29.秘められたメッセージ
ソファーに座りスマホ画面を見ながら、陽奈はこれからどうするべきかグルグルと頭の中の考えを巡らせた。
やるか……やらないか……
プロローグを表現するようなセピア色の画面には、茶色のポニーテールの幼い女の子が公園の砂場に座り込みシャベルを片手に遊んでいる―――――“陽奈”の幼少期だ。
あの日すぐに届いたヤマザキのメールには"はるな"を攻略するために必要なキーが書かれていた。あの後山崎はおせっかいなことに漠然とした疑問に考え込んでいた陽奈から携帯を奪い、その場でゲームのアプリをダウンロードしてそのキーと入力したのだ。もちろんその時点で休憩時間は終了し「すぐにできるので、あとは家で楽しんでくださいね」という何がそんなに楽しいのかよくわからない山崎の笑顔でその場は締めくくられた。
家に帰り、迷いに迷ってアプリを起動し……山崎の言っていた通りあっという間にこのスタート画面まで進んだ。
そして……今、また迷っている……
ガチャ
背後の扉があく音がして、リビングに太一が姿を現した。ソファー越しに振り向くと、太一は陽奈を一瞥して、声をかけることなくそのままリビングに続くダイニングに向かっていった。
着やすいというだけで無数についた毛玉だらけの部屋着に身を包む太一にしては珍しく、きれい目の厚めのジャケットを着ていた。どこかに外出していたのだろう。
「どっか行ってたの?」
「……ん」
陽奈の言葉に手短に返事が返ってくる。
最近爽との事があって家では沈みに沈んでいた陽奈だが、当然のことながら太一のことも避けていた。
太一と爽は幼馴染を超え、今や親友ともいえる存在となっているのだ。あの一件は爽と二人だけの問題とはいえ、爽が太一に話さないとは限らない。もしそうならば……と思うと、太一と会話するのを躊躇してしまっていた。
太一がこの状況を知れば、バカにされるのはわかりきっている。
“爽が好き”
太一にだけ打ち明けた自分の気持ち。溢れ出した想いに言わずにいられなかっただけで、その時は爽と両想いになりたいだなんて贅沢な望みを持っていたわけではなかった。しかし微かな希望を……ゆっくり育てていければいつかはそうなれるかもしれない、と思っていたのだ。それなのに――――――陽奈の軽率な行動を引き金にして、その望みはいとも簡単に打ち砕かれてしまった。これは、自らが手放してしまったようなものだ。そしてその解決の糸口も見つけられずにいる。かといって、諦めることもできない。
太一に会えばそんな情けない自分を一瞬にして見抜かれてしまう気がした。それが怖かった。
「……何してんの?」
いつの間にか太一が目の前に立っていた。携帯を片手に考え込んでいた陽奈を、いつも通りの無表情で見つめている。
「めっ……メール!」
「ふ~ん」
いつもオタクだなんだと太一を馬鹿にしている手前、ゲームと言うのは恥ずかしくてとっさに嘘をついてしまった。太一は陽奈の返事に興味のなさそうな返事を返したものの、その場に留まってもの言いたげにしばらく陽奈を見つめていた。その視線に考えを悟られた気がして陽奈がその視線を逸らすと、太一はしばらくして何も言わないまま踵を返し部屋から出ていこうとした。
――――――あっ
とっさに太一を呼び止める。
山崎からゲームの話を聞いた時からずっと気になっていた。………どうして太一は自分に“はるな”を薦めたのか。
『……似てますね。ていうか同じ?』『 はるなと同じ漢字っす』
太一ははじめから“はるな”の存在を知っていた。そして爽に対しての恋心を自覚出来ていなかった陽奈を面白がるように『“はるな”は爽の好きなタイプだから、参考にしろ』とまで言ったのだ。
山崎の言うことを鵜呑みにするならば、"はるな"はすべてクリアーしたゲーマーへのおまけ。ということは、太一もキーを手に入れ難関な“はるな”をクリアしていたことになる。
"はるな"が陽奈と名前が似ている事実……そしてかつて陽奈たちが経験した夏祭りに類似したこのストーリーを目の当たりにしていたということだ。
太一は何を思って……そしてどうして私に……?
「なに?」
「あのね。ちょっと聞きたいことがあって……太一の言ってたゲームのことなんだけど」
「ゲーム?」
「ほら、大人的幼馴染の法則よ。あのゲームの“はるな”のことなんだけど……」
「はるな?」
そういい始めた陽奈の背後から、突如携帯の着信音が響いた。先ほどにらめっこしていた陽奈の携帯だ。
太一と見つめ合ったまま、このまま着信を無視して話を続けるべきか迷う。太一はちらっと陽奈の携帯に視線を向けると、電話に出ない陽奈を不思議そうに見つめ返した。
しばらくすると、着信音は聞こえなくなった。
「後で……かけ直せばいいから。それよりあのね……」
話を続けようとした時、再び着信音が聞こえた。
ーーーーー今、大事なことを……!
「……っもう! 誰!?」
苛立ちを滲ませたままに携帯を手に取った。しかし画面に表示された“山崎 広志”という文字を見てドキッと胸が跳ねる。
なんだろう……アドレスは交換していたが、今まで電話なんてかかってきたことないのに。
……今日話していた“はるな”のことだろうか?
「……出たら? 僕、部屋にいるから何か言いたいことがあるなら後で来なよ」
太一はそういうと、陽奈を残してさっさと部屋から出ていってしまった。太一と話してみたかった気はするものの、山崎の電話も気にかかり通話ボタンをスライドさせる。
「もしもし?」
『あっ……陽奈さんですか?』
―――――……は?
山崎からの電話だと思ったのに、携帯から聞こえてきた声が明らかにそれとは異なって思わず黙り込む。
この声……どこかで……?
『須王です』
「えっ……!?」
キラ男?
『突然すみません。さっき山崎から陽奈さんが“はるな”を攻略したいから、僕の力を必要としているというのを聞いて……』
誰が誰を必要としているって?
確かに話の最後に山崎が“キラ男に聞いたらどうですか?”と言っていたような気がする。その時は別の考えに気を取られていて、肯定も否定も口にしなかったのだが……
とにかく、とんでもない誤解だった。
……山崎のやつ、次に会ったら覚えてなさいよ……
『でも俺、陽奈さんの彼氏無茶苦茶怖いんですよ……次会ったら殺すって言ってましたし』
殺す……?
少々誇張されているようだが、どうやらキラ男はあの時の爽が相当怖かったらしい。
『俺、陽奈さんだったら“はるな”のこと、何でも教えます……ですから、どうか彼氏さんには俺から連絡があったって、くれぐれも言わないでくださいよ! そうしないと……』
「わかったわよ」
もともと彼氏でもなんでもないのだから、気にする必要はない。しかしここは面倒なことにならないように誤解を解かない方がいいと判断した。
陽奈の様子に、キラ男は安心したのか、電話口から明らかに安堵のため息が聞こえてきた。そして幾分おびえるようだった声が明るくなり、電話越しから気を取り直したキラ男の声が聞こえてきた。
『よかったです!! 俺……陽奈さんが“はるな”を知ってるって聞いて嬉しくてたまらないんです……! オトオサで“はるな”に出会ってからしばらくして、職場でたまたま陽奈さんのことを知ったんです。その時俺、はるなに似ているって……はるながいるって、なぜだかそう思ったんですよ!! ……あっ……もちろん、今はふっ、ふっきれてますから……どうか彼氏さんには言わないでくださいね。だから、陽奈さんには俺の知ってるはるなのこと全部教えます。かなり苦労したんで、山崎とかには絶対全部は教えないですけど、陽奈さんには惜しくないです』
「……あ、ありがとう」
ここは……感謝しておく所なのだろうか?
『なんだか……俺のひ……じゃなかった、陽奈さんならエンドまで行ける気がするんです。まだ誰もクリアできてない最後の難問も解けるような気が……』
「山崎も言ってたけど、最後はそんなに難しいの?」
『そうですね……意味が解らないし、見当もつかないです。まあ……そこまで行けば、全キャラのおまけも網羅できるし、敢えて解かなくてもいいのかもしれないですけどね。もしかすると、初めから解けないように出来てるって噂もあるんですよ。エンドがないんだって』
「へえ……」
『でもそれでも全然問題なく楽しめますんで、是非やってくださいよ。後で、正解質問選択肢をメールで送っておきますので』
ゲームの面白味は全くないが、選択肢の正解を教えてもらえるなら容易にゲームを進められるだろう。陽奈が『クリアできそう』などというキラ男の見当違いな期待はさておき、楽ができてラッキーだ。
「ありがとう」
『そんなっ……俺の方が光栄です……!? あと、プレゼントも重要なポイントなんで、それも順番に送っておきます!!』
「プレゼント?」
『毎年誕生日プレゼントをあげる場面があるんです。それを間違えたらアウトなんですよ。だから……』
そういえば、山崎もそんなことを言っていた。太一も"千夏"に妙なプレゼントを贈っていた場面もあったし、あのような感じだろう。
『あ……でも、注意してほしいんですけど……はるなに正しいプレゼントしても、はるなは喜ばないので……』
「喜ばない?」
『そうなんです。かなり怒られたり……一見、間違ってるみたいなんですけど、それでいいんです』
怒られるのに……正解?
キラ男の話に、ふと毎年爽がくれたプレゼントに怒っていた自分を思い出した。昔の自分と重なって可笑しくなる。再び、はるなに親近感を覚えた。
「ふふふ……」
『可笑しいですよね……』
はるなはどんなプレゼントをもらって怒ったのだろう? そんな興味が湧いてきて、何気なく「どんなプレゼントなの?」と質問を返した。するとキラ男は陽奈が笑ったことが嬉しかったらしく少々興奮した様子で楽しそうに内容について語り始めた。
『はじめは、ひよこ1羽です。次は7色の芯の入ったロケット鉛筆、そこまでは大喜びされるんですけど、次からがいまいち品が悪くて反応が悪くなります。橙1個……』
―――――あれ? 橙……?
『イチゴ1パック、すいか1玉、きゅうり袋つめ放題……この辺からかなり機嫌が悪くなっていきます。あんぱん1個……手抜きだって怒られます。その所為か、次の年は再び好物のイチゴ1パック、でも次はひどい。シジミエキス……』
――――――……え? “あんぱん”“シジミエキス”?
その異色なプレゼントは忘れるはずもない。……陽奈が中学の時、爽にもらったプレゼントではないか!?
それどころか、今聞いたプレゼントはどれもどこかで聞いたことのある、覚えのあるものばかりである気がするのだ。
どういうこと?
なんなの……? ここまでくると偶然では済まされない気がする。
なにか……絶対におかしい……!
『……っと、まあそんなひどいプレゼントが続くわけなんですけど……俺もなんか変だな~と思ってたわけなんです。はるなの反応が悪いのにって。でも……最後のプレゼントをあげたとき、はるなが『気が付いた』って、言うんですよね……それで“ああ!!それでか!” って……』
"最後のプレゼント"? 記憶の隅で何か引っかかる気がした。疑惑の答えがどこへ行きつくのか、頭の中が混乱してうまく思考が纏まらない。
「……どう言うこと? 最後のプレゼントに、なにか意味があるの?」
『そうじゃなくて、はじめっからプレゼントには意味があったんですよ』
「………―――――え?」
『はじめの2つは、単純にはるなの喜ぶものだったみたいですけど……次からです。橙の“だ”、イチゴの“い”……と、まあ初めの文字だけ取って続けていくと“だいすき、あいしてる”となるわけなんです』
――――――え?
―――――――――え??
『まああげてた俺が意味を知らないプレゼントなんですけどね……って、ああ!! これってネタバレしてますね……』
ちょっと待って……“だいすき”? “あいしてる”?
『実を言うとですね……ほら、ついでなんですが……意味のない初めの2つのプレゼントですが、あそこも続けて読むと“ひな”になるんですよね。……関係ないとは思ったんですけど、それも陽奈さんを意識するきっかけに…………』
その言葉を聞いた瞬間、顔が一瞬で火照ったように真っ赤に染まっていく。頭の中が整理不可能なぐらい混乱して、疑問符と期待と納得とを繰り返して、たちまちにキラ男の声も聞こえなくなっていた。
“幼馴染だから、今あげれる最高のプレゼントをあげている”
爽は陽奈にそういったのだ。何度も。
もちろん意味は解らなかったし、毎年贈られる嬉しくもないプレゼントに腹が立って幾度となく文句を言ったかわからない。
これは“はるな”のゲームだ。でも……もしこれが真実だったら……これが―――――――――本当の意味だったとしたら?
“今年で終わりだから”
はにかんだ笑顔で陽奈の手のひらに乗せた、アンティーク調の蝶のモチーフのネックレス。街灯に煌めく紅石に爽はルビーのネックレスだと、陽奈の誕生石のお守りだと言った。
終わりが……“ル”?
今の今まで気が付かなかった。
―――――――ひな、大好き、愛してる――――――
そうちゃん……もしかして、そう言ってたの?
ずっと私を……想ってくれていたってこと?
大粒の涙がぽたぽたと床に落ちていく。
違うかもしれない、でも……でも……心が勝手に期待に疼いて喜びに満たされていく。高揚した想いに胸がとくんとくんと心地よい音楽を奏でて、電話の声も周囲の音もなにも聞こえない。
私……期待しても……いい?
返ってくるはずのない問い。しかしその言葉が一縷の希望であるように何度も心の中でつぶやいたのだった。




