試練
パチンコホールのざわめきは幻のはずなのに、音も匂いもあまりに生々しい。
目の前の台は勝手に回り、眩い演出が続き、玉は増えることなく虚空へと消えていく。
「……帰りたいのか?」
声が響いた。振り返ると、そこには普段着の自分が立っていた。
疲れた目をし、ポケットには潰れた煙草。
「お前はただ、逃げたかっただけだ。仲間を守る? ヒーロー気取りだろう。現実じゃ、何もできなかったのに」
真時は唇を噛んだ。
確かに、現実では何者でもなかった。部屋に閉じこもり、無駄に時間を浪費し、ただ回るリールに救いを探していた。
だが――
「……それでも」
胸の奥から声があふれ出る。
「俺はもう一人じゃない。中段チェリーのみんなや、クレア達も仲間だって言ってくれた。あの時の俺とは違う!」
自分の幻は嗤い、やがてガラスのように砕け散った。
――クレアの視界。
炎と雷が暴走し、彼女の周囲を焼き尽くす。
悲鳴がこだまし、耳元で無数の声がささやく。
「お前は危険だ」
「力を持つだけの怪物だ」
両手が震え、涙がこぼれた。
――でも、思い出す。
誰かに手を取られ、必死に呼ばれた声を。
「クレア、大丈夫だ。お前は一人じゃない」
兄の声。ラケイシの姿。
そして、不器用に励ましてくれた真時の笑顔。
「……わたしは……怪物じゃない」
彼女は両手を広げ、暴れる魔力を抱き締めるように受け入れた。
光が弾け、炎と雷は霧散していった。
――ラケイシの視界。
血に染まった大地、妹の泣き声。
折れた剣を握り締め、彼は地に膝をついた。
「……守れなかった。俺は……弱かった」
だが、その声に重なるように、少女の声が響いた。
「違うよ、兄さん。あなたはいつも守ってくれた。だから私はここにいる」
見上げると、幼いクレアの姿が消え、今の彼女が立っていた。
しっかりとした瞳で兄を見つめ、微笑んでいる。
ラケイシは深く息を吐き、折れた剣を地に置いた。
「……そうだな。俺は過去に縛られすぎていた」
その瞬間、錆びた刃は光を放ち、真新しい剣へと変わった。
――幻影空間・術式の中心。
三人は同時に光に包まれ、暗闇を打ち破るように立ち上がった。
アゼルの幻影が彼らを見下ろし、深く頷く。
「心の乱れを超えたか。ならば――汝らに知を授けよう」
宙に一冊の書が浮かび上がった。
黒革の表紙に古代文字が刻まれ、強い封印の光を帯びている。
ラケイシが一歩進み、両手でその書を受け取った。
「これが……封印術の根源」
アゼルは最後に言葉を残す。
「だが覚えておけ。知識は刃だ。正しく振るわねば、世界をも裂く」
光が収束し、幻影空間が崩れ――三人は再び禁書庫の現実へと戻ってきた。
重苦しい沈黙の中、クレアが胸に手を当てる。
「……みんな、無事だよね?」
真時は笑みを浮かべ、肩をすくめた。
「まあ、ちょっと心臓に悪かったけどな」
ラケイシは禁書を抱え、険しい目を向ける。
「これで魔力の乱れを正す術が見つかるはずだ。……だが同時に、新たな真実を知ることになる」
――禁書に記されていたのは、封印を修復する術なのか。
それとも、乱れの根源そのものに関する真実なのか。
三人は深呼吸し、ページを開こうとしていた。




