第十話 誰がために闘うのか
陸の体は、近くにあった錆びた鉄骨に叩きつけられ、鈍い音と共に地面に転がった。脇腹に、鉄骨の破片が深く突き刺さっていた。
「ぐ…あぁっ…!」
激痛が全身を貫き、視界が霞む。夥しい血が流れ出し、意識が急速に薄れていく。
「神木ィィィ!!」
その瞬間、幸か不幸か熊と人間の距離が離れた。そこへ田中が絶叫し、20式小銃の照準を合わせて発射する。
5.56ミリ弾で致命傷を与えるにはピンポイントで急所を撃つしかない…しかも民間人がいる以上、乱射は出来ない。その胸元一点を狙い引き金を引く。
ダン!
弾丸が熊の急所を貫く。
グオオォォォォ!!!
歪な咆哮と共に熊は最後の抵抗を見せる。暴れたその拍子で、高木に襲いかかろうとした…最期の一振りはその顔面の前をかすめて、その巨体は地面へと叩きつけられた。
「はぁ…はぁ…なんて執着心だ」
すぐさま田中らが駆けつけて血塗れで倒れる陸と、恐怖で立ち尽くす高木を救護する。
高木は、自分の軽率な行動が招いた結果、そして、自分を庇って深手を負った陸の姿を目の当たりにし、声もなく嗚咽した。
「すぐに救急車を!…衛生隊員は?」
陸は薄れる記憶の向こうで田中の無線から漏れる音を聞く…
“苫小牧駅前に複数個体が出現……ショッピングセンターに……応援願いします…至急、応援願います…”
「行かな…ければ…」
そこで意識は途絶えた。
東千歳駐屯地の医務室。集中治療室のベッドの上で、陸は生死の境をさまよっていた。脇腹への攻撃は、幸い主要な臓器を避けていたが、大量出血によるショックで深刻な状態だった。数日後、かろうじて意識を取り戻した陸の元に、田中が見舞いに訪れた。
「おぅ…目が、覚めたか…」田中の声は震えていた。「お前、5日間も眠ったままだったんだぞ。」
「…あの…市民団体の女性は…?」
「昨日退院した…」
ホッとした顔をする陸。
「ってか、こんな状況でまだ他人の心配かよ…?あいつのせいで、お前の方が死ぬとこだったんだぞ!」
陸は、ゆっくりと首を横に振った。
「…あれは…俺の判断だ…」
「判断!?ふざけるな!あの女がいなけりゃ、お前は確実に熊を仕留めてたし怪我なんかしなかった。俺たちを殺し屋呼ばわりする奴だぞ!?なんで、そんな奴の命守ろうとできんだよ!」
「…俺たちは…自衛官だ…」陸は、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「任務は…国民の生命と…財産を守ること…。そこに…思想や信条は…関係ない…」
「は?自衛隊員は聖人君子じゃない、人間だぞ?理不尽な事を言われたら腹も立つし、命だって惜しいし、給料だって安いんだから!」
「フッ…たしかに給料は安い。それでも守ると決めたから…。それが…俺たちの使命だ…。たとえ…相手が…誰であろうと…な…」
「……」田中は言葉を失い、ただ唇を噛み締めた。
その時、招集の合図が鳴る…
“苫小牧駅前で熊が出現!警察車両により近隣住民の避難誘導を展開中!WART隊員はただちに出動せよ”
田中は思わず声を上げる
「…ちくしょう。今日だけで3度目だぜ。しかもあれ以来まだ一頭も仕留められていねぇ…お前がいなきゃ俺らは闘えねぇんだよ」
「大丈夫だ。お前は十分、強い。」
「それ…褒めてるつもりか?むしろ皮肉言われてる気分だ。超人らしくさっさと傷治して戻って来い」
「傷の治りばっかりは俺の意思ではどうしようもならん」
「さすがのお前でも出来ねぇことがあるんだな!」
田中は大声をあげて笑うと、颯爽と病室を出て行った。
そして、残された陸は、ふと自分の今言ったばかりの言葉を反芻した。
”任務は…国民の生命と…財産を守ること。”
本当か?俺は本当に誰かを守るために闘っているか…?
自らの手を見つめて問いかけた。だとしたら熊の脳天にナイフを刺した時に感じたあの快感は何なのか…闘うほどに深くなる黒い霧の正体は…?
違う。頭では誰かを守るためだと思っていても、心はただ恨みを晴らすために熊を殺戮しているのかもしれない…
そんな病室前の廊下の影で、花束を持ち立たずむ女性がいた。それは高木だった。彼女もまた悩んでいた…理想を諦めるのでない、理想を叶えるためにこそ現実を見なければ。「私にも出来る闘いがある…」
何か決意を胸に秘めた様子で、その拳を強く握るとそのまま病院を後にした。
「現地の映像届きました!」
司令部のモニタールームに送られてくるヘリからのライブ映像をじっと見つめる月島。その視線は、町を我が物顔で闊歩している熊たち…中でも一際大きい熊に注がれている。
「いよいよカメラの前に姿を現したわね、特定個体アルファ…」




