第七話 死のコレクション
初秋。陸上自衛隊東千歳駐屯地の正門前は、異様な熱気に包まれていた。プラカードや横断幕が高く掲げられ、拡声器を通した声が鋭く響き渡る。
「野生動物の命を守れ!」「自衛隊は熊を殺すな!」「対話こそ解決の道だ!」
その声の主は、大半が本州から駆け付けたという市民団体のメンバーたちだった。藤野南小学校襲撃事件でのWARTによるヒグマ駆除は、一部メディアによってセンセーショナルに報じられ、「行き過ぎた武力行使」「自然への冒涜」といった批判と共に、彼らの活動を活発化させていた。
駐屯地内の建物の窓から、神木陸はその光景を静かに見つめていた。隣には、田中健太が腕を組み、忌々しげに舌打ちしている。
「…へっ、ご立派な意見だこと。対話?あの怪物とどうやって話し合うってんだよ」
「…彼らにも、守りたいものがあるんだろう」陸は抑揚のない声で答えた。
「守りたいもの? そりゃ俺たちだって同じだ!ってか、実際、今まさに、命かけて国民の生活を守るために戦ってるだろ!」田中は声を荒らげる。
「佐々木だって…こんな部隊さえなければ北海道に来ることもなかったし、家族も……なのに、なんで犠牲を払った俺たちの方が殺し屋みたいな言われようされなきゃなんないんだよ!」
陸は答えなかった。佐々木の容体は徐々に回復しており近いうちの復帰が見込まれているという。
すると、市民団体を取り囲むように地元・千歳市や近隣の住民たちが押し寄せる。その表情には、怒りが浮かんでいる。
「東京から来たあんたらに何が分かる!毎日こっちは熊の影に怯えて暮らしてるんだぞ!」
「子どもたちを外で遊ばせることもできないんだ!だったら熊と闘ってみろ!」
「自衛隊の皆さんは、文字通り命懸けで戦ってくれてるんだ!その邪魔をするんじゃない!」
理想論を振りかざす活動家と、身近な脅威に晒される住民。二つの異なる現実が、鉄柵の向こうで激しく火花を散らしていた。
世界っていうのは、二つに分かれたがるものなのかもしれない…目の前の争いを遠くの出来事のように見つめていた陸は、その視線をデモ隊の中心でマイクを握り澱みなく言葉を紡ぐ中年の女性に向けた。
高木良子。「動物との共生」を掲げる団体の代表。その瞳には強い信念が宿っているが、それは血の匂いを知らない場所で培われたもののように見えた。
ピリリリ!…司令部からの緊急連絡を告げるアラームが鳴る。
『苫小牧市臨海工業地帯、稼働停止中の製紙工場にて、複数の熊の侵入を確認!警備員からの通報後、連絡途絶!』
「…行くぞ」
陸は短く呟き、踵を返した。鉄柵の向こうの喧騒を背に、彼らは再び、現実の戦場へと向かう。今度の舞台は、巨大な鋼鉄の迷宮だ。
この時期の北海道の日暮れは早い。夕闇の苫小牧臨海工業地帯。月明かりと遠くのプラントの灯りだけが、巨大な建造物のシルエットをぼんやりと浮かび上がらせている。その一角に聳え立つ、稼働を停止した製紙工場。広大な敷地には、赤錆びたパイプラインが走り、巨大な倉庫や機械棟が迷路のように連なっている。静寂に包まれた廃工場は、不気味な威圧感を放っていた。
“こちらブラボー1、目標ポイントに到着。これより内部へ侵入する”
陸たちWARTの先遣隊を乗せた高機動車が、工場の通用門前に停止した。陸と田中をはじめ数名の戦闘員、さらに新メンバーとして加わったドローン担当の風間が降車する。
風間は、自衛隊員としては背も低く華奢な体つき。色白な顔は中性的で、屈強な男たちに囲まれるとまるで子どものようだ。
「俺はドローンってのはあんまり好かないね」田中はわざと周囲に聞こえる声で軽口を叩く。それを聞いた風間は余計に小さくなった。
「ドローンが好かない…?なぜだ?」陸は聞き返す。
「だってこっちは最前線で命張ってるのに、後ろの安全な所でラジコン操縦だろ」
「ラ…ラジコンではありません…自律飛行で…」
「しかも!高いところから悠然と見下ろしやがって…憎たらしいたらありゃしない」
「…」さらに風間は身を固くする。だが陸は淡々と返す。
「ドローンは市街地戦ではとても役立つ。お前も今日その威力を痛感するはずだ…」
「そういうもんかね?」
陸の言葉に少し風間の目に光が宿った。なんとか結果で応えたいと…
現場に着くと警察車両も到着し、周囲の封鎖を開始している。
モニター室にいる月島に情報が集約される。
“警備員3名との連絡は依然、途絶えたままです”
“その他、およそ60名の従業員が第一機械棟、第二倉庫から出られない状況”
月島は工場内の見取り図を見つめる。
“従業員の安全確保を優先する。出来るだけ熊とのコンタクトを回避するためドローン隊は援護を”
「よし、二手に分かれるぞ」陸が指示を出す。
「俺と田中は第一機械棟へ。残りは本隊と合流し、第二倉庫方面から侵入。警戒を厳に!」
「風間、ホーネットIIIを」
「了解!」
風間は小型偵察ドローン「ホーネットIII」を発進させる。プロペラの静かな回転音だけが、巨大な空間に響く。ドローンは天井近くを飛行し、搭載されたサーマルカメラで内部をスキャンしていく。
『…熱源反応多数。ですが、ほとんどが残留熱か、小動物のようです。熊らしき大型の反応は…今のところ確認できません』
「よし!」
隊員たちは暗視ゴーグルを装着し、静かに工場敷地内へと足を踏み入れた。巨大な機械が鎮座する第一機械棟は、まるで鉄の巨人の骸が並んでいるかのようだ。床には埃が積もり、パルプ特有の匂いが鼻をつく。
「くせぇ」田中はこれ見よがしに鼻をつまんで見せた。
「熊は嗅覚が人間の千倍近くある。むしろこの臭さは我々に有利かもしれない」陸は匂いを気にする様子もなく周囲を見回す。とはいえ、巨大な機械、積み上げられた資材、暗い通路。隠れる場所は無数にあり、ふいに襲いかかられたらひとたまりもない。以前、状況は熊に有利ではある。
その時、ドローンのカメラが何かを捉えた。
”!!…隊の上部! 二階通路の奥で何か影が動きました”
陸たちが視線を上げると、薄暗い二階通路の影からぬっと姿を現し、今にも襲いかかろうとしていた黒い塊が。ヒグマだ。
「いたぞ!」田中が小銃を構える。
だが熊は攻撃の姿勢を解き、身を翻して銃弾を避けると、再びコチラを覗き込んだ。そしてゆっくり見せつけるように通路の奥へと消えていく。まるで、「こっちへ来い」と誘っているかのように見える。
「神木、これは罠かもしれん…ヤツにかまわず先を急ごう」
田中は、先日の小学校で熊がわざとつけた血の跡を追った結果、不意打ちを食らった。それゆえ熊の知性があなどれないと痛感している。だが罠に掛かるまいと先を進もうとする田中を、陸が強引に引き留める。
「田中、待て。」
「なんだよ…」
「少し嫌な予感がする」「は?」
すると陸は無線を送る。
「…風間!この奥を調べてくれないか」
「了解。」
風間はホーネットIIIを先行させ、通路の先を偵察する。
『…前方クリア。右手の会議室、扉が開いています。ん?…中に熱源反応あり!…え!?』
風間の手元のモニターに映る、ドローンのカメラ映像には、恐るべき数の熊が待ち伏せしていた。そしてドローンを見るや一斉に襲いかかってくる。
グワァァアアア!!!
一瞬の間に最新ドローンは無数の熊の爪と牙で粉砕される。
「あぁ…最新機なのに…始末書ものだ…」うなだれる風間。
その熊の群れを見て、田中が眉をひそめる。
「罠と見せかけた罠…!?ってか、このまま進出してたら…?」
「今頃、俺たちはあの爪でミンチ状態だな」
震え上がる田中をよそに、陸はふと上を見上げた。わざとらしくさっきの熊がまたこちらを見つめている。
「残る道はあそこだけ…誘いに乗るしかあるまい」
「くそっ、熊のくせにバカにしやがって」
陸たちは小銃を何発か放つと熊はその首を影に引っ込めた。その隙に、階段を駆け上がり、二階通路へ。するとその床には、血で染まった巨大な足跡が点々と残されている。
その行く先、長い廊下の左右にはいくつもの部屋や機械室への扉が並んでいる。だが、さっきの熊はどこに潜んでいるか分からない。陸が血の跡を丁寧に読み取り、ハンドサインで合図すると隊員たちは音を立てないよう慎重に進んでいく。
そして管理人が最後の連絡をよこしたコントロールルームの前に来た。
陸の指示で、銃をかまえたまま扉をうっすらと開ける。そして扉の隙間からゆっくり内部を窺った…部屋の中には巨大なモニターやボタンがいくつも並んでいる。さらに扉を開けて奥を覗くと…
ガサガサ…という物音と共に熊の後ろ姿が見えた。すかさず発砲すると、それを見透かしたように影はすぐ奥に引っ込んだ…
「何を漁ってやがる…?」
「突入!」
陸の合図で、隊員たちは射撃しながら一斉に突入する!
そして熊を確認すると、田中が新たに開発した粘着弾を発射する。これは銃弾の衝撃で致命傷を負わせるよりも動きを止めることに力点が置かれ、流れ弾の心配も無く市街地戦用に開発されたものだ。
熊は驚くべき俊敏さでそれをかわすものの、幸いにして粘着弾は周囲に散らばり熊の足に一部くっついた。これには動きづらそうな様子を見せる。
そのまま警戒を解かずに熊の影に隠れていたその正体を覗き込んだ。そこには…
「こいつ…」
「どういうつもりだ?」
まるで見世物のように並べられた三人の遺体…行方不明の管理人たちだ。
陸は無線をとる。
「行方不明の三名発見。いずれも息はない。」
“了解。熊の殺処分と遺体の回収は後にして、避難の誘導を…”
「そうしたいのはやまやまだが…相手はその気がなさそうだ」
その熊は、自慢のコレクションを見せびらかす悪趣味な人間のように、三人の遺体の前に立ちはだかる。…お前もこのコレクションに加えてやる、と言わんばかりに不敵にこちらを見つめる。