第3話『蒼炎のケルベロス』
第二層へ足を踏み入れた瞬間、世界が変わった。
空気が――重い。
肺に吸い込むたび、まるで見えない手に肺をつかまれ押し潰されそうになる感覚...。
(……な、なんだこの感じ……?
息が……くるしい……)
俺の違和感センサーが大騒ぎしている。
湿り気のない冷気。
それなのに肌の内側だけ、じわりと汗ばむような不快な感覚。
静寂――ではない。
音すら生まれることを拒む、「圧」の沈黙。
迷宮そのものが、外敵を拒むように息を潜めている空気だった。
俺は足を震わせながら三人の背を追い、やがて開けた空間に出た。
そして――足が止まる。
瓦礫が散乱し、壁には焦げが広がり、床は抉られ黒く焼けている。
ここでは――戦いがすでに始まっていた。
視線が一点に吸い寄せられる。
蒼い炎がゆらりと灯る。
影が立ち上がる。
三つの頭を持つ巨躯。
人格すら呑み込むような深淵の眼。
――蒼炎のケルベロス。
図鑑で見たときはただの絵だった。
だが今、そこにいるのは――
生きている化け物だった。
視線が触れた瞬間、背骨の奥に氷柱でも突き立てられたように、体温が奪われる。
逃げろ。
その言葉が頭ではなく本能から湧いたのに、声は出なかった。
……いや、俺だけじゃない。
普通の冒険者なら誰だって――逃げる。
だが。
前に立つ三人は違った。
武蔵は木刀を握りながら――微動だにしない。
フィリーネは弦に触れた瞬間、空気が風に変わり――迷宮がざわつく。
にすけは手首の角度すら乱さず、包丁を抜く音すら立てない。
――そして。
ケルベロスが動いた。
咆哮。
轟音。振動。
鼓膜が殴られ、胸骨が震え、足元の石が跳ねる。
「ッ――!」
耳鳴りの中、蒼い炎が三方向へ弾け飛ぶ。
逃げ場なんて――どこにもない。
……なのに。
三人は動かない。
――確信しているやつの姿だ。
◆にすけ
左から飛ぶ炎弾。
空気が避けきれず、焦げた匂いと熱が先行する。
普通なら、それだけで皮膚が溶ける。
しかし――
にすけは鼻で息を吸い、
「焦げくさいな。……雑味だらけだ。」
包丁が光り、空間に線が刻まれる。
シャキン。
調理の始まりの音。
次の瞬間、炎弾は真っ二つに裂かれ、綺麗な断面を見せた後、煙すら残さず消えた。
あの動きは――戦闘じゃない。
料理だった。
◆フィリーネ
右から迫る二発目。
圧縮された蒼炎の塊が空間を焼き、床石が熱で歪む。
フィリーネは物質としての矢を番えない。
風が――矢として生まれる。
「軽い攻撃ね。牽制ってところ?」
弦を引いた瞬間、空間が震えた。
――バシュッ!!
風矢が蒼炎を切り裂き、粉々に霧散させた。
その動きは鮮烈で、美しく、残酷だった。
◆武蔵
真正面。
最も速く、最も重く、最も致命的な一発。
避けられる速度じゃない。
意識では追えない。
だが武蔵は――ただ静かに、木刀をそっと添えた。
呼吸すら感じない。
そして――
コン。
本当に、それだけだった。
蒼炎は軌道を捻じ曲げられ、弧を描き――
ケルベロス自身へ還る。
轟音。火花。衝撃波。
中央の頭がわずかに仰け反る。
そこで――沈黙。
蒼い炎がゆらめき、空気の密度がさらに増した。
ケルベロスの瞳が三人を見据える。
理解不能。
驚愕。
――そして、わずかな愉悦。
「……グル……ルァ……」
俺は瓦礫に手をつき、震える息を吐いた。
(な、なんだ今の……?
防いだ?いや違う……受け流した?操った?
戦闘って……あんな……)
――俺たち凡人の世界じゃない。
ケルベロスの体内で蒼炎が再び渦巻く。
怒りか。
それとも――歓喜か。
武蔵が息を整え、霞のように言う。
「――ここからだ。」
フィリーネの弦が鳴る。
にすけの包丁先端がゆっくりと獣へ向く。
ケルベロスの喉奥で蒼炎が唸り、迷宮を染める。
俺の鼓動が暴れる。
俺の違和感センサーは大災害なみの大荒れ状態。
背筋が震える。
怖い。
逃げたい。
でも――
目が離せない。
(……馬鹿だ。逃げろよ俺。
だけど……
――この戦いを、見届けたい。)
次の瞬間。
世界は炎と風と音に飲み込まれた。
――つづく。
================
◆ あとがき ◆
作者:二天堂 昔
第3話をお読みいただいた皆さま、誠にありがとうございます。
いよいよ迷宮第二層で、カゲルが“とんでもないもの”と出会う回になりました。
本人は震えるばかりですが、読者の皆さんには
武蔵・にすけ・フィリーネとの“格の違い”を
より強く感じていただけたのではないでしょうか。
蒼炎をまとったケルベロスは、この物語でも重要な存在です。
ただの強敵ではなく、迷宮そのものの異常さを
象徴するような立ち位置になっています。
カゲルがこれからどう巻き込まれていくのか――
ゆっくり、でも確実に深い部分へ触れていきます。
ちなみに、このケルベロスの迫力や
三人の落ち着いた立ち姿などは、
漫画版だとまた違う雰囲気で描いています。
もし興味があれば、Kindleインディーズで
タイトルを検索すると無料で読めますので、
気軽に覗いてみてください。
次回、第4話では“凡人と怪物”の距離がさらに縮まります。
カゲルの胃はますます悲鳴を上げますが、
彼自身の物語も静かに動き出していきます。
それでは、また次の話でお会いしましょう。
二天堂 昔




