第十七話 危うい出陣
東千歳駐屯地司令部の別室。
月島七海団長は、モニターに映る防衛副大臣・郷田の険しい表情と対峙していた。
「月島団長、いつまで国民を待たせるつもりですか?苫小牧での失態は私の説得でなんとか不問に付しましたが、今度こそ結果を出してもらわねば困ります」
郷田の声は、スピーカー越しでも威圧的だ。支笏湖周辺の広大なエリアを「特定演習区域」に指定し、重火器の使用を超法規的に許可。半ば強引に熊の掃討作戦を進めようとしていた。
「この区域の熊を一掃し、そのまま緩衝地帯にすることで、北海道経済を支える小樽=札幌=苫小牧のベルト地帯については速やかに安全宣言を発表し、経済活動を正常化する。これを何としてでも年内に実現してください。」
「ですが副大臣…域内にはまだ避難を終えていない住民もおります。それに隊員の安全面も考慮すれば、慎重に進めるべきかと…」
「言い訳は聞きたくありません!避難勧告をしているのに残っているならその住民の自己責任です!少数のエゴで全国民がこれ以上、損害を被るのは看過なりません。」
「自己責任…?本当にそうでしょうか。社会から取り残され、選択肢を奪われた人々の決断を、そう簡単に切り捨てていいんですか?それでは、私たち自衛隊の存在意義は…?」
「とにかく!!首相も国民も結果を待っています。その自衛隊の存在意義とやらを示すためにもよろしくお願いします」
一方的に通信が切れる。月島は深くため息をつき、こめかみを押さえた。
「私たちは駒ではない…」
郷田の焦りとも取れる言動の裏に、単なる熊害対策以上の、何か別の意図があるような、拭いきれない違和感を覚えていた。
その時、スマホが鳴る。防衛医大の水野響子からだった。
“団長、例のアルファ個体群の遺伝子分析ですがARHGAP11Bとは別に未解明な配列パターンが見られました”
“分かった。それが何か分かったら教えてください。引き続き分析をお願いします”
月島は眉を寄せた。未解明な配列パターン…? 郷田の圧力と、この不可解な分析結果。嫌な予感が胸をよぎる。
だがとにかく時間が無い。その夜、月島は苦渋の思いで作戦の決行を決断した。
出撃当日、東千歳駐屯地には対獣戦闘服に身を包んだ隊員たちとそれを見送る家族の姿があった。緊張と、わずかな高揚感が入り混じった空気。
さらにいつもと雰囲気が違ったのは驚異的な回復力を見せた神木陸の作戦復帰が、隊員たちの士気を高めていたからだ。だが、当の本人自身の心は晴れなかった。
「お願い…無事で」
「あぁ…」
小学生の子ども2人を奪われた佐々木の復帰…それを見送る妻の表情に、拭いきれない不安の色を見たからだ。佐々木の目に宿る光は以前とは別物だ…いうなれば“憎しみ”と“復讐”に生きる意味を見いだした、そんな危うさをたたえている…
ヘリに乗り込む直前、陸は田中に声をかけた。
「なあ、田中。」
「なんだ?」
「佐々木、やはり少し危うい気がする。奥さんも心配そうだった」
「…だからなんだってんだよ」田中は吐き捨てるように言った。
「あいつは弔い合戦のつもりなんだ。その覚悟を邪魔する気か?」
「そういうわけじゃない。だが…」
「神木?佐々木は家族があんな目に遭わされたんだぞ?それを全力で支えるのが仲間ってもんじゃねぇの」
田中は陸を睨みつけ、先にヘリに乗り込んでしまった。わずかな、だが確かな溝が、二人の間に生まれていた。




