28.重なり合うエピソード
オータムフェアーも終わり、店はもっぱら年末に控えるクリスマス商戦の準備に取り掛かっていた。
とはいっても、まだ11月。幾分落ち着いた店内に、スタッフは幾分のんびりしたペースで仕事を進めていた。
陽奈は後輩の山崎とともに休憩室に入り、携帯を手に「う~」とうなり声を上げる。
陽奈の奇妙な声にも、先ほどからかじりついたように携帯を操作する山崎には聞こえていないようで、陽奈は画面じっとみたままため息をついた。
『ルビー [ruby]
(1)7月の誕生石
(2)ラテン語で赤という意味。紅玉。コランダムという鉱物からとれる。サファイアとは色で区別される。
(3)仁愛・自由・威厳 』
「仁愛……ねぇ……」
ポケットから取り出した小さな巾着の中に収められたネックレスを取り出して、そうつぶやく。
『仁愛:情け深い心で人を思いやる。いつくしむこと』
再び検索した文字を見つめ、落胆してガックリと肩を落とした。
“誕生石はお守りになる”
陽奈のことを思って選んでくれたプレゼントだということはわかっていた。しかしせめて、この石にダイヤモンドのような“永遠の愛”などという意味が含まれていたならば、もう少しは元気もでたのに。
陽奈は画面を消すと、ネックレスを巾着の中に戻した。
あの夜の出来事から1週間経過した。あれから爽とは会っていない。
シフトが早番が続き、帰宅時間も早かったこともあって、爽が迎えに来る機会はなかったのだ。いや、遅くなっても、もう来ないのかもしれないと思う。
“大っ嫌い! 幼馴染なんか辞めてやる”
あんな言葉を吐き捨ててしまった陽奈に、あきれてしまったのだろう。きっと面倒になってしまったに違いない。
あの出来事は爽にとって“事故”なのだ。
そんな相手と、もめる可能性があるのにわざわざ自分から出向くはずはない。このままお互い割り切った関係になるという選択肢もあるかもしれないが、陽奈には出来そうもない。爽は好きな人なのだから、きっとその先は闇だ。
あとは時が解決するのを待つしかないのだろうと思う。
会いたいな……
性懲りもなくそんなことを思う。恋心というものは、辛ければ辛いほど、鮮明になるのかもしれない。
あきらめなくてはいけない。忘れるんだ。
頭でそう思っていても、まるで他人事のように心は別の方向を向く。そのベクトルの変換は容易ではない。
「うわぁ……やっぱ、いいなぁ……」
落ち込んだ気持ちで考え込んでいた陽奈の目の前で、山崎のうれしそな声が届いた。独り言らしく、画面を見たままニヤニヤと笑みを浮かべている。
山崎って……なんか太一と同じにおいがするのよね……
陽奈はそっと立ち上がると山崎の後ろに回り込み、画面をそっと盗み見た。その中にはかわいらしいアニメキャラの女の子が画面に映り、その下につらつらと文字が書かれていた。
なるほど。予想は的中した。携帯ゲームをしていたらしい。しかも、太一のようなシュミレーションゲームだ。
山崎は陽奈の存在にまったく気が付くことなく話を進めていた。ふと、その画面を見ていて「あれ?」と思う。
この女の子……私、見たことある?
「―――――あっ!? “はるな”」
「うわぁっ!!」
思わずつぶやいた言葉に、ようやく陽奈が背後にいることに気が付いたのか山崎が驚きの声を上げた。
「笠井さん! なんで、こんなとこいるんすか!?」
「あんたが気づかなかっただけでしょ。……それよりこれ、はるなだよね?」
“はるな”―――――“大人的幼馴染の法則”の登場人物だ。あの時と変わらず携帯の画面に映し出されたポニーテールの快活そうな彼女は、太一が陽奈に似てると、爽のタイプ(太一が言っただけで、事実かは不明だ)なのだと言ったキャラクターなのだ。
「え? あっ……はい。笠井さん、オトオサ知ってんすか?」
「知ってるっていうか……太一がやってたから……」
「お兄さん? 笠井さん、お兄さんいたんすか?」
「双子だけどね」
「へぇ~……でもお兄さんお目が高いっすね~これ面白いっすから」
「ははは……」
私にはその面白さはいまいちわからないけどね。
「しかも、はるな押しっすか? かなりのマニアですね」
「……マニア?」
「マニアって言うより、玄人というべきっすかね……なんせはるなは、神キャラですからね」
“神キャラ”?
先ほどからよくわからない言葉が飛び交い、陽奈は眉をひそめた。
太一は何も言っていなかったが、このはるなというキャラは何か特殊なのだろうか? 山崎の言うように玄人向けなのだとしたら、ど素人の自分に『陽奈もやってみなよ』などど、太一はよく言ったものだ。
「お兄さんはどこまで行ったんですか? まさかフルコンポしておまけ映像も全部集めたんすか?」
「……ごめん山崎。あんたの言ってる意味がさっぱり分かんないわ。私、一度もやったことないから」
「え? だってさっき“はるな”って……」
「兄は“千夏”て、女の子が気に入ってるの。よくわからないけど、たまたま兄に薦められたのよ。この“はるな”を攻略してみろって……だから覚えてただけで……」
「えっ? いきなり“はるな”をっすか?」
「……そうよ」
「それは……無理っすよ」
陽奈の言葉に、山崎は神妙そうに顔をしかめた。その表情を見る限り、どうやら彼にとってはあり得ないことらしい。
もともとこのあり得ないタイトルのゲームをやろうだなんて考えてもいなかったのだが、山崎の様子に少し“はるな”に対して、興味がわいてきた。
“マニア”“玄人”“神キャラ”
いったい何がそんなに無理だという理由なのだろうか?
「これってそんなに難しいゲームなの?」
「そんなことはないっすよ。シナリオのバリエーションは広いっすけど、普通のゲームと同じっす。でも“はるな”は、激ムズ……最後までクリアできた人はいないんじゃないっすかね」
「へぇ……」
「まず、このルートは招待状が必要なんすよ。初期設定にはなくて、そのキーを手に入れたら新たにキャラクターとして登録されるんす」
「招待状って……どうやったら手に入るの」
「本当はフルコンポ……全部のキャラを網羅してその後に手に入るんです。でも……まあ俺なんかはネットでキーだけ教えてもらってやったりしてるんですけどね」
「ネット?」
「攻略した人とかが教えてくれるんすよ。まあそれはいいんすけど……またその後が大変で」
「どういうこと?」
「はるなは、ルートが1つしかないんす。どうやら純愛みたいなんすけど、選択肢を間違えたらほとんど途中でバットエンドで終わってしまって……中でも、毎年のプレゼントが曲者なんすよ。間違えたらアウト、即振られます」
「……へぇ」
どうやら聞く限りでは、相当難しそうだ。
「しかも基本情報は皆無なんす。だからプレゼントは賭けっすよ。一回バットエンドになったら、初めに戻るんす。地獄っすよ」
「私には絶対無理そうね……根気もないし」
興味もない。
「本当言うと、はるなを攻略しようとしてる人のほとんどは、途中で溜まる他のキャラのおまけ映像目的なんすよ。自分の気に入ったキャラとのその後見れるようになるから、頑張るわけです。……まあでも、それを無しとしても、やる価値はあるっすよ。はるなはちょっと意地っ張りですけど、やることはわかりやすくて可愛いし、シナリオもかなり幼いころから始まって豊富で面白いっす」
「ふ~ん……」
もともと“はるな”は、おまけ映像目的だったわけか。難しくても、やりたくなるわけが少しわかる。
しかし陽奈の場合はおまけには全く興味がないわけで……しかもシナリオが豊富となると、クリアにいたるまで長いということになる。ますますやる気がなくなってきた。
「俺の中でお気に入りのエピソードは……やっぱ小4の夏祭りっすかね」
聞いてもいないのに、山崎は勝手にはるなとの思い出を語り始めた。太一と同じにおいが……と思っていたが、こちらもかなり重症のようだ。
小4って……ロリコンじゃあるまいし。
さっさと話しを切ってしまおうと、口を開きかけた時、ふと山崎から語られるエピソードにその動きを止めた。
「リンゴ飴買うシーンから始まるんすよ。リンゴ飴ははるなの好物なんで、受け取ると楽しそうに食べ始めるんすけど、途中で機嫌が悪くなるんす。理由は……実は生え変わりで前歯がないんすよね。リンゴがうまく噛み切れなくて怒ってたってわけです。それで俺に渡すんす。『もういらない』って。まあ俺は、はるなが大好物だって知ってるわけですよ。そこで噛み切って、かけらをやるっていうわけです。ただし悪戯心に口にくわえたまま渡そうとするわけなんす……で、それを見て、はるなはどうしたと思います?」
楽しそうに質問してくる山崎。しかし陽奈の頭の中は別の思いに捕らわれ、様様な疑問符が飛び交っていた。
なにこれ? どういうこと?
私―――――このあとの出来事を知っている……
「……その口移しのまま……食べた?」
「正解っす~!」
陽奈の正解に山崎はうれしそうに軽快に指を鳴らした。楽しそうな山崎に反して、陽奈の心境は複雑で、曖昧に苦笑すしかない。
「小4で口移しって、なんかエロくないっすか? はるなも意地っ張りっすから俺の挑戦に承けて立ったわけっすけど、結局バリバリ照れるんすよ。その仕草も可愛いんすけど……俺もそこで意識しちゃうわけなんですよね~。そんで、その後花火の前になって突然はるなが消えるんですよ。しかも花火の間、全然帰ってこないんすよ……心配して探しに行くんすけど……」
『――――――これ、さっきのリンゴのお礼。せっかくだし店の前で出来たて待って買ってきてあげたんだから、感謝してよね』
再び頭の中に、鮮明な既視感が駆け巡った。そう、花火に行こうと河原に向かっていたのだ。――――――あれはいつのことだったのだろうか?
―――――
その日は爽と太一と三人で夏祭りに出かけたのだ。浴衣を着て身支度を整えていた時、運が悪いことにぐらついていた前歯が取れた。痛みはなかったが、とにかく取れた場所が気持ち悪く口を開けるとかっこ悪い。話をすると笑われる気がして、口をつぐみその日はほとんど言葉を発しないことにしたのだ。
そして太一が毎度のことながら当たりもしないくじ引きにお小遣いのすべてを使い果たそうとしている時、憂鬱と退屈を紛らわすために隣の屋台でリンゴ飴を買った。そしてその飴にかじりつこうとした時、食べられないことに気が付いたのだ。今思えば飴一つに大したことではないのだが、幼い自分にとっては一大事だった。やるせない悲しみに打ちひしがれ、同時に自分の運の悪さに苛立ち、このリンゴ飴を今すぐゴミ箱に捨ててしまおうと思った。その時爽が話しかけてきた。その呑気な様子に陽奈は半分あたるようにリンゴ飴を突き出した。爽ははじめ驚いた様だったが、やがてその理由に気が付き意地悪そうな笑みを浮かべた。そしてその表情を裏付けるかのようにこれ見よがしにリンゴをかじって陽奈に差し出したのだ――――――口にくわえたまま。
普段の陽奈ならば、手で抜き取るかそのまま爽の口の中に押し込んでしまうところだっただろう。しかしそれまでのイライラと、爽のバカにしたような瞳がむかついた。だからそのまま食べてやったのだ。
唇が触れるか、触れないかのスリルがあったと思う。しかし……衝動的な行動だったので陽奈にとってはそれどころじゃなかった。そしてそんな陽奈の行動に呆然とする爽に向かって『再びリンゴをかじれ』と命令し、見事すべて平らげたのを覚えている。(今思えばかなり大胆なことをしていた)
やがて太一が帰ってきたので、三人は花火のために河原に向かった。そこで偶然、焼き栗の屋台を見つけたのだ。
すっかり機嫌も直っていたこともあり『爽のために買ってあげよう』と、太一と爽に適当に言いくるめて、一人で店に向かった。そして注文しようとした時だった、店の主人が『もう少し待ったら出来たてをあげるよ』と教えてくれたのだ。
結果、それを待つことにした……すると花火が始まって……買い終わって太一と爽を見つけたときにはすっかり花火は終わってしまっていた。
心配して探してくれていたのか、陽奈を見つけるなり怒り始めた爽に、陽奈はその栗を差し出した。
あの時の驚いた爽の表情と、あきれたように頭を殴ってきた太一の様子は今でもはっきりと覚えている。
―――――しかし、どういうこと? 似てる……あまりにも似ているのだ。
「――――――はるなは俺にたこ焼きを渡してくるんすよ~。出来たてを待ってた、って言って……」
「え? たこ……焼き?」
「そうっす。俺、たこが大好物って設定があるんですよ。それで、『リンゴ飴のお礼』って俺の好物を買ってきたわけです。まさに究極のツンでれっす」
たこ焼き? 栗じゃなくて??
奇妙に同調したエピソードに違和感を感じていただけに、内容の違いを見つけて拍子抜けする。
しかしすぐに当たり前だと考え直した。いくら似ていると言っても、陽奈の思い出がゲームと一緒であるほうがおかしいのだ。
考えるだけでどうかしていた。
「実を言うと、俺もはるなには興味なかったんすけど、偶然キラ男がやってるって聞いて、キラ男から攻略のコツを教えてもらったんすよ。そしたら嵌ちゃって」
「キラ男?」
意外なところから店長の御曹司の名前が飛び出し、意外に思って聞き返した。
「一部のプレゼントもキラ男から教えてもらったんすよ~。キラ男かなり嵌ってるみたいで、とにかくバットエンドしまくりながらやりまくって、最後の超難関問題の手前までいってるそうっす」
「難関って……まだ問題があるの?」
「よく知らないんすけど……俺そこまでいってないんで。でもキラ男も全然わからないって嘆いてました。ネットでも正解見つけたって人いないんすよ~……そこクリアしたらエンドらしいんすけどね」
「ふぅん……」
「笠井さんも興味出てきました?」
「う~ん、どうかな……?」
確かに別の意味では気になってきた。先ほどのはるなのシナリオとあまりに似すぎた陽奈の思い出……もう少し別のエピソードも見てみたい気がする。
曖昧に返事をした陽奈だが、何を思ったのか脈ありと山崎は勢いよく捲し立て始めた。
「やってみてくださいよ! キー渡しますから! やりましょう!!」
満面の笑顔を浮かべ、普段からは考えられないような押しの強さをみせる。突然の山崎の勢いに押され、陽奈は思わずうなずいてしまった。
すると山崎は「やった! じゃあ今からメールでおくっときますんで」と、携帯を再び操作し始めた。
しまった……と思っても、もう遅い。
はっきり断らなかったことを今更ながら少し後悔するも、キーを貰っておいて『やってない』とは、言いにくい……やるしかない状況に追い込まれてしまった。
面倒だなぁ……
明日は休みなので、少しやって無理だったと伝えといたら良いか。こっそりとそう考えて、山崎に気づかれないように小さくため息をついた。
その時、陽奈へのメールを打ち終えたのか、山崎が顔を上げた。
「でも、笠井さんのお兄さんは、なんでこんな難関な“はるな”をわざわざ薦めたんすかね~……?」
「似てるって言ってたわ」
「似てる?」
「はるなと私が似てるんだって」
自分が言い出したことではないのだが、山崎の好きなキャラクターに似てるのだ……などと言うのは、正直気が引ける。
職場で先輩とはいえ『自惚れないでくださいよ!』言われても仕方ないだろう。
そう思い反論の言葉を待つ陽奈だったが、以外にも山崎の言葉は陽奈を驚かせることとなった。
「あ~……わかるっすよ。確かに笠井さんに似てますよね。ていうか同じ?」
「え?」
「だって笠井さんも、太陽の“陽”に奈良の“奈”で、陽奈でしょ?」
「……は?」
「はるなと同じ漢字っす」
「え……?」
同じ漢字?
「はるなって………ひらがなで書くんじゃないの?」
「普段は愛称で“はるな”ってひらがなで書きますけど、本当は違いますよ。笠井さんと同じ名前の漢字で陽奈っすよ」
そんな……まさか……
「そういえば、キラ男からしばらく言い寄られてたじゃないっすか。あれも、笠井さんが同じ名前だから親近感が湧くって言ってやり始めたことらしいすよ。性格もどことなく似てるって……まあ、最近は笠井さんに彼氏ができたからって諦めたみたいっすけど。あっ……そうだ! キラ男に攻略法聞いたらどおっすか? もう笠井さんのことは完全に吹っ切れてるみたいなんで、聞いてやったらいいっすよ。俺…………で、……から……」
山崎はその後も途切れることなく陽奈にゲームクリアに向けてのアドバイスを語っていた。しかしその声は、陽奈の耳を通り過ぎ、頭には全く入ってこなかった。
似てる?
なぜここまで?
いったい―――――……どういうこと?




