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19.これって、愛の告白?


―――――え?


 店長はその言葉と共に、佐伯の左手の薬指を指差した。

 そこには店長の言う通り、キラキラと輝く指輪が収められていた。

婚約? ……それって爽ちゃんと?


「まあね、実は先月言われて」

「やぁん!」

先月? こっちに帰って来る前に婚約してたってこと……? そんなこと一言も聞いてない。


「まあ、しばらくはこの仕事も続けていいって言うし、それならってね」

「ずっと付き合ってた、パン工場の人?」

「和菓子職人! 何よ、何回言っても覚えてくんないわね」

「あら、ごめんなさい。……そうなの。おめでとう!」


……え?

 手を取り合って喜んでいる二人をぼんやりと眺めながら、先ほどの二人の会話を頭の中で整理する。

“和菓子職人”?

 どういう事? そうちゃんじゃないの?


「あら……そろそろいかなくちゃ」

 5つ離れたテーブルから店員を呼ぶ声がした。その声とともに、店長は別のお客のもとに向かって行った。


「ほんと、オカマのいい人」

 ぼそりとそうつぶやいて、佐伯は火照った顔を押さえるようにして、ようやく陽奈に向きなおった。


「婚約されてるんですか?」

 唐突にそんな言葉が口に飛び出した。混乱する頭では、自分が今何を言おうとしているのか予想もつかなかったが、言わずにいられなかった。


「そうなの」

「そうなの?」

 うれしそうに返事を返す佐伯の態度にカッとして、睨むように言葉を繰り返す。突然豹変した陽奈の様子に、驚いたのか佐伯は目を丸くして陽奈を見つめ返してきた。

その悪びれた様子のない表情が、さらに陽奈の苛立ちを助長する。


「そうちゃんは、知ってるんですか!?」

「爽? あー……まだ言ってなかったかな……」

 言ってない?

 言ってないって!? だから昨日はあんな嬉しそうに……何も知らないから……そんなっ……

 昨日の嬉しそうな爽の顔が脳裏に蘇ってくる。あの時は、そんな爽を見るのがつらかった。でも……今思い出すと、悔しくて涙が出てきた。

 彼女が別の男性と婚約したと言うことを、爽は知らない。そして間もなく聞かされることになるのだ。あの笑顔がたちまちに苦痛の表情と変わってしまう。そんな爽を思うと……やりきれなくて、辛くて……

 この人にとって爽は一番じゃなかっただけのことかもしれないけれど、私にとっては……大切な……


「陽奈ちゃん? 突然、何?」

 涙はとめどなく流れ出す。それを無視するように、キッと佐伯を睨みつけた。しかしそんなことで、爽の受ける衝撃が軽くなるわけではないのだ。

そう思うと、自然に口が動き始めた。


「今、そうちゃんが好きだって言いましたよね? そうちゃんの気持ちを受け入れて、付き合ったんですよね? なのに、どうして……」

「……え?」

「少しはそうちゃんの気持ち考えたことあるんですか? そりゃ、長年付き合った元彼から結婚の申し込みがあれば揺れるのもわかります。そうちゃんは佐伯さんよりも年下だし、遠恋だし……不利なことも。でもそうちゃんは誰よりも頑張り屋だし、優しいし、ああ見えて粘り強いです。これが好きだと決めたら、とことんまで大切にするんです。遠恋だって、きっとそうちゃんには関係ないんです。そんなことで諦める人じゃありません!」

 そう言い切ると、再びその思いと共に涙があふれ出してきた。


 どうして……! どうしたら、そうちゃんの助けになる?


「あらら……これって愛の告白?」

「はぐらかさないで!」

 キッと佐伯を睨みつける。しかし佐伯はその視線に、こともあろうか面白そうに笑い声をあげた。


「だって、私と爽が付き合ってるだなんて、ありえないんだもの……!」

「え?」

 ありえ……ない? 


「そのガセ情報は誰から?」

「日……野さんが」

「ひの? 日野って、日野沙織?……あいつ、また性懲りもなく……!? やっぱり爽の転勤に合わせて転勤願い出した時点で、離島にでも飛ばしとくべきだったかしら……よりにもよって陽奈ちゃんに言うなんて……」

 佐伯は怒ったようにそう独り言をつぶやくと、くるっと陽奈の方へ向き返る。


「あのね。爽と私、そんな関係じゃないから。れっきとした、上司と部下です。私にはずっと彼氏がいたし、爽も私のことは全くそんな対象じゃないわよ」

「え……でも、送別会の時、爽が佐伯さんに“好き”って告白してたって日野さんが……その後抱き合って二人で消えたから、その日から二人は付き合ってるんだって……」

「はぁ? そんなわけないでしょ! だって、あの日は……ああっ!? わかった……あれか……」

 半信半疑ではあるものの、佐伯の表情を見る限り嘘をついているようには見えなかった。ということは、本当に“爽と付き合っている”と言う事実は誤解だったのだろうか。

 確かに良く考えてみれば、佐伯は婚約をしているのだ。もしそんな事実があるならば、陽奈に指摘された時点でもっと動揺していたはずだろう。

そう考えついた瞬間、拍子抜けして肩の力が落ちる。

なんだ……彼女でもなかったんだ……


 そんな陽奈の様子に気づくことなく佐伯は、先ほどの陽奈の言葉に、思い当たることがあったらしく「あれを日野に見られてたのか……最悪」と、嫌悪感をあらわにしてつぶやいた。

 そう言えば、日野も佐伯のことを“嫌な女”と評していた。二人の仲はあまり良くないらしい。


「とにかくね。誤解なのよ。確かに……あの時、爽は“好き”という言葉を口にしたかもしれないけど、それは私に向けたものじゃないの。あいつがちょっと弱気になってたから、はっぱかけてたっていうか、とにかくそんな色のある話じゃないから。抱き合ってたって言うのも、違うわよ? 日野(あいつ)の目は腐ってんのよ。後は……ああ、"消えた"ってやつ、それも爽が私の知り合いのジュエルデザイナーに会ってみたいって言うから」

「ジュエルデザイナー?」

「あっ! まま、まあ、それはいいのよっ。とにかく事実無根。そんな風に陽奈ちゃんが誤解してたって知ったら、爽、泣いちゃうわよ」

 そう言って、佐伯は陽奈に いたずらっぽく片目を瞑って見せた。


「そんな……泣くなんて大げさです」

「あら、本当よ! 今日のことだって、確かに日野がミスしたのは事実だけど、別に社の近くにあるいつものお菓子の店でもよかったのよ。でも、爽がどうしてもあなたの店のお菓子を食べてみてほしいって言うし。しかも……急に仕事が入って、陽奈ちゃんに会えないとわかると、私のところに来るなり“佐伯課長に会ってきて欲しい”って。なんでも、昨日陽奈ちゃんがむちゃくちゃ元気なかったって言うじゃない。自分には言いたくないみたいだから、女同士なら陽奈ちゃんの力になってあげれるかもしれないからって。まあ、時間は空いてたし、いいんだけど……」

 嘘……爽がそんな風に思っていてくれていたなんて。

昨日の自分は混乱していて、爽におかしな態度を取ってしまったと思う。しかしそこまで陽奈のことを心配していてくれていたとは、意外だった。

 しかもわざわざ佐伯を陽奈と接触させて、陽奈の力になろうとしてれていたとは……。

 胸の中がポッと灯が灯ったように温かくなってくる。

 なんだかくすぐったい。

……うれしいかも。

 自然に浮かんできた笑顔が、気恥ずかしくなってうつむくと、微かに佐伯が笑い声をあげた。


「でも爽もまだまだよね。そもそも原因の私が会いに来たんじゃ、意味ないじゃない……よね?」

「……え?」

「爽が好きなんでしょ?」

―――――――え?


「ちっ、違う。そんな違います」

 とっさに大きく手を振って佐伯の言葉を否定する。心臓がドクンドクンと早鐘を打っていた。佐伯の言葉に、信じられないほど動揺している。

 

「日野から私の話を聞かされて、落ち込んでたのよね?」

「違います! 確かに驚いたけど……そんなんじゃ……」

「本当かしら? さっきのあなたの言葉、爽のことをなんとも思ってない私でも、ぐっと来たわ。すごく必死さが伝わってきたし、爽のこと大切にしてるんだって思った。なんとも思ってない相手に、そこまで必死になれるものかしら?」

「だって……私はそうちゃんの幼馴染だから……」

「私にはそう見えなかったなぁ。あなたの涙に、あなたの気持ちが映ってた気がしたわ」

「違います……私はそうちゃん(おさななじみ)とは恋愛しないって決めてるんです!」

「決めてる? おかしな言い方ね。まるでその言葉に縛られてるみたい。陽奈ちゃんだけは、爽に恋愛感情を持ったらいけないような……」

 その言葉に首を振る。

“陽奈ちゃんだけ(・・)は、爽に恋愛感情をもったらいけない”? 

 その言葉に、加速するように心臓が早鐘を打ち始めた。頭がガンガンと鳴り響いている。心の奥底に閉じ込めていた記憶がすぐそばまで迫っている。その時の思いも、悲しみも……ずっと蓋をしてきた本心が……手を伸ばせば、そこにあるのだ。

しかし掴もうとしたところで、スッと消えてしまう。

そしてこの感情だけが、取り残される。

ダメだ―――――これ以上は考えてはダメ。


「なんだか……爽のこと心配してたけど、あなたの方が重症みたいね」

「……どういう、意味ですか?」

「辛いんでしょ? 嘘をつくことって、本当のことをいう事の何倍も辛いもの」

 佐伯はそう言って、陽奈に寂しそうに笑いかけた。陽奈は返事を返せぬまま、そんな佐伯の表情をじっと見つめた。

言葉が出てこない。佐伯の言葉が自分の中で図星だったのか。全くの見当違いだったのか―――――

 しかしそんな陽奈の気持ちさえ見透かしているように、さらに佐伯は言葉を続けた。


「今の私が言ってることがわかるぐらいなら、陽奈ちゃんはこんなに苦しんでないのかもね……。でもその表情を見る限り、そろそろ限界なんじゃないかな……後は、きっかけかもね」

「きっ……かけ?」

「楽になれるきっかけ。もう答えはすぐそこってね。って……ああ!! せっかくのガレット、冷えちゃったじゃない~!?」


 答えはすぐそこ?


 疑問符の飛び交う陽奈の目の前で、冷え切ったガレットを悲しそうに見つめる佐伯の姿が映る。


「ガレットって、陽奈ちゃんの作ったお菓子もガレットじゃなかった?……同じ名前なのに全く味が違うなんてややこしいわね~。う~ん……美味しい! 陽奈ちゃんも食べよう!」

 佐伯は先ほどの何かを見透かすような真剣な表情とは打って変わって、無邪気な笑顔を陽奈に向けてきた。

 そんな佐伯の楽しそうな姿を見つめながら、先ほどの言葉を頭の中で反芻する。


“そろそろ限界にきているのかも”

 限界?

“嘘をつくことって、本当のことをいう事の何倍も辛い”

 私は何に嘘をついてるの?


 そこに何かの答えがある気がして、そっと右手を胸に置く。その手は微かに震え、その振動が心の中に伝わってくるような気がした。

 わずかな胸の痛みと共に。





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