第79話:女心とクリームソーダ
時刻は夕暮れ。
茜色をキラキラと照らし返す川の流れに沿って設けられた河川敷は綺麗に整備され、犬を連れて散歩をする若者、仲良く揃ってランニングをしている老夫婦、無邪気にボールを蹴っては追いかけ回す少年達。
「……はぁ」
元いた世界では決して見ることの叶わなかった穏やかで、平和で、とても幸せな気持ちになれる光景。
ソフィアは座り込んだ河川敷へと降りる階段に座り込み、この平穏豊かな景色に似合わないため息をこぼして空を見つめる。
「嫌い、って言っちゃった」
先ほどリョウマと鉢合わせた光景を思い返し、瞬間沸騰しそうになる感情を冷静に落ち着かせ、その後の己のセリフを思い出しては再びため息を吐く。
「エミさんは、お姉様の仕業……じゃあ、あの女は」
その容姿からソフィアが思い当たる人物は一人いる。
直接会ったことがあるわけではないが、伝え聞く雰囲気や容姿は合致していた。
「……でも、それはおかしい。リョウマの話とこっちの世界で経過した時間を合わせれば三十年近く経っているはず。人間の彼女に変化がないのは」
そこまで考えた所で【魔法】的な力があれば老化を遅らせられる方法もある、と結論に至り、すぐに思い悩む思考を放棄した。
もし相手がソフィアの想像する人物だったと仮定して、相対したリョウマの心境を拙い想像力ながらも押し測って見れば、ソフィアは自分が如何に短慮で愚かな行動をしたか思い至る。
そんな自分に辟易としながらも、込み上げてくる複雑な感情に論理的な折り合いを付ける事ができず、もうこの短時間で何千回目かであろうため息をただただ吐き出していた。
「わかってる……リョウマが私を裏切ったりしたわけじゃない、なのに、あの光景を思い出すと、胸が苦しくて、冷静でいられなくなるのは、なんで——」
思考の迷路に陥りかけた所で、ふと目の前に夕日と重なる球体。
少年たちの蹴ったボールがソフィア目掛けて飛んでくる瞬間だった。
ソフィアは常日頃、敵の不意打ちに警戒していた癖で息をするように迎撃用の【魔法】を発動。
『闇色の長槍』が虚空から飛来するボールを穿たんと突き出される。
「っと、子供のボールに穴開けたら、いくら美人なお姉さんでも流石に泣かれるぞ?」
西から照りつける陽光に照らされ薄らと影になった表情を見た瞬間ソフィアのモヤモヤと燻っていた感情が一気に晴れていくのを感じた。
「——リョウマ」
いつも通りの穏やかな笑顔でソフィアを見つめた涼真は片手に受け止めたボールを少年たちに返し、もう片方の手で受け止めていた『闇色の長槍』に同質量の魔力波長を加えて何事もなかったかのように消失させる。
「……」
「あ、あのな? さっきの件だが」
「相変わらず凄まじい技量」
「ん?」
「いくら普段から見慣れていると言っても私が日常的に行使している【魔法】は基本的に【八階梯】以上の一般的に高度とされる部類。
それを計算でもなく、魔道具の補助も、魔法陣への介入、書き換えでもなく、感覚的に『魔力の波長』だけで相殺してみせるリョウマはやっぱり天才——。
もうそれは、『化け物』の領域にあると思う」
「お、おお、おう、ありがとう? 最後の『化け物』ってのは誉められている?のか?」
大好きな【魔法】の事でつい興奮してしまったソフィアは戸惑う様子の涼真にハッとし、小さく俯いて視線を足下へと落とした。
「……、ありがとう」
「ん? ああ、いやこのくらい……、それよりさっきの事なんだが」
ソフィアの心境は今色々と忙しかった。
小さく、一応のお礼は返した。
だが、よく考えればボーっとしていたとはいえ子供が偶然蹴ってしまったボール相手に『ミスリルゴーレム』でさえ一撃で貫くような【魔法】を使ってしまった恥ずかしさが猛烈に込み上げてきた。
同時に、今この場所。
ソフィア自身でも何処なのか全くわかっていない。
ただ、何となくいい感じの雰囲気に惹かれてフラフラと座り込んだこの場所に、涼真がわざわざ探して来てくれたと言う事実が堪らなく嬉しいと感じる。
その一方で、気配も魔力も遮断して自分でも何処かわからない場所に『飛んだ』ソフィアをどれだけの苦労をして探させてしまったのか、という申し訳なさが込み上げる。
そこへやはり浮上してきた先ほどの光景に再び沸々と御しきれない感情が湧き上がり、
「怒って、る? よな……やっぱり」
大変複雑かつ言い表しがたい表情となっていた。
「怒って、ない」
「いや、どう見ても怒って——」
「怒ってない!」
ソフィアは本当に、怒っていないのだ。
むしろ申し訳なさと恥ずかしさの方が圧倒的に勝っている。
ただ、あの時の光景を思い出すたび整理し難い感情の波がやってきてどうしても複雑な表情を浮かべてしまう。
「……い、一応言い訳をさせて欲しいんだが、あの小柄な子は舞衣が無理やりセッティングをしていて、もう一人の方は偶然——」
「わかってる、だからもう、大丈夫」
ソフィア自身、自分を気遣ってくれる涼真の言葉はとても嬉しく感じている。
それでも、整理できていない感情が多すぎて今は涼真の言葉にきちんと向き合う余裕がないと感じていた。
決して突き放そうなどとは考えておらず、ただどんな言葉を選んだらいいかもわからない、そのような心境で。
「……そっか。とりあえず、帰るか?」
「……うん」
なんとなく、涼真の表情に影が差したような気がした。
でも、それが何故なのか、自分の感情で手一杯のソフィアには理解できなかった。
「あ、ちょっと寄りたい所があるんだった——先に帰っていてくれるか?」
「……? わかった」
開いた【ゲート】に飛び込む手前で足を止めた涼真に訝しむソフィアだったが、それ以上は特に気に留めることもなく頷いて足を進める。
「そうだ、ソフィア。これ」
「ん?」
【ゲート】に体を半分以上預けたあとで、ふいに涼真が何かを投げ渡してきた。
それは、ソフィアには新鮮だがこの時代にあっては珍しい『缶』の『クリームソーダ』。
「あ、ありがとう」
「おう、夜には戻る」
突然の『プレゼント』にドギマギしながらも手を振る涼真に上手く手を振り返せず、困惑した表情に笑顔を取り繕えないまま【ゲート】は閉じた。




