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第80話:異世界での『常識』

 一人宵闇に染まり始める河川敷に残った俺は虚空に消えたソフィアの背中を思い返しながらため息を一つ。




「はぁ〜、めっちゃ怒ってたな……。


 あのまま一緒に帰るのも気まずいし、どうしたら機嫌直してくれるのかね。


 ……女心、難しすぎるだろ」




『嫌い』と、勢いに任せて言われた時は、心臓を鷲掴みにされたような感覚だった。




 ただ真っ直ぐに好意を向けてくれていた彼女から受けた拒絶は自分で想像する以上に俺の胸に刺さったようで……俺は、あの子を、どう思っているんだろうな。




 そういや、あの子に一度でも『好き』だとか、『付き合う』だとか、口にして伝えただろうか?




 いい歳こいて『恋愛』なんて、と自分を卑下する一方で、俺は未だに逃げ続けていただけ、じゃないのか?




 込み上げてくる葛藤。




 ソフィアの真意や思いを図れない、理解できない自分にも苛立つ。




「ってな感じで。今の俺は超ナイーブな恋する中年なんだわ? ほっといてくんないかねぇ」




「いえいえ、大変見苦しい——失礼。興味深いですよ、正真正銘、本物の『勇者』殿」




 張り付いているような笑みを浮かべ夕日に照らされたメガネが光る、俺が最も苦手なタイプの空気を纏った優男。




「おかしいな。




 俺は結構な荒技を使って『あの子』を探していたはずで、移動もなりふり構わず【現代魔法】ではびっくり仰天なやり方と速度で動き回っていたはずなんだが?




 ——どうやって補足した?」




 何事もなく語りながら、俺は会話のテンポと歩調に相手の意識を向けさせた刹那の間に【短距離転移】で優男の背後に回り込み、『古ぼけた黒い刀』を首筋に当てた。




「——っ」




 息を呑む気配。




 俺の動きが捕捉できるほどの力量は無し——コイツはシャロシュが言ってた奴で間違いなさそうだな。




「氷室涼真殿、突然押しかけた事はご容赦を。これでも彼女との素敵なお時間の邪魔にならないよう配慮を——!?」




 若干、余裕を取り戻した優男はチラリと背後の俺に視線を向けようとして、首筋に食い込んだ刃こぼれだらけの刀身が首の薄皮を裂いて僅かに血を流させたことに驚愕していた。




「悪いな、芸も何もあったもんじゃないがこの『刀』は『魔法による効果や事象そのもの』を喰らう『妖刀』でな。〈スキル〉も同様に喰らう——チート武器様様だよ」




 俺の言葉にその表情からは余裕の色が僅かに消え、真剣な面持ちで声を硬くする。




「なんであれ、即時に私を完封なさったその手腕、お見事です。ですが私はあなたと争いに来たわけではありません」




 ふっと優男の姿が消え、少し距離を空けて俺の正面に【転移】でもしたかの様に移動。




 ——遅いけどな。




「わざわざ有意な状況を作ったんだ、逃がさねぇよ」




 気がつけば先ほどと同じ状態で、変わらず俺の手にした黒い刀身がその首筋を背後から捉えている現状に、優男が目に見えて動揺を露わにする。




「——っ、どうやって」




「さあな? お前は【時間操作】系のスキルだろ?


 ノーダメの絡繰はお前の『現状』に対する一時的な【時間停止】、一瞬消えたように見えた移動方法は単純に【身体加速】と【空間停止】を合わせた結果だろ」




 俺の推察が的中したのか、目の前の優男から完全に『魔力』の気配が消え、両手を小さく上に上にあげた。




「完敗です、氷室涼真殿……涼真さんとお呼びしても?」




「会話するつもりはないんだが?」




 優男はゆっくりと首筋に刀身を当てられたまま俺のほうへと向き直り、意味ありげに片方の人差し指で上空を指した。




「涼真さんは『異世界』にいた影響が長すぎるせいで、なんでも【魔法】や〈スキル〉の効果として考えてしまう所があるようですね?」




「勘違いするなよ? 俺は『王家』に関わる人間を殺すことに躊躇しないぞ」




 有言実行とばかりに俺は刃こぼれだらけの『黒い妖刀』にグッと力を込め、無理やり力任せにその首を断ち——。




「『衛生映像』それが涼真さんを捕捉して追いかけられた絡繰です。ちなみに現在もばっちり、宇宙(ソラ)から『殺人事件』が起きそうな現場を撮影中ですよ」




 優男が器用に片手で手首の〈デバフォン〉を弄れば、俺の目の前に投影される『映像』。




 そこには真上から俺が妖刀を優男の首筋に当てている様子が鮮明に映し出されていた。




「——だからなんだ?


 俺が追われる身になったとしてもお前の命が此処で終わる事に変わりはないぞ?


 それに、現代の人間に俺を捕らえる事なんて」




「違いますよ。涼真さん、全然違います」




 取り戻した余裕の表情が神経を煽り逆撫でする。




 俺は腕に込めた力を何とか残った理性で抑えながら応えた。




「なにが言いたい」




「まず前提としてこちらの世界には涼真さんの『ご家族』がいらっしゃる」




「——っ、家族は俺が」




「守る? ええ、出来るでしょうね? 『物理的に』であれば。ですが、『メディア』からは守れますか?」




「だから、なにが」




「涼真さんのいらっしゃった異世界と此方では、根本的に文化の水準、人々の価値観が違いすぎます。




 あちらの世界で涼真さんが『逃亡生活』を送れていたのは『王家』という明確な武力に対して堂々と『力』で対抗出来ていたから、と推察いたしますが?」




 まだ妹と変わらないぐらいの年齢に見えるが、コイツも『異世界組』なのか?




 ただ、確かに、このイケすかない男が言わんとせんことは、わかる。




 俺自身、異世界での生活が長すぎたせいで『現代日本人』としての価値観をほとんど無くしているという実感はある。




 頷くしか出来ないストレートな物言いに口の中を苦味に満たされた思いで、ジッと優男を睨み返す。




「……」




「肯定、と受け取りますね?




 異世界では『不当な理由』で自分を殺しにくる『敵』に対し、情け容赦など不要、()らなければ当然()られる。




 そんな価値観の世界では『力』によって問題を解決するのは簡単でしょう……が、現代は違います」




「……っ」




 突き刺すような視線。




 俺は改めて自分の思考——『殺す』という選択肢が当然のように現代での選択に組み込まれている事に初めて思い至った。




「涼真さん、あなたが今行おうとしているのは『殺人』です。




 現代において最も忌避すべき重大犯罪の一つであり、あなたが手を掛けようとしている相手は四大〈クラン〉の一つ『アルデインのスケプトルム』のマスターである私、『改刻の賢者』久遠寺(くおんじ)(きざむ)です。




 あ、ひけらかしではないですよ? 現状をわかりやすくご説明するために敢えて大仰に名乗らせて頂きました」




 完全に余裕を取り戻した優男の言葉に俺は強張っていく感情を悟られないよう、沈黙を貫く。




「……続けますね? 異世界でのあなたは『勇者』という大変有名な人物だったと思いますが、現代においては『一般人』。




 対する私は、『週刊ダンジョン』で抱かれたい〈探索者(シーカー)〉ランキング三年連続一位!!




 つまり知名度があります。




 そんな私を、背後から斬殺する映像付きで『氷室涼真』という人物が指名手配されたとしましょう、世間は、あなたを、そしてあなたのご家族と大切な女性を放っておくでしょうか?」




「っ——」




 唐突に突きつけられた『リアル』。




 確かに、俺は未だに『異世界』での感覚が身に染み付いているのだろう。




 優男の言うとおり、これ以上の『証拠』は無い。




 このままいけば犯罪者まっしぐらだ。




 ——このままなら、だが。




「答えは誰に聞いてもノーです。




 涼真さんのご家族や先ほどの……ソフィアさん?でしたか、涼真さんだけではなく大切な方々もネット中に素顔を晒されます。




 謂れのない誹謗中傷、無責任な書き込みが乱れに乱れ、肥大化する『情報』という名の『モンスター』。




 これを涼真さんは倒せない。




 結果、この国に涼真さんの大切な方々が『平和』に生きられる『居場所』は瞬時になくなりますよ?」




 余裕の表情で久遠寺刻は俺を見据えながら嘘くさい笑みを湛えていた。

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― 新着の感想 ―
こんばんは。 確かに殺人は法律上犯罪→殺ったら向こうは世論という頭お馬鹿を味方に出来ますけど…リアルタイムで撮影されてるならこれ逆利用できますよね? 結論として脅されたから…とこのまま問答無用でぶっ…
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