Ⅰ.冒険の書の書き出し
わたしは勇者である。自覚はまだ無い。
生まれは《カリメア大陸》東海岸部の都市《シンヨーク》。
父親はいない。わたしが生まれてすぐに事故で死んでしまったらしく、母親と二人でこの街で暮らしてきた。
とにかく貧しかった。一にも二にも貧しかった。幼い頃から家事は当たり前、暇があれば母の内職の手伝いもやらされてきた。
そんな窮乏な生活で唯一楽しかったことと言えば学校である。勉強は嫌いだったけど、友達と趣味の話をしたり、遅くまで遊んだりしたことは掛け替えのない思い出だ。
そんなわたしも今年の春から晴れてハイスクールへと進学した。かわいい制服に憧れていたけど、生憎の私服学校。制服を購入するお金もなかったし、家から近いので贅沢は言えない。
貧乏を除けば普通の人生を歩んできたわたしに、転機が訪れたのはつい先日の朝のことだった。何の前振りもなく、母に「あなたは勇者なのよ」と真顔で言われた。誕生日でもなければ、シンヨークの千年祭の日でもないのに、だ。
唐突過ぎる発言に、母の頭を疑った。あまりの貧しさに発狂でもしたのか、はたまた怪しい宗教にでも手を出したのか。
詳しい説明を求めても、母は「早くお城に行って王様に会ってくるのよ」の一点張り。生まれてこのかたシンヨークのお城など行ったことがないし、王様には謁見はおろかナマの姿を拝見したことすらないのだ。初めてのお遣いにしては些か難易度が高すぎない?
それに、一般庶民のわたしがお城を訪ねたところで門前払いが関の山だ。事によっては牢獄に放り込まれる恐れもある。ガラスの靴でも履いて行けとでもいうのだろうか。
拒絶するわたしに業を煮やした母は(理不尽!)簡潔に事情を説明してくれた。
母曰く、なんと我が家は代々勇者の家系らしいのだ。そして死んだと聞かされていた父親は、十四年前に魔王と戦って亡き人となったとの新事実!
さらに遡ること七十五年前――時は真暦二〇五年、竜の月――わたしの曽祖父にあたる人物が、大魔王なる人類の敵を、七日間に及ぶ壮絶な戦いの末、見事打ち破ったそうなのだ。
七十五年前の大魔王、十四年前の魔王、その史実は歴史の授業で教わったのでもちろん知っている。とはいえ、その当事者がまさか自分の血縁者だったとは、世の中意外と狭いものだ。
古典の先生が言っていた。勇者とは『精霊の力を操る者』だと。
わたしにはそんな力を操ることなどできるわけがない。それに学校の成績は中の中、運動能力も中の中。額や手の甲に変な紋章は現れないし、瞳に五芒星も浮かび上がらない。そんなノーマルなわたしでは勇者以前に盗賊にすら転職できないだろう。
――あ、そう言えば昔、雷に打たれても怪我一つなかったことが二、三回あったけど、それは勇者の血と何か関係があるのだろうか?
コホンっ、
とまあ、一通りの御託を並べてみたものの、本当は母の話を信じていた。
なぜなら女手ひとつでわたしをここまで育ててくれた人なのだ。わたしは母の話を疑ったりはしないし、母もわたしに対して不要な嘘をついたことは(たぶん)一度もないはずだ。
但し、これだけはどうしても言っておきたいことがある。
「どうして我が家は貧乏なの!?」
だって勇者の家系なんでしょ? 魔王を倒して世界を救ったんでしょ? それなのにどうして山へ食べられそうな草を採りに行ったり、(疑似餌はもちろんのこと)餌が付いていない釣竿で魚釣りをしたり、仕舞いにはダイエットと称して断食を一週間慣行しないといけないの?
友人で実家が大商人のアキちゃんが語るような酒池肉林で金塊珠礫な生活がしたいわけじゃない。ごくごく普通の、せめて衣食住には困らない生活を送りたかった。
命を賭して魔王を倒したのに、それで終わりだったの? 世の中ってそんなに理不尽なものなの?
涙を堪えながら訴えるわたしを母は抱きしめた。そして子守唄を歌うような優しさで胸裏を打ち明けてくれた。
「あなたの気持ちはすごく分かる。でも泣きたいのはお母さんも一緒。あなたを産んですぐにお父さんが旅に出ちゃって…………。一年後ぐらいだったかしら。一緒に旅をしていた人たちが家を訪ねて来て、そして……」
母の双眸から大粒の涙がこぼれた。
わたしは……わたしは何て我がままなことを口にしてしまったのだろうか。一番悲しい思いをしたのは母なのだ。それに比べれば少しぐらい貧しい生活などたいした問題ではなかった。
「ごめんなさい、わたし……」
「いいのよ。それに本当は、お金はたくさんあったらしいの。でも、でもね、お父さんがね」
もしかして魔王の被害に遭った村や町に寄付してしまったのだろうか? それならわたしは少しぐらい貧しくたって胸を張って生きていける――、
「カジノで全部スッちゃったんだって」
「…………」
「もうホント、あの人ったらそういうところが可愛いのよね」
…………、
………………しの……、
「わたしの涙を返せ!!」
神様御免なさい。わたしは人生で初めて、それも親を殴ってしまいました。お許しください、アーメン(棒読み)。
床に崩れる母。てっきり「酷い、そんな乱暴な子に育てた覚えはない」みたいな台詞が飛んでくるのかと思いきや、母は殴られた左頬を押さえながら、
「さすがはお父さんの子。それならモンスターも楽勝ね」
と空いている手で親指をグッと立てながら、その表情は未だかつて――商店街のくじ引きで三等賞のカニを当てた時以上の嬉し顔が張り付いていた。
これが先日我が家で起きた出来事の一幕である。
結論を述べると、わたしは勇者として復活した魔王討伐の旅に出た。
どうしてだろうか? 結局わたしの身体に流れる勇者の血がそう決意させたのか。はたまた来週から始まる中間考査から逃げ出したかっただけなのか。わたしにも答えは出せない。
ただ、ひとつだけ言える確かなことがある。
嘘かもしれないと思うけど、不安は――ない。
なぜなら、共に旅をする頼もしい仲間がいるからだ。
「次の街はどんな所なんでしょうか?」
「いい男がたくさんいるなら、ワタシはどこだっていいけどね」
「まったく、相変わらずの減らず口だな」
わたしの隣と、テーブルを挟んで腰を下ろしている二人の計三人。紆余曲折を経て、どうにか揃った旅の同行者。いつ命が尽きるか分からない危険な旅路、押しつぶされそうになる重圧を和らげてくれるのは彼女らの存在だ。
それに母は言っていた。
「あなたならできる。だってお父さんとわたしの子なんだから。それに分かるの、お父さんは世界のどこかで生きていて、あなたのことをきっと守ってくれているって」
まだ見ぬ父の存在。もし生きていて巡り合うことが叶ったのなら、訊かなければならないことがひとつある。
どうして調子に乗ってルーレットで全賭けしたのかを、だ。
そこまで書いて、わたしは日記帳を閉じた。そろそろ列車の時間である。
飲みかけのアップルティーをカラにして、わたしは立ち上がった。
「それじゃあ、行こっか」
おっと、わたしたちがどうやって出会ったのかを書かないと。長くはなるかもしれないけど、これは絶対に外せない項目だ。
発車時刻を告げるアナウンスが駅構内に流れる中、わたしは旅立つまでの出来事を思い出すことにした。