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18.日記帳

 それは一通の電話から始まった。

 昨日太一と話してから、あれこれと考えるうちに、陽奈は一つの出来事を思い出した。

 太一が言っていた"ヒント"。

 さっぱり何のことかわからなかったが……爽が帰ってきた日。あの日に太一の言っていたことを、思い出したのだ。


 

「絵本……絵本……」

 今日は休みとあって、朝から家の書斎に入り、ずらりと並んだ本棚からお目当ての本を探す。

 陽奈の父親は本が好きで、家に数々の蔵書が存在していた。天井まで伸びた備え付けの本棚の並ぶ書斎は、父親のお気に入りの空間だ。陽奈はめっきり本を読まないので、ほとんどここに足を踏み入れたことはないが、陽奈の部屋においては邪魔だと感じる本などは、押し入れ代わりにここに置いていた。

 もちろん、絵本などもかつての大掃除の際こちらに移して、久しい。


「あっ……たぁ!」

 高さの異なるひときわ薄いハードカバーの本たちが色とりどりに並んでいた。陽奈たちが読んでいた絵本だ。

 母親に何度もせがんでは読んでもらった、見覚えのあるタイトルが目に入る。

 そしてそのタイトルを見ながら、ひっしで記憶を呼び覚ました。


「太陽が……なんとか……あれ?」

 お目当ての絵本を探していた陽奈だが、ふと見覚えのある背表紙を見つけ、声を上げた。タイトルはない。ピンク色に小花が散っているB5サイズぐらいの本。

 陽奈は思わず、棚からそれを取り出した。


「やっぱり……私の日記帳だ!」

 背表紙と同様の柄で全体が布張りされ、表紙には小さく『my Diary』と書かれていた。陽奈が小学1年の時、初めて買ってもらった日記帳だった。

 中を開けると小学生とは思えないきれいな文字で『なにかあったときだけかくにっき』と書かれていた。

 まだひらがなも書くこともままならない陽奈のために、母親が少しでも続くようにと書いてくれたメッセージだ。現にあまりマメに書く方でもなく、記念の時だけ書いていたために、この一冊を中学まで使い続けていた。結局今日まで3代と続けていた日記も、今はスマホに代替わりしている。

 部屋の棚に置いてあると思っていたのに、まさかこんなところにあるとは。大掃除の際、間違えてこっちに運んでしまったに違いない。

 陽奈は何気なく、その日記を開いてみることにした。


『5月6日 はれ 

みきちゃんのたん生日会に行った。たいちといっしょに、においけしごむをあげたら、よろこんでくれた。みきちゃんとケーキを食べてかえった。たのしかった。

そうちゃんはかぜで休みでした。』

 ぷっ……

 あまりに重要でない日記の内容に、思わず吹き出す。小学3年の時、確かに美紀という女の子と親しかった気がするので、その時の出来事なのだろう。

 日記となると、家族でさえ見られたら恥ずかしい……と思うところだが、ことにこの一冊目に置いては全くその心配はなさそうな内容だ。

 むしろ、あまりに幼くて恥?

 そして次のページをめくると、すでに7月となり、陽奈たちの誕生日のことが書かれていた。


『7月25日 雨ときどきはれ

 陽奈と太一のたん生日会をした。そうちゃんととおるくんとみきちゃんとあおちゃんとともみちゃんがきた。

 9さいになりました。

 そうちゃんのプレゼントはだいだいでした』

 (だいだい)

 その日記を見て、おぼろげな記憶がよみがえってくる。そうだ、爽は毎年変わったプレゼントをくれていた。たいていの場合は食べ物で、旬であろうとなかろうと陽奈が好きだろうが嫌いだろうが関係なく。この時も、橙を見て“みかん”と言った陽奈に、「だいだいだから」と言ったのだ。あまりに聞きなれないことばのフレーズが面白くて、この日記に書いたのを覚えている。結局、太一が食べたのだが、酸っぱくてあまりおいしくなくて、残りを爽にあげたのだ。


「懐かしい……」

 10数ページめくったところで、10歳の陽奈の誕生日の話題が出てきた。


『…………

そうちゃんのプレゼントはいちごでした』

いちご?

 なんのチョイスなのだろう。常々、爽の考えることは太一よりもわからないと思っていたが、なぜこんなものをいちいち陽奈の誕生日にくれたのか謎だ。

気になって別の誕生日の欄を探してみる。


「……なにこれ、あんぱん?」

 何歳なのか書いてはいなかったが、間違いなく『そうちゃんが、今年はあんぱんをくれました』と書いてある。しかし、その後なぐり付けるようにこうも書いてあった。


『毎年、そうちゃんはふざけたプレゼントしかくれない。むかつく。太一には靴下とか使えるものなのになんで私だけ変なものばかり。今年ははっきり、こんな変なものいらないと言ってやった。ちょっとぐらいは反省するかと思ったのに、笑われた。いたずらというよりは嫌がらせに近いみたい。言い訳みたいに、「幼なじみだから、ひなには今あげれる最高のプレゼントをあげている」と言っていた。意味不明だし、やっぱりぜんぜんうれしくない。すべってる。いい加減、普通のプレゼントが欲しい』


 なるほど……

 今の陽奈と同じく、当時の陽奈も同様の感想を持っていたらしい。

 それにしても……ここに書かれている、『幼馴染としての最高のプレゼント』とはどういう意味なのだろう。

本当に爽がそう言っていたのだろうか? さっぱり覚えていない……

 その時、ハッと去年の誕生日を思い出した。太一が“預かった”とだけ言って渡してきたプレゼントのことを。その物を見た時―――――爽だと思ったことを。


“てるてる坊主”


 爽からは中2(あの日)以来、プレゼントをもらったことはない。しかしこのくだらない意味不明なプレゼントを見た時、爽しかいないと思ったのだ。問い詰めた陽奈に、太一は肯定も否定もしなかった……。

 てるてる坊主……―――――晴れでも願ったのだろうか? 陽奈との離れた距離に少しでも光が当たるように……だから帰ってきたの?

 

カチッ

 書斎にある父親の置時計の針の音が、やけに大きく陽奈の耳に届いた。その音にハッと我に返る。

 思わずその音に視線を向けると、時計の針は11時を指していた。

 陽奈がここに来て、1時間近く経っていた。いつの間にか物思いに耽っていたらしい。すっかり本来の目的を忘れていたことを思い出す。

 陽奈は日記を棚に戻そうとして、ハッと目的の本はすぐそこにあったことに気がついた。先ほどの陽奈の日記帳の隣、そこには太一の言っていた題名と類似したタイトルの絵本が、ひっそりと立てかけられていた。


“太陽とそらはつながっている”


「これだぁ!」

 棚から引っ張り出し、その表紙を眺める。

青から赤に変わるグラデーションの背景に、黄金色に輝く太陽が右隅に描かれている、とてもきれいな色彩の絵本だった。

 5歳の時に陽奈がせがんで買ってもらったと、太一は言っていたが、全く記憶にない。陽奈が本を読まなくなったのは、いつ頃かは定かではないので、そのころはすでに読まなくなっていて、1度読んでそのままになっていたのかもしれない。

 それにしても……太一の記憶力の良さには頭が下がるというものだ。

 幼稚園児の選ぶ本にしては、少々ページ数が多い気がする。おそらくは30ページあたりはありそうだ。

 陽奈はその本の美しさに惹かれるように、その表紙を開いた。


 少し落ち着いた藍色を背に水色でタイトルが書かれていた。

 もう一枚めくる。

 優しい水色と白のグラデーション。その中央に小さく文字が書かれていた。


『太陽がそらに恋をした』 


――――――え?


 その時、書斎に置かれた父親の、机の上にある携帯の着信音が鳴った―――――






「お待たせしましたぁ~ん」

 男の人にしては少々高い声と、クネクネとした物腰で、店の店員がコーヒーをテーブルに給仕する。

 陽奈が視線を向けると、店長は目を大きく見開き、首を傾げて陽奈に何度か瞬きを繰り返した。

可愛さアピールだろうか?

顔はオジサンなので、まったく可愛くないが、嫌悪感は感じない。ただ、キラ男のような無自覚のナルよりは、好感を持てた。


「店長、今年こそは彼氏出来そう?」

 陽奈の前に座る人物が、気軽な口調で店長に話しかけた。知り合いなのだろうか。店長はその声に、陽奈の向かいに座る小柄で童顔な彼女に目を向けると、うれしそうに手を叩いた。


「あらぁん! さえちゃん!」

「久しぶり」

「やぁ~ん、いつの間に戻ってきたのよ!」

 “さえちゃん”店長にそう呼ばれた人物は、何を隠そう、昨日日野が散々ライバル心をむき出しにしていた“佐伯課長”本人なのである。

 爽の彼女。



 事の始まりは、あの書斎で受けた電話―――――爽からの早急の電話だった。

 昨日買った陽奈の店のお菓子ギフト、それを日野が紛失したというのだ。社への帰り道、駅の構内に少し置いてその場を離れたらしい、その際盗まれた。すぐに報告すれば、再度購入し、事なき得たところだが、日野はこともあろうか、今日の今ごろになって謝罪してきたと言うのだ。

 そのため、至急陽奈に同じものを用意してほしいと言う電話だった。電話を受けてすぐは、昨日の手前、爽と話をするのは少し躊躇していたものの、話の内容にすぐに協力することを伝えた。

 しかも仕事の合間に店に取りに行くと言った爽の言葉に、とっさに「今日は休みだから持っていってあげる」と言ってしまったのだ。電話を切ってから、顔を合わせることが気まずいことを思い出した、が後の祭り。とにかく困っているのだから助けるのは当然のことだと自分に言い聞かせて、店に立ち寄り、荷物を持って爽の会社にやってきた。


 初めて見る爽の職場は、高層ビルの全面ガラス張り。景気のよさそうな会社の様だ。

 陽奈は自動ドアを抜けると、受付に足を向けた。爽は直接取りに出てくると言ったので、呼び出してもらおうと思ったのだ。

 受付の女性が、隙のないにこやかな笑顔を張り付けて「少々、こちらでお待ちください」と言う。

陽奈はその言葉通り、受付の隣の椅子で待つことにした。5~10分ぐらい経っただろうか。後ろから先ほどとは別の女の人の声が聞こえた。陽奈はその声に、振り向いた。


「あなたが、笠井 陽奈さん?」

「……えっ? はい」

 誰?

 小柄な身長に紺のスーツを着ている、長い黒髪の女性だ。少しほりの深い目尻が印象的で、その小さくぽてっとした唇は幼く見える顔をより童顔へと導いている。

 可愛らしい造形とは裏腹に口調ははっきりしており、少し威圧感さえ感じる雰囲気を持っていた。


「そ……梶原はさっき急ぎの仕事が入ってこれなくなったの。だから代わりに私が来ました。自分のものを人に頼むのもどうかと思って……」

「え……?」

「梶原から連絡来てない? 私、梶原の前の職場で上司だった佐伯 千穂(さえき ちほ)と言います。なんでも日野がポカしちゃったみたいで、あなたには悪いことをしたわね」

……佐伯? 上司?

 まさか、この人が―――――爽の彼女?


「あなた、梶原の幼馴染の陽奈ちゃんでしょ? パティシエやってるって言う。向こうで陽奈ちゃんの話、聞いてたから、一度会ってみたかったのよね~」

 突然のことで動揺する陽奈は、ただ呆然とその人物を見つめた。

 まさか……よりにもよって佐伯課長(この人)がここに来るとは。


「ねえ、今時間ある? よかったら、そこで少し話しない?」

「……私」

「ちょっとだけだから、ね?」

 戸惑う陽奈を、佐伯は強引に連れだすと、入り口隣にあるカフェへと、陽奈を連れてったのだった。





「ちょっとまっててぇ~、久しぶりぶりだもん。さえちゃん、サービスしちゃう!」


 その声とともに店長は厨房に戻っていく。そんな店長を視線で追いながら、佐伯は「変わってないなぁ~」と、楽しそうに笑い声をあげた。

 そしてこちらに向き返る。しかし、その様子を見ていた陽奈の顔を見るなり面白そうな笑い声をあげた。


「爽の言った通りね」

「え?」

「顔に書いてある。“あなた、誰? 何のために連れ出したの?”って。わかりやすい」

「そんなこと……」


“爽”……先ほどは梶原と呼んでいたのに、その親しそうな呼び名にやはり日野の言葉は本当だったのだと感じる。


「警戒しないでね。カフェに誘ったのは、特別な理由があったわけじゃなくて、単純に陽奈ちゃんに興味があったから」

 興味?

 なぜ、私に?

 幼なじみとは言っても、爽が転勤先にいるころは、まだ陽奈とは他人同然の関係だった。彼女が気にする存在でもないはずだ。


「爽って、社交的だし人当り良いでしょ。要領もいいし、仕事もそつなくこなす。職場でも取引先でも悪い風に言われることってほとんどないのよね……でも悪く言えば隙が無い。結局本心は隠してるっていうか、あまり本心を他人に見せないんだよね。だから私から見れば、笑顔もいまいち本気臭くなくて……正直、こいつやばいんじゃないと思ってたの。だけど、ある日偶然爽からあなたの話が出て来てね。そしたら、なんだ人間臭い表情もするじゃない? そのギャップが面白くて。だから、"ひなちゃん"ってどんな人物かなって……」

 佐伯から語られる言葉が意外で、思わず目を丸くする。

 爽が私の話をした? 

それに人間臭いって何のことだろうか……。怒っていた……とか?

いずれにせよ、佐伯は爽のことをよく理解しているようだ。爽の身近な人物から、爽の本質を聞かされるのは、少し悔しい。


「喧嘩してたんでしょ? しかも……10年とかありえないでしょ」

「そうちゃんが、そう言ったんですか?」

「う~ん……言ったと言うか、言わせたと言うか。たぶんかなり酔ってたし、爽は覚えてないかもね」

 “二人きりで飲みに行ってるみたい……”日野の言葉が今更ながら脳裏に甦ってくる。酔っていたからじゃない。爽は容易に他人に本心を語らない。きっと爽は佐伯にだけは心を許しているのだ。

 

ズキンズキン……

 再び不可解な胸の痛みが戻ってくる。今更寂しいなんて―――――馬鹿げている。


「そうちゃんは……佐伯課長さんが好きなんですね」

 口に出さなくてもそんなこと分かりきっている。今の佐伯の言葉で痛いほど実感した。でも口に出さないと心の中のドロドロが流れ出してしまいそうで、その思いを吐き出して、自分の中に刻む。


「あら、光栄ね~。私も爽のことは好きよ」

 ズキッ

 胸が痛い。自分で言った言葉なのに、その愚かな行為に心が痛んだ。


「でも……」

 思わず佐伯から視線を外した陽奈に、佐伯がさらに口を開いた時、二人の頭上から再び軽快な店長の声が響いた。


「お待たせぇ~! 新発売。生ハムと卵とチーズのガレットでぇす。はい、お連れのかたもどうぞぉ~美味しいわよぉ!」

 店長はそう言うと、手慣れた給仕でテーブルにアツアツのガレットを置いていく。


「わぁ~美味しそうね」

「そうでしょ? ちょっと練習したんだから! ここの社員の女子に大人気なのよぉ」

「へぇ~本社の社員はいいなぁ。私の職場には自販機だけだもん。店長うちこない?」

「ええぇ~そうねぇ……でも、気になる人がいるからダメよ。恋を失ったあたしは、あたしじゃなもの」

「なるほど……それじゃ、仕方ないね」

「ごめんなさいね、さえちゃん。でも……あら? ……あらあら?」

 店長はそこまで言うと、目を丸くして奇妙な声を発した。そして何かに気がついたように「あら~!!」と叫んだ。


「さえちゃん、婚約したの?」



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