混乱、そして
――ガリニ砦・正面
敵軍三千は、鬨の声とともに一斉に雪崩れ込んできた。
盾を構えた歩兵が前列で衝突を受け止め、槍兵が背後から押し出す。弓矢は夜空を覆い、魔導士たちの詠唱が地を震わせる。
「う、うわぁぁッ!」
「くそっ、矢を防げッ!」
光の柱の衝撃に動揺していたルナロイド正規軍二万は、陣形が乱れ始めていた。数では圧倒的に優勢のはずが、精神を削られた今、その数の意味は半減している。
「怯むな! 前に出ろ!」
将軍の怒号が飛ぶが、その声さえ敵の鬨にかき消される。
真時は目の前の戦場に息を詰めた。
(……まるで死を恐れてない……! 突っ込んできた兵士が斬られても、その後ろから同じように押し寄せてくる……!)
確かに三千。だが、彼らはただの三千ではなかった。
肉体は血を流し、倒れても、苦悶もなく前へ進む。生者の軍というより、屍兵の群れを思わせる不気味さだった。
バルドが剣を振るいながら叫ぶ。
「こいつら……本当に人間か!?」
レオンが前線に並び立ち、盾で敵兵を弾き飛ばしながら歯を食いしばる。
「問答無用だッ! 今は持ち堪えるしかない!」
ガロルドは黄金の瞳をぎらりと光らせ、獣人の血を呼び覚まそうとした。
「押し返せ! ここで崩れたら、砦ごと潰されるぞ!」
だが、味方兵の足は重く、後方の光に囚われた心が士気を縛っていた。
矢の雨が砦の壁に突き刺さり、火の玉が城門を焼き、押し寄せる兵が壁際へ殺到する。
「敵が少ないはずなのに……押し切られる……!?」
「二万もいて何をしているッ! しっかりしろッ!」
将軍の怒声も、兵たちの動揺を完全には抑えられない。
光の柱が立つ前――砦を包んでいた均衡は、もはや崩れ去った。
敵三千の狂気の突撃が、二万の大軍を混乱の淵に追い込もうとしていた。
――まるで、背後の光が彼らの心を縛り、正面の黒旗が魂を呑み込むかのように。
敵軍三千は死を恐れぬ狂気の突撃を続け、砦正面は瞬く間に混乱に陥った。
兵士たちは盾を構えるも、動揺と恐怖で足並みが揃わない。矢が届くより先に、敵の槍が喉元へ突き刺さる。
「下がるなッ! 踏みとどまれ!」
レオンの怒声が夜気を裂き、盾ごと体当たりして味方を前へ押し出す。
バルドは剣を振り回し、血を浴びながら吠える。
「来いよォッ! 俺がまとめて斬ってやるッ!」
ユリクは乱戦の隙間を縫い、矢を雨のように放ち続けた。
「止まれよ、止まれってんだ……!」
だが、倒れても倒れても、次の兵が同じ速度で迫ってくる。
真時は冷たい汗を流しながら、腰の袋を握りしめる。
(これ……本当にただの人間の軍勢か……!? 止まらない……!)
その横で、ガロルドがついに咆哮を放った。
黄金の光が体を駆け巡り、鎧を破って筋肉が隆起する。
――獣人化。
金色の鬣を持つ獅子の獣人へと姿を変え、巨躯を揺らして前線へ飛び込む。
「吠えろォォッ!!」
彼の一撃で敵兵が数人まとめて吹き飛び、砦前に血飛沫が散った。
その瞬間、兵士たちの目に再び火が灯る。
「まだ戦えるぞ!」
「冒険者たちが踏ん張っている、俺たちも続けッ!」
砦の防衛線が、一度は崩れかけながらも冒険者たちの奮戦で再び立て直されていく。
――だが、その時だった。
砦の門を駆け抜ける影があった。
鎧は砕け、血にまみれ、今にも倒れそうな伝令兵。
「し、正門を開けろッ! 伝令だッ!」
よろめきながら中庭へ辿り着いたその兵士は、声を振り絞った。
「……ルナロイド……王都が……」
膝をつき、顔を蒼白にしながら、言葉を絞り出す。
「光に……光に包まれ……すべてが……消えた……」
静寂。
戦場の喧騒が、一瞬遠のいたように感じられた。
「な……にを……?」
誰もが理解できず、ただ呆然と伝令を見つめる。
伝令兵は血に濡れた手を伸ばす。
「……王都は……もう……」
言い切る前に、その瞳から光が消え、地に崩れ落ちた。
「……嘘だろ……」
「ルナロイドが……消えた……?」
背後の祖国が消滅したという報に、砦の兵士たちの心が完全に凍り付いた。
その動揺を突くかのように、正面の敵軍三千はさらに速度を増し、狂気の咆哮を上げながら迫り来る。
――祖国を失った兵たちに、果たして戦う理由は残っているのか。




