第6話『和食ってなに?おいしいの?』
迷宮第二層の空気は、胸の内側だけを重くする。
冷たく息が浅くなる。
いるだけで変な汗が出る。
――この層、ほんとに嫌いだ。
石畳は蒼黒く、壁は煤みたいな色で、ところどころが抉れている。焦げ跡もある。いつもなら「魔物が暴れた痕だな」で済むのに、今日は違う。
フロアブレイク。
迷宮の“階層の壁”が壊れて、本来ありえない強さの魔物が低層に漏れ出す現象。
ギルドはこれを嫌う。冒険者はもっと嫌う。俺は……嫌いとかの前に、胃が縮む。
「これって調査だけ、だよな?」
俺が前を歩く三人に声をかけると、フィリーネが軽く振り返って、笑いながら頷いた。
「そうよ。フロアブレイクの影響を見てきてって。危なかったら戻れってさ!」
......戻れ、って言葉、軽いなあ!
武蔵は相変わらず無言で、歩幅だけで“普段通り”を示してる。
にすけも無言。無表情。なのに、足取りが迷いゼロ。
そして――ケルちゃん。
三つ首の蒼炎ケルベロスが俺の横を、当たり前みたいに歩いてる。
(……何回見ても状況がおかしい。
俺の横、蒼い炎の番犬だぞ?)
ケルちゃんは三つの鼻をひくつかせて、時々「クゥ…」って低く鳴く。警戒してるのか、機嫌がいいのか、俺にはまだ判別できない。
第二層の通路を抜けて、少し広い場所に出る。
そこは、俺たちが“あの日”ケルちゃんと出会った場所――開けた空間だった。
壁は崩れ、瓦礫が散り、床はえぐれている。
焦げ跡が筋みたいに伸びていて、風が通るたびに焼けた石の匂いが鼻に刺さった。
フィリーネが周囲を見回して言う。
「……やっぱり、前より荒れてるわね」
「荒れてるどころじゃねぇよ。俺、ここで死ぬ思いしたんだぞ」
俺がぼやくと、武蔵が淡々と返す。
「死んではいない」
「結果的にはな!ほんと生きててよかったよ」
「コメントがほんと凡人ねアンタ」
「うぐっ...そうだよ、ほっといてくれ!」
「まあまあ、今は生きてここにいるんだからそれでいいじゃねぇか。そんなことより――」
にすけはしゃがみこんで、床のえぐれを指でなぞった。砂みたいな粉が指先に付く。
「……魔素の流れが乱れてるな。ここが“割れ目”の通り道になったかもだな」
「割れ目って、どんだけヤバいんだよ」
「まだ浅い。だが放置すると深くなる」
その言い方が一番怖い。
調査クエストの内容は単純だ。
第二層の被害状況、異常な魔素の濃さ、出現魔物の変化――とにかく“危険の兆候”を持ち帰ること。
普通なら、俺一人で来る場所じゃない。いや、俺は普通なら第二層自体が怖い。
でも今日は、背中が三枚も四枚も堅く頼もしい。
武蔵が「休むか」と言った。
その一言が合図みたいに、全員が動き出す。
フィリーネは小さな石を拾って円を作り、簡易の結界っぽい位置取りにする。
武蔵は入口方向が見える場所に座り、
にすけは火の準備を始める。慣れてる動きで、乾いた枝を組む。
俺はというと――
(俺は何をしたらいい?)
(ここで凡人ムーブかましたら終わる)
とりあえず荷物から水袋を出して置いた。
ケルちゃんは焚き火の近くに丸まり、三つ首がそれぞれ別方向を見張っている。番犬っていうか、監視塔が三つあるみたいだ。
焚き火が「ぱち」と鳴った。
蒼い炎じゃなくて普通の火。あったかい。
その熱が、さっきまで固まってた俺の内側を少しだけ溶かした。
……そこで、にすけがふっと息を吐いた。
「ここなら話せるな」
その声が静かすぎて、逆に全員の意識がそっちへ向く。
俺は警戒半分、好奇心半分で聞いた。
「話? クエストのことか?」
「違う」
にすけは焚き火を見つめたまま言う。
「俺の目的の話だ。おまえが気にしてたやつ」
俺は思わず背筋を伸ばす。
「……和食、ってやつ?」
「そうだ。この世界の食材で、和食を再現する」
フィリーネが嬉しそうに身を乗り出す。
「わしょく! にすけの得意なやつね!」
俺は両手を上げた。
「待て待て待て。まずその和食って何なんだよ。食いもんなのはわかるけど、“和”って何だ。属性か? 味付けか?」
武蔵の口元が、ほんの少しだけ動いた。笑ってる。絶対笑ってる。
にすけは淡々と返す。
「“和”は、俺のいた世界の呼び名だ。作法、味、段取り、全部がある」
「んん?……俺のいた世界、って...その言い方、変じゃね? まるで別の世界から来たみたいな言い方だな」
フィリーネが「おっ!?」って顔をする。
武蔵は目を細めた。
ケルちゃんは三つの顔で「ワフ?」みたいな顔。
にすけは少しだけ間を置いてから言った。
「……おまえになら、話してもいいかもな」
――ドクン――
その一言で、俺の心臓が一回だけ変な跳ね方をした。
よくわからんけど信頼された?
なんで?
にすけは続ける。
「武蔵も俺も、こことは別の世界――日本という国の生まれだ」
「……に、ほん?」
聞いたことがない言葉なのに、妙に地名として刺さる。
俺は笑って誤魔化そうとした。
「はははは。日本ってどこの王国だよ。隣国にそんな国あったか?」
「隣じゃない。世界が違う」
にすけが言い切る。
俺の喉が鳴った。
「……別の世界って、つまりホントにこことは別の世界ってことか……?」
「そういうことだ」
焚き火が「ぱち」と弾けた。
その音が、俺の頭の中の現実を一つずつ壊していく。
そこで武蔵が短く言った。
「言うのか」
「今さら隠す意味もないだろ」
武蔵が頷き、にすけは言葉を落とすみたいに続けた。
「武蔵はな。俺のいた時代から約四百年前にその名を轟かせた伝説の剣豪でな」
「……はい?」
俺は頭を抱えた。
(400年前? 伝説の剣豪?)
にすけが、焚き火の火を見つめたまま、少しだけ声のトーンを落とした。
「……武蔵のいた時代はな、“戦国時代”って言って――小さな国の中で戦争が絶えない時代だったんだ」
カ「せ、戦争が絶えない……?」
俺の中の“戦争”って言葉は、迷宮の魔物よりも遠い。
なのに、にすけの口から出たそれは、妙に生々しく聞こえた。
「誰かが得をするために、誰かが笑って、誰かが死ぬ。毎日がそんな空気だったらしい」
「……そんな世界、想像つかないわ」とフィリーネ。
にすけは焚き火に小枝をくべて、ぱち、と火が跳ねた瞬間に続けた。
「そんな中でこいつはただ一人、剣の腕をひたすら磨き、兵法を学び、実践して――」
にすけの言葉が、少しずつ“物語”じゃなく、“事実”に変わっていく感じがした。
俺は反射でツッコむはずなのに、喉が動かない。
「一対一の死闘に、数十人対武蔵一人の闘い――大小合わせて六十戦を無敗だ」
「……ろ、六十戦?」
「無敗……?」
俺は武蔵を見た。
焚き火の光が二本の漆黒木刀の黒い柄を赤く撫でている。
こいつが、その“六十戦無敗”を?
「いやいや、待て待て……“伝説”って言うか、それもう……」
言葉が出ない。
“化け物”って言ったら失礼だし、でもそれ以外の単語が見つからない。
にすけは淡々としていた。淡々としてるのに、少し誇らしそうだった。
「400年後の俺の時代でも武蔵の名や逸話は各地に残っててな。知らない奴はほぼいねえって程の有名人だ。だから――隣にいるのがいまだに変な感じはするがな」
「……にすけも、驚いてるんだ」
に「驚くさ。だが、こいつはこいつで……いつも通りだ」
その瞬間、武蔵が焚き火を見たまま、短く言った。
うむ、それは事実である」
「本人が認めたぁぁ!!」
俺のツッコミが遅れて出た。
でも遅れるくらいには、衝撃がでかかった。
「……なんでそんな大事なこと、こんな落ち着いた顔で言えるのよ」
「事実だからな」
「事実だからって“六十戦無敗”を平然と――いや、待て! この世界の俺の“事実”は今日も固いパンだけだぞ!!」
フィリーネが吹き出す。
にすけが小さく笑う。
武蔵は相変わらず無表情。
ケルちゃんは「ワフ」と三つ首で頷いた。なぜか納得してる。
俺は口を開けたまま固まって、次の瞬間、叫んだ。
「えーと......話がデカすぎる…なんで今までそのテンションで歩けてたんだよ!!」
「歩くのにテンションとやらは関係ない」と武蔵。
「関係あるわ!! 俺のメンタルに!!」
フィリーネが武蔵を見て目を輝かせる。
「じゃあ武蔵ってほんとにすごい人なんだ!?」
「今さらかよ!! 見ればわかるだろ!!」
ケルちゃんが三つ首で「ワン!」「ワン!」「ワン!」と吠えた。賛同っぽく聞こえてムカつく。
にすけが話を戻すみたいに静かに言う。
「俺はその日本で和食職人でな。うまい飯を作ることに人生捧げてた。とある事故がキッカケであっちの世界では死んじまったが、運良くこっちの世界に転生できた、ってわけさ」
……。
俺は、数秒、まばたきができなかった。
(え、今なんて言った?)
(事故? 死んだ? 転生? ……運良く?)
頭の中で言葉が渋滞して、順番待ちしてる感じ。
先に出てきたのは――ツッコミだった。
「いやいやいやいや!!」
俺は両手で空気を切った。
「待て待て待て待て!! “運良く”の使い方おかしいだろ!!」
「そうか?」
「そうかじゃねぇ!! 死んでるんだよな!? 人生終わってるんだよな!? 運が悪い寄りだろ冷静に考えたら!!」
フィリーネが「確かに……」って小さく頷いた。
武蔵は焚き火を見たまま、目だけ細めた。たぶん同意してる。顔には出さないけど。
俺はにすけを指さして、勢いのまま続ける。
「ていうか、和食職人って何だよ! 職人ってことは……“飯を作る専門家”ってことか!?」
「まあ、そうだ」
「待て待て、ってことはその飯で食ってたのか? 飯作って金が入るって、こっちだと上級店か王族コースだぞ? なんだその“職業”の格の違い!」
にすけは肩も動かさずに言う。
「うまい飯を作るのが俺の仕事であり全てさ。」
「だからその“うまい飯”が何なんだよ! こっちの世界の飯って、焼くか煮るか、固いパンか、干し肉か……その程度だぞ!?」
「だから再現する。俺のすべてを捧げた和食をな」
「再現って……!」
俺は一回深呼吸した。しないと声が裏返りそうだった。
……でも、次の瞬間、胸の奥がじわっと熱くなった。
「……人生捧げてた、って言ったよな」
さっきまでツッコミで誤魔化してたのに、その言葉だけが妙に残る。
「飯に人生捧げるって……」
俺は笑うように鼻で息を吐いた。
「……変なやつだな、おまえ」
言った直後、なんか自分の声が少しだけ柔らかくなったのがわかって、俺は慌てて取り繕う。
「いや、変っていうか、なんだよその執念! 迷宮で命張ってまで飯作るとか、意味わかんねぇ!」
「意味はある」
「あるのかよ!」
にすけは焚き火の火を見たまま、静かに言った。
「うまい飯ってのはな、時に人を生かし、時に心をも癒す力があるんだ。それをこの世界の人にも知ってほしくてな」
その言い方が、妙に本気で、俺は一瞬言葉が詰まった。
(……にすけ、こいつ...。
ふざけて言ってない、マジでそう思ってるのか...)
俺は咳払いして、無理やり軽くする。
「ゴホン、……で、事故って何だよ。鍋でも爆発したのか?」
「そういうのじゃない」
「じゃあ何だよ! 気になるだろ!」
武蔵が短く言った。
「追うな」
「え?」
「にすけが話したい分だけ話す。いまはそれでいい」
……武蔵がそんなこと言うの、ずるい。
“伝説の剣豪”にそう言われたら、俺のツッコミが一段弱くなるじゃん。
俺は少しだけ声を落とした。
「……でもさ」
「ん?」とにすけ。
「死んだって軽く言いすぎじゃね?」
にすけは一瞬だけ黙ってから、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「軽く言わないと、前に進めないもんなのさ」
「……そういうもんかよ」
焚き火が「ぱち」と鳴った。
火の粉が上がって、暗い天井に消えた。
俺は視線を火に落として、ぼそっと言う。
「……じゃあ、こっちの世界でも……また飯に人生捧げるってことか」
「そうだ」
「……しかも迷宮の食材で?」
「そうだ」
俺は首を振った。
「ほんと意味わかんねぇ……」
そう言いながら、腹の奥が、変に期待してるのもわかった。
(……でも、そんな命懸けの飯って、どんだけうまいんだよ)
俺は最後に、俺らしく、逃げ道を作るみたいに言った。
「なあ、にすけ」
「なんだ」
「その“和食”ってやつ……まずい飯だったら、俺、全力で文句言うからな?」
フィリーネが吹き出した。
武蔵が小さく息を吐いた。笑った……のか?
にすけは、焚き火を見たまま、短く返した。
「ふっ、うますぎて逆に文句言われるくらいのやつをつくるさ」
……ちくしょう。
その言い方、ずるい。
武蔵が焚き火を見ながら、ぽつりと言った。
「飯の話は落ち着く」
「おまえは落ち着きすぎなんだよ……四百年前の伝説の剣豪ってなんなんだよ......」
俺がそう言った瞬間、ケルちゃんの三つ首が同時に同じ方向を見てピタッと止まった。
焚き火の音が、一段小さく聞こえる。
「……グルル……」
唸り声。
さっきまでの休憩の空気が、ひゅっと引く。
次の瞬間――
「ドドドド……ッ!!」
地鳴りが来た。
石畳が震える。砂埃がふわっと浮く。
「な、なんだ!?」俺が立ち上がった瞬間、暗がりから“突進の気配”が突き刺さる。
瓦礫の陰をぶち破って現れたのは――
猪系の魔獣か!?
いや、猪“系”なんて言葉では済まない。
肩が岩みたいに盛り上がり、全身は黒い剛毛で鎧みたいに覆われている。
目は赤く、牙は人の腕くらい太い。先端が不気味に反っていて、石を削る音がするほど鋭い。
「デ、デビルボア……ッ!?」
俺の口が勝手に名前を吐いた。
ギルドの掲示板で見たことがある。猪系魔獣の上位種。危険度Aクラスのヤバいやつ!
(なんで第二層に!!こいつ、もっと上の層の魔獣だろ!?)
フィリーネが弓を構える。
「フロアブレイクの影響、当たりじゃん!」
当たりじゃねぇ!!
武蔵がすっと立つ。木刀を一本、静かに抜く。
にすけは焚き火から目を離さず、だけど声だけは冷静だった。
「……来るぞ突進。休憩は終わりだ」
デビルボアが鼻息を「ブゥウウウッ!!」と噴いた。
その音だけで胃が縮む。
そして――
「ゴォオオオオオ!!」
突進。
石畳を砕きながら、一直線にこっちへ来る。
キャンプ場所が、ただの通り道になる速度。
俺は叫んだ。
「待て待て待て! これ調査クエストだよな!? 戦うの!?」
にすけが、静かに言う。
「……ああ、もちろん。いい食材になりそうだ」
武蔵が頷く。
「食材だな」
フィリーネもニコッと笑う。
「食材だわ!」
ケルちゃんは三つ首で「ワン!」「ワン!」「ワン!」と吠えた。完全に賛同。
俺の世界が、またひっくり返った。
(魔獣じゃなくて食材として見てるの!? しかもデビルボアを!?
和食のために!?)
デビルボアの牙が、もう目の前だ。
にすけが最後に一言だけ落とす。
「カゲル。逃げるなよ」
「逃げるに決まって――」
言い終える前に、突進の風圧が俺の頬を叩いた。
「うわああああ!! 調査クエストのレベルじゃねぇ!!」
焚き火の赤が揺れて、影が伸びた。
その影の先で、武蔵が一歩踏み出す。
漆黒の木刀が、静かに構えに入る。
――次の瞬間、第二層の開けた空間に、乾いた一閃の音が走った。
つづく。
〜あとがき〜
第6話まで読んでくださってありがとうございます。作者の二天堂昔です。
今回は迷宮第二層、フロアブレイク調査の空気感からスタートしました。
第二層って「静かに怖い」んですよね。肌寒いのに変な汗が出る、息が浅くなる、足元の石畳の色まで不機嫌に見える――そんな場所で焚き火を起こして、ようやく人間に戻る。そこで出てくるのが、にすけの「和食」の話です。
「和食って何?おいしいの?」
この一言には、カゲルの“普通”が詰まっています。わからないものを、怖がりながらも聞く。ツッコミながらも近づく。強い人たちの隣で、自分の常識が揺らぐ。第6話は、その揺らぎがいちばん大事な回でした。
そして最後に、食材として見られるデビルボア。
調査クエストのはずなのに、気づけば献立会議が始まる。この温度差こそ、この作品の味だと思っています。カゲルのツッコミが読者さんの代弁になっていたら嬉しいです。
ちなみに…この第6話、漫画版だと焚き火の“間”とか、四人(+ケルちゃん)の表情の温度差がかなり映える回です。もし「絵で見たいな」と思った方は、Kindleの漫画版も覗いてみてください(Kindle→凡人冒険者、と検索すると出てきます)。文章とは違うテンポで楽しめるように作っています。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
フォローや評価、感想をいただけると次話の更新の燃料になります。短い一言でも大歓迎です。
それではまた次話で。




