第三話
「くっそ……なんで……若菜あんなに……早いんだよ!」
体の小ささと胸の大きさのせいで走る体力を余計に使う。いつもの三倍以上の重たさだ。
民家の屋根の上に立ち止まってる若菜を見つけて、膝に手をついた。肩で思いっきり呼吸をして、体力を整える。
『葵、遅かったやんけ』
足元から聞こえる若菜の声に、思わず確認する。そこにいたのは、小さな鼠一匹だった。
白色のそれはどこか動物には見えない気配を漂わせてる。
『兎は俊敏さが命やろ?』
この鼠は彼女の眷属の一部である。
若菜の意思で動き、若菜の声を伝える。一気に百匹以上も従えてしまう。彼女の情報力の強さはそこに起因していた。
「うっさい……これでも……全速力だ!」
ようやく息も整え終わり、早くなった鼓動も収まった。若菜に顔を向けると、彼女はこちらに視線を向けていた。
手で早く来いと示している。
地面を蹴って跳躍すると思った以上に飛び上がってびっくりする。胸を大きく揺らしながら、空中でわたわたと両手を振った。
「……ちっ」
屋根に着地すると、頭の上から若菜の舌打ちが聞こえた。
顔を上げると、少し冷めた目で、若菜本人に見下されているのは気のせいではないだろう。
「そんなに胸を揺らして、誘ってるんか?」
「いや、そんなつもりないんだけど!? てか、マジで動きづらいんだけど、どうなってんだよ!?」
「騒ぐなや、見つかるやろ?」
すごく理不尽に怒られたような気がする。少し睨むが、若菜は涼しい顔で葵から視線を外した。
若菜の視線を追いかけると、そこは空き地だった。確か、霊脈の流れを管理するために、国の協会がわざと空き地にしているところだ。渦巻くように風が空き地に吸い込まれている。
そんな場所に霊力蟲が群がっている。おぞましい光景に、鳥肌が立った。
「何あれ気持ち悪!?」
「あれしきで騒ぐなや、男やろ?」
ため息をつきながら若菜がこっちをみてくる。そして申し訳なさそうに苦笑した。
「あ、ごめん今は女やったわ」
「いや、男であってるから!?」
「そんな可愛いのに、男は無理あるわぁ。それ謙遜やなくて、うちに対しての侮辱やからな?」
またしても理不尽な言葉に、睨みあげる。しかし、今度も若菜はそれを無視した。
彼女は腕を組んで、右手を顎に添える。
「にしても、これは異常やな? うちの“鼠たち”が気づかなかったのに、ここまでやなんて」
彼女が警戒するのも無理はない。
本来霊脈は国の要請のもと、その土地の家が守っている。
週一で卯崎家の管理者が結界を貼り直している。空き地周りの家も卯崎家の管轄のもと、結界装置として活用されていた。
そこを乗り越えて、霊力蟲が集まっている理由は。
「使役か」
「十中八九そうやろうな。それも、結構狡い奴やな」
「だろうな」
刀を持ち直す。大きく呼吸を整えて、柄に手をかけた。
普段霊力蟲は、群れをなさない。取り合いになり、お互いを傷つけ合うからだ。それが集まっているということは、必ず誰かが手引きしているということ。
しかし、その誰かを待つつもりは毛頭ない。
この状態に気がついてあるはずの母が動かないということは、葵に役目を任しているということ。ならば放っておいて霊脈を悪化させるくらいなら、今すぐ討伐を選ぶ。
目を閉じ、精神を集中する。光を遮断した世界で、霊力蟲だけの気配を探る。
粘りつくような青色の微かな揺らぎを観測して、目を見開く。
赤色の輝きが瞳にともり、葵は刀を鞘から抜いた。
屋根の瓦の一部が、足に力を込めた反動で割れ飛ぶ。それを気にすることなく、葵は刀を霊力蟲たちに振るう。
動きは継承前の自分と比べて、とても滑らかであった。力量は段違いに上がっている。そのことが嬉しさと悔しさを綯い交ぜにした気持ちとして、心に落とす。しかし、そんな考えを振り払いながら、霊力蟲たちを正確に斬っていく。
頭を斬り落とされた霊力蟲たちは、集めた力を手放して霧散した。
そのまま残った霊力は、霊脈の中に吸い込まれる。
「一応、やるやんけ」
若菜が屋根から空き地に降りてくる。嗅ぎ回るように、霊力蟲が集まっていた周囲を歩き回る。
「一応ってなんだ一応って」
「これでも褒めてるんやで? 幼馴染が力を持って、うちは誇らしいわ」
そう言う割には、彼女はどこか浮かない顔だった。
「“鼠たち”に周囲を探らせてみてるけど、犯人は見えてこんなぁ」
「若菜に気づかれないほどの隠密性の持ち主か……」
彼女の“鼠たち”の能力は馬鹿にならない。現に葵がトランクスを履いてることを朝一番に見抜いているほどだ。彼女から完全に姿を隠せるのは、それこそ大妖怪または当主クラスのものと考えて良いだろう。
──見つけた。
そんな中、聞き覚えのない声が頭に響く。周囲を見渡すが、誰もいない。
──子豆若菜、覚悟しろ。お前のすべてをめちゃくちゃにしてやる。
それっきり声は途絶えた。
「おい、今の声誰だ?」
若菜の方を見ると、彼女は肩を抱いて小さく震えている。歯を打ち鳴らし、目からは涙を流している。
「若菜? どうした?」
葵の声には反応しない。
「なんで? なんで、今なの?」
掠れた声で発した彼女の声は、いつものエセ関西弁が消えていた。




