Ⅱ.アリエヘン! わたしが勇者?
不思議な夢を見た。
男の人が火口に飛び込む夢。
その人はわたしの父親だった。
どうして分かったのか。
顔も声も、そして温もりさえも覚えていないはずなのに。
何かの暗示だろうか?
わたしの未来?
それとも父が世界の果てで生きているとでも言いたいのだろうか。
微動だにできないまま、闇の底へと落ちていく父親の姿を眺めていた。
(似てる……かな?)
その姿はどこか不明瞭で、見えなくなったと同時に忘れてしまいそうだった。
はっきりと確認できたのは髪の色だけ。
突然、熱を孕んだ風が頬を叩いた。
熱くはない――痛い。
さらに、棒立ちしたままのわたしに天から声が投げ掛けられた。
……なさい……、おきなさい……。
父の姿は既に視界から消えていた。
底が視認できないほどの深い穴。
……おきなさい……起きなさい……。
声は徐々に大きく、そしてはっきりと聞こえるようになった。
だがわたしは眠りから覚めない。
なぜだろう……なぜ?
……起きなさい……いとしのソ――。
その時、大地が揺れた。
かなり大きな地震、山が噴火したのだ。
しかし、それでもわたしは起きることができない。
そうだ、思い出した! 昨日は徹夜で内職の手伝いをしていたんだっけ。
それに今日は休日だ、徹夜の甲斐あって今日のノルマはほとんどない――なら昼まで寝ていたっていいじゃない……zzz。
起きなさいって言ってるでしょ!
!?
揺れる大地を這いつくばるわたしに火山弾が襲い掛かる――駄目だ、避けられない!
ごふっ!?
「早く起きなさい! もうお昼よ」
重……い? 目を覚ますと母の全体重がお腹に乗っていた。おかげで瞼は軽くなったけど。
大きな欠伸、大きく伸びをして、わたしは名残惜しいベッドから這い出る。
母のおかげ(?)で悪夢は去ったけど、その母から悪魔な現実が待ち構えていることを、この後すぐに聞かされた。
町人から勇者……ねぇ?
曽祖父が勇者として大魔王を倒した。父親は勇者として魔王を倒した。その順序でいくのならわたしの子供が勇者になるのでは? と思いたいところである。
勇者になるよう頑なな態度を取る母に根負けし、とりあえずお城に行くことを了承した。でないといつまで経っても朝食という名の昼食をありつけそうになかったからである。
「それじゃあ、さっそく着替えましょう」
殴った右手が疼く中、母は見慣れぬ服を渡してきた。
《旅立つ人の服》を 手に入れた!
…………。
何だろう、この微妙な名称は。歯痒いというか、消化不良というか、喉が詰まる感じは。
青の単色で布の服より布っぽくない程度のそれを着ると、違和感に気が付く。
「これって男性用じゃあ……」
サイズは合っていたけれど、肩幅が少し広い。慣れれば気にならなくはなりそうだが――胸元が苦しくないのがちょい癪――女性用はないの?
「それだと女の子ってバレちゃうじゃない」
女性用を所望するわたしに、母は何やら不穏なことを告げる。どうやらまだ変な隠し事をしているようだった。
「勇者は『おとこ』って設定になっているから、あなたはあくまでも男性として旅立つのよ」
……何で?
「別に『おんな』だって問題ないじゃん。男女差別じゃないの、それ」
「いい、よく聞きなさい」
わたしの両肩をむんずと掴み、いつになく真剣な眼差しを向けてくる母。思わず固唾を飲み込んだ。
もしかして、女性では強姦に襲われる危険があったり、通れない関所や乗れない船があったりするからだろうか? シンヨークにはそういった風習や決まり事はないけど、世界は広い。女性だと不都合なことがきっとたくさんあるに違いない。
母はそこまで考えた末、男として旅立たせようとしているのだ。
感心しているわたしに、母は小難しそうな顔をしながらその理由を告げる。
「ロマンのためなのよ」
…………。
「は?」
おかしい。今日は耳が遠く感じる。
「だから、ロマンのためなの」
「ロマンって……浪漫?」
「そうよ、どこかの大陸に存在すると噂される最強の特大剣《竜殺鉄塊》。人の身の丈を遥かに超える刀身を持つその剣は、残念なことに『おとこ』にしか装備することができないのよ!」
できないのよ、と力説されましても。
「あまりの重量に戦闘では使い物にならないと語り継がれているらしいけど、一方でその手のマニアを唸らせる垂涎の武器なの! わたしは夢を叶えられないけど、せめてあなたにはその手に装備してへぶッ!」
神様お許しください。わたしは陽が昇ってから沈むまでの僅かな時間に二度も人を、しかも母親を殴ってしまいました。けれどそれには理由があるのです。くだらない幻想に囚われた母を魂の牢獄から救い出すためだったのです。アーメン(カンペ読み)。
わたしの言い分はきっと天に届いたに違いない。
しかし、それで事態が解決するわけではなかった。お城に行くのに普段着ではさすがに無礼であるのと、その……わたしも一応外見を気にするお年頃の女の子である。王様に謁見するのに貧乏臭さが出ている服装は遠慮したかった。
仕方がなく、《旅立つ人の服》を着たままお城に赴くことにした。
――と? 何かがぼんやりと頭の中に流れ込んでくる……これ、は?
職業 勇者
レベル 1
武器 なし
防具 旅立つ人の服(男性用)
装飾品 なし
…………う、う~ん。現実は厳しいな……。
何はともあれ、まずは腹ごしらえだ。
すぐ隣で母が勝者のポーズをしているのを目の端に捉えながら、朝食を取るために部屋を後にした。