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27.天邪鬼な嘘

 コトッ


「はぁ……」

 まだ湯気が立ち上るスープの容器をダイニングテーブルに並べ、先ほどから何度目かわからないため息をついた。

 テーブルの上には、陽奈が作り終えた料理が、美味しそうに匂いを漂わせ、食べてもらうのを今か今かと待ちわびている。陽奈は、廊下に続くドアを見つめた後、静かに手元の椅子に腰かけた。

 爽は……まだお風呂みたいね……

 陽奈は無意識のうちに、身体を小さく抱き込んで、腕を摩った。

先ほどの余韻が陽奈の身体の隅々まで残っている気がする。爽のキスや、探るように這う手に触れられたところが、未だじくじくと疼いて、気怠い身体に熱を灯そうとしている。苦しげに早くなっていく爽の息遣いや、額に浮かぶ汗、陽奈を飲み込まんとする茶色い瞳、腕……あんな男くさい色気を全身にまとった爽は見たことがない。そんな一面を持つのかと思うと、ドキドキする。たまらなく格好良かった。

“好き”―――――……何度もそう言いそうになった。


 陽奈を抱いた後、爽は何も言わないままベットの上でじっと陽奈を抱き締めていた。熱い身体を押し付けて離さんとするように強く抱かれるのは、まるで爽の所有物にでもなったようで、心地よかった。

 何か言うべき? 同時に、そんな言葉が頭の中に浮かぶ。

 好きだって言ってもいいのだろうか?

 今の爽は、陽奈と同じ気持ちなのだろうか?

 次第にそのことを確かめたいと思う気持ちが湧いてきた。やがて意を決して陽奈が口を開こうとした時、爽は前触れなく身体を離すと、「もう一回、風呂入りなおしてくる」と言って、陽奈に視線を合わさずに行ってしまったのだ。


 あの行動の意味は、何を意図しているのだろう。

“爽は、あなたのこと好きじゃないわよ”

 ふと頭の中に、先日日野から言われた言葉がよみがえった。


“挨拶もしくは、性欲の捌け口みたいなものでしょうね”

 再び浮かんできた言葉を振り払うように、大きく頭を振った。

 ……違う。そんなわけない。

 爽の陰口のようなに失礼な物言いに、ムッとしたことを覚えている。爽はそんな人じゃない……多少自己中で俺様なところはあっても、人の気持ちを無視して勝手にふるまうような人じゃない、と。

 きっと爽なりの理由があるのだと。

 しかし残念ながら、今はそう言い切る自信はない。なぜなら、最中も“可愛い”とか“きれいだ”とか言うことはあっても、一度として“陽奈()を好きだ”などという言葉を口にしなかったからだ。

本当に私のことを好きじゃなかったら……性欲の捌け口だったら……

考えれば考えるほど、嫌なことしか思いつかなくなってきた。


「あ~もうっ……!?」

 恋愛に関しては“好き”“嫌い”“良い”“悪い”と、はっきり白黒つけるのが得意で、あまりグチグチと悩まない性質だったのに、今回はまったくそれとは異なる自分の変化に少し戸惑いを感じる。

 そう思うと自分は今まで形だけの恋愛をしていただけで、本気ではなかったのかもしれない。

 トラウマになるほどに思いつめてやっと解放された思いは、こうして今暴走し始めている。どうしても自分の中で、“爽”は特別なのだ。

 どうして“爽”じゃなければいけなかったのだろう……

 どうして爽と私は幼馴染なんだろう?


 ガチャ

 物思いにふけっていた陽奈は、その音に顔を上げる。やがてダイニングのドアが開き、爽が姿を現した。

 陽奈はけたたましく鳴りはじめた心臓の音を抑えるように、胸に手を当てると、反射的に下を向いた。少し油断していただけに、緊張して顔を見ることができなかったのだ。

 爽は音を立てることなく陽奈の座っていた椅子のそばまで来ると、その場で足を止めた。

 何も言わない。沈黙が重く感じた。


「しょ……食事出来たよ」

 その気まずい雰囲気を埋めるように、陽奈は下を向いたままそう言い放つ。


「ああ……」

 爽はそう言ったきり、再び閉口してしまった。いつものような歯切れの良さはなく、少し沈んだような声。そしてその沈黙もやがて陽奈の不安を助長しはじめた。

 なんで……何も言わないの?

 期待と失望がせめぎ合い、いつの間にか次々と浮かんでくる嫌な想像しか考えられなくなっていく。不安に押しつぶされそうに―――――


「やっぱり……帰るね」

 立ち上がってダイニングのカウンターの隅置かれたカバンを取って、その場から立ち去ろうとする。これ以上ここにいたら……爽から決定的な一言を言われる気がして怖くなったのだ。

 

「陽奈!」

 ドアのほうへ足を踏み出そうとした時、爽が陽奈の手首を掴んだ。とっさに驚いて、振り返る。

 爽と目が合った。

 そしてその表情を見たとき、自分の不安が的中したのだと悟ってしまった。


「待って……陽奈。さっきのことだけど……」

 苦しそうに歪められた爽の顔には、明らかに罪悪感と後悔が浮かんでいた。


さっきのことは、爽が望んだことじゃなかったの? 爽は――――――後悔してたんだ!?


「ごめん。陽奈の気持ちを無視して……俺、暴走してしまって……」


“ごめん”?

 その言葉だけが、頭を駆け巡り、続いて語られる爽の言葉が頭に入らなくなる。

“あなたのこと好きじゃないわよ”

 頭の片隅で、そうだと思っていても、あのぬくもりに降り注がれる優しいキスに勝手に期待して、自惚れていた。

 爽に触れ彼を感じられたことが嬉しくて、幸せだった。

 陽奈の半分に満たなくても、きっと爽も同じ気持ちなのだと―――――信じたかった。


 でも違ったのだ……すべてが勘違いだった……

 頭がガンガンと嫌な音を立て、どうやって息をしていたのか忘れるほどに息苦しくなってきた。

 周りの音が聞こえない。

 気が付けば、勝手に口が動いていた。最後の砦を……―――――自らを守るように、涙の代わりに卑劣な言葉が口をついていた。


「やめてよ。事故でしょ?」

「……は? 事故……?」

「大人なんだし……その場の雰囲気に流されることもあるじゃない……? お互い初めてでもないんだし、大げさよ」

「……陽奈?」

「彼氏って存在がしばらくいなかったから、私、欲求不満だったのかも。そうちゃんもそのくちでしょ?」

「……やめろよ」

「日野さんに、セフレにならないかって言ったらしいじゃない。たまには幼馴染みたいな毛色の違う相手で遊んでみてもいいでしょ」

「やめろ! いい加減にしろ!! ……そんな自分を、安っぽいものみたいな言い方するな!」

“安っぽい”?

 その言葉に可笑しくなってくる。

 安っぽい……? 爽の一番になれないのなら、爽に抱かれた今の私には、なんの価値もないではないか。

 いまさら私がなんだというのだ。


「バカみたい……」

 陽奈は吐き捨てるようにそうつぶやくと、爽の手を振り払って部屋を出ようと足を踏み出した。自分を貶めるような言葉の数々に、どろどろと心の中が黒く染まっていくような気がする。

 自分がここまで天邪鬼だったとは思わなかった。最後の言葉は、今の自分そのものだ。いまさら涙が溢れてきた。

ドアノブに手をかけたとき、陽奈の後ろから爽の怒ったような声が響いた。いつの間にか後ろに立っていた爽が、陽奈の腕を再び掴んでいた。先ほどと違ってその力は強く乱暴で、骨の軋むほどの痛みは彼の怒りそのもののようだ。

しかしそんな時でさえ手の平から伝わる強さと熱に、先ほど交わした親密な爽との触れ合いの記憶が呼び覚まされ、爽が好きで……愛おしくて胸が苦しくなった。

こんなに近くにいるのに、遠い。

 優しく触れてくれたでしょ? 何度も私の名前を呼んでくれたでしょ? 少なくともあの時は、私のものだったのよね……?

ダメだ……泣いたらダメなのに、もう涙を止められそうにない。

 ねえ……そうちゃん。素直になるから―――――お願い……!


「私のこと……好き?」

 振り向くことができないまま、心の中をさらけ出すように、この一言を口にした。陽奈がその言葉を発した瞬間、爽が息を詰まらせたのがわかった。

“幼馴染とは恋愛しない!” 

そう言い続けたのは陽奈自身だ。

もし爽がそのことを気にしていたとしたら……陽奈が幼馴染であることを望んていたから、そうあり続けていてくれたのだとしたら……


「そうちゃんは、私が好きだから……したの?」

 畳み掛けるように口にした陽奈の言葉に、爽は強く陽奈の腕をつかんだまま何も答えなかった。

 思ったことを率直に言う爽だから、それが返事なのだとわかる。答えないことが……精一杯の爽の優しさ。

 でも今は、その優しささえ苦しい。


「好き……」

「……え?」

「私、そうちゃんのこと好きだよ」

 陽奈がそういった瞬間、爽は驚いたように息を吸い込んだ。そしてつかんでいた掴んでいた手がその動揺に動きを止めた。その隙を狙って陽奈は思い切り手を振りほどく。そして呆然と立ち尽くす爽に向き直ると、彼の横っ面を思い切り平手打ちした。


ばっちーん!

大きく息を吸い込み、目を丸くして固まった爽に言い捨てる。


「そんなわけないでしょ!! ばーか! 大っ嫌い!! 幼馴染なんか……辞めてやるんだから!!!」

 そう言い放つと同時に、勢いよくドアを開けて家を飛び出した。

 涙は留まることなく頬に伝っていた。もしかすると、この涙を見られていたかもしれない。でももうそんなことどうでもよかった。

 終わりだ。

二人の関係は……壊れてしまった。


 大人になった二人には、どちらかの道しか残されていなかったのだ。

 幼馴染か……恋人か。

 “太陽”は“空”に恋をして、空を失ってしまった。

 無謀にも陽奈は恋をしてしまったから―――――爽を失うのだ。


「う……うぅ~……」

 今にも降り出しそうな薄暗い大きな雲に覆われて、空は見えなくなっていた。

 昼の明るい太陽も、夜に見守る月も隠れてしまった。

頼りない街灯の明かりだけが陽奈を照らし、冷たい夜風が涙で濡れた頬を通り過ぎて行った。







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