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14.思い出と勇気と

「ちょっと、遅くなっちゃったね……」

 陽奈は家の門を開け、家の前の道路に足を踏み入れる。庭からリーンリーンと秋の夜長を歌う虫の声が聞こえ、一段落してホッとした陽奈の気持ちを一層、清々しくしてくれる気がした。

 ほんのわずかしかない道のり。

 爽の前を歩きながら少しでも長く話していた気がして、ゆっくりと歩調を緩めた。

 というのも、爽は隣に住んでいるのだ。(先日、家まで送ってくれた時に知った)爽の家族が引っ越して以来、ずっと空き家だったので気になっていたのだが、小次郎も和歌子もいづれは帰るつもりで家を残していたらしく、今回爽がこちらに戻ってくる際、どうせ家があるならと言うことで、今はその一軒家に一人で住んでいるらしい。

 なかなか贅沢な一人暮らしだと思う。


 何を話そうと考えて、少し後ろ手に視線を送る。爽はその視線に気が付いてか一瞬陽奈と合わせたのち、表情を変えずに視線を逸らした。

 何を考えてるの?

 そんな爽をこっそり見つめていると、ふと脳裏に昼のあの出来事がよみがえってきた。


”なんでそんなにあっさり言うんだよ”

”いいのかよ!”

”せめて気持ちぐらい素直に伝えたって……”


 朝倉を前にしたとき、爽が言った言葉。隣には朝倉には婚約者がいたし、現にカフェで声さえかけられなかった陽奈は、朝倉にとってまったく相手にさえていないとわかっていたのに、爽は陽奈を朝倉のもとに連れ出し、そう言って必至で陽奈を助けようとした。

 事実、朝倉とのことは陽奈にとってはまったくの身に覚えのない出来事で、爽の言葉はまったくに見当違いもいいところだった。しかし……思い出すと、胸がきゅっと締め付けられた。

 間違いなく、爽は自分のためにそう言ってくれたのだから。

 疎遠だった時間が嘘のように、この頃の爽は陽奈に優しい。しかし離れていた時の話題は二人にとってタブーであるように、お互いまったく口にしていなかった。

 爽が自分のことを避けていたのは、怒っていたからなのか、嫌っていたからなのか、ただどうでもいい存在だったからなのか……まったく知らない。久しぶりに再会した日に見せたあの冷たい瞳を再び向けられるのが怖くて、どうしても言い出せなかったのもある。

 それにどんな答えでも、自分は傷つく気がするのだ……。だから今更関係ないと思っていた。そう思うようにしていた。 

 しかし今日の出来事を通じて-----それほど、爽は自分自身を疎んでいなかったのではないのではないかと……そう思ったのだ。

 転勤先で聞いた陽奈の噂。それは陽奈と仲直りする前のことだ。それなのにそのことを気にかけてくれていて、無謀にも上司に迫った爽。そして父親にも自分の事のように怒ってくれた。その行動は……少なくとも自分自身をどうでもいい存在だとは思ってないような……幼馴染として大切に思っていてくれていたのだという証明のように思えた。

 嬉しかった……なぁ。

 素直にそう伝えたい。でも……話の流れでもない限り、言い出せそうもないのだ。入り組んだ自分の気持ちをどう伝えたらいいのかもわからないし、先ほどから黙り込んだ爽に、自分から言い出す勇気はなかった。

 それにきっと無理に口に出そうとすれば、きっと天邪鬼な自分が顔出し、可愛くないことしか言えないような気がする。

 そんなことを考えているうちに、あっという間に爽の家の前についてしまった。

 爽は何も言わず、家の門を開けて中に入ろうと、陽奈の目の前を通り過ぎた。少し残念に思いつつも、別れの挨拶をしようと口を開いた。きっと陽奈のごたごたに巻き込まれて疲れているに違いないのだ。

 しかしそう思って顔を上げた陽奈の腕が、突如爽によって引っ張られた。爽は陽奈を門の中に引き入れると、門柱に押し付け強引に、口を塞いだ。


「……~んんっ」

 爽の唇は角度を変えて、何度も陽奈に押し付けられた。強引なのに、その触れる唇は切ないほど優しい。

 やがて、その行為に降参するように口を開くと、爽の熱い舌が侵入してきた。そして陽奈の口の中を甘やかすように入っては出て……次第に思考能力を奪っていく。

 いつの間にか門柱に押さえつけられていた手は、爽の手に絡め取られ、握られた手のひらからも爽のぬくもりを伝えていた。

 やがて爽はそっと唇を離すと、その切なさを埋めるように、頭から額……とゆっくりとキスを下におろしていく。

 そして素肌をさらした肩まで触れると、背中に手をまわして陽奈を抱きしめ、そのまま陽奈の肩に顔を埋めた。

 怒涛のような爽の熱に浮かされた身体は、その熱を下げようと短い呼吸を繰り返す。それを拒むかのように、爽が時折陽奈の首筋にキスを落とすと、再び小さく熱が灯るのだ。


「陽奈……俺の家に来ない?」

「……え?」

 “オレノイエ”?

 その言葉にハッと我に返る。

 俺の家……って、それって、つまり……!?


「だっ、ダメ!」

「ダメ?」

 爽は陽奈の言葉にすねたようにその言葉を繰り返すと、再び陽奈の首筋にキスを落とす。


「ぁ……やっ」

「もう少し……陽奈に触れさせて」

「だ、ダメだっ……たら!」

「陽奈……」

「んっ……もう、そうちゃん!!」

 引くどころか、次第に爽の手が陽奈の小さく盛り上がった胸にまで到達したのを感じて、思わず爽の顔を肩口から思いきり引き離した。


「ダメです!」

「……え~」

 きっぱりと言い放つ陽奈に、爽は甘えるような不満の声を上げた。

 しかし、ここは引き下がれない。爽とのキスは嫌いではない。こうして抱きしめられるのも不思議なほど心地よい。

 しかしこれ以上は……ダメだ!


「もう、帰る!」

「わぁぁぁ……待って待って、もう少し! もう何もしないから、もう少しこのままでいて」

 思い切って言った陽奈の言葉に、爽は慌てたようにそう叫ぶと、陽奈を離すまいと再び強く抱きしめた。

 これでは、帰れない。

 しかし本当に帰りたかったのでは……ない。


 困るよ……

 正直言って、今の気持ちはそれに尽きる。自分が今どうしたいのかもわからない。

 幼馴染なのに……それ以上にはなれないのに、心が暴走して陽奈を混乱させている。一体爽はどういうつもりでこんなことをするのだろう。

 その答えは明白のように思えるのに、それを認めたくない自分がいる。

 ずるい……自分。そして弱い―――――自分だ。


「陽奈、ありがとう」

 耳の横から響いてくる爽の声に、考えに耽っていた陽奈は、ハッと我に返った。

 今、何を考えていた?


「え……っと、なんのこと?」

「マカロンだよ。誕生日にくれただろ? 全部食べたよ。美味しかった」

「そ、そう……よかった」

「俺の好きなもの覚えてたんだな」

 その言葉にドキッとする。

 マカロン・栗・チョコレート、これは爽の好きなお菓子の代表格だった。忘れたことはない……なぜなら、幼少期からこの組み合わせのプレゼントを、誕生日にプレゼントするのが定例だったのだから。

 しかし幼いころは市販品を買って渡していた。中学生になった時、こっそり自分で作ってみたものの自信が無くて、結局手作りを渡したことは一度も無かった。

 そして……今年も作ってしまった。はなから渡すつもりはなかった……もう何年も渡せない日々が続いていたから、あとでこっそり食べるつもりだった……いや、正しくは食べてもらう(・・・)つもりだった。

 しかしながら、そのことを爽に悟られたと思う気持ちがたまらなく恥ずかしい。そう意識した途端、相変わらずの天邪鬼が顔を覗かせた。


「……え? そっ、それは……前も言ったけどあれは私用で、爽にはたまたま……」

「まだ言うか」

「だって……本当のことだから」

「じゃあ、陽奈。あんなに嫌いだった栗は克服できたんだね?」

「……ぅ」

 “栗”

 その言葉に、今でもトラウマになっているあのイガイガ帽子が、脳裏を駆け巡った。




―――――


 あれは陽奈たちが5歳ぐらいの時だったと思う。そのころ隣同士で仲の良かった両親達は、陽奈・太一・爽を連れて栗ひろいに出かけた。

 小さいころから3人とも栗のお菓子が大好きだったこともあり、本物を見たことのない子供たちへの、両親の粋な計らいだったのだと思う。

 栗の木が多く生えているという山の中に着いた時は、皆、慣れない山登りに、くたくたに疲れていた。とはいえ、陽奈や太一、爽は初めて見る森に大はしゃぎだった。

 三人は本来の目的も忘れ、両親を尻目に、走り回ったりどんぐりを拾って投げたりと、楽しく過ごしていたのだった。

 しばらくすると、太一が「栗ひろいに来たんだから、誰が一番とれるか競争しよう」と言い出した。

 太一の言葉に陽奈も爽も賛同し、疲れ切って休む両親のためにも、三人は栗が入っているというイガ栗を、一生懸命に集めたのだ。

 大きな木のふもとに、三人の栗が山のように、集まっていった。

 勝負は五分五分だった。

 その時だった。陽奈はふとその大木を見上げ、その木が栗の木であることに気がついたのだ。

『もしかして、この木に登ったら……たくさんの栗で、一気に一番とれちゃうんじゃない!』

 陽奈はそう思って、その木をゆっくりと登っていった。

 木登りは初めてではなかったし、一番を取れるかもしれないという思いが、陽奈を後押ししていた。木の上の栗はまだ食べれないということを、まだ知らなかったのだ。

 やがて二つ目の幹に到達し、まだ若い栗のイガイガを見つけ、陽奈は枝の先端に向かって進んでいく。

 あと少し……

 そう思って手を伸ばした瞬間、木に登った陽奈に気がついた太一が、突如大声で話しかけてきたのだ。

 陽奈は突然話しかけられたことに驚いて、バランスを崩した。そして、太一や、やっと異変に気がついた両親達の叫び声が響く中、陽奈はまっさかさまに地面に向かって落ちていった。

 大きな音、そして静寂が訪れた。

 ゆっくりと目を開けた陽奈は、高いところから落ちたに関わらず、全く痛みが無いことに気がついた。 何か柔らかいクッションの上に落ちたような感覚。そして直前に聞いた……誰かの声。


『ひなちゃん、大……丈夫?』

 その時、陽奈の身体の下から、爽の声がした。そうだ、あの時すぐ下から爽の『危ない!』と言う声が聞こえたのだ。とっさに、爽が陽奈の下敷きになってくれたのだと悟る。

 陽奈は下にいる爽から素早く退くと、爽の方を振り返った。


『そうちゃん!』

『どこも……怪我してない?』

 爽はうつ伏したまま動かず、下げられた顔の下から、その声だけ響かせた。

 陽奈は泣きながら、ただうなずく。


『大丈夫! そうちゃんが助けてくれたから……そうちゃんこそ、どこか怪我してない?!』

 陽奈がそう言った時、駆けつけた爽の両親が爽のそばに駆け寄り、しきりに声をかけながら動かない爽を抱き起した。

 陽奈が落ちた後も、気丈に陽奈を気遣っていた爽。しかし、そんな爽の顔や手足には先ほど陽奈たちが懸命に集めたイガ栗が、無情にも多数突き刺さっていたのだ。

 そして痛そうに顔を歪ませる爽の額からは血が流れ……瞬間、陽奈は悲痛な叫びを上げていた。


 その後は良く覚えていない。バタバタと森を降りて爽を病院に連れて行こうとする大人たちや……ぐったりとした爽の姿。明らかに戸惑っていた太一の顔。

 とにかく、その日から陽奈は栗が大嫌いになったのだ。栗を見ると、たちまちあの時の辛そうな爽の姿を思い出し、しばらくは涙が止まらなくなるという症状に見舞われていた。

 成長とともに次第に記憶も薄れ、顕著な症状は出なくなったものの、陽奈の栗嫌いは今の今まで続いていた。

 職業柄、食べれないわけではない。しかし嫌なものは嫌なのだからそれは変わりようのない事実だ。





「とにかく、もう食べれるようになったんだから、それでいいでしょ!」

 鋭い指摘に返す言葉を失い、とりあえずの言い訳を並べる。

 トラウマになった陽奈に反して、爽はあんなことがあったに関わらす、不思議なことに、より栗好きとなった。嫌がる陽奈に、誕生日には必ずと栗のお菓子を要求し、無理やり一つを、陽奈に食べさせた。助けてもらって痛い思いをした爽のお願いとあれば、陽奈も栗嫌いとはいえ、言う通りにせざるをえなかった。

 しかし今思うと、そのことがあったから、次第に栗への恐怖心が薄れたのかもしれないと思う。もしかして爽の意地悪も、陽奈のためだったのかと思うほど。


「ふ~ん……あくまでも俺のために作ったとは認めないわけだね」

 頑なに認めない陽奈に、爽は陽奈の顎を持ち上げ、じっと見つめてくる。


「なっ、何よ! うぬぼれも……」

 そして言い返そうとした陽奈の前に、パッと自分の携帯を掲げた。


「……? なに?」

 陽奈はそれを受け取り、画面に映し出されたメールのような文章を読み進めた。


『from:太一

件名:誕生日おめでとうと、お願い

本文:今日はおめでとう。これからもよろしくな。

あと今日、陽奈に会え。毎年次の日に、俺に残飯処理が回ってきて困る。食べれないなら作るなと言うのも、いい加減疲れた。取りに来い。』


「なっ……!?」

「だからあの日、陽奈の店の前に行ったんだよ。正直初めは、メールの意味が分からなかったんだけど、陽奈にプレゼントをもらって、あっ……てね」

「なっ、そんなっ!?」

「これでも、俺にじゃないって言える?」

「……うぅ」

――――――太一!!!

 顔がみるみる赤く染まっていく。

 太一の奴、勝手に人のプライバシーを……しかも“毎年”って、私が爽に毎年用意していたってこれじゃ分かっちゃうじゃない!!


「すごく美味しかったよ。手作りって、初めてだったし」

「嘘ばっか……可愛い彼女とかに、もらってんでしょ」

 高校の時なんか、クラスの女子は爽にこぞって手作りのお菓子を渡してたし……

 思わず本音をつぶやいた陽奈に、楽しそうに爽は笑い声をあげた。


「陽奈からは、って意味だよ。陽奈からの手作りは初めてだ」

「……そうだった?」

「あ……違うね。バレンタイン以来だね」

「あ……」

”バレンタイン”そのフレーズを聞いた途端、思春期の苦い思い出が頭をよぎった。

 あのとんでもない失敗作の……。


「あれは……」

「あれも美味しかったけど、今回のはさすがプロって思ったよ」

「……そうちゃん、嘘言わないで……っ! あれは砂糖と塩を間違え……」

 あの時言い出せなかった自分を恥じるように、そう言い出した陽奈の唇にそっと爽の人差し指が触れた。驚いて顔を上げると、悪戯っぽく微笑んだ爽の顔が映る。


「俺にとっては最高だったんだし、それでいいんだよ」

「それって……」

 知ってて、そういってくれてるってこと?

 問いかけるように瞳を揺らすと、爽は優しく微笑んで「……また作ってくれる?」とつぶやいた。


「また……?」

「うん。プロでしょ? 陽奈の作ったお菓子、また食べさせてくれる?」

 じわじわとあたたかい気持ちが胸に広がる。そんな風に言われてうれしくないわけがないのだ。

 小さくて甘いまろんマカロンが完成した時、このお菓子はきっと本人には届かないだろうと思っていた。その可愛さが切なくて、さみしくて……自分のふがいなさや、意地っ張りゆえの弱さを感じずにはいられなかった。お皿の中でそっと見つめる小さなマカロンに、心の中で、そっと”ごめんね”とつぶやいていた。毎年……そうだったから。

 でも、爽に食べてもらえた-----しかも、こんな嬉しい言葉をもらえるなんて……!

 まろんマカロンもきっと今の陽奈のように喜んでいるに違いない。そう思うと、勇気を出してよかったと思う。

 プロと言ってもまだまだ修行中の身。しかし、自分の作品を食べたいと言ってくれているのなら、答えは一つしかないのだ。


「……いいよ」

「やった! じゃあ、約束ね」

 そう言うと、爽は当然のように陽奈の唇にキスを落とした。驚いて目を丸くした陽奈の顔を見て優しく笑うと、再び目を伏せ、顔を近づけてきた。

 陽奈はそっと目を閉じる。


―――――初めて……目を閉じた気がする。

 やがて爽の唇が陽奈の唇にそっと触れた。


 夜の帳が下りる。

 爽と陽奈の息遣い以外なにも音も聞こえない二人の足もとで、夜露に濡れて少し重みを増した落ち葉が、秋風に揺れてカサカサと微かな音楽を奏でていた。




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