ⅩⅧ.メリガンシティにようこそ!
「これは、思っていたより体力が必要だな」
「……そうだね、腕が筋肉痛になりそうだよ」
昨日は雨が降っていたためか、水が濁っているせいで湖中の様子はほとんど覗き見ることができなかった。
「僧侶ちゃん『羽』はどう?」
前方を眺めながら船首に腰を下ろす僧侶ちゃんの可憐な姿は、さながら生きた船首像のようだった。うーん、今日もキュート。
「進路はこのまま北みたいですね」
僧侶ちゃんの手にしている薄緑色の羽がまっすぐと北を向き、進むにつれてその輝きを増していく。
「………………」
「気のせいか、霧が段々と濃くなってきてないか?」
「そう……みたいですね。どうしましょうか、一度街に戻りますか?」
後ろを振り返ると太陽がはっきりと目で捉えられる。今日のメリガンシティの天候は一日中快晴のはずなので、霧といっても一時的なものであろう。
「いや、ここまで来たら一気に行こう。戻るのも正直しんどいし」
「………………」
「かれこれ一時間ほどか。ある意味いい鍛錬になっているな」
わたしの隣でオールを漕ぐ戦士はまだまだ涼しい顔をしている。左右同じ力で漕がないと直進しないのでわたしも同じ分だけ力を消費したことになるんだけど、わたしの方はそろそろ腕が重くなってきた。
「わたしはもう勘弁。たぶん一生分の漕ぎ力を使ったよ」
「お二人とも、きっと目的地まではもう少しです。がんばってください!」
ああ、僧侶ちゃんの鈴を鳴らしたような愛らしい声を聞くだけで体力が回復していくような気がする。がんばれわたし!
「………………」
わたしたちは見たとおり湖の上でボートを必死に漕いでいる。辺りはいつの間にか霧が覆い、戻れるかどうか不安になってきた。判断誤ったかな?
《メリガンシティ》――シンヨークから西西北西へ列車で半日の行程。シンヨークみたいに高層な建物が多数屹立する近代都市とは打って変わり、豊かな自然に囲まれた、保養地として有名な街だ。
街の北には希少な生き物が数多く棲息する国立の森林公園があり、西には街の面積よりも広い湖――カリメア大陸五大湖の一つ《メリガン湖》――が一際存在感をあらわにしている。
「しかし、この湖でメリガン鋼が採掘されるとは、自然の神秘とは想像がつかないものだな」
《メリガン鋼》とは、メリガン湖の湖底から採掘される特殊な鉱石のことだ。展性に富んでいることに加えて魔法耐性に優れているとの戦士のウンチク。その特異性からか年間の採掘量をかなり制限されているらしく、それを教会が管理しているとの僧侶ちゃんのマメ知識。湖に向かう前に立ち寄った防具屋でメリガン鋼製の防具を見てみようと思ったんだけど、店頭には一つも置いておらず、注文も完全受注生産限定であり、予約は三年先まで埋まっているとのお店の人の自慢話。どうやらわたしたちには縁のない物だった。
「霧が濃くなってしまいましたね……」
濃いなんてレベルじゃない、もはや視界は真っ白だ。湖面の上ゆえ周囲には目印になる物は何もなく、どこに向かって進んでいるかも分からなくなってきた。
「し、心配しないで僧侶ちゃん。いざとなったら対岸まで漕ぎ続けるから!」
「そうだな。それにもしかすると、この霧は精霊の力によるものかもしれん。私たちの気概を試すためのな」
「………………」
そもそもなぜわたしたちがこの街へ訪れたかというと、風の精霊から授かった羽がメリガンシティの方向に磁石のように傾き、近づくにつれて薄っすらと光を放ち始めからだ。
どう考えても羽が指す方角に嵐の精霊王がいるはずであると判断を下し、さっそくシンアーク→シンヨーク→メリガンシティへと鉄道を経由する。
列車での移動中も目を離さず羽の向く方位に注意を払っていたので、おおよそメリガン湖の中心が怪しいと踏んだわたしたちは、こうしてボートを借りて湖へと繰り出したわけなんだけど、漕げども漕げども小島の一つも見当たらない。
「………………」
それにさっきから気になるのが、あのマホツカが一言も喋らないのだ。何か事あるごとにギャーギャー口を挟んでいたマホツカが、だ! ムードメーカー的な存在の人が無口になると違和感があってなんか気まずくなる。
「マホツカさんはどうしたんでしょうか? お昼までは元気だったのに」
正確にはボートに乗るぐらいまでは、だね。街に到着した時は夜中にも関わらず「森ボーイをナンパしにいくわよ!」と意気込み、今日のお昼もメリガンシティ名物の《メリカバブ》という串焼きのお肉をバクバク食べていた。
「大方腹でも壊したんじゃないのか。店員にストップをかけられるほどだったからな」
「あれは美味しかったですね。また食べたいです」
「わたしはちょっと駄目かな。たくさんの肉類を見るとどうも……(不覚)」
「………………」
ボートの船尾で一人うずくまっているマホツカ。う~ん、これから戦闘があるかもしれないから気がかりだ。
まあとりあえず、まずは陸地に着くことが肝心である。
「ん? あれは……」
戦士の視線の先、霧の隙間から薄っすらと何かが現れた。
「あ、霧が……?」
急に白い世界が溶けていく。そしてわたしたちの進む先に湖上に浮かぶ島と、そこにそびえ立つ尖塔が姿を見せた。
「これは……」
「何といいますか……」
「規格外だね……」
「………………」
蜃気楼のように霞がかった灰色の塔は、鈍角な石柱そのままの無骨な形だった。まるで巨人が岩を切り出して大地に突き刺した感じである。太さを変えずに伸びる塔の先は雲を貫き、その頂を視界に入れさせてくれない。
「街からはこんな塔見えなかったよ、ね?」
「それも精霊王さんの力なのでしょう。人間から存在を隠すための」
うむむ、わざわざそこまでする必要はあるのだろうか。そんなに人間に姿を秘匿させたいのならひっそりとした場所に住めばいいのに。まあ、精霊には精霊の事情があるのだろう。生まれ育った土地が一番居心地いいもんね。
「この塔に精霊王がいるのか」
《風の精霊の羽》も迷わず尖塔を指している。
塔の東側には長針と短針だけの大きな時計が取り付けられていたが、今は時を刻んではいなかった。何だかタイムスリップして荒廃した未来の世界に来た雰囲気である。
ボートを着岸できる岩場に寄せてロープで陸地に固定する。わたしたちは半刻ぶりに大地に足をつけた。
マホツカはと言うと、サササとボートから逃げるように降りていた。相変わらず無言だったけど、足取りを見る限りは心配なさそうだ。
「よし、それじゃ行こう!」
「気を引き締めろよ。モンスターが出現するのは間違いないはずだ」
「そうですね、何かいろいろと出てきそうな空気ですね……」
僧侶ちゃんの予想が見事に的中することを、わたしたちはすぐに思い知ることになる。
「………………」