第三十七話 暗闇の狩人
トンネル内部は、真冬とは思えないほど生ぬるい風と湿気、そして完全な闇と静寂に包まれていた。
非常灯のかすかな明かりだけが、ぬらりとした壁面と、どこまでも続く線路をぼんやりと照らし出している。空気は重く、湿気を帯び、金属とカビの匂いが混じり合っていた。
「こちらアルファ1、内部に侵入。異常なし。これよりポイント・ブラボーへ向かう」
陸は無線で司令部に報告する。だが、返ってくる音声はノイズ混じりで聞き取りにくい。やはり、この深さでは電波状況が極端に悪い。外部との連携は困難を極めるだろう。
「風間、頼む」
「了解。偵察ドローン、発進させます」
風間は手元のコントローラーを巧みに操り、数機の小型ドローンを先行させた。ドローンのカメラが捉える映像は、彼の手元のモニターと、陸、田中のヘルメットに装着された小型ディスプレイにリアルタイムで送信される。
暗視カメラが捉える緑がかったモノクロームの世界が、彼らの視界となった。
「…いた!」
風間が声を潜める。モニターに、巨大な影が映し出された。貨物列車が脱線し、無惨に破壊された地点。その瓦礫の陰に、それは潜んでいた。ベータ個体よりもさらに一回り大きいのではないかと思えるほどの巨躯。全身を覆う漆黒の体毛は、闇に溶け込み、異様な威圧感を放っている。
――ガンマだ。
「全隊、警戒! 発見地点、ポイント・チャーリー!」
陸が警告を発した瞬間、ガンマが動いた。それは、これまでの熊の動きとは明らかに異質だった。単なる突進ではない。瓦礫を巧みに利用し、身を隠しながら、回り込むようにして距離を詰めてくる。
「クソッ、小賢しい!」
田中が悪態をつきながら20式小銃を構える。
「風間、照明弾!」
「はい!」
そういうや否や、風間のドローンが照明弾を発射し、一瞬、トンネル内が白昼のように照らされた。優秀な暗視ゴーグルは即座に光量を調整して、その光の奥に浮かび上がるガンマの全身を正確に隊員達の前に表示させた。
その目には、照明弾への狼狽を一切洗わない獣の影。獰猛さだけでなく、明らかに知性の光が宿っていた。
「撃て!」
ダダダダ…!!
陸の号令と共に、隊員たちが一斉に発砲する。銃声がトンネル内に轟き、凄まじい反響音となって跳ね返る。
だが、ガンマは驚くべき俊敏さで銃弾を掻い潜り、さらに側壁に設置された保守用の通路へと飛び上がった。
「上だ!」
隊員たちが見上げた瞬間、ガンマは通路から、巨大な金属製の配管を引きちぎり、彼らの頭上へと落下させた。
「危ない!」
ガガガガ…!!!
陸は田中を突き飛ばし、自身も転がり込むようにして回避する。轟音と共に配管が落下し、線路に叩きつけられた。間一髪だった。
「こいつ…罠を仕掛けやがった!」
田中が顔面蒼白で叫ぶ。やはりガンマも他の特別個体同様、ただの獣ではない。明らかに状況を判断し、地形を利用し、人間を狩るための知恵を持っている。
「待て、あれを見ろ!」
陸が指さした先、ガンマが飛び移った保守用通路の影に、人影が見えた。
「こんな所に人間が!?」
だがその人影は再び、闇に消えた。
「…!?」
「気を取られるな!あれは貨物列車の運転士の死体だ!」
と気を取られた瞬間、ガンマは再び動き出した。今度は、通路の壁面を蹴り、信じられない跳躍力で陸たちの側面へと回り込もうとする。
「風間、ドローンで動きを止めろ!」
「やっています! でも、動きが速すぎる!」
狭い暗闇で銃を乱射すれば、外した跳弾が仲間を傷つけてしまう可能性が高い。むやみな攻撃も出来ず、相手の思うつぼだ。
「下がれ!!待避だ!!」
「ダメです!後ろが先ほど崩れた通路の骨組みで塞がれています!!」
その時、司令部の月島から、ノイズまみれの最後の通信が届いた。
「…聞こえる…? 水野さんから…ガンマの…弱点を…特定周波数の…音響と…特定の…光…混乱……連携を…断て…!」
音声はそこで完全に途切れた。外部との連絡手段は断たれた。
田中は悲鳴にも似た声で訴える。
「くそっ、こっちの状況わかってんのかよ…高周波音でかく乱する方法はたしかに前も効いたが、あれは視覚では互角だったからだ。だが今は真っ暗。暗視ゴーグルを付けているとは言え、熊は人間の50倍も暗闇で目が良いんだぞ。同じ作戦が通用するとは思えん…」
風間も
「それに嗅覚にも優れている…」
陸は月島の最後の言葉と過去の闘いを反芻する。
「つまり、視覚と嗅覚を奪えばいいんだな…」
すると、風間は無線に叫ぶ!
「トンネルの全電源を落とせ!そして総員、ガスマスクを」
すると真っ暗になったトンネル内は一切の光を失った。
シュー!!
そこに催涙ガスが満たされる。
さすが人間の50倍も暗闇に強い熊の目も一切の光を奪われれば機能しない。それに催涙ガスで嗅覚を、ドローンの高周波で聴覚を奪う。
全員は沈黙を貫く。少しの物音がヤツに居場所を悟られるヒントとなる…
そして、自衛官達は暗視ゴーグルについたサーモグラフィー機能で、その体温を目視した。
とどめを刺すのは一瞬、しかも同時に大量の弾を浴びせかけて動きを封じる。
ミスすれば、発火した時の光で自分たちの位置を捉えられて、逆に攻撃される。
陸たちの背筋を、絶望的な状況を示す冷たい汗が伝った。




