第32話:ドラゴンVSゴリラ系女子
〈中央区ダンジョン〉地下三層。
セーフエリア周辺の警戒を買って出た地神剛は婚約者である『氷室舞衣』との間に今日一日で起きてしまった一連の出来事を想起し物憂げなため息をこぼしていた。
「……もう、このまま婚約者で居続けることは、難しいだろうな」
日本でも指折りの大規模〈クラン〉である〈ブルーサーペント〉副マスターという重すぎる肩書き。
常々地神はこの役職に対し本当に自分は相応しいのかと考え続けていた。
確かにクラン運営に必要な資金などの管理調整、行政との仲介、指名依頼の受注、新人育成……上げていけばキリがないほどに地神が関わり采配しているプロジェクトは多い。
だからといって、それが地神剛という人間にしか出来ない役割なのか、地神の答えは否だ。
はっきり言って〈ブルーサーペント〉は蛇喰蒼真の持つ圧倒的武力とカリスマ性で成り立っている。
唯一無二、絶対に替えの利かない頂点。
そんな男の右腕であり続けるために、地神は己自身の仕事に、その役割に並々ならぬ矜持を持って望んでいた。
気分屋のマスターが何気なく言い出した『婚約』の話も〈クラン〉の為を思えば、そこに『考える』などというプロセスは存在しない。
頂点たるマスターが右腕に命じたのだ、それ以外に理由など必要なかった。
そうして建て上げ続けてきた矜持は、忠誠を誓ったマスターと『婚約者』によっていとも簡単に崩れ去り、
「違うな……プライドでしか立つことが出来ない私だったから、こんな醜態を晒したんだ」
薄暗い通路が地神の呟きを静かに反響させる。
何のことはない、自分が必死に建て上げていたのは『砂上の城』に過ぎなかった。
高く積み上げれば積み上げるほど、元々砂地の地盤は脆く簡単に崩れさる脆弱な基礎に過ぎない。
「本来は彼女のような才気溢れる人物が……」
言えば虚しくなる事実を静かに地神は飲み込んだ。
マスターが『氷室舞衣』を目にかけ始めた時から、氷室舞衣の持ち得るリーダー性や才能に地神も気がついていた。
その才がいずれ地神に届き追い越して行くで有ろうことも。
その時に『婚約者』としてしか隣に立てなくなる自分を思い描いては恐怖し、
「そうか、怖かったんだな。私は、彼女が」
心の内に秘めて蓋をし続けていた『事実』に息を短く吐いて、ひっそりと向き合う。
そうして己の未熟さに目が覚めた時にはもう遅すぎる『現実』が横たわっていた。
そう、まさに今、四層入り口の前で寝そべっている『竜』のように。
「——ヒュっ」
思わず変な息を吐いてしまった地神は改めて目の前の異常極まりない光景に絶句し、物憂げな感傷に浸る己の頬を全力で叩く。
意識を強引に覚醒。もう一度目の前の事象と向き合い、
「こんな——、低級ダンジョンに、ど、ドラゴン」
「グォオオン———」
金色の瞳孔とばっちり目があってしまった。
***
「先輩って〜、ぶっちゃけ副マスのことどう思ってたんです?」
セーフエリアに設置された簡易拠点。
強豪クランに相応しく、最新の遠征キットを使用した拠点はさながらグランピングの様相を呈している。
夕食は豪勢とまではいかないがダンジョン内で食べるには十分に贅沢な素材を使用したBBQ。
これも大手に所属する良さの一つと皆で一時疲れを忘れて楽しんだ食後、全員揃っての談話タイムに放り込まれた後輩の容赦ない一撃。
集まる期待の視線。
濁して逃れられる感じではないと舞衣は判断すると同時に後輩への制裁を心の内に決めた。
「好きになる、努力はしてた——けど、もう年齢的に我儘も言ってられないし、両親の期待とか、背負っているものも大きくて、好きや嫌いで判断できる事でもないかなって葛藤、感情よりも環境に『結婚』させられそうになっている事態への反発、て感じかな」
なんとなくタイムリーな自分の考えをついポロッと雰囲気に飲まれて口走ってしまった舞衣。
『おぉ〜〜、なんか大人〜』
瞬間、舞衣は自分の浅慮をとても後悔した。
「もうプライベートな話はおしまいっ! 明日のスケジュールを確認して今日は休む——」
「先輩、〈デバフォン〉なってますよ〜、お、噂をすれば、現在複雑な関係ながらも一応『婚約』続行中の副マスからですよっ!」
ちょっと調子に乗り過ぎてしまっている哀れな未来を迎える予定の後輩から〈デバイス〉を取り上げ、敢えて全員に聞こえるよう『スピーカー』モードで通話を開始。
「はい、こちら氷室です! 今全員揃って——」
『退避! 総員退避だっ! 即刻退避せよ!』
スピーカー越しに聞こえる緊迫した副マスターの命令。
通常であればマニュアルに従い事態の把握よりも命令である『撤退』を優先し行動するはず、が。
「皆、聞いたわね?緊急事態と判断しこれより早々にこの場から退避——」
「え〜、まじっすかね今の」
「ワンちゃんに噛まれて騒いじゃう副マスですからね」
「実際は大げさって可能性も?」
「コボルトの群れにでも遭遇したとか?」
「「「————っぶふ」」」
弛緩した空気に先ほど起きたアルバとの出来事が拍車をかけて、全員の行動を遅らせた。
「あなた達っ!? リーダー命令よ! 現段階より緊急行動! 新人を優先して即刻退避を開始!」
緩み切った空気を文字通り割くように双剣を抜いて声を張り上げる舞衣。
「はーい! 先輩が怒ると怖いよ〜! みんな急いで退避、退避!」
最も早く対応に動いた後輩のエミに感謝を向ける。
困惑気味だった他のメンバーも慌てて退避を始めた瞬間。
「ウォン! ウォオオオン!」
一際大きなアルバの遠吠え。
一点を見つめるその視線を舞衣は追いかける。
「剛、さん?」
必死の形相でこちらへと向かってきた地神の姿。
途端に後方へと振り返り地神は手にしたハンマーロッドを地面に向かい力強く打ち付けた。
「——【土中級魔法:アースウォール】! アースウォール、アースウォール! アースウォール‼︎」
何かから逃げているのか、突如として気でも触れたのかと言わんばかりに通路を【アースウォール】という中級の土魔法で潰していく地神。
たちまちダンジョンの通路は地面より突き上がった土の壁で埋め尽くされ、
「これで沈め! 【土中級魔法:アースバレッド】」
自ら生成した土の壁にハンマー部分を力強く打ち付ける。
砕かれた土壁が巨大な弾丸となって通路の先へ向かい殺到する。
「——すげぇ」
誰の呟きだったか、轟音と土煙が舞うその空間にて聞こえた声にハッと我に返った舞衣。
「全員退避っ! とにかく急いで」
「————ォオオオオン」
瞬間、耳をつん裂くような大声量。
巨獣の如き咆哮に全員の意識が土煙の舞い上がる通路先へと向かう。
「なにをしている! 早く退避をっ——くっ! これでもダメか」
土煙の奥に鋭い視線を向ける地神。
次第に晴れていく視界、舞衣の目に映り込んだのは比喩でも何でもない、見紛うことなく確かに巨獣。
五メートルを優に超える体躯、全身を覆うのは赤黒い硬質な鱗。
背中に生えた皮膜の翼を広げれば更に体躯は倍に膨れ上がったようにすら見える威容。
「う、そでしょ? ドラゴン? しかも、あれは超級のダンジョンで目撃例のあった『フレイムドラゴン』!?」
「はわわわわっ、何ですかあれ! なんなんですか先輩っ! 超級のモンスター? 無理です、ウチ中級までしか潜ったことないんで!?」
後輩の悲鳴に倣い恐怖に身を竦ませる新人班、なんとか武器を手に交戦の意思を示す調査班だがその表情は険しい。
舞衣自身も例に漏れず破滅を象徴するようなその威容に冷たい汗が頬を伝う。
「氷室君! リーダーは君だ! 殿は私に任せて、早く撤退を! 【アースウォーーール】」
再度魔法を行使した地神により一瞬フレイムドラゴンの視界が無数の土壁に覆い隠される。
「——剛さん……っ、総員退避して! 振り向かず! 命を最優先にした行動を!」
舞衣の強い口調にその場にいた全員が一斉に駆け出した。
「アルバ、あの時の『強化』よろしく!」
「ウォン」
「せんぱーいっ! 逃げましょうよ〜っ、ウチ、まだ死にたくないですよぉ〜」
舞衣と何だかんだ憎めない後輩二人を除いて。
「君たち!? 何をしているんだ! 早くここから——」
目を剥く地神が言い終えるよりも早く、視界を塞いでいた土壁をクッキーでも割るかのように軽々しく破壊した巨獣は、舞衣達を視界に収めるなりその凶悪な口元から灼熱のブレスを躊躇することなく吹きつけた。
「剛さん! 左右に! エミちゃん! ブレスは任せた!」
「——っく、了承した!」
「えぇ!? あんな熱いの無理ですよぉおっ! こうなったら、意地でもお兄さん紹介と! セッティングまでめっちゃ期待しますからねぇええっ【操炎魔法:焔括り】」
半泣きの作り顔から、キリッと頼もしい表情に切り替わった後輩。
クラン内で炎を操らせたら彼女の右に出るものはいない後輩特有の【魔法】、広範囲に広がった炎の波が、放たれたブレスを包み、呑み込み、我が物とした。
「お返しです! 【炎上級魔法:フレイムキャノン」
灼熱のブレスを呑み込んだ事で通常の何倍にも膨らんだ炎の球体がドラゴンへ向かう。
「アタシの一撃も貰っときなさい!【風上級魔法:ウィンドシュート】」
「ここは出し惜しむ場面ではないな! 【土上級魔法:アースキャノン】」
三人の放った上級魔法が同時に迫る。
意表をつかれたフレイムドラゴンは成す術なく燃え盛る火炎の玉と風の砲弾、巨石の塊をその全身に受け、
「やったか!」
「やりましたよね!?」
「あぁ〜もう! ジンクス!!」
立ち上る土煙と爆煙、額に汗を流し叫ぶ地神と後輩を置いて舞衣だけが双剣を閃かせ疾駆。
「グォァアアアアッ————」
舞衣が地を蹴って宙に舞うと同時、爆煙を引き裂く咆哮とその金色の瞳に怒りを宿した怒れる竜が顔を覗かせ、
「はぁああっ!」
アルバの施した【地霊の加護】により引き上げられた身体能力をフルに活かし双剣を振るう。
「————ォオオン」
「っ氷室君!?」
「え、先輩——」
ただ、がむしゃらに振るった一撃。
その強靭な表皮に多少なりとも傷を刻めればと願った一撃は、怒れる赤き竜をその巨体ごと吹き飛ばし、ダンジョンの壁面に減り込ませた。
「え……っと?」
想定以上の威力に双剣を振るった本人ですら唖然と固まる。
『……』
ある種予想だにしない光景に沈黙する三人、舞衣は手にしていた双剣を見つめる。
「あ——」
耐久値を優に超えた一撃に双剣は見るも無惨な程粉々に砕け散っていた。
「氷室君、今の、攻撃は一体」
「先輩って、いつからゴリラ系女子にジョブチェンしたんです?」
舞衣自身混乱の極致にあるわけだが、間違いなく事の元凶であろう兄からの贈り物にチラリと視線を向ける。
「グルルゥ」
予想外の事態ではあったものの一先ず人生最大と言っても過言ではない難局を乗り越え胸を撫で下ろしていた舞衣。
未だ通路の奥に視線を向け唸り声を上げるアルバに違和感を覚え、
「ちょ、っと待ってよ——、なにアレ」
アルバが睨み据える方角に視線を向け思わず硬直する。
「どうかしたのか、氷室君——っ!?」
「今の先輩以上の衝撃なんて、正直勘弁なんですけど〜」
気がつけば微かに震えているダンジョンの床。
それが地震などではなく、今からやって来るだろう悍ましい光景が原因なのだと理解した瞬間、その場の誰もが全身に怖気を走らせた。