ⅩⅩⅨ.旅立ちに向けて
三日ぶりのシンヨークは、当たり前のことだけど何も変わっていなかった。いつものように城門通りには人や馬車の往来が盛んで、行き交う人々も目が合うことなく通り過ぎていく。ちょっと懐かしくも感じるシンヨークの日常がどこまでも繰り広げられていた。
「わたしはお城に直行するけど、みんなはどうする?」
母に会いたい気持ちもなくはないが、旅立って一週間ぐらいではホームシックにはなりませんね。それに今会いに行ったら気が緩んでしまいそうだ。
「私は特に用事はないな。新しい鎧は次の目的地で購入しようと思う」
精霊王戦で鎧が破壊されたからね。にしても軽装の戦士はどこか新鮮だ。
「私も問題ありません。お城で働いている人で面識のある方はいませんから」
結った髪を帽子の中に隠し、サングラスを掛ける僧侶ちゃん。変装のつもりなのかな? 残念ながら僧侶ちゃんの可愛さは隠しきれてないぜb!
「マホツカは? どこか寄っておきたいお店とかある?」
釣竿袋の上で胡坐をかくマホツカは街に着いてからずっとアルフォンを操作している。何やら《アルカナ・バード》という、鳥が手紙を銜えているイラストが映っていた。
「そうね……。《ナイル》で注文したブツが届いているみたいだから、一旦家に帰るわ。城へはアンタたちで行って来てよ」
「じゃあ待ち合わせ場所は駅隣の喫茶店で」
「りょーか~い」
そう言い残して、マホツカはプカプカ浮きながら人込みの中へと消えていった。
《ナイル》って複製品がどうとか呟いていた怪しいアレか。何を購入したのか気になるところであるが、知ってはいけなさそうな気がするのでここはスルーだ。
「それじゃ、ささっと用事を済ましに行きますか」
戦士と僧侶ちゃんを連れ立って人生二度目のシンヨーク城へと向かった。
「おお勇者よ、精霊の力を手に入れるとはすばらしい! それに元気そうでなによりだ」
顔パスで通されたお城には「あなたこそ息災そうですね」な感じの王様が、先日と変わらず背もたれが異様に長い椅子に座ってわたしたちを迎えてくれた。アポなしなのに即謁見が可能とは、勇者の特権なのか、それとも暇なだけなのか。ちなみに幸か幸か大臣はいなかった。
わたしは、旅立ちから精霊王の力を授かるまでの経緯を簡潔に伝えた。王様は要所要所で適当な相槌を挟むだけだったけど、話が事実である証拠を見せることなく信じてくれた。人が良いんだかバカ正直なんだか。
「それで今日はですね、王様にお願いがあって参りました」
ひと通り冒険談を語り終えたところで本題を切り出す。
「そうであったか。勇者の頼みだ、遠慮せずに申してみよ」
「実は旅の資金に困っていまして。当面の旅費を工面してもらえないでしょうか」
「!! 旅費……だと……?」
順調な旅の報告にホクホクしていた笑顔が瞬時に凍りついた。うわっ、やっぱ駄目そう。
「勇者よ、旅立ちに際しても伝え――」
「嵐の精霊王との接触までの道のりは、まだシンヨークから近場だけで済みました。しかし今後は別大陸をも旅する必要があります。交通費や宿代だけでなく、装備の修理や新調も道中でしなければなりません」
一国の王の言葉を遮ってまで押し通す。ここは一歩も引く気はない。王様には悪いけど、城の無駄な経費を仕分けしてでも少しは用意してもらいたい。
ちなみに次の目的地は既に決めている。残り四箇所ある精霊の洞窟の中で一番ここから近いのは太東洋上にぽつんと浮かぶウィーハ島にあるのだ。列車でカリメア大陸を横断して、西海岸から船で数日の行程だ。昨日みたいに移動アイテムがあればいいんだけど、マホツカ曰く手持ちはないとのことだ。それに誰もウィーハ島に訪れたことがない。
列車と船に、そこまでの宿泊プラス食事代だ。加えて装備や道具の購入も考慮しないといけない。自費で賄うなど不可能に等しい。それこそカジノでひと稼ぎしろだ。
「ぐぬぬ……。腹に背は変えられんか。それで、どの程度ほしいのだ?」
「そうですね……(カタカタカタ)……少なくともこれぐらいは」
「なぬっ!? 国が傾くぞ! (カタカタカタ)……せいぜいこれぐらいであろう」
「ええっ!? それだと西海岸にすら行けませんよ。夜通し歩いて行けとでも!?」
「よいか勇者よ。お主の父親はな……」
「十五年前なら列車はありましたよね?」
「ぐぐぐ…………。しかし、しかしだな……」
「「?」」
わたしと王様の折衝に、戦士と僧侶ちゃんは不思議顔をしていた。そりゃ普通は出してくれると思うよね、魔王討伐の旅なんだから。でも残念なことにこの国は赤字国債発行寸前なの。
「これぐらいなら王様の召し物代を削ればいけそうですけどね。あと大臣の接待費とか」
「……お主、なかなか言うようになったな……」
前回は二人の勢いに流されるだけだったからね。そのリベンジだ! 母の強引な値引き交渉を傍らで見てきたわたしに、トンチンカンな王様では食物連鎖の関係が反転する。
玉のような汗を額に浮かべる王様に勝ちを確信した時、それは起こった。
「ぐあっ」「がはっ」「っげ」「んがっ」「なば」「ひょへ」
謁見の間の入り口付近で今日も元気に直立していたラッパ兵の人たちが突然奇声を上げながらバタバタとその場に倒れた。な、なに!?
『ふはははははははははっ! 金策の心配などする必要はないぞ、勇者よ!!』
おぞましい殺気を孕んだ声が謁見の間に轟いた。心臓を鷲掴みにされたような錯覚に咄嗟に身構える。見れば戦士は既に剣を抜いていた。
「だ、だれ!」
『はははっ、こっちだ』
「「「!!」」」
声がした方を見ると、漆黒の円状の穴が宙空に生まれていた。
そこから現れ出でたのは、濃緑のローブに紫黒のマントを羽織った人型の魔物。禿げた鳥のような頭に、長い爪を有した三本指の手。真紅に輝くペンダントを悪趣味なままにぶら下げていた。
人の三倍はある体躯の主がシンヨーク城の一室に無遠慮に踏み込んできた。この姿、この威圧感、そしてこの人を見下したような目付き、まさか……、
「もしかして……魔王とか?」
「はははっ、ご名答だ。どうやらオツムは悪くないようだな、新たなる我が宿敵よ」
まじですか! どうして魔王がここに!?
「どうしてここに? という顔だな。考えれば分かることだろう? お前を倒すためだ」
それ以外に魔王がわたしの前に姿を現す理由に検討はつかないけど、なぜいま?
「ふっ。先の戦いで反省したのだ。勇者が我が下に来るまで城で待っているなどアホすぎる。それに精霊共の力を集められると厄介だからな」
うん、わたしが魔王でもそう思うよ。
「そういう訳だ。ここで仲間諸共朽ち果てるがいい!」
!!
わたしがいた場所に黒い雷が落ちる。絨毯が焦げ、床が砕けた。おそらく兵隊さんたちはこれにやられたのだろう。
しかしやばい、こんなレベルで魔王との戦闘だなんて。しかもマホツカもいないし。
「やるしかないぞ、勇者」
微塵も恐れを抱いていないような戦士が右に立つ。
「そうです。むしろ返り討ちにしてしまいましょう」
左には僧侶ちゃん。二人ともわたしより勇敢ですね。魔王を倒すと旅が終わっちゃうよと僧侶ちゃんにツッコミを入れたかったけど、そんなことをしている空気ではないらしい。
精霊王から授かった銀の槍を手に、わたしは覚悟を決めて最後(?)の戦いに臨む。
そういえば王様は…………いつの間にやら柱の陰に逃げていた。