ⅩⅩⅡ.Storm Tower Knight
「来る――ぞ!?」
「遅い!」
瞬く間とはまさにこのこと。泰然と槍を構えていたはずの精霊王が次の瞬間には戦士の目の前まで肉薄していた。は、速い!
「なっ!!」
槍の優位性を考慮しない超近距離からの振り下ろし。長躯から片手で繰り出された槍が弓なりにしなる。
全てにおいて出遅れた戦士だったが、咄嗟に鞘に納まったまま剣を腰から抜くと、腹の部分を盾にして防いだ。
「ぐうぉぉぉあ」
耳をつんざく高い衝突音が突風に乗って吹き響く。長槍をどうにか受け止めたようだが、余りある余波が戦士の両足を通じて床を陥没させた。
「ぐぐぐぐ……」
「少しはやるようだが、まだまだだな」
精霊王の連続攻撃。槍を両手持ちにすると、目にも留まらぬ速さで横薙ぎを放つ。
「っがは」
強烈な一閃が鋼の鎧越しに無防備な胴を叩く。その俊敏な動作にあの戦士が目も体もまったく追いつけていない。
「戦士さん!」
鋼鉄の重装備で固めているはずの戦士がいとも容易く吹き飛ばされる。
長い滞空時間を宙に舞った体は数メートル先で落下すると、まるでゴムボールのように何度も跳ね上がる。そして屋上を転がり続け、へりぎりぎりでようやく止まった。
危なかった、ここから落ちたら一溜まりもない。
暫し倒れたままの戦士だったが、剣を杖代わりにしてよろよろと立ち上がった。たった一撃でこの威力とは、精霊王の実力が圧倒的であることを思い知らされる。
「フム、想像以上の弱さだな。その程度の実力で魔王討伐など片腹痛い。ゴブリンも呆れるぞ。まったく、何処の世間知らずが同行を認めたのか」
「な、何を!!」
安い挑発。しかし自分はともかく仲間を貶されて冷静でいられるほどわたしも人ができていない。わたしたちに退屈をアピールするかのように槍で肩叩きをしている精霊王に正面から突撃した。
「ハハハ、そう怒るな。本当の事を言ったまでだ」
「うるさいっ!」
相手は騎士の格好をしているが人間ではない。ここで要らぬ躊躇はしない。それに本気で挑まなければやられるのは明白だ。ショーテルを握る手にいつも以上に力がこもる。
「だああぁぁあっ!」
わたしの攻撃に対して防御の体勢を取らない精霊王。その余裕面に全力の一撃を叩き込んだ。
が、
「?」
わたしの渾身の剣撃が精霊王の体をすり抜ける。確か風の精霊の時も戦士の攻撃がこうなったはずだが、手応えもなければ反作用もない。まるで煙か蒸気を斬ったかのようだ。これで本当にダメージが……?
「残念だが、それは残像だ」
!!
戸惑うわたしの背後から精霊王の嘲笑したような低い声。いつの間に――、
「っふぐ!?」
後ろを振り向いた直後、腹に重い衝撃。硬質で冷たい物体が胴を裂くように食い込んでくる。胃が強引に圧迫される感じ、中に物があったら確実に嘔吐していただろう。
(っ――――――!)
だがそれ以上に痛覚が凄まじかった。物心付く前も後も経験のない激しい痛みに思考の全てが苦痛を耐えるために働く。
そう言えば旅が始まって以来まともに敵の攻撃をくらったのはこれが初めてのことだ。戦士はこんな痛みに耐えながら立ち上がったのだろうか。今のわたしには耐え難い辛さだ。こんなことならもう少し打たれ強くなっておけばよかったと、今更ながら後悔する。
しかし精霊王の攻撃はそれで終わらなかった。空高く舞い上げられたわたしに跳躍して追いつくと、丁度上昇と下降の力が釣り合うタイミングで背中に止めの一撃。背骨が折れるのではないかと思える強打に意識が飛びそうになる――が、直後激しく床に叩きつけられたおかげで気絶するには至らなかった。
けれどダメージ量は相当だ。全身に駆け巡る激痛に神経が苛まれる。手も足も動かせず、目を開けているのがやっと状態だ。
これが本当の『闘い』か。改めて実感させられたよ、旅の使命の過酷さに。
「貴っ様ああぁぁぁぁぁぁ!」
獣のように猛り狂った戦士の怒号が屋上に轟いた。
「まだ吠えるか。口だけは無駄に動くようだな」
頭に血が上っているのか、戦士らしくない愚直なまでの直線攻撃に出る。そんな単純な動きでは簡単に回避されるかと思いきや、精霊王は真正面から迎え撃つ。
「!!」
なりふり構わない突進まがいの全体重を乗せた打ち込みだったが、精霊王はその場を微動だにせず槍の先端を使って恐ろしくも滑らかに受け流した。なんて技量の高さだ。
「仲間がやられたぐらいで激昂するとは、まだまだ青いな」
「黙れ! 貴様が何と言おうとこれが私の信念だ!」
嬉しい言葉であったが、この場は抑えてほしい感情でもある。激情に駆られて戦っているようでは勝てる相手ではない。
「あら、珍しく意見が合ったじゃない」
痛覚だけが意識を保つ状態の中、どうにか視線だけを動かすと、マホツカが怒りに満ちた両眼を精霊王に向けていた。
その全身からは青白いオーラが迸り、周囲の空気に反発するように火花を散らせている。
「王だが玉だが知らないけど、ワタシたちを雑魚扱いするのはこれを耐え切ってからほざきなさい!」
「ほう、面白い」
戦士の攻撃を軽くいなした精霊王がマホツカと対峙する。
対するマホツカは火山のごとく一気に魔力を噴出させた。雷の竜が巻きつくように青の光がマホツカの体を包みこむ。
「英雄の魂よ、我が身に転生し、力を放て!」
未だかつて触れたことのない魔力の波動がピリピリと頬を刺す。マホツカの全身を駆け回っていた雷流が左右の手に収縮すると、臨界寸前のところで留まる。
その尋常ならざる状況に危険を感じたのか、戦士が精霊王から距離を取った。
「ワタシを怒らせたことを後悔しなさい! アンタにはもったいないぐらいとっておきの魔法よ!」
そう宣告すると右手を前へと突き出した。
「必殺! 《サンダーソード・アポカリプス》!!」
一筋の光の線。天を二分するのではと思える雷の剣閃が精霊王に襲い掛かる。
「!!」
来るなら来いと悠然と構えていた精霊王だったが、マホツカの魔法の威力を想定以上と判断してか、寸でのところで回避する。
「甘い! 二発目、いくわよ!」
解放した光の塊は一つ。さらに間髪入れず左手を精霊王に向けて狙い定める。
思わぬ攻撃に虚を突かれた王だったが、恐れ慄くことなく機敏な所作で何かの魔法を詠唱し始めた。
「閉ざせ、《風の封陣魔法》!」
「サンダーソード・アポカ――!?」
突如マホツカが翠色の直立した棺桶に閉じ込められた。
『な、何よこれ!? 出せコラ!』
「魔封じの檻だ。戦いが終わったら解放してやる」
ドンドンと内側から蓋を叩く音が聞こえるが檻はビクともしない。仮に出られたとしても、おそらくさっきの魔法で魔力を使い果たしているだろう。
「勇者さん、今回復します」
隙を窺って僧侶ちゃんがわたしに駆け寄ってくる。今更わたしが復帰したところでどうにかなるものとは思えない。
だがそれ以前に、相手は回復の時間すら与えてくれなかった。
「暴風れろ、《嵐の天乱魔法》!」
翠色の風が僧侶ちゃんの足元に発生すると、竜巻となって小さな体を呑み込んだ。
「きゃ、きゃあぁぁぁ」
「そ、僧侶ちゃん――」
風の渦巻きが何もできないわたしの眼前で暴れ狂う。く、そ――。
「目、目が回ります~」
竜巻が収まると、ぐるぐると目を回した僧侶ちゃんがその場にふらふらと倒れた。魔法の迫力に対してダメージをほとんど受けていなかったのは、せめてもの慈悲なのだろうか。
「これで終わりか。まだ三分も経っていないぞ」
「まだ……まだ終わっていない!」
最後まで抗おうとする戦士。しかし――、
「温い」
斬り込んだところをカウンターの一突き。容赦のない攻撃が鎧の一部を砕いた。
そこで遂に戦士も崩れ落ちる。
「フンッ、無駄な時間を過ごしたようだな」
かすり傷一つ負わせられぬまま、わたしたちは精霊王に敗北した。