2、帰ってきた幼馴染
「いらっしゃい! 爽くん、久しぶりね~」
「お久しぶりです。おばさん」
我が家の玄関先。陽奈の目の前に立つ母親は、嬉しそうな様子で、本日のゲストを迎えていた。
「ちょっと会わない間に、また男前になったわねぇ~……ちょっとはその爽やかさを、太ちゃんに分けてやってほしいわぁ」
包み隠さない性格の母親は、息子の前とあっても正直な感想を述べる。さりげない母親のけなしの言葉を受けて、隣に立つ太一が「かあさん……」と、非難を込めた視線を向けていた。
陽奈と言えば、一言も発することなく、少し視線を逸らしながらぼんやりとそのやり取りを耳に聞き流していた。
ただ、心の中でこっそりと、母親の言い分に同意する。
今日の爽は、白いポロシャツにカーキーのきれい目な7分丈のパンツを合わし、爽やかさを前面に打ち出して、自然に着こなしていた。学生時代に比べれば幾分か、大人びた顔立ちとなっているものの、色素の薄さと目鼻立ちの均等さは、どこか中性的な雰囲気を感じる。しかし、かつての、女らしいと顔とは違い、今は明らかに男の人にしか見えないことが不思議だ。
さらに母親に向ける笑顔は、どこまでも爽やかだ。少しウエーブかかった髪といい、物語に出てくる王子様とは、こんな人のことを言うのかもしれないと思う。
とはいえ、陽奈はその系統のお話は全く興味はないし、読まないのだが……。
陽奈もとい、笠井 陽奈は今年で26歳になった。製菓学校を卒業して、地元でちょっと名の知れたケーキ屋で地道にパティシエの修行中の身だ。朝は早いし、夜も新作の試食会などで、それなりに遅くなることが多く、仕事は忙しい。しかし、シフトはきっちりしているうえに有給も取れる職場であり、スタッフも優しい人ばかりとあって、かなり気に入っている。何より、好きなことだけにやりがいもあるのだ。
とにかく仕事は、なかなか順調と言えるだろう。
しかしながら、休みが不定休であると言うことは、なかなか恋愛にとっては不利で……。
就職してから、まともな彼氏と呼べる存在はできていない。
自分の容姿においては……手足はまずまず細いし、目鼻立ちもくっきりしていて造形は悪くないと思う。ちょっと釣り目なのできつく見えるようだが、背中にかかるほどに伸ばした癖っ毛のふわふわの髪が気持ちよくて猫みたいだと言われていたし、学生時代はそれなりにモテていた(と思う)。
彼氏もいた。(あまり長続きはしなかったが……)
『今は、恋愛よりも仕事だ』などと、かっこいいことを言うつもりは毛頭ないが、残念ながら、候補がいないのだから仕方がない。
もちろんのこと、今回の訪問者は対象外だ。なぜなら―――――彼は幼馴染だから。
正直言って、どうして陽奈にとって幼馴染が対象外なのか、いつそう決めたのか、思い出せなかったりするのだが、その思いは、幼少期からどうしても陽奈を支配してやまない。これも仕方がないのだ。
「さあさあ……こんなところに立ってないで、早く上がってちょうだい」
母親のその言葉を受けて、招待を受けた人物は、靴を脱いで玄関の中に足を踏みいれた。
“久しぶり”
その言葉通り、爽と会うのは2年ぶりだった。
就職先が転勤の多い職であったせいか、爽は大学を卒業し、就職と同時に某地方の島へ転勤となった。 そして驚いたことに同時期に、隣に住んでいた爽の家族も引っ越してしまったのだ。爽の実家はそれほど遠くはなかったが、もともと爽と疎遠であった陽奈が爽と隣同士でなくなるということは、すなわち関係が断絶することを意味する。
この2年間、太一から時々近況を聞くことはあっても、会ったことも声すら聞いたこともない。
まるでかつて自分が言った言葉のような状況となったのだ。
爽がリビングに向かう。
陽奈は無意識のうちに、すれ違いざま母親の背の後ろに隠れた。爽の視界に入ってしまったとしたら、今更、どう声をかけたらいいのかわからないのだ。
そしてその行動が功を労して、爽は陽奈に気が付かず、そのままリビングの方へ歩いて行ってしまった。
声をかけられなかったことに、ホッとする。しかし同時に、何か物足りなさも感じた。疎遠になる前は、家に来ると、爽は真っ先に陽奈のところに来て、声をかけてくれていたから。
バカみたい……
今更そんなことを考えたことに、呆れてしまう。爽とは10年近く、まともに言葉を交わしていないのだから、当然だ。
2年のブランクがあったせいで、爽との距離感が少し鈍っているのかもしれない。それに良く考えれば、間もなく夕食を共にする相手を避けたところで、何の意味もない。
でも気まずいんだよね……
爽が来ることを聞いてからの、妙な緊張感と先ほどの自分の行動の不可解さに、ため息をつく。しかし、それと同時に視線を感じてハッと顔を上げた。
太一が何か推し量る様に、陽奈に視線を向けていた。
「なっ……太一、どうしたのよ」
てっきり、爽と一緒にリビングに向かったと思っていた。
「……」
陽奈の質問に、太一は一層目をひそめて陽奈を見つめる。何も言わないが、太一の言わんとしていることは、双子ながら伝わってくる気がした。
「何よ……」
「……陽奈は、バカだね」
幾度となく、太一に言われているセリフだ。
その一言に様々な意味が込められている。腹が立つことも多いが、今回に関しては図星を突かれている気がして、反論の言葉を飲み込んだ。
自分の行動の不可解さに混乱しているせいか、素直な心情が口からこぼれる。
「……どう接したらいいか、わかんないんだもん」
「それが、バカだって言ってるんだよ」
「そんなこと言ったって……今更じゃない?」
陽奈が投げやりにそう言うと、太一は呆れたようにため息を吐いた。
「陽奈がそんなだから……」
そう言いながら、太一は言葉を切る。何か言おうか言うまいか迷っている表情を浮かべて、やがて言うのは諦めたかのように首を振った。
「太一?」
「……もういいよ。どうなっても、僕には関係ないしさ」
「どうなっても……って、どういう意味?」
「いずれわかるよ」
「なによ……それ」
言葉を濁す太一に、なおも食い下がるが、太一は頑として言うつもりが無いようだ。
そっぽを向いたままの太一の様子に諦めて「もういい」と言うと、突然太一が陽奈に向きなおった。
「……陽奈はさ、“太陽とそらはつながっている”って本覚えてる?」
「は?」
謎だらけの太一の言葉に、突如意味の分からない言葉が飛び出し、陽奈は思わず眉をひそめる。
もう、なんなわけ?!
「さっきから何を……」
「覚えてる?」
“太陽とそら”?
聞き覚えがあるような、無いような……
陽奈は頭の中でその言葉に関するキーワードを思い起こす。しかしながら、全く記憶に上ってこない。
そんな陽奈の様子に、覚えていないと確信したのか、太一は再び諦めを含んだような、バカにしたような視線を向けた。
「覚えてないわけか……」
「何? それ、どんな本なの?」
「絵本だよ。陽奈が題名と表紙に惹かれて5歳の誕生日に買ってもらったやつ」
“5歳?”
まったく記憶にない。と言うか、陽奈は絵本とかマンガとか……とにかく新聞・雑誌以外の活字は読まない。ストーリー性のある本は苦手でほとんど読んだことが無いのだ。
それゆえ、自分が惹かれて買った本というと、かなりレアな存在だと思う。全く覚えはないが、幼い時分は案外本にも興味を持っていたのかもしれない。
「覚えてない」
「……やっぱり……」
「ちょっと、太一! 一体さっきからなんなわけ!?」
しびれを切らし声を上げた時、リビングから母親が顔を出した。未だ玄関にいる双子たちを見て、手招きしている。
「あんた達、爽くんほったらかしにして何してんの! こっちいらっしゃい。陽奈ちゃんは、夕食の用意手伝ってよ」
『は~い!』
二人が同時に返事を返すと、母親は満足した表情を見せ、再びリビングに姿を消した。
話を再開させようとした陽奈に対して、太一は爽達のいるリビングに向かって歩き始めたので、陽奈も後ろに続く。
「陽奈」
「ん?」
「一度……読んでみた方がいいよ」
「え?」
「さっき言ってた本だよ」
「……なんで?」
なんでそんなこと言うの?
そう言った陽奈に、太一は振り向くことなく、ぼそりとつぶやいたのだった。
「そこに、答えがあるからだよ」
爽の歓迎会(?)は、和やかに行われた。
爽が大のお気に入りの母親は、嬉々として爽の近況などを聞きたがった。父親に関しては、もともとそれほど直接的な交流もなく陽奈と同様ブランクもあるせいか、少しぎこちないやり取りがあるのみだった。実のところ、陽奈の父親と爽は同じ会社に勤めており、直接的ではないものの、上司と部下にあたる。そう言った意味で、父親はやりにくいのかもしれない。
そして陽奈においては、例のごとく全く爽と個人的な話をする機会はなく、当たり障りない話題で話を共有するのみだった。しかしそれだけでも、久しぶりに爽と交流を図ることができたと言えた。
食後のデザートを終え、母親が片づけを始めると、太一が爽を部屋に誘った。
太一は陽奈と異なり、爽とはこの2年間連絡を取り合っていたようだ。
しかし二人が立ち上がって部屋に行こうとした時、太一の携帯が鳴った。
「爽、先行ってて」
そう言うと、太一は携帯を持って玄関の方へ向かって行く。外で話をするつもりのようだ。
そんな2人の様子を何気なく見つめていると、ドアの前で太一の部屋に行くべきか迷っている爽を見かねてか、母親が陽奈に声をかけた。
「陽奈ちゃん。代わりに太ちゃんの部屋に連れてってあげたら?」
「へ?」
そのとんでもない提案に、思わず間抜けな声が漏れる。
“連れてってあげたら?”―――――って、私が?
「なんっ……だって、太一の部屋なんて行き慣れてっ……」
「久しぶりに来たんだし、少し勝手が違うでしょ。太ちゃんがいない間、お話相手になってあげたら? 陽奈ちゃんだって、久しぶりに会ったんだし、積もる話もあるでしょう」
そう言われてしまうと、拒否するのも感じが悪い気がする。
でも……爽は?
ちらりと視線を向けると、爽は陽奈の視線に気が付いて、意外なことに笑顔を向けてきた。
ドキッと心臓が妙な音を立てる。
爽の笑顔なんて、何年振りだろう?
たかが幼馴染なのに……部屋に案内するだけなのに……変に緊張してきてしまった。
「じゃあ、お願いします」
爽はそう言うと、キッチンに向かおうとしていた陽奈の手首を取って、自分の方へ引き寄せた。ふわりと男らしく深みのあるジュニパーの様な香りが、陽奈の目の前に広がる。そして爽の温かい体温を感じて思わず顔を上げると、陽奈の目の前に爽が立っていた。
「陽奈。行こう?」
その親しげな呼びかけに驚く暇もなく、爽に手を引かれリビングを後にする。
その様子をほほえましく見守っていた母親の「ごゆっくり~」と言う軽快な声が聞こえた。その声は、けたたましく鳴り響く心臓の音に翻弄された陽奈の背中を、からかうかのようにくすぐっていった。