第26話:もう少し喋りませんか?
ソフィアの【結界魔法】に俺は驚き一時言葉を失って、途端込み上げてくるのは言いようのないもどかしさ。
「は、はははっ、いや、降参だ。酒一杯飲むのにこんな【超級魔法】展開されたら、過去を引きずってビクビクしてる自分が情けなくてしょうがない」
それが未だ年若い少女の気遣いによってなのだから尚のことだ。
「ふふ、今後も魔王の娘をみくびらない事をお勧めする。ん」
ちょこんと隣に座り直したソフィアが汗をかき始めたクリームソーダのグラスを差し出す。
「お見それしましたよ」
差し出されたグラスを手にした自分のグラスで迎え小気味の良い音が響く。
俺はそのままグッとこの世界に戻って初めて口にする酒を一気に煽り。
「——っくぅう! 美味すぎる!」
異世界で口にしていた気の抜けたぬるい麦酒などとは別格。
キンキンに冷えた爽快感と喉越しに目が覚めるような感動が全身を駆け抜ける。
「次の試験は私も一緒にいく——〈探索者〉になってダンジョンの調査、というか、探しにいくんでしょ? お父様の剣。〈魔王剣ブライト〉を」
ちびちびとバニラアイスをつつきながらもたらされた一言に肩が、いや、全身が跳ねた。
「ソフィア、お前——気がついて」
「当然。勇者がダンジョンで【アイテムボックス】を探していた時からなんとなくわかってたけど、なにより——」
呆れたように肩をすくめるソフィア様の反応に俺は冷や汗を拭う。
そうしてスッと目を細めたソフィアは遠くを見つめるように窓から見える夜空を見据えた。
「私たちがこの世界に来て初めて踏み入れた〈ダンジョン〉あの深層、かなり深い場所から一瞬だけ、微かに感じたの……」
「まさか、【魔王剣ブライト】の反応をか?」
静かに頷くソフィアを横目に、俺は自分の考えが間違いではなかったと確信を持つ。
ソフィアほど的確に【魔王剣】の存在を感じたりはしていなかったが、あるならあのダンジョンだろう、と、勘ではあるが当たりをつけていた。
転移の際に誤って別の場所に飛ばされたか、あるいは何者かの干渉か——。
「一般常識に躓いてる場合じゃ無いな! うし、明日からは俺も真面目に勉強するか」
再びグラスに注いだビールを煽り、そんな俺の姿をどこか嬉しそうな表情で見つめる少女も同様に頷く。
「私もこの世界で生きていけるように頑張る!頑張って、勇者のお母様とお父様と舞衣お姉様に認めてもらえるような『勇者のお嫁さん』になる」
ぶふぁっ! と思わず俺は口に含んでいた、ある意味さっきまでの決意とか諸々も含めて盛大に吹き出した。
「勇者、汚い」
「あ、いや、悪い、けども、え? ちょっと待て、今なんて?」
「勇者汚い?」
「そこは置いとこう、あと手際よく拭いてくれてありがとう。大丈夫、自分でします。はい。」
本当に気が利く几帳面な子だよな。将来はいいお嫁さんに——。
「じゃなくて、その前! お嫁さんがって、どういう——」
「? 勇者のお嫁さん?」
「それ! なんでそうなった!?」
「勇者がお父様を倒したから。それが魔族の仕来たり」
「ありがちな奴! え、いや、でも流石にそれは」
「嫌、なの?」
「嫌、では、ないけども! そういう問題じゃ、それ以前に年齢差とか、ソフィアの気持ちとか」
「私は、ずっとお父様から『将来は勇者に嫁ぐ』って言われ続けていたし、その、気持ちはずっと昔から、変わってないというか」
計画的犯行か! あの性悪魔王めがぁあ!
急に頬を朱に染めてしおらしく俯く美少女。
なんかちょっと意識してしまって高鳴り始める俺の鼓動——じゃすまねぇ! 『美少女』なんだよ?
ものすごく可愛く、天使で、全く火の打ちどころもなく『美少女』! そう、問題は『美』ではなく、『少女』の部分だよっ!
どう考えてもまずいだろう、ベリアルよ。
お前はそもそも親としていいのか?三十五のおっさんに『美少女』の娘を嫁に出して平気なのか?
「お父様は『年齢だなんだと彼奴は言うだろうが我ら魔族にとって勇者とソフィアの年齢差など些事に等しい。故に気にするな、あんまりウダウダ言う時は——』そ、の……『押し倒せ』って」
やっぱりテメェは『魔王』だよっ! どうする、え?
いやそもそも悩む余地なんてないだろう?
流石に俺の年齢でソフィアを恋愛の対象として見るのは——。
「えい」
「ひゃんっ」
おっさんが可愛い声で美少女に押し倒された。
照れながらもそのままマウントを制するソフィア。
「ちょっと、待て、ソフィア。流石にこの流れはよく、な——」
「ちなみに、勇者に拒否権は、ない」
真上で翳される手のひら。前後左右、無数に出現した魔法陣から漆黒の鏃が俺をロックオン。
押し倒すって、そういう。
「拒絶は互いの死を意味する。魔族の結婚は『命の契約』と同義。勇者は、受け入れて、くれる、よね?」
少し怯えたように伺う瞳。
目尻にはうっすらと涙。
何よりも、ずらりと並んだ数百を超える漆黒の鏃が俺だけではなく、ソフィアにも向いているという覚悟と、脅迫だよな……むしろ。
「と、とりあえず、わかった。気持ちはよく、よく理解したから、一度魔法を収めよう、な?」
「……わかった」
スンと鼻を啜るように、袖口で目尻を拭う可愛らしい姿に似つかわしくない凶悪な魔法の弾幕が消失してゆく。
流石、魔王の娘。告白のスタイルが脅迫。
というか、若干、お、重いような。
「なんか、考えた?」
特大の魔法陣、円環が重なり合い俺の額に向けて闇色の大砲を形成。
「すいません。なにも、考えていません」
さて、一先ずは落ち着かせたが俺自身が未だ混乱から脱せていない。すこし考える時間が欲しい。
「今日は、もう、遅い。続きはまた明日、ゆっくり」
「勇者のお父様は『うらやま——けしからん、けど、OK! 戸籍もその辺考慮して上手くやってあげるねんっ』って言ってた……お母様とお姉様にはまだ話せてないけど」
それであの件か父よっ!
ソフィアを健全な道へと戻せる砦があるとするなら母と妹。
「でも、お母様は今日、『あらあら、可愛いだけじゃなくて料理上手なんて! ソフィアちゃんがリョウマのお嫁さんになってくれたら本当の娘にできちゃうのにっ』て、言ってくれた」
頼れる常識人は妹よ! お前だけのようだ。
「そ、そうか。俺も、ちゃんと、考えるよ。うん、ただ今日は、情報量が多すぎて整理しきれないから、また明日話そう、な?」
「うん。私も、正式な婚姻を結ぶまで同衾はダメだってお父様から言われているから、そろそろ部屋に戻るね?」
混乱する心を濁すのに含んだビールを再び吹き出しそうになるのを必死で堪える。
ど、同衾て……。
いきなりそんな、事を意識させられても、俺はどうしたら。
「ゆう——リョウマ、おやすみなさい。——っん」
完全に気が緩み無防備だった一瞬の隙。
頬に触れる柔らかく僅かに湿った感触。
どたどたと走り去っていくソフィアの後ろ姿を唖然と眺める事しか出来ないくらいには、頭の中が真っ白になっていた。
「やっぱ、酒、止めようかな……」
俺はベッドに項垂れ、眠る。今は何も、考えられそうにない。
『ノンっすね、これだから拗らせ賢者マスターは』
『それな! せっかくソフィアちゃんが勇気出したのにさ! リョウマちんダメダメだね』
『御方様には、変わらずにいて欲しいと願うわっちでも、今のは流石に……。ソフィアの御心に今までお気づきにならんとは、まこと呆れ果てておりんすよ』
姦しい契約精霊たちがパスを通してわやわや。
喧しい! 俺は寝る! 何がなんでも寝てやる! 明日のことは、明日の俺に丸投げするんだっ!
『オジキぃ! イチャコラしちゅう時に悪りぃんじゃけど、ちぃとトラブル発生じゃき。マイは無事じゃけど、ワシの矜持的に傷一つつけとぉないんじゃあ、やきに、人化するけぇ、一応報告しとくけぇのぉ』
不意に届いたアルバからの報告。
どうやら現実逃避はさせてもらえないらしい。