十.神饌
大国主命が来訪から、1週間ほど経った。
彼に襲われて、しばらく鬱屈とした様子が続いた珠梨だったが、少しずつ――無理やり元の調子を取り戻して行った。
「篁沙久、庭に植えた小松菜と人参、食べ頃だからそろそろ収穫していい?」
「そうだな。収穫するなら、ついでに新しい種も撒くか」
屋敷の裏の敷地には、畑がある。根菜や葉物、イモ類など、ひと通りの作物が育てられている。畑の隣には花壇も作られ、季節の花などを植え、地味な庭園の差し色となっている。
本来、玉城神社周辺は日の当たりが悪く、基本はシダ植物しか生えない山だが、定期的に篁沙久が天候や気温を調整しているお陰で、植物はすくすくと育っていった。逆を言えば、篁沙久がいなければ、この地で種子植物を育てることは難しい。
だが、この家庭菜園も、決して二人の趣味でやっているわけではない。
「採った野菜は、生饌で良いのよね?」
珠梨の手で生み出されたものは、須らく神々の嗜好品。家庭菜園で収穫した野菜や植物も例外なく、全て神々への奉納品となる。例え、形崩れの野菜であろうと、『彼女が作った』と言うだけで欲する神は数知れず。
珠梨にとっても自身への負担を軽減する一助となるため、面倒ながらも、毎日の庭の手入れは今や欠かせないものとなっている。
「いっそ、熟饌に挑戦してみようかな」
農作業に疲れた珠梨が、採れたての小松菜の土を落としながら、ついそんな心内を零した。
熟饌とは、調理された神饌のこと。対して生饌とは、未調理の食品を供えることを言う。
玉城神社では、生饌が主流なのだが、ごく偶に思いつきのように、珠梨が熟饌を作ろうとすることがあった。
本来なら喜ばしいことなのだが、篁沙久はそんな時、決まって決死の形相で止めにかかった。
「絶対にやめてくれ!!」
「なーんでよ、失礼ね。まるであたしが料理下手みたいに」
「料理の技量以前に、調味料じゃないもので味付けしよって! 苦情を受ける身にもなれ!!」
神々を喜ばせるために、手間暇掛けて、真心込めた熟饌を作る。神嫌いの珠梨に、そんな夢のような奇跡は起きないと、篁沙久が気付くには、ものすごく時間が掛かってしまった。
『ぶぅおへ!!!! ペッ! ぺっ! な、なんじゃこれは!!!!』
最初は、捌いた鮮魚の下処理に使う塩の代わりに、その辺で拾った砂利を擦り込ませて調理した。齢8歳だった珠梨が初めて作った熟饌を、とある神が一口頬張った瞬間、口から全部吐き出した。
この時は、「魚を落としたけど、洗わないまま調理した」と、後に本人から申告があった。初めて作った熟饌と言うこともあり、軽く注意だけで留めた。
その次は、洗剤で洗った米を、鹿の糞と一緒に炊いた炊き込みご飯を作った。珠梨が作る熟饌をたいそう楽しみにしていた女神は、疑うことなく嬉しそうにそれを頬張った。その結果、嗚咽を吐いて、泣きながら天界に帰って行った。
珠梨は、「木の実と勘違いして入れちゃった」と話した。
この時、ようやく篁沙久は「あ、こいつわざとやってるんだ……」と気づいた。
神々がこぞって口から物を吐き出す光景は、今でも目に焼き付いている。脳裏から離れず、時折夢にも出てくる程に、篁沙久のトラウマとなっていた。
厄介だったのは、味が分からない篁沙久に毒味をさせられないこと。珠梨が何かを細工したとて、未然に防ぎようがないために、篁沙久は珠梨の熟饌作りを固く禁じた。
「もうー。ちっちゃい時の悪戯を根に持っちゃって♡」
「いた……ずら?」
お茶目に話を流そうとする珠梨とは裏腹に、彼女の言葉に引っかかりを覚えた篁沙久が、不穏な空気を醸し出す。
恨めしそうにゆらりと珠梨の方を振り向いた瞬間、彼の目尻はキッと上にあがり、感情任せに思いの丈を珠梨にぶつけ始めた。
「あれのせいで俺がどれだけ神々から責められたと思っている! あれから暫く何も口にできなくなったと、方方からどれだけ俺に苦情が来たことか……! 噂を聞いた他の神からも責め立てられて本当に洒落にならなかったんだぞ!」
振り上げたい拳をわなわなと震わせながら、回顧する当時の辛い記憶に思いを馳せながら、憎しみ込めて力強く訴える篁沙久。
そんな彼の渾身の演説を、珠梨はと言えば、土と鼻くそをほじりながら呆けた顔で聞いていた。




