第85話:社会人歴は妹の方が上です。
翌日、俺は珍しく早起きを強制させられた挙句、着慣れない父のスーツに身を包み、今から数分後の状況を想像するだけで憂鬱になるような電車待ちの列に妹の舞衣と二人並んでいた。
「ちょっと、まって……頭が追いつかない。
あの『雪乃真白様』が名実ともにあたしの妹になって、家族が増えるから新しくドデカい家を建てて引っ越す?
あたしが部屋に戻った数時間で一体何が起きたって言うの? だいたい誰がそんな突拍子も無い無理難題——」
流石は氷室家でも唯一常識人の枠組みを勝ち取っている妹。
俺の説明に対しこれ以上ないリアクションで持って応えてくれる。
「そうだよな。普通はそうなるよな……、言い出したのは」
「お母さんでしょ、わかる。そういうとんでもない事を躊躇なく決断するのはお父さんには出来ないもの」
「ユキナは家の状況が落ち着くまではエハドと気ままにホテル暮らしを満喫するらしい、今まで住んでいた家は〈クラン〉所有だから出たんだと」
『白銀の勇者』雪乃真白がマスターである四大〈クラン〉の一つ『ヴァルデアのレガリア』は当然『王家』の支配下にある。
実態はユキナがいなくても何も支障はないとの事。
当初は追手をしつこく向けられるかと考えていたが、気味が悪いほどに静観、むしろ放置されているようだった。
個人でのメディア露出や配信活動に対しても妨害らしい妨害もなく、それが返って『いつでも消せる』というメッセージのようにも感じられるとユキナは語っていた。
実際奴らのやり口を考えるとその可能性は高い。
どこまでも傲慢で気位の高い『王家』の連中は常に高みからコチラを見下げ、いつまでも相手が自分たちの手の平で踊っていると考えている——。
裏を返せばそれだけこの日本の中枢に『王家』という異物が入り込み、影響力を増していると言う事だろう。
奴らは偶然の産物である〈ダンジョン〉を利用し、【魔法】技術を独占管理することで〈探索者〉という市場そのものを支配いているに等しい。
「はぁ、まあ雪乃様——ユキナさん、妹になるならユキナちゃん? とにかく、彼女の境遇を聞かされた後じゃ無碍にも出来ないしね? ある意味ウチの〈マスター〉にとっては今回の事も追い風になるのかな?」
顎に指を当てて考える妹が今し方口にした『マスター』。
俺は今からあの少年のような見た目の青年——というか【神聖力】によって『魂』の状態が見れる俺でなければあの蛇喰蒼真の年齢を外見だけで図るのは不可能だろう。
あれは、童顔とかそういう類のものじゃない。
電車の到着を知らせるアナウンスがホームに響く。
「お兄ちゃん、言っとくけど見た目が幼いからってマスターに失礼な態度取らないでよね? 氷室家の財政の半分は『ブルーサーペント』からのお給与で成り立っているといっても過言じゃないんだから」
ゆっくりと開いた電車の扉へと歩みよりながら険しい顔で注意を促す妹に苦い物を含んだような気持ちで何とかぎこちなくも笑い返す。
「あ、ああ、大丈夫——っ」
次第に混雑し隙間がなくなっていく車内に後方から押し込まれ密着度が増していく。
ただでさえ、妹の言う『失礼な事』を軽く飛び越えて、なんだったら『契約精霊』という間接的に俺の『力』と言っても過言では無い方法で文字どうりぶっ飛ばしてしまっている——などと言えるはずもなく。
非常に憂鬱な心境に追い打ちをかける朝の通勤ラッシュ。
「う——っ、おい、押すなってのっ、舞衣、大丈夫か?」
俺はガンガン押し込んでくる人の波に耐えながら、何とか壁際まで辿り着きついでに引き込んだ妹を腕の中に庇うようにして何とか体制を立て直す。
「え? あぁ、うん。慣れてるし、別に平気だけど?」
「そうか……毎日こんな満員電車で通勤とか、偉いな——そういえば、アルバは」
「ま〜現代の社会人歴は多分お兄ちゃんよりだいぶ長いしね? アルバ君はね、あそこ」
仕方がないとはいえ社会人として先輩の妹を持つ三十路折り返しの兄、という立場は結構くるものがある。
ふと妹が指差した方を見れば座席の上に設けられた荷物置き用のスペースで悠々と寝転がっている狼の姿。
それでいいのか、『地狼』アルバ。
「本当は従魔用の〈指輪型召喚魔道具〉とかに入れておかなきゃいけないんだけど、アルバ君入ってくれなくて……でも、なぜかあんな感じなのに周りの人は誰も気にしないから、あたしも、ま、いいかってなってるんだけど」
「あいつ、【認識阻害】を使ってるな……あ」
アルバは舞衣以外を対象に【認識阻害】という【魔法技術】の一種を用いてあんなにも堂々とこの窮屈な満員電車で寛いでいるのか——、と、ここで俺に悪魔の囁きが聞こえる。
俺も使えるじゃないか【認識阻害】、と。
周りに認識されないなら、この暑苦しい満員電車を快適に。
「お兄ちゃん、まさかとは思うけど。アルバ君の真似しようなんて、中学生みたいな事考えてないよね?
まさか、とは、思うけど……仮に実行したら、『兄』として金輪際接することを止めるからね?」
「ま、まさか、俺だっていい大人なんだ、流石にアイツの真似は……出来ないさ」
「当然、というか考えもしないけどね」
じっとりとした半目を交わしながら俺は満員電車の圧に耐える。
憂鬱だ。




