表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/38

15.ガレット

「陽奈、陽奈!」

 オータムフェアーも順調に中盤を過ぎ、忙しさにも慣れてきたころ。休憩のために、休憩室でのんびりとしていた陽奈のもとに、ホールの販売スタッフの吉田が息を切らせて呼びに来た。ドアの前で、少々興奮したような表情で手招きをしている。


「よっちゃん、どうしたの?」

 吉田とは年も近く入店当初から、仲の良い同僚だ。たまにプライベートでも食べに行ったり、飲みに行ったりと本音で話をできる人物だったりする。

 ショートの髪にハローウィンのバンダナをかぶり、白いポロシャツにオレンジの短いパンツを穿いている。その裾から見える腕や足は今にも折れそうなほど細いのだが、もともと学生時代スポーツをしていたこともあり意外なほど力持ち。そして、さばさばとした姉御肌の性格は、販売スタッフのリーダ的存在だったりする。

 お互い、仕事中は私語をほとんどしない間柄だけに、控室まで顔を出して名前を呼ぶ吉田の姿は意外に感じた。


「彼氏! 彼氏来てるよ!」

「……はぁ?」

 彼氏?

 久しく聞きなれていないフレーズに、思わず情けない声が飛び出す。

 そんな陽奈の様子に臆することなく、吉田は興奮した様子で言葉をつづけた。


「しかも……女と一緒だよ……。どういう事? 速攻、別れたの?」

「よっちゃん、何言ってんの? 私、彼氏なんていないよ」

「えぇ~!! 嘘でしょ? ほら、最近よく迎えに来てたじゃない。爽やかそうな会社員の……」

「あぁ~……」

 その言葉に思い当たる人物を思い浮かべ、あいまいに返事を濁す。

 最近、シフトの遅くなる日には決まって現れる、幼馴染“爽”のことだ。爽は先日、キラ男から妙なアプローチを受けていたことを心配して、陽奈が遅くなりそうな日は迎えに行くと言い出した。

 もちろん断ったのだが、どこからかシフトを調べ(おそらく、母親辺りを丸めこめたのだろう)迎えに現れるようになったのだ。

 当然、今まで男っ気のなかった陽奈に、男が迎えに来たとなれば店のスタッフの噂になるのはわかりきったことで……とはいえ、キラ男の手前、彼氏で無いと否定もできない。

 爽は持ち前の社交性で、確実に陽奈の周りの好感度を勝ち取って、違和感なくその役割を全うする。陽奈はみんなから“彼氏……優しい~~~!!”などと、言われる中、肯定も否定もせず曖昧に返事を返す日々だったのだ。

 もちろん吉田にだけは本当のことを話すつもりだったのだが、この忙しいフェアー中は、話をする暇もなく今に至っていた。


「言うの忘れてたけど、幼馴染なの」

「幼馴染! ええ~!! いっが~い……そんな風に見えないのに」

 そんな吉田の返しに、可笑しくなって少し笑う。


「なによ、幼馴染に見える見えないってあるの?」

「そうじゃなくて、彼氏にしか見えなかったって言ってんの」 

 その言葉に、一瞬息を詰まらせる。

 周りからは……そんな風に見えるの?


「まあ……いいや、それよりたぶん陽奈を探してるっぽいよ」

「え? そうちゃんが?」

「うん。きょろきょろしてるし……焼き菓子のコーナーでなんか選んでるみたい」

「ふ~ん……」

 わざわざ営業時間に店に来たということは、なにか贈り物でも探しているのだろうか? 

 

「さっき言ったけどさ……女も一緒だし、ちょっと牽制してきなよ」

「はぁ? 何よそれ」

「当たり前じゃん! 幼馴染かなんだか知らないけどさ、あんないい男、捕まえとかなきゃもったいないじゃん」

「捕まえるって……」

「勘よ、勘。あの女……気があるよ、陽奈の彼氏に」

「だから……」

 彼氏じゃないってば……

 反論しようとした陽奈の腕を吉田は強引に引っ張ると、持ち前の力持ちで陽奈を店内へ連れて出る。

 そして陽奈の耳元でそっと囁いた。


「負けちゃだめよ。ガツーンとノックアウト決めちゃいな!」

「よっちゃん……」

「あの客さっさと捌いたら、あとで、加勢してやんからね」

 そう言って、吉田はレジに並び始めた客のもとに向かって行った。


 ……もう! どうしろって言うのよ!

 相当な人不足が無ければ販売に携わることはないだけに、こんな店内に取り残されてしまうと、たちまち心細くなる。

 しかし、厨房に帰ろうと足を向けた陽奈に、吉田の鋭い視線が飛んできて、思わずくるりと方向転換した。

 これは、覚悟を決めるしかないらしい。

 そう思い、奥に並べられた焼き菓子のコーナーに目を向ける。すると視線の先に、紺色のスーツ姿の男の人と、薄いアイボリーのきれい目のワンピースを着た女の人が並んでる姿が見えた。


 そうちゃんだ……。

 普段は裏口で待っているので、ここで見るのは初めてだった。吉田から聞いていたものの、改めて店内にいる爽を見つけると、不思議な違和感を感じた。

 爽は隣の女性と並べられた箱を見ながら、会話を交わす。その時、隣の女性が爽の腕に何気なく手を添えた。

 ドクン……

 陽奈は思わず目を逸らせなくなって、そんな二人を見入ってしまう。なぜか心臓の音がはっきりと陽奈の耳もとに響いてきた。

 その時、爽が顔を上げた。瞬間、二人を見ていた陽奈と目が合った。


「陽奈!」

 陽奈を見つけた瞬間、爽は心から嬉しそうな表情を見せた。その様子があまりに意外に映り、驚いたと同時に、先ほどの妙な感情が吹き飛んだ。

 爽は戸惑う隣の女性に何か話をした後、立ちすくんでいた陽奈のもとに駆け寄ってきた。


「いたのか」

「そうちゃん、どうしてここに?」

「ちょっと、仕事でね。明日、前の職場の上司が本社(こっち)に来ることになってるんだけど、そのお土産を探しに来たんだ。確か、陽奈の店って、この辺で有名なお菓子屋さんだって聞いた気がしたから」

「仕事……?」

「上司の分と部署にも持って帰ってもらうから、予備と合わせて3つぐらいいるんだけど……何か、おすすめとかある? 部署の連中、結構甘党だから、個数が多いやつが良いかな」

「分かった」

 嬉しそうに話をする爽の様子に、上司に好感を持っているのだということがわかる。そんな爽からの申し出は少し頼られている気がして、陽奈もうれしくなって、焼き菓子のコーナーに向かおうとした。その時、隣にいた女性が「爽」と、爽を呼び止めた。


「この人が、爽の知ってるお店の人?」

 “爽”

 親しげな呼び名と共に、そう言いながら先ほどから爽といた女性が、爽の隣に立って陽奈を見つめてきた。

 濃く彩られた黒いアイライナーときっちりとぬられた明るめの口紅が印象的な、気の強そうな女性だ。アイボリーのワンピースに肩にかけたカーディガンは正統派のキャリアウーマンと言った風貌だ。

 そして何より……明らかな敵意を感じた。


「俺の幼馴染の、笠井陽奈。陽奈、こっちは前の職場で同期だった日野 沙織(ひの さおり)。俺と一緒に今回の異動でこっちに来たんだ」

「笠井って……もしかしてこの人、笠井専務の娘? そうなんだぁ……。初めまして。()はかねがね……どうぞ、よろしく」

 あからさまに値踏みをするような視線と共に、片手を差し出した。陽奈は反射的に握手を返す。

 それにしても、初対面の相手に失礼とも取れない“噂”という言葉。そしてこの雰囲気は覚えがある。 この女性は、爽が好きなのだろう。

 明らかに爽の幼馴染と語る陽奈を牽制し、排除する方法を考えている、といったところだ。


「初めまして、笠井です」

 爽といる限りこういった女性からの視線を逃れることはできないのかもしれない。とは言っても、こちらももう小さな子供ではない。今更、こんな視線に動揺するほど、バカではないのだ。

 陽奈はお決まりのセリフを口にすると、さっさと爽に向き直った。

 爽はこの女性の好意に気づいているのかいないのか、少しいたずらっぽい表情を陽奈に向けると「一応、候補もあるんだけど……」と、早々に話を戻した。


 一緒に何点か選んだ末、それで決定しようかと話をしていると、後ろから吉田が話しかけてきた。店内には、珍しく客が捌けており、いつの間にかお客は爽と日野だけだった。


「あれ? それにするの?」

「うん。店内でいちばん売れてるお菓子セットだし……よっちゃん、まずかった?」

「別に……まあ、それでもいいけど」

 吉田はそう言うと、おもむろに陽奈の隣に立つ爽に視線を向けた。


「陽奈のは買わないんですか?」

「え?」

―――――あっ!?

 まずい。


「よっ……」

 吉田の言葉を止めようとした陽奈を押しのけるように、吉田は前に出て焼き菓子売り場の陳列棚の一角を指差す。


「陽奈の幼馴染なら、陽奈の作ったお菓子を入れなきゃ」

「陽奈のお菓子?」

「今年のオータムフェアーの目玉ですよ。”栗のガレット”です」

「よっちゃん!」

「店長がハロウィンって言ってんのに、バカみたいに栗で勝負をかけて見事商品化した、今一押しのお菓子なんですよ」

「ちょっと……やめてってば!」

「しかも、聞いてくれます? この子、栗嫌いなんですよ。そのせいで、何度試食に借りだされたか……。バカみたいですけど、この店でこの子“栗嫌いな栗職人”て呼ばれてるんです。秋になったら、やたら、栗の商品開発ばかりするから。……悔しいですけど、それが美味しいので不思議なんですけどね」

 吉田の言葉に、爽は目を丸くして聞き入っていた。

 陽奈はみるみる顔を赤くする。どうして、よりにもよって爽のいるこの場で……!?

 これでは、まるで……


「もしかして……そのガレットに、チョコレートも使われてます?」

「!?」

「あれ……? 食べたことあるんですか?」

「いや……そんな気がしただけです」

 その言葉に吉田は、不思議そうに首を傾げている。爽はその言葉を発すると同時に、動揺して目を泳がせる陽奈の方に振り返った。


「陽奈」

「そうちゃんは関係ないからね!」

 今年は、なぜか栗の新作を思いついてしまっただけなのだ。確かに、毎年の爽の誕生日になぜか作ってしまう栗のお菓子のことがあるだけに、嫌いとはいえ、栗に接する機会が多かったことは影響しているかもしれない。しかしこれは決して、爽を意識したことではない。爽は――――関係ない。

 そう思ってとっさに否定の言葉を口にした陽奈に、爽はさらに面白そうにニヤリと笑みを向けた。


「……あえて言うと言うことは、やっぱり俺に関係あるってことだね?」

「ちっ……違うって言ってるでしょ!」

 完全にその行為が裏目に出てしまった。


「違う? 栗嫌いの陽奈が俺の誕生日にくれたマカロンは、俺の好きな栗とチョコレート組み合わせ。……で、店の商品でも、栗とチョコレートのガレットときた……それって関係ないの?」

「えっ! 栗は彼氏の影響だったの?」

 その発言に驚いたような吉田の声が響く。さっそく陽奈に好奇の視線を向ける吉田に「違う!」と否定の言葉を投げかけ、同時に爽にも言い聞かせるように言葉を並べた。


「彼氏じゃないし、これも関係ないの。全くないから!」

「くっくっ……まあ、そう言うならここでは(・・・・)そういう事にしててあげるよ」

 ここでは?

 少々そのフレーズは気にかかったものの、その時日野がたまりかねたように「爽、そろそろ行かないといけないんじゃないの?」と割って入ってきた。

 爽はその言葉にパッと腕に着けた時計を見る。


「あ……本当だ、もうやばい。行かないと」

「後は、私が受け取っておくわ」

「そう? 悪いね。じゃあ、日野よろしく」

 そう言うと、当たり前のように陽奈の頭にポンと手を置いてから、急いで店の出口に向かう。しかし、思い出したように振り返って、吉田に向かって叫んだ。


「陽奈のガレット、箱に2つずつ追加で入れといてください!」

「おっ? 了解しました~!」

「あと……陽奈。今日、部屋に受け取りに行くから、それ持って帰ってきなよ」

 そう言いながら、意地の悪い瞳を陽奈に向けながらガレットを指さす。


「なっ……なんで、私がっ」

「じゃあね」

 爽はそう言うと、今度は振り向くことなく店を出ていった。


「限りなく……爽やかね」

 爽が出ていったドアに視線を向けながら、じみじみと吉田がつぶやく。


「まあ……名の通り“爽”だからね」

「感じも良いし……しかも陽奈ってば! 毎度の“栗開発”はそういう事だったんだぁ~」

「違うって言ってるでしょ!」

「ふ~ん……その顔で言われてもね~……」

 その顔?

 怪訝そうに眉をひそめる陽奈に、可笑しそうに吉田は笑うと、「じゃあ、用意してくるね~」と言って、爽達が選んだ品を持ってカウンターの奥に入っていく。

 誤解なのに……と思いつつも、きっと今は何を言っても吉田には効果はないだろう。

 それはきっと爽も―――――


「いい気なもんですね」

 その時、突如背後から響いた声に、陽奈は驚いてはじかれたように振り向いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ