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25.彼の部屋


『適当に選んできなよ』

 その言葉通りに踏み入れた爽の部屋。モノトーンに彩られたシンプルな部屋は、かつての爽の部屋と同じように見えて、また違う人の部屋のようにも思えた。

 “適当に”と言われても、他人の部屋だと、どこに何があるのかわからずに、その場でうろうろしてしまう。

 先ほど爽にぶちまけてしまった醤油は、陽奈の服にも所どころ飛んで、まだら模様に散らばっていた。そんな陽奈を見かねてか、すぐにお風呂に入ることにした爽から『陽奈も俺の服の中から適当なのを選んで着替えてきたら……』と言われたのだ。

 家が隣なのだから、必要があれば自分の家に帰ればいい話。そうするつもりだったのだが、魅惑的な爽の提案に敢え無く負けてしまった。

 だって……爽のTシャツが着てみたい!

ようやく見つけた部屋のクローゼットをゆっくりと開けた。見たことのあるスーツやシャツが所狭しと並んでおり、その下にある衣装ケースを覗いてみと、中にはTシャツたちがまるで喧嘩しているかのように乱雑に詰め込まれていた。

部屋に入った時から感じていたことだが、爽はあまり整理整頓が得意ではないようだ。しかし季節ごとに、ある程度は仕分けされているところを見ると、何がどこにあるのか自分が分かればそれでいいのだろう。

なんだか爽らしい。

彼の部屋なのだから当然なのだが、いたるとこにその存在を感じて、思わず微笑んでしまう。

いろいろと物色した結果、白と水色の色彩のきれいなTシャツと、ロゴの付いた茶色のTシャツ、綿のストレッチパンツを2枚選択し、その引き出しを閉めた。

陽奈は今まで身に着けてきた花柄のチュニックを脱ぐと、先ほど取り出した茶色のTシャツに腕を通す。冷たい綿の感触が腕を滑り出し、やがて自分の身体を包み込んだ。

 このTシャツは以前、爽が着ていたものだ。大人の男性らしい落ち着いた色で良く似合っていたので、覚えていた。

実際に袖を通すと、同じものなのにこんなにも大きかったのかと驚く。陽奈が服に着られたかのように肩が外れ、すそもだぼだぼだ。スエットも選んだのだが、この様子だとこれ一枚で問題が無いように思えた。

 

「ふふ……」

 クローゼットの背面に取り付けられた鏡の前に立ち、自分と爽のTシャツとのアンバランスさに可笑しくなって笑ってしまう。

 はっきり言って変だし、似合っていない。

 しかし……なんだかそれが二人を繋いでいるようで、くすぐったくて嬉しいのだ。

 お気に入りの服を吟味するかのように、横を向いたり後ろを向いて振り返ったり……モデルにでもなったような気分で、そんな自分を見つめる。

 笑いが止まらない。

 ついでに先ほどもう一つ選んだ水色のTシャツも合わせてみた。

爽からは、風呂上がりに着る自分の服もついでに選んで持ってきてほしいと言われていたので、後で届ける予定のそれだ。

 この服ももちろん爽が着ていた記憶に新しい服で、その時の彼はすごく爽やかで、たまらなくかっこよかったのを覚えている(もちろん、口には出さなかったのだが)

一刻も早く届けて、そんな爽の姿を見たい――――――――しかし初めて訪れる(大人になってからはと言う意味だが)爽の部屋に興味津々で、もう少しならいいかと、部屋の中を見学することにした。


 机の上に積み上げられた本や足元に転がる雑誌を無造作に拾い上げて、中身見るでもなくパラパラと捲ってみる。巨乳グラビアが首を傾げてこちらを見つめるような一般的な男性雑誌だ。同性から見ても可愛いアイドル達を見ながら、爽もこんな若くて可愛い女の子が好きなんだろうか? と、ぼんやりと考える。

ここ10年、爽とまったくと言っていいほど会話を交わさなかった陽奈だが、爽に彼女がいることはそれなりに知っていた。成長するにつれてひそかに人気が高くなっていった爽は常に女性の噂の的だったのだ。

聞く話によればあまり長期の彼女はいなかったようだが……顔はそれなりに可愛かった気がする。実のところ、爽に関することは変に意識してしまって、相手の顔などはっきり見ないようにしていたのでよく覚えていない。

 今思えば、嫉妬してしまうことが怖かったのだと思う。自覚したのは最近とはいえ、きっと……もうずっと前から爽に……爽が好きだったのだ。

 切ないほど、素直にそう思う。

 

 鈍感過ぎた自分の気持ちに呆れるようにため息をつくと、雑誌を閉じて机の上に置きなおした。

すると何気なく目を向けた視線の先に、見覚えのあるものが飛び込んできた。

それは爽のベットの上―――――――その部屋の住人がいつもそうしているかのように投げ捨てられたYシャツが、無造作に置かれていたのだ。

 あれ……あのシャツ……

 陽奈は引き寄せられるように、ベットに近づきシャツ(それ)を手に取る。

間違いない、先ほど爽が着ていたシャツだ。きっと帰って私服に着替える際、ここに置いていったのだろう。

白い生地に細めのベージュのストライプの模様が広がり、一番トップのボタンホールは藍色の刺繍が施され、さり気なくおしゃれで可愛い。生地も固すぎず柔らか過ぎず、着心地がよさそうだと思う。

大胆だと思いつつ、陽奈はそのシャツにそっと頬を寄せてみた。かすかに残る爽の香り―――――深くスパイシーなジュニパーの香りが鼻孔に広がると、知らずにため息がこぼれた。


ああ~……もう!!

胸の奥がもぞもぞして、思わず爽のシャツを抱きしめる。その気持ちと高揚を抑えきれずに、彼のベットにダイブした。陽奈の身体を、固めのスプリングと黒いカバーのかかった薄い羽毛布団が受け止めてくれる。陽奈はシャツを抱き、うつぶせのままじっと身体をベットに沈ませた。

全身に爽の香りが広がっていく不思議な感覚がする。ぬくもりはもうとっくに消えているはずなのに、ギュッと爽に抱きしめられているような気さえしてくる。

しばらくその感覚を堪能したのち、陽奈はシャツを抱えたまま、ごろんと仰向けに転がった。そのままゴロゴロと左右に何度か転がってみる。白い壁……壁、シーリングが付いた天井、その先に―――――


「あ……!」

 爽のベットの右の端に、かつて陽奈と太一が爽の誕生日にあげた、小さな犬のぬいぐるみが置かれていた。


「チロルだぁ!……まだ持ってたんだ」

 まだ幼少のなけなしのお小遣いを太一と出し合い買ったプレセントとの10年来の再会に嬉しくなって、思わずその犬のぬいぐるみを手に取った。チロルは幾分色あせていたものの、陽奈がたまらなく惹かれた吸い込まれるような黒い瞳は健在しているようだった。

 瞳と言っても、ただのプラスチックなのだが、それがあまりに無垢な子犬を連想し、癒されるのだ。

 シンプルな大人の男性を思わせる爽の部屋に、チロルはあまりにアンバランスに思えるが、爽もこの瞳に癒され、いまだここに置いているのかもしれない。


「チロル。久しぶり……元気だった?」

 返事はないことは周知の上で、まるで旧友にでもあった心地で話しかけてみる。


「今までそうちゃんに大切にしてもらってたの? 何度か引っ越ししたのにちゃんと連れて行ってもらってたんだ……よかったね」

“まあね”

 まるでそういっているかのように、その無垢な瞳は陽奈に返事を返した。

 なんだか面白くなって、さらに話しかけてみる。


「チロルって名前。私が付けたのよ。太一は“ごんたろう”がいいって言ったんだけど……結局、喧嘩になって、プレゼントされる側のそうちゃんに決めてもらおうってことになって私が勝ったの。太一って、私の双子のお兄ちゃん、覚えてる?」


“さあ?”

「ふふふ……そうよね。そんな変な名前付ける奴なんて、忘れていいと思うわ」

 陽奈はそういいながら、ふわふわのチロルのほっぺにキスをした。やわらかくてふわふわで……本当に癒される。

 きっと爽もこうやってチロルに話しかけたり、キスをしたり……

 ふとそのことを考え、ハッと先ほどの出来事が頭によぎった。

 あの後……爽が頭にソースをかぶって、陽奈と笑いあった後のことだ。


 二人の笑いが途切れると、ふと不思議な沈黙が二人を包んだ。まるでその静寂が二人きりなのだと伝えているようで、妙な緊張感が走ったのだ。

 そして自然と爽と視線が合った。しばらくの間見つめあって……

 ふと――――――キスされる気がしたのだ。

 間違いなく、そんな空気が流れた気がした。陽奈の隙をついてはキスしてきた爽だから、この瞬間もそうされるのだと思った。

 そして陽奈の頬に爽の掌が触れ、いよいよか……と、目を閉じようとした時、爽は添えた手を下に下ろした。そして思わず顔を上げた陽奈の視線を避けるかのように、立ち上がり「風呂、入ろうかな」と言ったのだ。

 その爽の行動は意外ではなかった――――――なぜなら、ここ最近……爽はキスしなくなっていたから。

“キスなんて大したことじゃない”

 そういった爽だから、陽奈にキスすることは特別じゃないのだと言い聞かせてきた。

 しかしそれなら……しなくなった理由はなんなのだろうか?

 飽きた?

 嫌になった?


「チロル……どうしてそうちゃん、キスしてくれなくなったんだと思う……?」

 もしかして……好きな人とか……彼女ができた?

 つじつまの合う答えは、どれも陽奈にとって考えたくないことばかりだ。いつもと変わらないようでぎこちないように感じる違和感が、もしそのような理由だとしたらこれから自分はどうしたらいいんだろう。そんな言葉が頭を駆け巡る。


 “陽奈ちゃんはどんな答えがいいの?”


「わかんない……だって……」

 どんなに近くにいても、あの時(中2の冬)のように陽奈の知らない爽の“好きな女性”の話を聞かされることもある。ましてや今は、爽との距離はあの時以上に遠いのだ。

 考えることさえも怖い……

 爽が何を思って、誰と会って……そんなこと知るはずもないのだから。


「チロルはいいなぁ……」

 ふとつぶやいた言葉は、陽奈がチロルの言葉を連想する間もなく、意外な返事によって切り替えされた。


「それは――――――……俺はどう捉えたらいいの?」



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