雪の記憶
――翌朝
前の日にギルドから集めた情報や、付近の酒場で聞いた話を元に、出発の準備を整えた真時たちは、街を囲む雪の壁を越え、南東の峠へと向かう。
風は穏やかだったが、どこか生ぬるい。
冬の終わりを感じさせるはずの空気が、この道ではどこか“よどんで”いた。
「……ここが峠道か」
バルドが馬を止め、周囲を見回す。
崩れた石垣、かつての軍の旗竿、そしてその先には――不自然に拓けた平地が広がっていた。
雪が浅く、ところどころ黒土が顔を出している。
ユリクがしゃがみ込み、地を掴んだ。
「雪の下のこの土、焦げてるな……かなり昔のものだ。灰も混じってる」
「“焼かれた土地”か」
レオンが呟く。
その言葉に、クレアが不安げに眉を寄せる。
「ねえ、レオン。ここ、昔……何かあったの?」
レオンは小さく息をつき、曇り空を見上げた。
「……ああ。昨日聞いた話だがな」
そして、語り始めた。
――遥か昔。
まだこの地が帝国領になる前、ジュニスタ一帯には“サルディア遊牧民”と呼ばれる一族が暮らしていた。
彼らは雪原を渡り、季節とともに移動しながら、獣と星を崇めていたという。
“星が風を導き、風が魂を還す”――それが彼らの祈りの言葉だった。
だが、ある年。帝国が北方への進軍を始めた時、サルディアの長は降伏を拒んだ。
帝国軍は彼らを反乱者として追い詰め、ついにこの丘――“サルディアの背”で捕らえた。
降伏を拒んだ男は、その夜、仲間と共に処刑された。
百を超える民が杭に縛られ、雪の中で炎に呑まれたという。
彼らは最後まで、同じ言葉を唱えていた。
――「風よ、我らを記せ。雪よ、我らを覆え」
その翌日、丘は焼け、風が止んだ。
以来、この峠では“風が鳴らない”という。
「……気配がない、ってグランが言ってたの、これのことか」
ユリクが低く呟く。
バルドが頷く。
「処刑の跡はこの辺りに多い。だが、ここまで沈黙してる場所は他にねぇ」
真時は黙って丘を見つめていた。
雪の下――灰の層が、今も黒くうねるように広がっている。
(風が……動かない)
空気が重い。
息をするたび、肺に雪の粒が溶けていくような感覚がした。
クレアが小さく囁く。
「まるで、時間が止まってるみたい……」
その時だった。
丘の上――倒れた柱の影で、風が一瞬だけ巻いた。
淡い白光が地面の裂け目を走り抜ける。
クレアが反応する。
「魔力反応、東斜面から!」
雪が吹き上がり、黒土が露わになる。
そこには、半ば崩れた“円形の紋様”が刻まれていた。
レオンが息を呑む。
「……魔法陣じゃない。もっと古い。これは――」
「祈りの陣形だ」
ユリクが低く呟いた。
「遊牧民が風と魂を繋ぐために使った印……呪いと祈りの境目にある術式だ」
真時はその中心に立ち、目を閉じた。
雪の冷たさの奥に、何かが“息をしている”感触がある。
何百年も地中に眠りながら、消えずに残った何かが――今、彼らを見つめている。
――風よ、我らを記せ。雪よ、我らを覆え。
どこからともなく、声がした。
淡く、掠れた、しかし確かに届く声。
真時の周囲で風が旋回する。
冷気が渦を描き、雪の結晶が空に浮かび上がる。
「……来る!」
バルドが剣を構えた瞬間――
雪の中から、淡い影が立ち上がった。
人の形をしている。だが、その輪郭は霧のように揺らいでいた。
レオンが息を呑む。
「これは……」
「“焼かれた民”の記憶か」
ユリクが呟く。
「この地の魔力と魂が、まだ離れきれていない」
風が鳴らぬ丘に、かすかな声が降りてくる。
――風が……帰らない……
――炎はまだ、終わっていない……
真時の視線が鋭くなる。
(この声……ただの霊じゃない。封印に“呼ばれた”んだ)
その瞬間、雪の下から光の線が走り、丘全体が震えた。
クレアが叫ぶ。
「真時! 何か、目覚めようとしてる!」
――ジュニスタ南東の峠、“風鳴らぬ丘”。
かつて処刑の炎が燃えたその地で、再び――“祈りの残響”が目を覚まそうとしていた。




