第5話『ケルちゃん会議』
――朝。
眩しい。
というか、狭い。
(……なんだ……?
天井、近くないか……?
……いや、近いっていうか……
なんか圧がある……?)
俺は重たい瞼を持ち上げた。
視界に最初に入ったのは――
見慣れすぎた、ひび割れた天井。
家賃銀貨一枚、ボロアパート自慢の低天井。
(ああ……
よかった……
迷宮じゃない……
生きて帰って来てた……)
そう思った、次の瞬間だった。
「起きたか」
(……!?)
声の方向へ、ゆっくり首を動かす。
――武蔵。
俺の部屋のど真ん中。
当然のように正座。
(……なんで?)
さらに視線をずらす。
「おはようさん。
勝手に台所借りてるぞ」
――にすけ。
俺の台所。
という名の、流しと魔導コンロが一体化した謎スペース。
鍋、置いてある。
俺は自炊しないんだが。
(……なんで?)
そして窓際。
「わ、起きた起きた」
――フィリーネ。
俺の唯一の椅子に腰掛けて、
足ぶらぶら。
(……なんで!?)
ここでようやく、
俺の脳が異常事態を検知し始めた。
(待て待て待て……
俺、昨日……
確か……
迷宮で……
ケルベロスが……
チワワになって……
鍋作って……)
――キャンッ。
可愛い鳴き声。
(……あ)
ゆっくりと、
自分の布団の足元を見る。
三つの小さな黒い頭。
丸い瞳。
ふわふわの毛。
そして――
俺の腹の上に、堂々と乗っかっている生き物。
「この子はケルベロスの幼体、分かりやすくケルちゃんと名付けた」
とにすけ。
(ケルちゃんて……名前、確定してんのかよ……)
俺の上で、ケルちゃんが尻尾をぶんぶん振った。
三つの首が同時に俺を見つめ、
期待に満ちた顔。
(いや違う違う違う!!
なんで俺の部屋にいるんだよ!!
なんで俺の布団占拠してんだよ!!)
俺は跳ね起きた。
「おい!!
説明しろ!!
なんで起きたら俺の部屋に
通りすがりのスゴイ人たちと魔獣が集合してんだよ!!」
フィリーネが楽しそうに言う。
「だってここ、
一番安全そうだったから」
「理由が雑すぎるだろ!!」
にすけが鍋をかき混ぜながら補足する。
「ケルちゃんがな。
お前の匂い覚えちまって」
「なんでだよ!!」
武蔵が静かに頷く。
「昨日、最後まで取り乱していたからな。
印象に残ったのだろう」
「不名誉で情けない理由だな、泣くぞ!」
――クゥ〜ン。
ケルちゃんが、
三つの首で順番に俺の顔を舐める。
ペロペロベロベロベロロ......
「わ、ちょっ、やめ
朝イチで地獄の番犬に顔舐められるとか人生で想定してねぇから!!」
フィリーネが笑いを堪えながら言った。
「うふふ、でもほら。
襲いかかってくる気配は全然ないでしょ?」
「そこが逆に怖いんだよ!!」
にすけが振り返り、
当然のように告げた。
「朝飯、もうすぐだ。部屋のもの借りてるぞ」
「俺の部屋、何にもなくて恥ずかしいわ!」
武蔵は、
部屋を見回しながら静かに言った。
「狭いが、悪くない。
無駄がない」
「評価ポイントそこ!?」
俺は頭を抱えた。
(……あれか……
俺、
昨日の出来事を
全部夢だと思いたかっただけなのか……?)
だが現実は、
俺の腹の上で尻尾を振っている。
――キャンッ!
「……なぁ……」
俺は力なく呟いた。
「これ……
今日一日で終わる話だよな……?」
三人は一瞬、目を合わせ――
誰も即答しなかった。
にすけが、ぽつり。
「さてな」
フィリーネが笑顔で。
「長くなるかも?」
武蔵が静かに。
「始まった、と見るべきだろう」
(終わったぁぁぁぁ!!
俺の平穏、完全終了だぁぁぁ!!)
こうして――
凡人シーフ・カゲルのボロアパートは、
剣豪・料理人・エルフ・三つ首チワワ魔獣が同居する前代未聞の拠点と化した。
しかも、迷宮の厄ネタ付きで。
俺の静かな日常は、
この朝――
完全に音を立てて崩れ去った。
――ことり。
鍋の蓋がずらされる音がした瞬間、
俺の部屋の空気が完全に変わった。
(……あ、これ……
ヤバいやつだ……)
湯気が、ふわりと立ち上る。
白く、柔らかく、天井へ向かって漂いながら――
香りだけを、確実に残していく。
だし。
しかも薄っぺらい匂いじゃない。
鼻に突き刺さる強さはなく、
なのに奥へ奥へと入り込んでくる。
(……魚?
いや……干し肉?
両方……?
それに……野菜の甘み……)
俺の腹が、意志とは無関係に鳴った。
――ぐぅ。
(やめろ!!
まだ心の準備ができてねぇ!!)
「……すごい匂い……」
フィリーネが思わず呟く。
武蔵は目を閉じ、静かに息を吸った。
「余分がない。
芯だけが残る香りだ」
にすけは、鍋の中をゆっくり混ぜる。
具材がぶつかる音が、
やけに落ち着いたリズムで響く。
ぐつ……
ぐつ……。
鍋の中では、
角張った干し肉がほぐれ、
野菜が透明になり、
だしを吸ってふくらんでいるのが見えた。
(……あれ……
野菜、
こんな色になるか……?)
火を止める。
一拍。
そして、
器に注ぐ。
その瞬間――
湯気が一段、濃くなった。
香りが「広がる」じゃない。
包まれる。
喉の奥が、
きゅっと鳴った。
――キャンッ!!
ケルちゃんが、
三つの首を同時に鍋へ突き出す。
尻尾、ぶんぶん。
「待て」
にすけがそう言うと、
本当に止まる。
(何なんだよ……
完全に“分かってる犬”じゃねぇか……)
器が床に置かれる。
湯気が、
ケルちゃんの鼻先をくすぐった瞬間――
――ガツッ!!
三つの首が一斉に突っ込んだ。
(はっや!?)
だが――
ただ勢いがあるだけじゃない。
咀嚼してる。
音を立てず、
確実に味わって、
飲み込んでいる。
(……魔獣なのに……
食べ方、妙に上品じゃねぇか……)
数秒後。
――げぷっ。
三つの首が、
同時に満足そうな顔をした。
腹を出して、
床にどさり。
「……完全に落ちたな」
武蔵が頷く。
「胃袋から制した」
(攻略法が怖ぇよ!!)
そして――
にすけが、俺の前に器を差し出した。
「ほら」
(……来た……)
器の中。
透き通った黄金色の汁。
柔らかくほぐれた肉。
だしを含んで艶を帯びた野菜。
湯気が、
まだ生きている。
(……これ……
絶対……
腹に来るやつだ……)
一口すする。
肉でも野菜でもなく、
まず、汁。
口に入れた瞬間――
(……あ……)
熱いはずなのに、
刺さらない。
舌を撫でて、
喉を通って、
腹の奥に、静かに落ちる。
(……うそだろ……
なにこれ……
身体の内側から……
「大丈夫だ」って言われてる……)
二口目。
今度は肉。
噛んだ瞬間、
繊維がほどける。
味が出る、
じゃない。
だしと一緒に、消える。
(……やべぇ……
噛む意味が……
幸福の確認作業になってる……)
三口目。
野菜。
甘い。
なのに、くどくない。
(……腹が……
警戒をやめてる……)
気づいた時には、
器は空だった。
俺は、
しばらく黙っていた。
「……なぁ……」
ようやく出た声は、
自分でも驚くほど弱かった。
「……こんなの……
食ったら……
戻れなくなるだろ……」
フィリーネが、
満足そうに笑う。
「でしょ?」
武蔵が静かに言う。
「良い飯は、
心の構えをも崩すものよ」
(武蔵の評価が一番怖ぇ……)
にすけは、
鍋を洗いながら淡々と告げた。
「腹が満ちると、
人は嘘をつけなくなるもんなんだ」
(やめろ……
そんな哲学、
飯で叩きつけてくるな……)
――キャン……。
ケルちゃんが寝言みたいに鳴いた。
俺は、
天井を見上げる。
(……終わった……)
この飯を知ってしまった以上、
俺のボロアパート生活は、
もう元には戻らない。
魔獣よりも、
迷宮よりも――
にすけの飯の方が、よほど危険だった。
そう確信した朝だった。
――静寂。
俺の部屋に、妙に重たい沈黙が落ちていた。
床では、
腹を出して転がるケルちゃんが――
――すぴぃ……。
――くぅ……。
三つの首で、器用に寝息を分担している。
(……地獄の番犬って、
こんな寝方する生き物だったか……?)
俺は胡坐をかいたまま、
三人を見回した。
「……で?」
誰も口を開かないので、
俺が切り出す。
「これからどうすればいいんだ?」
フィリーネが一拍置いて、
ちらっとケルちゃんを見る。
「……とりあえず、
かわいい」
「結論を先送りすな!!」
武蔵は腕を組み、
真面目な顔で言った。
「幼体とはいえ、
正体はケルベロスだ。
扱いを誤れば災いになる」
「急に現実に戻すな!!
温度差で風邪ひくわ!!」
にすけは壁にもたれ、
腕を組んだまま静かに言う。
「選択肢は、三つだな」
(出た。
嫌なやつだ……)
俺は身構えた。
「一つ。
ギルドに報告して、引き渡す」
――沈黙。
「……それ、
即処分コースだろ……?」
フィリーネも渋い顔をする。
「見た目が犬でも、
書類上は“高位魔獣”だもんね……」
武蔵が頷いた。
「秩序を優先すれば、
そうなるな」
ケルちゃんが、
寝返りを打って――
――くぅ〜ん。
(……無理だろ……
今さらそれ……)
にすけは続けた。
「二つ目。
迷宮に戻す」
俺は即座に叫んだ。
「論外!!
あんなとこ戻したら
一週間後に“成長したケルベロス再臨”とか
洒落にならねぇだろ!!」
「否定が早い」
「生存本能だよ!!」
にすけは、
最後の指を立てた。
「三つ目。
管理下に置く」
――静寂、再び。
フィリーネが、
ゆっくりと笑った。
「……つまり?」
「飼う」
(あ、言いやがった……)
俺は頭を抱えた。
「いやいやいやいや!!
待て待て待て!!
飼うってなんだよ!!
それ、魔獣だぞ!?」
武蔵が淡々と補足する。
「正確には、
“制御下で共存する”だな」
「言い換えてもダメ!!」
にすけは、
ケルちゃんを見下ろす。
「腹が減ると荒れる。
満ちると落ち着く。
反応は単純だ」
「それが一番怖ぇよ!!」
フィリーネが、
指を折りながら言った。
「でも考えてみて?
この子、本体の居場所に反応するのよね?」
俺は、はっとした。
「……あ」
武蔵が頷く。
「迷宮の異常を追う
“鍵”になる可能性が高い」
(……鍵……
ペットじゃなくて
キーアイテム扱い……)
にすけが静かに結論を出す。
「だから会議だ」
「今やってるのが
その会議だよ!!」
――キャン。
ケルちゃんが、
寝ぼけた声を出し、
俺の足に鼻先を押しつけてきた。
三つの首で、同時に。
(……くそ……
判断力、削ってきやがる……)
フィリーネが、
少しだけ真面目な顔になる。
「ねぇカゲル。
正直に言って」
「……なんだよ……」
「この子、
見捨てられる?」
俺は言葉に詰まった。
(……昨日、
俺の腹の上で寝てたんだぞ……
しかも飯食って……
安心しきった顔で……)
「む……無理だ」
出すように言った。
「無理だよ……
そんなの……」
にすけは、
小さく頷いた。
「だよな」
武蔵が、
静かに締める。
「なら決まりだ」
「決まった!?
いつの間に!?」
フィリーネが笑顔で宣言する。
「ケルちゃん管理計画、始動!」
(そのまんまだな...)
にすけが続ける。
「役割分担も決めるぞ」
俺は嫌な予感しかしなかった。
「……ちなみに……
俺は何担当だ……?」
全員が、
一斉に俺を見る。
にすけ。
「飼育環境」
フィリーネ。
「日常世話」
武蔵。
「精神安定剤」
「重すぎだろ!!
俺ひとりで世界背負わせるな!!」
――キャンッ!!
ケルちゃんが、
尻尾をぶんぶん振った。
(……ああ……
こいつ……
完全に理解してないのに
賛成してやがる……)
こうして――
ケルちゃん会議は、
全員一致(当事者含む)で可決された。
凡人シーフ・カゲルは、
知らぬ間に――
地獄の番犬(幼体)の管理責任者
という、人生で最も意味不明な役職を
背負わされることになった。
(……俺、どこで道、間違えたんだ……?)
答えは簡単だ。
にすけの飯を食った時点で、
もう引き返せなかったのだ。
つづく!
ここまで読んでくれて、ありがとう。
……それにしても。
どうしてこうなった。
昨日まで普通に迷宮で採取クエストを受けて、
普通に生き延びるだけで精一杯だったはずなのに――
気づけば部屋で
「地獄の番犬(幼体)をどう管理するか」
なんて会議をしている。
人生って、ほんと急に分岐する。
しかもだいたい、
「選択した覚えがない方向」に。
ケルちゃんは可愛い。
これはもう否定しない。
でも、可愛いから許される問題じゃないのも事実だ。
……なのに。
飯を食って、
腹を出して寝られたら、
もう終わりだ。
俺の判断力は、
完全ににすけの飯と
ケルちゃんの寝顔に敗北した。
さて。
ここから先、
俺たちは「迷宮」だけじゃなく、
街の外――
普通のクエストにも関わっていくことになる。
一見すると平和で、
一見すると安全で、
でも確実に
「何かがおかしい」場所へ。
そしてもちろん、
俺は今日も凡人のままだ。
強くもない。
特別な力もない。
ただ、運と巻き込まれ体質だけが一流。
もし、
・凡人目線の冒険が好きな人
・強すぎる仲間に振り回される話が好きな人
・ギャグと不穏が同居してる物語が好きな人
そんな人なら――
この先の話も、きっと楽しめると思う。
ちなみに。
この「ケルちゃん会議」や、
次回の街郊外への移動、
そして今後のクエストの様子は――
Kindle漫画版(無料公開中)では、
表情と間と空気感を分かりやすく描いているとの事。
正直に言うと、
俺の絶望顔とか、
武蔵の真顔とか、
にすけのドヤ顔とか、
フィリーネのまぶしい笑顔とか――
文字より絵のほうが
破壊力があるのは間違いない。
もし気になったら、
タイトルで検索して
そっと覗いてみてほしい。
読んだらきっと、
「ああ、こいつ本当に不憫だな」
って、
より深く思ってもらえるはずだ。
それじゃあ、
次の話で。
――たぶんまた、
「なんでこうなった」
って言ってると思うけど。
凡人冒険者・カゲル




