ⅩⅩⅥ.FIGHTING OF THE SPIRIT KING
「跪け! 《グラビティ・ロウ》!!」
不要な詠唱文言(マホツカ曰く、言わないと気合が出ないらしい)を省略して、戦闘開始早々にマホツカがプライドを少し削って補助魔法を唱えた。屋上周囲の空気が歪み、昨日の戦いで破損した床部分に散らばる小さな石屑が自重によって砕けた。
「む……?」
精霊王の膝が少し曲がる。無理もない、数トンの負荷がいきなり加重されたのだから。
マホツカが唱えた魔法は、一定空間内の重力を操作する魔法だという。午前中に効果を体験したわたしと戦士は地面に半分ほど埋まる目に遭った。それ以上に肺が圧迫されて呼吸困難になったのが辛かったんだけど、精霊王って肺呼吸してないよね?
ちなみに今はわたしたち以外の物質に魔法の効果が及んでいる。対象を精霊王だけに絞ることも可能らしいのだが、発動までの微妙な魔力の制御に時間をかけたくないのでそうなっているらしい。
「なるほど、面白い魔法を使えるようだな」
「当ったり前でしょ。ワタシを誰だと思ってるのよ」
いつもどおりのマホツカスマイル。この手のせこい魔法は使いたくないとブツブツ文句を口にしていたのが嘘のようだ。嗜虐混じりの視線で精霊王の反応に喜んでいる。
「だがこれならどうだ。纏え、《風の飛翔魔法》!」
精霊王の全身に翠色の光の線が駆け上がる。どうやら補助魔法を使用して効果を相殺しようと試みたのであろう。しかし、それはこちらも計算済みである。
「……? 発動しないだと?」
「ふっふふーん。そんなのムダムダ! この魔法の空間内ではその類の強化魔法は無効化されるんだから」
素直に諦めた精霊王は槍を両手持ちに構える。
ここまではシナリオどおりの展開だ。
そして作戦は第二段階へと移行する。
「あとはまかせたわよ! 勇者、戦士」
その言葉が言い終わらぬ内にわたしと戦士が精霊王の間合いに入る。
「はぁぁぁあっ!!」
裂帛の気合を込めた鋼鉄の斬撃が翠の騎士へと振り下ろされる。
「ハッ」
精霊王は戦士の攻撃を槍の一薙ぎで弾き返す。さすがは王と呼ばれることだけはある。本来ならあまりの重さに動くことさえままならないはずなのに。
しかし、昨日見たようの優美さはそこには欠片もない。重そうな槍を持ち上げてどうにか防いだといった感じだ。そのため大きな隙が生まれる。
「せいっ!」
戦士に続いて斬り込んだわたしのショーテルが精霊王の右腕を捉えた。二戦目にして初めての有効打である。
「――フンッ!」
弧を描くように長槍から繰り出される広範囲な横薙ぎをわたしと戦士は危なげなく回避する。大丈夫だ、相手の動きを目で追えている。
これで二つ目の心配事もなくなったわけだ。魔法の弱体化効果以上に精霊王の素早さが高すぎては意味がないからね。
残りの心配事はあと一つ……、いや二つだな。
間をおかずに今度はわたしから攻撃を仕掛ける。わたしの方が戦士よりレベルが低いと知っているのか、精霊王は戦士に注意を多く傾けた状態でわたしの横殴りの斬撃をいなす。無難な判断だ。けれどそんな中途半端なことで戦士の攻撃を防げるものか。
「らっ!!」
吼えるような掛け声からも分かるように戦士の気迫には凄まじいものがある。精霊王の長槍をすり抜けて鋼の刃がその胴へと完璧にヒットした。昨日戦士がやられた箇所と寸分違わない位置である。戦士ってけっこう根に持つタイプなのね。
これで二人が一回ずつ攻撃を与えた。だがやはりと言うか、精霊王はダメージなどないかのようにまだまだ涼しい構えでいる。
「フッ。私が不利な状況になろうが、お前達が強くならなければどのみち勝機はないぞ。魔法の効果とお前達の体力、どちらが長く持続するかな」
悔しいけれどそのとおりだった。このまま戦いが長引けばわたしたちが先に消耗するのは明白だ。魔法の持続時間がおよそ十分なので、それまでには片膝つかせるぐらいに精霊王を追い込んでおかないと作戦が失敗に終わる。
「少しは策を練ったみたいだが、せめてがっかりしない結末を演じてくれよ!」
重力の負荷など気にせず、猛然と精霊王が突っ込んでくる。
一抹の不安を振り払い、わたしは目の前の戦いに集中した。
戦闘開始からもうすぐ十分が経つ頃だろうか。
「癒せ、《光の治癒術》!」
柔らかくほんのりと暖かい光に包まれると、ついさっき負わされた左腕の裂傷が塞がっていく。それと気持ち体力も回復したようだ。
「ありがと、僧侶ちゃん」
「いえ、これが私の仕事ですから。でも……」
不安げな僧侶ちゃんの双眸は、未だ消耗を知らない精霊王へ向けられている。
これが精霊王の実力か。足枷のある状態でもわたしと戦士二人を同時に相手し続けるなんて。しかも時間が経つにつれて動きに無駄がなくなってきている。重さに慣れたのと、わたしたちの攻撃を見切り始めたからに違いない。特にわたしの場合フェイントといった器用な真似ができないため、縦か横に斬るぐらいしかパターンがない。そのせいか僧侶ちゃんの回復術のお世話に何度もなっていた。
「く、そっ!」
「ハハッ。どうした、動きが鈍くなってきているぞ」
激しくぶつかり合う剣の戦士と槍の騎士。悔しいけれどわたしの実力は戦士に遠く及ばない。武器の扱いについては同等だけど、やはり経験の差だろうか、紙二重反応の遅れがある。それが結果としてダメージへと繋がってしまう。
「何やってんのよ! このままじゃ時間が来ちゃうじゃない! 早くあのすまし顔ヤローを何とかしなさい!」
しびれを切らしたのか、マホツカががなり立てる。しかしこればっかりはどうしようもない。せめてわたしが戦士と同じレベルであれば…………、いや、それでも大差ないだろう。
とその時、歪んでいた空気が正常な状態へと戻った。これは……!
「フッ、どうやら時間切れのようだな。ハアッ!」
両手持ちが繰り出す神速の一撃。昨日の敗北の光景が脳裏にフラッシュバックする。
「ぐっ――!」
攻撃の手を止めて強烈な振り下ろしをガードする戦士。急な速度変化に反応できたことを賞賛したい気分だけど、それどころではない。このままでは戦士がやられる。
「戦士!」
「言ったはずだ、仲間を構う余裕があるのかとな。射れ、《風の衝破魔法》!」
精霊王の左手がわたしに向けられる。指先の周りの空気が圧縮されると、何かが撃ち出された――!
突然腹部に強烈な衝撃。精霊王の魔法攻撃か。一点集中した空気の矢がわたしの体を後方に吹き飛ばす。ま、まずい――、
「無力な自分を嘆くのだな」
予備動作なしの瞬連撃。わたしの目が捉えられたのは三発までだったが、砕ける戦士の鎧を見る限りではその倍以上はありそうだった。
「戦士さんっ!」
呻き声一つ漏らさずに戦士がその場に力なく崩れる。手から離れた愛剣が床に落ちて無機質な音が鳴った。
「これで身に染みただろう。今のお前達では絶対に私には勝てん」
――!!
残像を残して精霊王の実体が目の前に現れた。速さを取り戻した精霊王に、もはや抵抗できる術はない。
「これで終わりだ――」
わたしの肩口に長槍が容赦なく襲い掛かる。
このまま何もしなければ負けは必然だ。マホツカの魔法は? 駄目だ、昨日同様回避されて終わりだ。そうならないよう作戦を立てたわけだけど、現状では何一つうまくいかない。せめて一瞬でも相手の動きを膠着させることができるのなら…………、
――そんなに頑張ってどうする? どうせ次があるじゃないか――
敗北の運命にどうにか抗おうとするわたしの心に弱さが押し寄せた。
そうだ、負けたっていい。この一撃は死ぬほど痛いけれど、精霊の王が勇者を殺したりはしないはずだ。だからまた再戦すればいいだけのことではないか。今度はレベルを上げて、装備を整え、万全の体制で挑めばいいだけ…………、
「――二度もやらせるかっ!!」
岩をも砕かんとする峻烈な一撃が、寸でのところで阻まれた。
「戦……士?」
身を守る鎧を失った戦士が、真鍮のナイフ一振りで精霊王の攻撃からわたしを庇おうとしたのだ。しかしナイフは折れ、戦士の右肩に銀の槍が食い込んだ。
骨が砕ける音と共に、戦士の顔が苦悶で歪む。
「まだ動けるのか、しぶといっ!」
最後の力の一片まで全て使い果たしてしまったのだろう。防御も回避もできずに、無防備な戦士は簡単に弾き飛ばされた。
――次があるだなんて弱気になってごめん、みんな。絶対に勝つと誓ったんだよね――
そうだ、誓ったんだ。たとえ相手に届かなくても、どんなに実力に差があろうとも、ここは絶対に勝たなければならない。相手が精霊王だろうが魔王だろうが、敗北の後に次はない。そう覚悟してわたしたちはここに立っているんだ!
動け! 動け動け! どんなに格好悪くてもいい、どんなに泥臭くたっていい、動け!!
その時わたしの中で何かが閃いた。この力は――、
「――《雷の狂化魔法》」
「!?」
再び止めを刺そうとした精霊王の槍が空を切る。わたしの姿がはっきりとそこにあるのにだ。
「残念だけど、それは残像だよ」
「なっ!? グオアッ!」
わたしの攻撃で精霊王が苦悶の叫びを発しながら吹き飛ぶ。
「な、何だと……?」
「ゆ、勇者さん……?」
「ど、どうなってんの?」
わたしの全身から雷のごとき青い光が放たれていた。迸る魔力の律動に力が漲ってくる。わたしはこれを……この力を知っている。
「なるほど。この土壇場でその力に目覚めるとは。さすがは勇者!?」
一瞬にして精霊王に肉薄したわたし。悪いけど、のん気に世間話をしている暇はない。隙だらけの胴へと渾身の一撃を叩き込む。
これが勇者の力の一つ、《雷の狂化魔法》。暗雲を従え天空を支配する雷のごとく、猛り、狂い、暴れ、そして全てを貫くための力を与える魔法だ。
「は、速い――」
圧倒的な速度を活かした目にも留まらぬ連続攻撃を繰り出す。あの精霊王がわたしの速さに手も足も出すことができないでいる。
右腕、胴、左足、再び胴、そして右足。体勢を整える暇さえ与えぬ連撃に、とうとう精霊王の姿勢が低くなる。牙城と思えた美しい鎧がもはやヒビだらけとなった。
「これで終わりだ――!!」
文字どおり光となった光速の一撃。腕力不足は否めないが、余りある素早さがそれを補う。いくら精霊王とはいえこの攻撃をくらっては――、
「遮ろ、《風の円盾魔法》!」
「――!?」
物理と魔法の力が干渉して光のつぶてが飛び散る。わたしと精霊王の間に翠色の薄い円形の盾が生成され、攻撃を防いだのだ。
「さすがは勇者の力だ。だがそろそろ限界ではないか?」
……お見通しというわけ、か。確かに徐々に力が失われていくのが分かる。それに慣れない強化魔法と肉体の酷使に身体が悲鳴を上げていた。
「その力を使いこなせれば私にもう少しで届くだろう。しかし今回は残念だったな」
……ふふっ。甘いよ、精霊王。
「何故笑う。何が可笑しい」
「確かにわたしはまだまだ未熟だ。この力もあなたの言うとおり使いこなせていない。でも……でも、わたしたちの勝ちだ!」
「この後に及んで何を――」
「止めよ、《光の封縛術》!」
八本の煌く光の短剣が精霊王に突き刺さる。ダメージはない。その代わりとして僧侶ちゃんが使用したこの法術は、対象の動きを一定時間封じることができる。
「クッ。こんな時間稼ぎが今更何となる……」
精霊王ほどの相手にどれほど効果を保てるか分からないと僧侶ちゃんは説明した。もしかしたら力任せに一瞬で破られたかもしれない。けれどわたしと戦士が与えたダメージのせいか、すぐには拘束を解くことはできないようだ。
それに端から動き止める時間はそれほど必要ではない。なぜならば、
「この瞬間をどれほど待ちわびたことかしらねぇ……」
不敵な笑みを浮かべながらマホツカが詠唱を開始する。
「なっ、魔法だと?」
最初にマホツカが唱えた魔法は、効果はそこそこ高いが、今までみたいに全ての魔力を消費することはない。おおよそ三分の一。そして効果は約十分。つまりは効果が切れると同時にマホツカの魔力が全回復することになる。そしてそれまでに精霊王の動きを封じることができればマホツカの特大な魔法が必中となる。それが、わたしたちが描いたシナリオだ。
少し予定は狂ったけれど、終わりよければ全て良しだ。
「暴君の操る大槌よ、スカしたトリ公をペシャンコにしなさい!」
意味不明な文言も、今は頼り強く聞こえる。
いけ、マホツカ!
「叩き潰せ! 《タイラント・ハンマー》!!」
発動と共に光の筋が天へと向かう。空中に黒い魔方陣が描かれると、荒削りの巨岩でできた黒く耀く大槌が姿を現した。そして初速をつけると精霊王目掛けて一直線に落下する。何とも単純な暴力。しかし、破壊力は間違いない。
「ウ、ウオオオアアアァァァァァーーーーーーー!」
世界が割れる音が鼓膜を叩く。精霊王を潰しただけでは勢い留まり切らず、屋上の床をぶち抜いて尖塔を下へ下へと落下していった。
精霊王の悲鳴が徐々に遠ざかる。
ほんの刹那のあと、何かが地獄の底を叩くような音が聞こえた。
きっとわたしたちの勝利の鐘の音に違いない。