男→女
夜中の1時を回った頃、寝ている千春の心臓がバクンと震えた。
その音で覚醒した千春は息を唐突に吐き出す。
何が起きたか、自分でもよくわからない。
が、微かに身体が軋み始めていた。
次第にその軋みは大きくなり、痛みへと変換される。
「つぅ・・・っ!」
起き上がって現状確認をしようとするが、足が動かない。
痛みに耐えながら全身を動かそうとするが、それも不可能。
最早、目しか動かすことしかできない現実であった。
痛みは大きくなるにつれて、骨や筋肉が溶けているような錯覚に陥った。
「だぁ・・っ!ぅ・・・・うぅ!あぁ・・・!」
頭が破裂するほど痛い。
腸が破裂するほど痛い。
顔が破裂するほど痛い。
足が破裂するほど痛い。
腕が破裂するほど痛い。
ありとあらゆる全てが痛い。
骨はまるで小さくなるように。
胸はまるで飛び出しそうなぐらい。
下半身の内部に何か別の物ができるぐらい。
千春はつい助けを求め、叫びそうになるが、声が出ず。
まるで、何かが身体を上書きするかのようだった。
生き地獄とは、つまりこういうこと。
千春は様々なことがゴチャゴチャになり、ついに意識を失った。
しかし、身体はまだ変化を続けていた。
‡
再び意識が覚醒した。
目覚めがこんなに気持ちいいと思ったのは久し振りだと、千春は感じた。
夜中の痛みは一体何なのだろう。
頭の中で考えるが、答えは出てこない。
授業でならった群発頭痛かと思ったが、おそらくは違うだろう。
全身が痛むなんて、まさか病気の一種だろうか。
そんなことを思いながら、千春は上半身だけを起こす。
いつものように両腕を上げて伸びをすると、何か違和感があった。
なぜか胸が重い。
しかも、上半身を起こした時の目線がいつもより下に感じたのだ。
「まさかホントに病気・・・・は?え?あ、あー」
いつもの声より高いような気がした千春は戸惑う。
まさかと思い、視線を前から下に下ろす。
そこには未知の領域、二つの谷間があった。
しかも、凄くデカい。
千春はそれを見て5秒静止した後、我に返った。
身体を起こし、洗面所へ向かう。
そこの鏡に映っていたのは、オレンジの髪でなく黒髪の美少女の姿であった。
開いた口が閉じないと言うが、この時の千春は閉じた口が開かなかった。
「じ、冗談・・・だろ?」
頬を引っ張ったが痛い。
170あった身長が150に縮んでいる。
変わり果てた自分を見た千春は確信する。
こうして、やっと現実を見る千春であった。
「・・・終わった・・・。俺の人生に終止符を・・・」
そう言いながら鏡を殴りつける。
割れはしなかったが、拳は痛い。
肉体の変化によって、弱体化してしまったのだろう。
「・・・しっかし、身長縮んだなー」
気を取り直したのか、千春は背伸びしようとつま先に力を入れた時だ。
身体がふわっと宙に浮いた。
比喩などではなく、実際に身体が浮いたのだ。
「のわっ!な、何だ!?」
床から足までの高さは約5cmほどである。
千春の頭の中はもう疑問でいっぱいいっぱいだった。
混乱させ、宙をまっている身体をどうにか地面につけようとする。
が、思うようにいかず、ますます混乱していくのであった。
「あーーもう!何なんだよ一体!!」
・・・数分後、無事着地成功させたが、その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
まだ秋葉は目を覚ましていない。
家を出ようと思ったが、怖くて出ることができず。
とりあえず、秋葉が目覚めるまで、この自分の体を徹底的に調べることにした。
部屋に戻り、しっかり扉の鍵を閉める。
涙と鼻水をティッシュでふき、現実を受け止めるように体を触る。
未知な感触には触れないことにした。
「・・・とりあえず、男としての証があるかどうか、だな」
パジャマだったので、そのまま下を脱ぐ。
跡形もなく消え、毛の生えていないそれを見て、つい顔を真っ赤にさせる。
次に手鏡を持って自分の顔を見つめる。
黒髪で肩までかかるショートである。
「・・・意外に可愛い・・はっ!何を言ってんだ!俺は!」
首をぶんぶんと横に振り、自信を否定する。
「次はあれだ。・・・俺、確かに空飛んだよな」
足に力を入れる。が、反応はなく。
つま先に力を入れる。が、反応はなく。
どうやっても何もならないのだった。
「あ、あれか?良くアニメでイメージしろとか言うが・・・」
自分が宙を浮く姿を想像する千春。
すると、スッと宙に浮き、歓声をあげる。
イメージ通りに動いたことによって、千春の中に小さな達成感が生まれた。
気付いてみれば、既に秋葉が起きる時間になっていた。
だが、起きる気配はなく。
昨日遅くまで起きていたのだろうか、と心配する千春であった。
しかし、ここでふと思った。
この姿になったのを、秋葉が知ればどうなるだろうか。
自分の存在を否定されたらどうしよう。
そんなことを思っている千春の不安は次第に大きくなっていく。
いや、こんなのは普段の俺じゃない。
前向きな気持ちに考えなければ、と改める千春。
決心した。
千春は部屋を出て、向かいの扉をノックする。
鍵はかかっていないので、そのまま中へ入ると、まだ秋葉は寝ていた。
「・・・秋葉、朝だ」
「ん、うぅーん。・・あと3分」
お決まりの台詞をはく秋葉に腹がたってきた千春であった。
拳を握りしめるのを我慢し、千春は言葉を続ける。
「・・・全力で殴られるのと、布団を剥がれるの、どっちを選ぶ?」
「・・・・・どちらも嫌だ」
秋葉はムクリとこちらを背にして起き上がる。
勝手に部屋に入られたのも不愉快だったみたいで、秋葉の背中からは負のオーラがにじみ出ていた。
しかし、こちらにも事情があることを思うと、黙っていられなかった。
千春は深く息を吸って、改めて秋葉を見る。
「・・・うぅー、あーきーはー」
口から出た言葉は、何ともやる気のないものだった。
まるで助けを求めるような、そんな声だった。
その聞き覚えのない声に、秋葉はぎょっとして振り向いた。
「・・・・・どちら様ですか?」
「お、思った通りのリアクションだな。俺だ、千春だ」
聞いたことのない声色で放たれた名前は千春。
しかし、そんなことで信じる秋葉ではない。
何せ、オレンジの髪の不良が黒髪の美少女になるとは思えないから。
秋葉の目の前でモジモジとする女性はまさか・・・。
とか、思ったりした秋葉であった。
「あの馬鹿野郎が。ヤり逃げとは、良い度胸をしてるじゃないか」
「違うわ!このオカルト女!」
耐えきれなくなった千春は、家全体に響き渡るほどの罵声をあげた。
自分が千春であるという証拠は腐るほどある。
この場合、一番適切なのは、自分が秋葉に対してである。
そのため、この「オカルト女」を用いたのだ。
「オ、オカルト女ですって!?違うわよ!・・・ってアレ?何かデジャヴだわ」
「秋葉、俺だ!千春だ!松原高校一年で未だに友達ができない千春だ!」
出来る限り説得して、何とか信じさせる。
千春は我を忘れ、つい立ち位置を忘れる。
罵声に罵声が重なり、だんだん落ち着きをなくしていく。
秋葉が混乱する中、千春はただ説得し続けた。
「あ、あんたが千春ってのは、まだあまり信じられないわ」
しかし、と続ける秋葉。
「これから、千春しか知らない事を質問するわ。それではっきりする」
「おう!何でもかかってこい!」
秋葉はまっすぐな目つきで千春を見る。
いつもより真剣な秋葉を見た千春はつい威勢に生唾を飲む。
「千春が昨日買った成人向け雑誌のタイトルは?」
「・・・あ、秋葉。それは言わなきゃいけないのか?」
不安な顔を見せる千春だが、秋葉はやるといったらやる女だ。
言わなければ、ここで千春の人生は終了である。
しかし、千春にもプライドがあるのか、言うことが出来ず。
頬から嫌な汗が垂れるのをこらえながら、千春は心を決めた。
・・・なぜ、本のタイトルを言うだけなのに、こうも動揺しなければならないのだろう。
千春は後から、そう思った。
秋葉を招くように手を動かす千春は、彼女の耳元でタイトルを呟く。
若干、千春の頬が染まったが、聞いていた秋葉の方がなぜか赤かった。
「満足か?」
「え、ええ。認めようじゃない。さすが我が弟・・・いや、今日から妹ね」
「はぁ!?」
しばらく睨み合って、落ち着いたところで千春が口を開いた。
「・・・なぁ、秋葉」
「何よ」
「普通って、何だろうな」
「・・・少なくとも、今は異常ね」
千春は酷く頭垂れた。