第三話 殺処分
陸はヘリからロープを伝って急降下!ナイフの先に全神経を集中させ、猛スピードで地上の熊に着地した。
「とらえた!!」
衝撃と共に、ズブリという生温かくて鈍い感触が腕に走る。手元のナイフが突き立てられたのは熊の弱点の一つ、頭蓋骨の僅かな隙間、延髄。さらに陸は鍛え上げられた背筋を使い、全力で深く刺さった刃を引き抜くと全体重をかけてもう一発刺し込んだ。すると激痛に巨体が跳ねる。身体をよじり抵抗する熊に体勢を崩しながらも、鍛え抜かれた体幹と腕力で食らいつき逃さない。
その目は恨みで輝いていた。刃物を通して通じる肉の感触が、20年前のあの日から溜め込まれた黒い闇を腹の奥底から湧き上がらせる。そしてその闇は陸の脊髄を突き抜け、脳の奥へと得も言われぬ快感を導いた。
こうなると止まらない。一瞬、熊の動きが止まった間を狙って即座にナイフを引き抜き、再度急所を抉る。
「グルルル…ォォ…」巨体が痙攣し、うめき声を上げる。
「ハッ!ハッ!ハッ!」
抵抗が鈍るとみるや、一心不乱にその血まみれのナイフを刺しては抜いては繰り返す。
「あいつ…イカれてやがる…」田中、そして瀕死ながらも意識を保っていた佐々木はその気迫に慄いた。
完全に動きが止まるまでには至らないが、致命傷を与えたのは明らかだ。だが息つく間もなく別のヒグマが、陸の側面から襲いかかってくる。
「神木!」
「ダメだ。上空からでは援護射撃できない!」
だが陸は心配をよそに即座に後方へ跳び、ベルトに装着された特殊装備を起動させた。WARTのために開発された、対大型動物用高電圧スタンデバイス。通称「サンダー」。
バチチッ!と青白いスパークが散る。そして、それを今まさに自分に噛みつこうとするヒグマの口内に突き立てて、粘膜に直接電極を当てる。強烈な電流が流れ込み、ヒグマは悲鳴のような咆哮を上げた。
そして全身を激しく痙攣させながらその場に崩れ落ちた。陸は倒れたヒグマに近づき、まだ微かに動くのを確認するとコンバットナイフを構えて、その眉間に躊躇なく突き立てた。熊は完全に沈黙した。
「降下ポイントオールクリア…アルファ、降下し負傷者を回収、ブラボーは校舎へ突入!」
陸は佐々木たちの止血をしながら無線で指示を出した。堰を切ったように隊員たちが次々と降下し、衛生隊員が負傷した2人の応急処置を陸から引き継いで小学校外の救急車へと後送の準備を進めた。
「佐々木…死ぬなよ…」田中は佐々木の生々しい惨状に声を震わせた。
「何してる?田中、急ぐぞ」
「子どもたちを…頼んだ…」
陸は、一瞬の間、佐々木の顔を見たものの何も言わずに前を向きなおった。
出来ない約束はしない…どこか冷たく見えるその態度は地獄を見てきた戦士ゆえか。陸が校舎へ駆け出すと、田中を含むブラボーチームは20式自動小銃を構え、校舎の入り口へと向かった。
ちなみに本来、自動小銃に限らず銃火器の使用は、熊の駆除目的でも市街地での使用は厳しく制限されるのだが、本当の危機がくればそんな事は言ってられない。そこでWARTは政府により超法規的に携帯を許可されている。
”校舎3階で熊の目撃情報あり”
階段を駆け上がりながら田中は陸に囁く。
「にしても、お前、あんな高さから飛び降りて、熊の脳天をピンポイントで打撃するってどんな身体能力してんだよ」
「第一空挺団出身だからな、空を飛ぶのに慣れてるだけだ」
「…その冗談笑えねぇよ。さすがの空挺でもあんなムチャな闘い方しねぇわ」
すると田中がピンときた顔をする
「お前…まさか特戦…?」
「…」
陸上自衛隊でも対テロ戦を任務とするトップ中のトップの実力者、特殊作戦群こと通称・特戦。その訓練や任務内容は全て秘密のベールに包まれており、所属隊員自身もその任務内容はおろか、所属している事実を家族にも口外することはない。
「マジかよ?なんでそんなスーパーエリートがまたこんなキワモノ部隊に送り込まれたんだ?」
「送り込まれたのではない。志願した。」
「は?なんで?」
「…国民の命を救うためだ。それ以上でも以下でもない」
過酷な訓練と実績。将来を嘱望されたエリートである彼が、この異例の部隊に身を投じた理由は、個人的なものではある。だがさりとて為すべきことは変わらない。ただ目の前の命を守る!
…しかし、その思いとは裏腹に、熊を刺した瞬間、自分の中に湧き上がったあの興奮…自分が自分でない獣になる感覚…アレは何だったのだろう。
飛び込んだ校舎内は、血と砂埃の匂いが混じり合い、異様な空気に満ちていた。破壊された備品、壁に残る夥しい爪痕。
「こちらブラボー、校舎内に侵入。生存者の捜索を開始する。」
陸は冷静に報告しながら、ハンドサインでチームに指示を出す。音を立てずに進む、特殊作戦群上がりの訓練の賜物である。
だがその頃、黒い影に潜むその巨体は、その聴覚と嗅覚により早くも敵の襲来を感知していた。
図書室、音楽室、理科室…。陸と田中たちは各教室を確認し、怯え切った生徒と教職員を保護していく。
そして、陸は足を止めた。そこには殺害された男性教師の亡骸があった。
陸は手を合わせると、その肉体を背負い始めた。
「おい、何してる!?遺体の回収は後だって言われただろ!」
「置いてはいけない…」
「は?背負ったままで熊に鉢合わせたらどうするんだ?」
「…」
陸は何か言葉を発するでもなく、ただその決意に満ちた目で意思表示する。
「あぁ、くそ…だったら俺に背負わせろ…悔しいが、肉弾戦ならお前の方がまだヤツらに勝てる見込みがある。」
結局、校内にヒグマの姿は確認出来ないまま避難場所となっている体育館へ。そこで、待ち受けていた隊員たちと合流した。
「…保護された児童と教師、そして亡くなられた教師1名を合わせて現在確認されているのは85名です」
すると女性教師の一人が、血相を変えて駆け寄ってくる。「人数が2人足りません!」
「!?」
すると生徒の一人が声を上げる。
「佐々木くん…佐々木勇くんが、私たちを誘導した後、後ろから来てたはずなのにいないです!」「そういえば妹の凜ちゃん…佐々木凜ちゃんは?」
「私たちと一緒に避難してきたはずなのに…?」
「佐々木の息子と娘…?」
田中は動揺を隠しきれない。陸の眉が険しくなる。
自衛隊員を父に持つ勇敢な少年・佐々木勇…危険と対峙しながらも勇敢に全校生徒の避難を誘導していた少年。彼は皆を助けようとしている間に校舎のどこかに取り残されたのかもしれない…そして妹の凜はそんな兄を心配して校舎に戻ってしまった可能性が高い。
神木は月島に告げる。
「まだ児童が2名、校舎に残っているようです。捜索を続けます」
無線の向こうで月島が息を呑む気配がした。
「許可をください」
田中も横から叫ぶ「佐々木の息子と娘が中に残ってるんです!」
“却下します”
「なぜですか?」
“その二人はきっともう……”
月島は言いかけて言葉に詰まる…その先に待ち受ける結果を考えると、リスクが高すぎる。だが、後ろに控える郷田が告げる。
「問題ない。行かせろ」
「ですが…」
「GOだ!月島!」
まるでお偉方にショーを見せるかのような口ぶりで許可が出た。