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第二話 出撃

『緊急連絡!千歳市藤野地区の市立藤野南小学校に、複数のヒグマが侵入!校舎内に生徒・教職員多数!』


「ここから近い…」月島が苦々しげに呟く。


さらに佐々木の顔は青ざめている。


「藤野南…俺の息子と娘が通っている学校だ…」


「!!」


東千歳駐屯地の間近で自衛隊員の家族も多く通う小学校。その校舎内は、地獄と化していた。悲鳴と怒号、そして獣の咆哮が廊下に響き渡る。用務員室のドアをいとも簡単に破壊し侵入してきたヒグマは三頭、どれも推定300キログラムを超える巨大な雄。驚くべきは、その連携だった。一頭が教師たちの注意を引きつけ、残りの二頭が左右から回り込み、逃げ惑う子供たちの退路を断つ。まるで訓練された兵士のような動きだ。


「こっちだ!図書室へ逃げろ!」


若い男性教師が必死に児童を誘導するが、回り込んできた一頭に行く手を阻まれる。その教師は子どもたちを庇うように立ち塞がった。


「こっちに来るな!」


椅子を振り上げるが、次の瞬間、巨大な前足により薙ぎ払われ教師の体は壁に叩きつけられた。鈍い音と共に崩れ落ちる体。夥しい血が壁を濡らす。


「先生!」


絶叫が響き、パニックは頂点に達した。児童たちは統率を失い、散り散りになる。


「みんな、落ち着いて!こっちへ!体育館なら鍵がかかる!」


叫んだのは、小学六年生の佐々木勇。恐怖に顔を引き攣らせながらも必死に同級生や下級生に声をかけ、震える手で彼らを誘導している。


「上級生は近くの下級生の面倒を見て!!」


彼は父がWARTに赴任するのに合わせて転校してきたばかりだった。自衛官である父親からいつも言われていた言葉…”誰かを守れる強い人間になれ”


その教えを忠実に守って恐怖の中でもリーダーシップを発揮していた。




“WART、出動!目標、藤野南小学校!”


月島の号令一下、陸たちは熊の爪や牙を通しにくい高強度アラミド繊維と衝撃吸収ゲルを使った対獣戦闘服を装着し、UH-60JA多用途ヘリコプター、通称ブラックホークに飛び乗った。機内には重苦しい沈黙が流れる。ローター音が轟々と響く中、陸は膝に置いた愛用のコンバットナイフの柄を握りしめる…嫌でも蘇る20年前の記憶。


ふと前に座る佐々木を見ると、家族の安否が分からない状態に動転しているようだ。


「佐々木、今回は後方支援に回れ。そんな状態で熊と対峙するのは危険だ」


「何を言う。家族を守れず、国民を守る事など出来るか!」


「…」


決意は固い。だが、その意気込みに陸は逆に不安を覚えた。




“目標、インサイト”


眼下に、小学校が見えてきた。校庭には、警察車両が数台停まっているが、警官たちは遠巻きに見守るだけで手が出せないでいる。通常装備の警察官では、複数の巨大ヒグマなど相手になるはずもない。しかも鳥獣保護管理法の規制もあり、市街地での発砲は極めて困難だ。


月島はマイクで告げる。


“あくまで指示通り、生存者の避難を優先して。熊とは極力コンタクトを避けるために遺体の回収も控えて下さい”


その言葉を硬い表情で聞く陸…その目線を地上の校舎に移した。教室の窓ガラス越しに、児童たちを率先して誘導する一人の児童が見える。


「どうした?」「あの子…」


田中が、陸の横から窓の下、指さす方を覗き込む。


「おい!あれって…」佐々木の顔を見やると、すぐに佐々木も乗り出して見た。「勇…!?」「佐々木の息子だ」「!!」




校舎内。佐々木家の長男・勇は全ての生徒たちを送り出した事を確認しながら、避難場所である体育館に向けて一目散に駆けていく。


すると、その道中、階段の影に一人の少女の姿を見つけた。だがその顔を見た瞬間、勇の表情が凍り付く。


「…凜?」


妹の佐々木凜だ。


「こんな所で何してんだよ?」


低学年の教室は随分と前に避難を済ませたはずなのに……声を掛けようと近づこうとした瞬間、勇の動きが止まる。


「あぁぁぁ…」


その少女は体を引き裂かれ全身が血に染まっている。


「凜!」


「お…にい…ちゃん…」


「大丈夫か!」


「こっちに…きちゃ…ダメ…」


「?」


グアァァア…至近距離から聞こえる唸り声に顔をあげると、階段の収納庫の奥、暗がりの向こうに巨大な黒い影が…そのギロリと光る眼球が勇をじとっと黙って見つめている。


「お前が……お前がやったのか?」


フゥ…フゥ…フゥ…


その影は静かにゆっくりと近づいてくる。天井下の小さいな窓から差し込む日に舞い上がった埃がキラキラと照らされ、まるでスポットライトのように迎える巨体。その黒い影は光を浴びて神々しくも不気味に輪郭を現した。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


それは自分の身長の数倍はあろうかという巨大な熊だ。


逃げたい…だけど…”誰かを守れる強い人間になれ”


父の言葉が響く。そうだ、今目の前に横たわる妹を置いてなどいけない!!


「妹に…凜に、近づくなぁぁあああ!!!!」


その熊の黒い眼球に映るのは、敵意を露わにする一人の勇者の姿だった。




“降下ポイント、校庭!アルファチーム、先行降下!”


高度が下がり、ヘリのサイド扉が開かれる。ロープが投げ下ろされる。


レンジャー資格を持つ佐々木が先兵として、素早くラペリングで降下の準備態勢に入る。だが司令部のモニターに映し出されるヘリからの映像を見ていた月島は目を見開き、慌ててマイクを取る。


“降下中止!待機!”


それを聞いた佐々木の目には焦りと苛立ちが浮かぶ。


「は?明らかにオールクリアだろ。現場経験のねぇヤツは黙ってろよ!」


マイクは入っていないものの言葉が荒くなる。


「佐々木!落ち着け!命令は絶対だ」


「こっちは家族がいるんだ…団長!行かせてください!」


だが無線の奥で、月島は冷徹に言い放つ。


“ダメよ。様子がおかしい……”


「…は?」


だが校庭に獣の影などない。いや、むしろ静かすぎるぐらいだ。


すると佐々木の横から乗り出して、ロープを掴む別の隊員が!


「待てん!行かせてもらう!」


「バカやろう!命令を無視するな!!」


田中が叫ぶのも聞かず、勝手にラペリング降下を始めた。


「あいつも子どもがこの学校通ってんだよ」佐々木が吠えると、「俺も行く!」「おい!」田中が止めるのも聞かずに飛び出す。


「くそっ」と、震える足を前に進めて佐々木を追いかけようとする田中、そのベルトを強力につかみ引き留める手が…陸だ。


「なんだよ!」


「…」


華奢な見た目に反してその腕力は凄まじい。片腕だけで田中の足腰の動きを止める。「どんな馬鹿力してやがる!」陸は無言で校庭の方を見やる。


「あ?」すると眼下では、まさに校舎の陰から猛烈なスピードで黒い影が飛び出してきていた。


「あれはヒグマ!?」失踪する影は、ヘリから降下していく隊員が地面に着地するタイミング、最もコントロールを失い無防備になる瞬間を狙っているかのように猛突進を続ける。その時速は目算で時速50キロ以上!


「危ない!」


佐々木が叫ぶのと同時に、最初に飛び出した隊員は巨体に成す術なく突き飛ばされ、そのまま強力な顎に腕を噛み砕かれた。


「ぐあああああっ!」


ヘリの中にまで、隊員の絶叫が響く。その隙に着地した佐々木…熊はその存在に気づくと今度はそちらに向き直り、ジワジワと距離を詰め始めた。


「くそっ!何なんだコイツ」


田中の顔が恐怖に歪む。他の隊員にも動揺が走る。佐々木は自動小銃を構えるが、熊はまったく気にする様子はない。


「こんな状況じゃ、上から援護射撃も出来ねえ!麻酔銃だって、あのデカさじゃ何発撃てば効くか…!」


熊を取り巻く厚い脂肪の層を貫かなければ麻酔銃は利かない。万能ではないのだ。




司令部。モニターを見て神妙な顔を浮かべる月島。


その後方、暗がりから冷たい目で見つめる幹部たちがヒソヒソと囁き合う…


「初陣で部隊に死者が出るとさすがにイメージが悪い」


「政権の支持率UPのつもりがダメージになっちゃかまわんぞ」


そんな動揺に答えるように、一人の男がうやうやしく向き直った。防衛副大臣の郷田である。


「大臣。ご心配にお呼びません…こういう事態を想定して、自衛隊内でもスペシャルな人材を投入してますので」


「スペシャルな人材とな…?それは頼もしい。くれぐれも頼むよ」


月島は自己保身にまみれたその会話を聞き流し再度モニターを見つめる。


スペシャルな人材…それは陸上自衛隊が誇る精鋭中の精鋭。だが熊を相手にその実力は通用するのか…




機内で、田中は声を震わせる。


「くそ!目の前で仲間がやられてるってのに…俺は見てるだけなのか…」


すると一同をよそにホバリングするヘリから身を乗り出し地上を見下ろす一人の影が…神木陸だ。


「お前…?」


その男は無線をとった。


「こちら神木です、自分が救出に向かいます。団長、降下の許可を」


極限まで集中力を研ぎ澄ました陸の横顔は校庭の一点を見つめている。


「は?この状況でどうするつもり…」


陸は田中の言葉を聞き流し、もう一度無線で月島に問い直す。


「自分ならいけます。判断が遅れる前に許可を」


そうしている間にも熊は佐々木の体にその爪を立てている。対獣戦闘服でかろうじて八つ裂きは免れているもののあばら骨を何本か折られているようだ。


するとモニター室の後方にたたずんでいた幹部の一人が告げる。


「月島、GOだ。死者を出すわけにはいかん」


「ですが…」


「月島!」


月島は仕方ないという表情で告げた。


“わかりました…神木二曹、降下を許可します”


無線から月島の抑揚のない声が届くやいなや、陸は片手でロープを掴んだまま躊躇なく降下を開始した。


「え?おい!」


ラペリング(垂直降下)の決まりを無視した命知らずの降り方…陸はロープを伝いスピードをあげながら地上へ突進する。その目に映るのは、負傷して今まさにヒグマに食われそうになっている佐々木三曹。


「とらえた!!」


ほんの1秒もない間に空中で体勢を変え腰のナイフを抜くと、あえて勢いを殺さずナイフの先に全神経を集中し降下する。


狙う先はその黒い毛に覆われた頭蓋骨の僅かな隙間、延髄…熊の弱点の一つだが、動く相手に、しかも降下しながらピンポイントで狙うのは至難の業だ。だが、陸の体は完璧に動きをトレースする。


「おらぁぁあああ!!!」


ズブリ、という鈍い感触。陸は全体重を乗せ、ナイフをヒグマの脳天、わずかな急所に突き立てると、咆哮とも悲鳴ともとれる叫び声をあげた。

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