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会いに行こう

友人たちが死んでしまった。


桐谷統也は今年で十九歳になる。春先の気候が薄れ暦の上で近付く夏を呆然と眺めながら、彼は今日もアルバムをめくる。

統也は高校二年の時の修学旅行の日、幸か不幸か風邪をひいた。時の病魔、インフルエンザ様である。高熱に浮かされながら彼はメールで送られてくるからかい文句や心配の声にひとつひとつ返信しながら、最後には「俺の分まで楽しんで来いよ」という文章をつけた。それが友人たちとの最後のやり取りになった。

大規模なトンネル崩落事故。彼のいたクラスの乗ったバスが見事にそれに巻き込まれた。運転手も生徒も担任も、何もかもを巻き込んで友人たちは一人残らず死んでしまった。ひとり。統也だけを残して。

その時何を思ったか統也はもう忘れてしまった。電話帳のアドレスは衝動的に消してしまって、彼らとの接点はもうどこにも存在しない。手元のアルバム以外は。

統也は機械が好きだった。特に好きなのはカメラだった。携帯やデジカメ、時には一眼レフなんかも持ち出した。何かとあれば、というか何もなくても彼はよくシャッターを切った。

写真の魅力的な所は、その一瞬一瞬を永遠にできるところである。切り取られた風景の中、笑う友人たちを見ていると無性に虚しくなる。一年の時から殆どメンバーが変わらない、気心の知れた者の多い滅多にないクラスだった。特に仲のいい友人たちの方が自然と増える写真たち。卒業アルバムにでも使って下さいよ、と言うと「それもいいな!」と豪気に笑った担任。誰もいないという事を認識すればするほど、大学生になった今でも彼は吐き気がする。最高の孤独感だ。死にたくなった。

それでも眺める手が止められない。切り取られた一枚の薄っぺらい写真の中のいる友人たちが恋しくて、いつまでたっても死から抜け出せていない、その事実は判っていた。とうに理解していた。それでも、そしてまた、今日も彼はアルバムを持ち出す。

「……………ん?」

ささやかな違和感を抱く。

最初のページは確か高校当初のもので、風景や動物を撮ったものの方が多い。こちらは特に問題なかった。

夏ごろになり始めると、趣味の話ももうしていたのか段々人物を撮ったものが増えていく。暫く眺めて、統也はぎょっとした。

その写真は、昼時に撮ったものだ。弁当を食べたり菓子パンを食べたりと、よくある昼食の風景。写真で収めたのはその光景であった。そう、これは写真だ。

だのに、何故写真の向こうで彼らは手を動かしているのか。

「…………な、んで」

切り取った永遠。変わらず続くはずだった日常の延長。やがて統也の腕時計が一時を示す頃、写真の中の友人たちは立ち上がり写真の中から消えていった。――――思えば、これがことの発端だったのである。

写真の中の友人たちは、写真に呼応する時間だけそこにいた。昼食時ならその写真が動き、時間が過ぎれば「授業が始まる」と言わんばかりにフレームアウトする。そしてやがて放課後の時間帯になるとコンビニでふざけて撮った写真や文化祭の準備の時の写真が動き始めるのだ。眺めるだけで当時が思い起こされて、とても懐かしい。統也は少しだけ笑った。久方ぶりに笑った。

もう一つ判ったのは、統也は写真の中に干渉できないという事だった。話しかけても、写真を少し曲げてみても、向こう側の彼らは統也の事に気付かない。写真の中だけで成立する世界に、以前とは違う寂寥が募り始めた。

自撮りをしてみるが、それは動く気配がない。いいのだ、と統也は己に言い聞かせた。例え切り取られた向こう側でも、彼らが『生きて』『生活を送っている』。それだけで満たされると。そう、思っていた。思っていたのに。

アルバムに爪を立てる。かつて過ごした教室に爪痕が残る。何もない。何も。

「どうして、」

どうして誰も俺を見てくれないんだ。

そう呟いた、写真の事実が発覚して半年経った夜、空気の中に溶け込む自分の声は明瞭で嫌に頭に響いた。かつてない程の吐き気に、トイレに駆け込んで吐いた。胃液をぶちまけながら、自分の中の何かが削り取られていくのを感じた。川の流れが巨大な石を小石にしていくかのように、ゆっくりで着実な侵攻。引きつった笑い声を上げながら彼は笑った。彼は友人を失った事が悲しかったのではなく、彼らにおいて行かれたことが悲しかったのである。写真の様に確かな傷痕があるのをその時初めて自覚した。これから先癒える事も、かといって深くなる事も無い絶対的な傷である。逃れる方法は、一つ。

「――――そうだ。会いにいこう」

愛しの彼らに。愛した級友たちに。成長する事のない友人たちに。

コレクションの一つであるポラロイドカメラを引っ張り出した。もうすぐ夜が明けるであろう。白み始めた空を薄いカーテン越しに眺めながら統也は口元が歪むのが判った。はたから見ればそれは酷く幸せそうな笑顔であったが、彼の胸の内は恐慌状態であった。

最後のクラス写真をアルバムからはがして、壁に張り付けた。それと自分が映るように位置をいじって、彼はその笑顔のまま写真を撮る。彼自身は笑顔のつもりは全くなかった。引きつる口元と何故だか細くなる瞳をそうならないよう目一杯開いて、右手を背中に隠した。朝日が降る部屋の中、眩しさがこの身を焼いていくようで辛かった。ぱしゃり、とポラロイドカメラが音を立てて、口から写真を吐きだした。中身を見る前に、彼は後ろ手にしていた右手を前に持ってくる。ぶるぶると右手が震えていた。怖いだろうな、痛いだろうな、ああでも、きっと、救われるに違いない。朝日を反射して鈍く光る裁ち鋏。それを持つ右手に左手を添えて、首に突き立てた。




という、夢を見た。

なんていう夢だ、と統也は頭を振る。窓の外はもう白み始めていて、日の出を告げていた。

古く大きい彼の家は風をよく通す構造をしている。元は資産家だったらしいし、今でもその名残なのか中々の貯金と土地があるらしい。中に何があるか判らない蔵もある。彼はそんな桐谷家の次男坊として生まれた。勿論、上記の夢に全く覚えはない。

「あー………夢見悪ぃ」

寝起きで掠れた低い声でそう呻く。今は二度寝する気力もない。じっとりと汗の滲む首に手を伸ばして、


べとり。


「………………え?」

掌には、汗だけでなく鮮血がべっとりとへばりついていた。





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