菓子をつまんで即口に入れる。

美味しい。

タルトの甘みと、紅イモの舌に吸い付くような触感がたまらなく良い。陽奈の作るクッキーなどのお菓子も美味しいが、現地の素材それぞれの味が楽しめるお土産菓子も太一にとっては好物の一つなのだ。

 楽しそうな太一の様子を、爽は呆れたような瞳を向けて見つめていた。


「……幸せそうだな」

「まあね」

 徐々にお腹が満たされていくと、気持ちに余裕が出てくる。鬱々とした様子の幼馴染に少し話でも聞いてやるか、という気になってきたのだ。


「何に落ち込んでんの?」

「……」

「お土産のお礼に特別に聞いてあげるけど?」

太一の上目線の言い分に「誰が言うか!」と毒づいた爽だが、やがて渋々ながらぼそぼそと話し始める。


「僕さぁ……こっち帰ってきてから頑張ってきたつもりなんだよね。一時期は陽奈のこと諦めようと思って、とことん無視したり冷たくしたり、興味ないやつと付き合ってみたりしたけど、結局意味がなかったから……やっぱり陽奈がいいんだって思ってさぁ。気持ちが変わらないなら、手に入れるしかないって、そう決めてからはそれなりに頑張ってたっていうか……」


確かに。

太一の母親に陽奈のシフト表を借りて、律儀に迎えに行くぐらいは。

陽奈の誕生日プレゼントにわざわざデザイナーに注文してオーダでうん十万のネックレスを贈るぐらいは。


「……でもここにきて、やっぱり陽奈の気持ちが……わからない」

「………どこが?」

 わからない方が、どうかしている。


「どこがって……それはお前が双子だからそう思うんだろ? 俺には全く理解不能なんだよ」

「もう少しわかるように言ってくれない?」

「……最近さぁ……もうとにかく陽奈が可愛いんだよ。いや、もちろん以前から分かりやすいくせに意地っ張りなところとか、たまにあわてて顔を赤くするとことか可愛いとこはたくさんあったんだけど……それ以上になんかこの頃妙に女の子っぽい表情したり、無意識に甘えてきたりとか、もうとにかく抱きしめたくなるほど可愛いわけなんだよね」

 それはそうだろう。好きな人が目の前にいるのだから、可愛くならないはずはない。


「俺もそれを抑えるのが必死っていうか……ん? あんまり抑えられてないか?」

「なんか……言った?」

「ま、まあ……それはいいとして。だからさ、少しは陽奈も俺に気を許してくれたのかなって思ってたわけなんだよ。少しぐらい、俺のこと好きになってきたんじゃないかって……」

 その通りだ。何を疑うことがあるというのだ。


「でも……“事故”ってなぁ」

「事故?」

「大嫌いだってよ。幼馴染なんか辞めてやるって言われた」

“大嫌い”?

 意地っ張りで天邪鬼な陽奈のことだから、そういうこともあるだろうと思うが……


「何したんだよ?」

「聞かないでくれ……」

「要はお前が悪いんだろ?」

「まあ、そう。俺が悪い」

「だったら……」

「陽奈が可愛すぎるのも犯罪だよ。抑えないといけないって、耐えてる俺の気持ちも知らないでさ……」

「それは爽の自業自得でしょ……」

「じゃあ、どうしろって? お前の父親との約束を無視するのか?」

「……あのさ、その約束が事態をややこしくしてるってわかんない?」

「仕方ないだろ。人事異動に口をきいてもらうときの条件だったんだから」

「でも結局、父さんの“嘘”だっただろ?」

「そうはいっても、俺がそれを破って今後陽奈とのことをあれこれと邪魔されて口出しされたら意味ないだろ。陽奈を手に入れたら、有無を言わさず認めさせるためだ」

「……」

そのために今、陽奈が苦しんでるのが、わからないかな……

中途半端にアプローチされてるのに、決定的な言葉を貰えないなんて。


 太一の父親と爽の約束。

 これは爽が転勤先にいるころに二人で交わされた、爽が本社に帰ってくるための条件だった。当時、爽の転勤先には陽奈が"本社の何とかという課長”に熱を上げ続けていると噂が流れていた。入社してから、太一の父のいる本社に移動願いを出し続けていた爽は、一刻も早く陽奈の近くに帰るために専務で人事にも力のある父に直接移動を願い出たのだ。

 その当時、父はその課長との交際を押していたため、爽の願いを断った。しかし2年もの間幾度どもわたる説得の結果、ついに観念したのだ。

 しかし条件付きで。

“陽奈には心に決めた相手がいる。私も陽奈と朝倉課長との交際を応援しているし、いまさら爽君が現れて、陽奈の気持ちを混乱させることを望んでいない。そのためには、陽奈には幼馴染として接することが条件だ。絶対に自分から自分の気持ちを伝えないでくれ”

 その言葉に爽は承諾した。

“自分の気持ちを言わないこと”“幼馴染でいること”それを守ると約束したのだ。

 その時は、承諾せざる得なかったのだろうと思う。一刻も早く陽奈の近くに帰ってきたい一心だったのだから。

 太一に父親と交わした条件の話をした時、爽は『それでもいい。もうしばらくは陽奈のそばにいたいんだ。俺のために』と言った。そして何でもない事のように『でも朝倉課長から奪うから、見ててよ』と笑ったのだ。しかし、ああ見えてずっと陽奈を大切にしてきた爽のことだ。本当に陽奈がその課長を好きだった場合、邪魔などしなかっただろうと思う。父親の条件がなくても結局は自分の気持ちを伝えることのないまま、陽奈を応援していただろう。要は、期待半分、そして残りは陽奈を諦めるために帰ってきたのだと思う。

 爽の想い……陽奈の想い……どうして同じところにあるのに、すれ違うのだろう?

 そのことがあって、アレ(・・)を作った。真実をつづった傍観者としての最高のプレゼントを。そして爽に渡したのだ。

 しかし全くそのまごころは伝わっていないようだが……

 そして、予想通り、父親の話は出鱈目だった。初めから爽以外に陽奈に好きな人がいるはずもないので、どうもおかしいと思っていたのだ。だから、約束は無効になるはずだった。

 しかし……爽は意地を張って“それでも成し遂げてみせる”と言い切ったのだ。

 馬鹿だと思う。

 

「さっさと好きだと言えばいいものを……」

「言葉で言わなくても、あからさまに態度で表わしてんだから、陽奈はわかってるよ。わからないはずないだろ? だから拒否られたんだよ」

 わかってないんだよ!! お前と同様、相当な鈍感だからね!!


「……勘弁してよ」

「はぁ?」

「何年やってると思ってんの? いい加減くっついてよ」

「それができたら苦労しないんだって……」

「へたれ」

「ああ? 二次元萌のオタクに言われたくないね」

 お互いそう吐き捨てると、そのまま睨みあう。お互い怒っているわけではない、陽奈がいなけれがいつもこんな調子なのだから。しばらくすると爽はベットから起き上がって、バックを手に取った。


「帰る」

「帰れ帰れ!」

「次会ったときは、ムカつくほど陽奈といちゃいちゃして自慢してやる」

「できもしないことを言わないでくれる?」

「言ったな? ……やってやるよ。サンキュー、ちょっと気持ちまとまった」

 言いたいことを言うと、何事もなかったように清々しい表情を浮かべ、爽は部屋を出ていった。


「……まとまった、ね」

 何しに来たのか。しかし少し気持ちが浮上したようだ。肝心な話は何一つ聞けなかった気がするが、今度こそ陽奈とうまくまとまったらいいと願う。

 幼馴染と双子の妹……太一からは近すぎてややこしい。


 爽が去ったドアからパソコンに視線を戻そうしたとき、視界の隅に見覚えのあるものが飛び込んできた。太一が椅子から立ち上がると、同時にドアの向こう側から何かが近づいてくるような気配がした。

 再びドアに視線を戻したとき、勢いよくその扉が開かれたのだ―――――





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