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悪役令嬢と秘密の純愛結婚

作者: 大貝雪乃

「カイル様」


 そう言った彼女は、感情の読み取れない表情でカイルを見ている。


「わたくしと、結婚してくださいませんか?」


 その言葉から全く緊張を感じられないのが、カイルには信じられなかった。



 レイラ・ヘイルローゼ。

 その名を聞いた者たちの反応は、大きく三つに分かれる。


 とあるヘイルローゼ公爵領の町娘は、少しおびえるようにこう言った。


「レイラ様ですか? ヘイルローゼ公爵様の愛娘だそうですけど……いい噂は聞きませんね。お会いしたことはありませんけど、その噂がまるっきりの嘘とも思えませんし。え? どんな噂なのかって? それは恐れ多くて言えませんよ」


 とある公爵家の令嬢は、嫌悪をかすかにうかがわせながらこう言った。


「レイラさんは、社交界でも『変わり種』と言われる方ですわね。かなり強い……そう、自我をお持ちで、パーティにもほぼお顔を出されませんから、はっきりしたことは言えませんけれど。親しくしているのか、ですか? そんなことはありませんわ。あの方と親しい方なんていらっしゃらないのでは?」


 ヘイルローゼ伯爵領を有する王国の王子でさえも、こう言う。


「レイラとは何度か会って話したことがあるが……第一印象は気が強そうだ、だった。だが話すうち、そんな言葉では形容しきれないんじゃないかと思うようになったな。正直あまり関わりたくない」


 つまるところ、反応が三つに分かれるとはいっても、その根本は同じなのだ。


「レイラとは関わりたくない」という意思を、どれくらい露骨に示すか。


 違いはそれだけ。そしてその違いでさえも、レイラとの権力関係が生んでいるに過ぎなかった。

 要するにレイラは、社交界の鼻つまみ者。言動だけ切り出せば、悪役令嬢そのものだったのである。



 カイルは、頭を抱えていた。


「今度のレイラ嬢の誕生パーティで、彼女の婚約者を突き止めてこい」とは、カイルの父からのお達しである。

 さすがに父からの命令じみた任務に逆らうわけにはいかないが、かといって簡単に達成できるようにも思えない。


 先述の通り、レイラは社交会では忌避されている存在である。

 ところが最近、妙な噂が流れ始めた。

「レイラには、非公式の婚約者がいる」というのである。


 この国において、婚約にはいくつかの書類が必要だ。それらを揃えてお互いの同意があって初めて、婚約が成り立つ。


 だがその手順を踏まずに、とにかく婚約の関係を周囲に示したいというときに用いられるのが、非公式の婚約である。つまり、書類のないラフな婚約だ。主に、利害関係がそこまで強くない場合に用いられる。


 繰り返すようだが、レイラは社交界では好ましく思われていない令嬢である。

 そのうえ、なぜかレイラは派手な露出を好まなかった。足などは素肌を見たことがないくらいだ。そんな彼女が、男性を誘惑するとは考え難かった。


 そのレイラに、利害関係のない婚約者がいる?

 カイルもその父も、当初はこの噂を信じていなかった。


 ところがなんと、この噂をヘイルローゼ公爵に直接確かめた人物がいたのだ。

 それはある大きなパーティでの出来事であったため、目撃者は多数。信憑性は十分だった。


 そこでヘイルローゼ公爵は、噂の内容を肯定したのである。


 これを受けて、大きな衝撃を受けた人間は少なくなかっただろう。

 ヘイルローゼは、国内でも有数の大貴族である。たとえレイラと結婚することになろうとも、縁を結びたいという家はいくらでもあるからだ。


 しかも奇妙なのはそれだけではなかった。

 レイラの婚約相手が公表されていないのだ。


 婚約相手を公表しないことによるメリットは、ないといっていい。

 周囲からの詮索をかわしながらも婚約者との関係を続けるのには、無駄な労力を要するからだ。


 レイラに、利害関係抜きの婚約相手ができた。ところがなぜか、その婚約相手は名乗り出ない。

 この摩訶不思議な状態に、社交界は浮足立った。そしてだんだん、レイラの婚約相手を突き止めようとする動きが盛んになりだしたのだ。


 単に野次馬精神が働いているだけという面もあるかもしれないが、主な理由は勢力図の変化を警戒してのことだろう。子供同士の結婚というのは、それだけで同盟関係になりうる。


 カイルがレイラの婚約相手を突き止めるように言われたのも、これが理由だろう。

 ほぼ社交界に出ない渦中の人物が、誕生パーティを開く。ここを逃す手はないというわけだ。


「どうしたものかな……」


 これが、最近のカイルを悩ませていた問題の全貌である。

 カイルと同じようなことを考えている貴族は少なくないはずだ。そして間違いなく、レイラの方もそれはわかっている。

 素直に答えてもらえれば何の苦労もないが、そうでない場合はうまいかわし方を考えてくるに違いない。カイルはあまり交渉事が得意ではないと自覚していたので、うまく聞き出せるとは思えなかった。


 しかし今はパーティに向かう馬車の中。今更悩んでも、どうしようもない。

 カイルは開き直り、レイラとの対面の時を待つことにした。



 そうしてパーティまでのわずかな時間を無為に過ごした自分の見込みの甘さを、カイルは後悔し始めていた。


 声のかけ方がわからない。


 これは決して、カイルのコミュニケーション能力だけの問題ではない。


 まず、やはりレイラの動向が気になる者は多いようで、話しかけようとする人間が多いのだ。

 ところが、それを受けてレイラは、こんな風に言うのである。


「あら、皆様わたくしにずいぶん興味をお持ちですのね。まるで目の前にぶら下がった餌に群がるしか能のない野犬を見ているようですわ」


 野犬に例えられて顔を赤くした者もあったが、相手はパーティの主役で、この国有数の大貴族の愛娘なのだ。下手なことはできず、すごすごと退散していく。


 それを鼻で笑うレイラを見て、カイルは意味もなく一つの言葉を連想していた。

 悪女、と。


 言い換えるなら、悪役令嬢。レイラの一連の行動は、そう呼ぶにふさわしいものだった。


 これを見てカイルの意志は折れかけていたが、それでも諦めるわけにはいかない。父親から受けた任務を投げ出せば、最悪の場合、自分は二度と社交界に出られなくなる。

 そうやって自分を鼓舞しようとする思いとは裏腹に、カイルはそっとパーティ会場から抜け出していた。


 今は無理だ。あんなににべもなく追い返されてしまっては、交渉以前の問題。彼女の気が変わるまで、庭園で気分を変えよう。

 言い訳のようにそんなことを考えるうち、庭園へとたどり着いていた。


 さすがというべきか、庭園は隅々まで管理が行き届いているのがわかった。

 残念なことがあるとすれば、ほとんどの人間がレイラ目当てでこのパーティに来ているためか、人影がまったくないということだろう。


「庭師にもったいないことをするな」


 こんなことを言っている当人もレイラ目当てだったのだが、そんなことは無意識のうちに棚に上げて呟いていた。


「ええ、まったくですわ」

 それに、相槌が返ってくるとは露ほども思わずに。


「うわっ!?」

 驚きのあまり変な声を漏らしてしまった。わずかに赤面しながら振り向くと、そこにいたのは、流れるような長い金髪を揺らす令嬢だった。


「レイラ嬢……」

「他のどなたに見えまして?」

 小馬鹿にしたような態度で問いかけてくる。やはり、レイラ以外の何者にも見えない。


「なぜこんなところに?」

「わたくし、先ほどまで質問攻めにされていたでしょう? それに疲れてしまいましたの。それで使用人に協力させて、抜け出してきたのですわ」


 その「先ほどまで」とは言葉遣いこそ変わらないが、一応質問に答えてはくれるようだ。野犬扱いはしないでおいてくれるらしい。


「ここにはどなたもいらっしゃらないと思っていたのですけど、意外なこともあるものですわね」

「……ああ、そうだな」

 そっくりそのまま同じ言葉を返させてほしい。カイルは心の中でそう思いながらも、本題をいかに切り出すかを悩んでいた。


 今が父親からの任務を遂行する絶好のチャンスだ。しかし、やり方を間違えば確実に次はない。自分を前にしても態度の変わらないレイラを見て、そう確信していた。


「レイラ嬢は……自分は周囲から、どう見られていると思う?」

 結果、謎に遠回りした質問になってしまった。本題とまったくの無関係というわけでもないせいで、レイラを無駄に警戒させた可能性もある。聞いてしまった後で、自分の交渉事の才能のなさが不甲斐なく思えてきた。


「……」

 すぐに話題が打ち切られて終わるものとばかり思っていたのだが、意外にもレイラは真剣に考えてくれているようだった。


 それに、今の質問はカイル個人として気になっていることでもあったのだ。だからこそとっさに聞いてしまったわけでもあるのだが。

 まあともかく、質問の答えが得られるのなら単純に知りたい。その思いで、レイラの答えを待った。


「わたくしは、社交界の邪魔者なのでしょう?」

「……っ」

 その答えは、カイルが想定できた中で最もレイラらしくない答えだった。その微笑みは、悪女あるいは悪役令嬢というよりも、すべてを諦めた深窓の令嬢のそれだった。


「それくらいのこと、いくらわたくしでもわかりますことよ。それに、これはわたくしが望んだ結果ですもの」

「望んだ、結果?」

 飛び出したのは、またもや意外な言葉だった。


 レイラは、自分が嫌われていることはわかっているという。そのうえで、これまでの数々の言動は嫌われるためにやってきたことだというのか?


「ええ。非公式の婚約者、というのもその一環ですわ」

「え?」

 思いがけないところで、カイルの聞き出したい本題と話が繋がりだす。


「カイル様」


 そう言った彼女は、感情の読み取れない表情でカイルを見ている。その呼び方にさえも作為を感じてしまう。

 何が何でも対等に話し合うという、意思を。


「わたくしと、結婚していただけませんか?」


 その言葉から全く緊張を感じられないのが、カイルには信じられなかった。

 いや、それ以上に信じられないことがあった。


「ま、待ってくれ。非公式とはいえレイラ嬢には婚約者がいるんじゃなかったのか?」

「嘘ですが?」

「はぁ!?」


 もはや何も信じられない。レイラに驚かされてばかりで、もう何を信じていいのかわからなくなりつつあった。

 それと同時に、レイラらしくなさも強く感じていた。今のレイラは、そこらにいる令嬢と何も変わらない。普通に話が通じるのだ。悪女らしくない、ともいえる。


「なんでそんな嘘を? もし本当に嘘なら、ヘイルローゼ公爵もその嘘を信じていることになるぞ」

 父親を巻き込んででも、嘘をつき通さなければならない理由でもあるのだろうか。


「そういうことではありません。お父様には、全てお伝えしたうえでわたくしの嘘を広めていただいたのですわ」

「なら、なおさらどうしてなんだ? ヘイルローゼ公爵はその嘘の理由に納得しているんだろう?」

 そうでなければ、いくら可愛い娘の頼みでも嘘を広めたりなんてしないだろう。


「ではカイル様は、わたくしが婚約していなかったらどのようにお思いになりますか?」

「どのようにって……少し不思議だな、とは思う。ヘイルローゼの娘、というだけで婚約の提案はいくらでも舞い込んできそうなものだから」


 これは以前から思っていたことだ。確かにレイラと結婚する上では問題があるかもしれないが、それによって得られる利益も決して少なくはない。


 レイラは家柄的にも年齢的にも、そろそろ婚約者を決めなければならない時期――これ以上焦らすのは得策ではないんじゃないか、とも思っていたので、レイラが婚約したと聞いたときは納得もしたのだ。非公式の、という部分はともかくとして。


「そうでしょう? ですがわたくしは、訳あって結婚するわけにはいきませんの。お父様もそれはご存じですから、こんな嘘を手伝っていただけたのです」

「結婚するわけにはいかない? ならどうして俺と結婚しようと言い出したんだ」


 結局疑問は戻ってくる。結婚するわけにはいかないというのは、ここで事情を打ち明けてまでカイルと結婚しようとすることと矛盾している。


「カイル様は、わたくしの婚約者のことをお聞きしたかったのではなくて?」

「……」

 わずかな無言の時間。何か答えようとしたが、すでに手遅れだと気づいて諦めた。まったく関係がないのなら、即答してしまえばよかったのだ。そうできなかったのは、動揺の証。


「そのようなお方が増えていることは承知していますわ。そして、いつまでもわたくしの婚約者が現れなければ、どなたかがわたくしたちを怪しみ始めることも」


 その通りだ。今は婚約者が名乗り出ていないとはいっても、結婚するためにはそのままではいられない。その時が来なくとも、あまりに直前まで明かされなければ怪しむ声も出始めるだろう。


「いつ婚約破棄、あるいは離婚していただいてもかまいません。わたくしと、結婚してくださいませんか」


 そして再び、レイラはカイルの目を見据えて婚約を申し入れた。


「……どうして俺なんだ? 未婚の年頃の令息は、ほかにもいるだろう」


 その答えは、カイルの予想を逸れたものではなかった。そしてそれは同時に、カイルでなければならない理由に、カイル自身が納得していることを表していた。



 その後のパーティは、波乱の展開を迎えた。

 レイラとカイルは、パーティの中で婚約の報告をしたのだ。正確には、カイルがレイラの婚約者だったと明かす形になったが。


 当然、会場は困惑と驚きに満ち溢れた。

 なぜ今、公表したのか? なぜカイルは、レイラと結婚することを選んだのか?


 しかしそれらへの答えは語られないまま、パーティはお開きとなった。


 だが、これでは誤魔化されなかった人間がいる。カイルの両親だ。

 成り行きが成り行きなので、当然カイルの両親は、レイラとの婚約のことは知らない。会場の一般客と同じく――いや、それ以上に驚いていたのである。


 そしてパーティの後、急遽カイルとレイラの家族の話し合いが行われることになったのだ。


「申し訳ありません……カイル様の事情も考慮のうえで、ご提案するべきでしたわ」

「気にするな。こうなるのを分かっていて、レイラの力になると決めたのは俺だからな」

「カイル様……」

 とは、話し合いの直前の婚約者同士の会話である。


「カイル。これはいったい、どういうことだ?」

 最初に発言をしたのは、カイルの上の兄であるデュークだった。カイルには2人兄がいる。


「あの場でお話しした通りです。俺とレイラは、非公式ながらも婚約関係にあります」

「どうしてそんなことになった? よりによって、彼女と」


 よりによって、彼女と。その言葉の意味するところは明らかだ。結婚生活を送るうえで問題が起こる可能性の高いレイラと結婚する上に、こちらには何のメリットもないに等しいのだ。こんな風に聞きたくもなる。


「よりによって? どうしてそう思われるのです?」

 そこでレイラは、あえてとぼけたように聞いてみせた。


「こちらには何のメリットもないからだ」

「そうでしょうか? カイル様は、わたくしでないといけないのだとおっしゃっていましたが」

「なっ!?」

 何を想像したか、デュークの顔がこわばる。しかし気を取り直して、こう尋ねた。


「だがそれだけで結婚されては困る。レイラ嬢と結婚したい人間が多いように、カイルと結婚したい人間も多いのだから」

「そんな脇役のことなど関係ありませんわ。わたくしにとっても、カイル様しかいないのです。わたくしとカイル様以外のことなんて、些事にすぎませんもの」

 暗に、この話し合いでさえも些事だと言っているのだ。


「あぁ、可哀想なカイル様。本当はわたくしとの婚約を公にしたいのに、皆様からの賛成が得られないと言って口をつぐんでおられたのですよ? カイル様のためにも、わたくしたちの結婚を認めていただきたいのです」

 レイラの悪役令嬢っぷりは止まらない。そしてそれは、ある意味当然の結果を招いた。


「申し訳ないが、2人の結婚は認められない」

 こう発言したのは、カイルの父――ジェイムズだった。

 申し訳ないというのは、建前のようなものだろう。そう思わせるだけの固い意志が感じられた。


「なぜですか? わたくしもカイル様も、これほどまでに愛し合っているというのに」

「……」

 カイルは自分の顔が引きつっているのを感じていたが、可能な限り表情を動かさないように努めた。よくもこんなにすらすらと嘘をつけるものだ。先ほどカイルに謝った時の、しおらしい態度は見る影もない。


「カイルにも立場と外面があるんだ。君との結婚は、それに傷をつける」

「そんな……」


「カイルが初めから名乗り出て婚約していたら話は違っただろう。だがそうはしなかったということは、何か後ろめたいものがあると思われても仕方がない。違うか?」

「わたくしとカイル様との間にあるのは、愛だけですわ」

「それは私たちにはわからないことだと言っているんだ」


 だんだんジェイムズの口調が、幼子を諭すそれになってきた。彼にとってレイラは、言葉がうまく通じない幼子と変わらないらしい。


「とにかく、結婚は認められない。話は終わりだ」

 そう言ってジェイムズは立ち上がり、部屋から出ていく。それに伴って、デュークを始めとするカイルの家族たちも出ていった。



 交渉を終えて、カイルとレイラは二人で再び庭園に出ていた。

「さっき庭園で話した時とは別人みたいだった」

「どちらかと言えばあちらの方が素ですわ。先ほどの振る舞いは、必要なことでしたから」


 結婚をめぐる交渉は決裂したわけだが、二人はそれを悲観してはいなかった。

「しかし盲点だろうな。結婚を認めさせようとしていると見せかけて、婚約破棄を狙っているなんて」

「わざわざ嫌われるような振る舞いをするなんて、考えませんものね」


 そう。交渉の時などに見せてきた、悪役令嬢じみたレイラの振る舞いは、演技だったのである。

 元から存在しなかった婚約を、名実ともになかったことにするための。


 ヘイルローゼ公爵とは打ち合わせをして、婚約破棄のために手を尽くすことは伝えていた。だから、話の進行を妨げることなく最後まで見守ってくれていたのだろう。


「結婚してくださいと言われたその日のうちに、婚約破棄とは思わなかった」

「仕方ありませんわ。カイル様も、わたくしのような女と結婚するわけにはいかないでしょう?」


 実際はレイラも、カイルが簡単に結婚を決められる立場ではないことをわかっている。それを分からないふりをすることで、婚約破棄へと誘導したのだ。


「……」

 二人の間に、沈黙が落ちる。このまま別れてもいいのだが、純愛カップルを演じてしまった手前、あまり解散が早すぎるのもどうなのだろうか。かといって話題もなく、気まずい空気が流れだす。


「なあ、レイラ」

 その空気に耐えかねてか、カイルはレイラの名を呼んだ。

 レイラは近くの花を眺めていたが、カイルの方に向き直る。


「どうしてレイラは、結婚できないんだ?」

 これは常に、カイルの中にあった疑問だった。


 そもそも事の発端は、レイラは結婚できないのに婚約者がいるとヘイルローゼ家が吹聴したことにある。その根本である、レイラが結婚できない理由というのがよくわからないのだ。


「わたくしは、嫌われているからです」

 かわされている。そう感じたが、引きたくはなかった。


 これは考えなくてもわかるような嘘だ。そんな荒いかわし方しかできないほど、レイラはこの話題に弱い。ここを掘り下げなければ、レイラの根幹をなすものに近づけない気がして、カイルはさらに尋ねた。


「嫌われているのは望んだ結果だと言っていただろう。なぜ嫌われることを望んだ?」

「わたくしは……社交界に、あまり出ないでしょう? これを正当化する理由が、ほかに思いつきまして?」


 つまりレイラは、社交界に出られない理由を嫌われているから――正確には、他人に嫌われるような自分勝手な行いの一つだと思わせようとしている?

 それならば、レイラには社交界に出られない理由が別に存在することになる。


 あえて少しずつカイルを真実へと誘導するように、けれど自分の口から真実を言うことをためらうようにしているレイラ。

 本当にこのことをカイルに知られたくなければ、黙るか話題を変えるかすればいいのだ。そうすることもなくずるずると話題を続けているのにも関わらず、一言一言にはためらいが感じられる。


 そこにカイルは、伝えたいことがありながらも、それを口にする勇気がない。そんな、ただ一人の少女の葛藤を見ていた。

 ならそれを手助けするだけだ。カイルは迷うことなく、次の問いかけを口にする。


「レイラが社交界に出られない理由は、本当は何なんだ?」


 レイラは強く目を瞑り、胸に手を当てて息を吐く。

 そして次に目を開けたとき、その瞳に宿っていたのは、悪役令嬢のようにふるまっていた時と同じようで、少し違っても見える強い意志だった。


「カイル様。薔薇は、お好きですか?」

 レイラは、手近な薔薇の花に手で触れながら問い返す。


「え?」

 カイルの気の抜けたような返事に苦笑して、レイラは語り始めた。


「わたくしは、あと一年以内に死にます」



 レイラ・ヘイルローゼ。

 享年十九、死因は持病。


 一般にはこう言われているが、真実は少し違う。

 だがそれを知るのは、今となってはヘイルローゼ公爵とカイルだけ。レイラは、自身の身を侵す病の真実を、この二人以外には打ち明けずに墓まで持っていった。使用人たちにさえも伝えなかったのである。


 ほとんどの者は、内心ではレイラの死を喜んでいた。

 そんな出来事からおよそ一年が経ったころ、第三王子はヘイルローゼ公爵の元を訪れていた。


「お久しぶりです、ヘイルローゼ公爵。お変わりはありませんか?」

「ええ、おかげさまで。以前にご足労いただいたのは、レイラの見舞いでしたか」

「はい。……寂しいものですね」


 第三王子はレイラを毛嫌いしていた社交界では珍しく、レイラの死を心から悼んでいるようだった。


「本日は私に、どうしても伝えたいことがあるとのことでしたが」

「この薔薇の痣。見覚えは、ありませんか」

「――!」

 裾をまくって自身の足を指さした公爵。それを見て、第三王子は息をのんだ。これと同じ、薔薇の痣を持った人間を、見たことがある。そして、その人間の最期も。


「やはりこれは、流行り病のようなものなのでしょうね。私もおそらく長くはないでしょう」

 その言葉を裏付けるように、公爵は激しく咳き込む。


「そんな……」

「だからこそ、どうしても叶えていただきたい願いがあるのです」

「……聞きましょう」


 本当は、こんな最後の願いなど聞きたくなかった。

 聞いてしまったら、彼がいつ死のうともおかしくなくなってしまう気がして。



 その日から第三王子は、人と会わなくなった。理由は病のため、と言われている。それを案じた国王が彼を見舞おうとしたそうだが、それさえも拒否したという。


 そして二か月が経つ頃。部屋から出ようとしない彼への心配の声はどんどん小さくなり、代わって大きくなったのは彼を疑う声。


 ――自身の父にあたる国王の見舞いさえも拒否するとは、どういうことか。

 ――全てをなげうって世を儚むとは、第三王子も堕ちたものだ。


 その疑いの声は大きく、激しくなっていった。

 ところが、その声がすべて静まるほどの衝撃的な出来事が起こる。


 ヘイルローゼ公爵が、急死したのだ。


 娘と同じく、死因は持病と公表された。


 しかし誰にとってもそれより大事だったのは、ヘイルローゼ公爵の後継者の問題だった。


 あまりに急なことだったため、彼には後継ぎとなる子がいなかった。彼の後継ぎはレイラになると言われていたが、それはほかに息子も娘もいなかったためである。さらに言えば、彼の妻もすでに病死している。


 そのレイラさえも今は亡く、またヘイルローゼ公爵は一つしか後継者にかかわる遺言を残していなかった。


 というのも、彼もまた第三王子のように人との面会を謝絶するようになっていたからだ。彼の死の判明も、食事を届けに来たメイドが見つけたのが最初だといわれている。


 その遺言というのは、「わが秘書を、一時的な公爵代理とする」だった。一時的である以上、実際の後継ぎは何にせよ決めなくてはならないため、事態の根本的な解決を促す言葉とは言い難かった。


 ヘイルローゼ家は崩壊するのか。養子に後を継がせるのか。あるいは、全く違う誰かが後を継ぐのか。

 こうなった場合、誰もが望む展開は「自分の思い通りになる子供がヘイルローゼを継ぐ」である。そのために、国中の貴族が養子をとり、それをヘイルローゼの後継ぎに推す動きが起こるようになった。


「エイミー様! またこんなに諸侯からのお手紙が……」

「めぼしいもの以外は捨てなさい。それから――」

「はい、めぼしいものはもう分けてあります!」


 エイミーの先を読むように、メイド――リーシアは返事をし、手にしていた紙の山を机に置いた。そして、一礼して部屋から出ていく。


 それを見送って、エイミーはため息をついた。今のやり取りは、ほぼ毎日のように行われている習慣のようなものだ。よくもこんなに、飽きずに手紙を出せるものだと思う。またため息をつく。


 エイミーはヘイルローゼ公爵の秘書だった。主人のことは尊敬していたし、仕事に不満もなかった。メイド長であるリーシアを始めとするほかの使用人たちとも、関係は悪くなかった。

 それなのに――公爵がいなくなってしまっただけで、こんなにも日常が様変わりしてしまうなんて。


 今やエイミーは公爵代理。次の公爵となる人間を選ばなくてはならない。

 そのためにも、机の上に積まれた手紙を読まなくてはならないのだ。

 憂鬱な気分をごまかすように、一番上にあった手紙を手に取る。


「見たことのない封筒……」

 この一か月、エイミーは毎日のように手紙の山と向き合ってきた。返答がないのに焦れて、何度も手紙を書く貴族もいる。その手の貴族は同じ封筒に同じ便箋を使うことがほとんどだ。ここまでくると、どの封筒を見ても見覚えがあるくらいにはなる。


 誰が書いたのだろう? そう思って封筒を裏返したエイミーが見たのは、想定のはるか外にあった名前だった。



 その翌週。ヘイルローゼ公爵邸にて、公爵の死を悼む会が開かれた。そこには多くの貴族たちが集まった。


 これほど多くの貴族が集まった理由は、公爵の人望――だけではない。

 エイミーが、次期ヘイルローゼ公爵についての決定を下したというのである。これを聞き届けようと、多くの貴族が集まったというわけだ。


「エイミー様……」

 会が始まる直前。リーシアは、支度を整えたエイミーのもとを訪れていた。


「どうかしましたか、リーシア?」

「本当に、後継ぎのことを決められたのですか?」

「もちろん。そうでなければ、あんな触れ込みはしませんよ」

「……」

 リーシアは思い詰めたように、唇をかんで俯く。


 この一か月、送られる手紙の数々にも沈黙を貫いてきたエイミーが、なぜ今になって突然後継ぎを決めてしまったのだろう。

 もしかしたら、目も眩むような大金を見せられたのかもしれない。エイミーだって、いつまでも収入なしでは生きていけない。生きるために、ヘイルローゼの後継ぎという立場を売ってしまったのだろうか。


「エイミー様」

 そしてついにリーシアは、顔を上げてエイミーを見据える。


「私は、ヘイルローゼのメイドを辞めさせていただきます」


「――え?」

「私は、一生をヘイルローゼのためにささげる覚悟でいます。ですが、やがてヘイルローゼは新たな後継ぎとその後援者に乗っ取られてしまうでしょう。そうなったヘイルローゼでは私の覚悟は果たせません」


 一息に自分の思いを言い切ったリーシアは、目を見開いて固まっているエイミーに気づいて、慌てて付け加える。


「もちろん、エイミー様の決断が間違っているとは思いません。ですが、私の決断にも意味はあるのだと、思っていただきたいんです」


 この状況では、何が正しいかなんてわからない。エイミーが下した決断もまた、間違ってはいないのだろう。ただそれが、自分の覚悟と矛盾してしまうだけなのだ。だから、出ていく――。


 この葛藤を、エイミーにはわかっていてほしかった。これはリーシアからの、最後のわがままだ。

 そう、思っていた。


「待ってください、リーシア。それは、私の話を聞いてから決めてくれませんか」


 エイミーがこれからやろうとしていることを伝え終えた後、リーシアは悟る。

 まだ自分には、やるべきことがあったのだと。



 そして会はつつがなく進行し、エイミーによる結びの言葉が始まった。


「みなさま、本日は我が主人のために足をお運びいただき、誠にありがとうございます」


 そんな無難な挨拶を望んでいるのではない。この言葉を聞いた貴族たちの心中は一致した。

 だが、ここで怒鳴ってしまえばエイミーの機嫌を損ねる。軽率な行動に出る者はいなかった。


「……前置きはここまでに致しまして」


 その言葉に、貴族たちが話を聞く目つきが変わる。


「みなさまもお気にされているでしょう、我が主人の後継者のことについてお話をさせていただきます」


 そう言って貴族たちの注目を集めたエイミー。その堂々とした態度を見れば、確かにヘイルローゼ公爵が一時的な後継ぎに指名するのも頷けた。


「我が主人の後継者は――」


 そこで言葉を切り、エイミーは目を閉じて深呼吸をした。奇しくもその動作は、一年ほど前にカイルに秘密を打ち明ける直前のレイラがとったものと同じだった。

 それに気づいたのは、一人だけ。


「指名、できません」


 それを聞いた者たちのほとんどは、自身の耳を疑った。


 後継者が、指名できない?


 後継者の指名には、デメリットがほぼ存在しない。指名した相手によっては金品も手に入るだろうし、外の者にヘイルローゼを渡したくないのであれば、いっそのこと自分がその座に座ってしまえばいいのだ。


 唯一デメリットがあるとすれば、ヘイルローゼの当主は相応の血を引くものでなければならない、という考えがある場合。

 しかしその場合においても、エイミーの行動は不自然だ。そのような考えがあるのなら、早い段階で指名できないことを公表すればよいのだから。


「ヘイルローゼ公爵家は、終わります」


 その言葉が、先ほどの言葉が嘘でも聞き間違いでもないことを証明していた。


「……待ってください。もちろんエイミー公爵代理の決定に異論はないのですが、せめてその結論に至るまでのお考えを聞かせていただけませんか」


 そして最初にエイミーへの疑問を唱えたのは、オステニル伯爵だった。

 彼は生前のヘイルローゼ公爵とは親しかったため、公爵亡き後のヘイルローゼを掌握しやすい立場にいた人間である。


「決定に異論はない」というのは口先だけの言葉だった。異論などあるに決まっている。

 それを押し殺して物腰を低くした理由は、二つ。今のエイミーは伯爵以上の権力を振るえるため。そして、彼女が心変わりして後継者を選ぶと決めたとき、オステニル伯爵への好感度を下げないことで指名される可能性を上げるため。


「もちろんです。そのために、この方にご協力いただきます」


 新たな人物の登場の予感に、オステニル伯爵は内心で舌打ちしていた。今はエイミーを説得するのに精いっぱいだというのに、「この方」とやらも説き伏せないといけないのか。


 そんな伯爵の心情を知ってか知らずか、エイミーは自身が立つ壇の端に、「この方」の姿を見つけた。そして、一歩下がって彼を待つ。


「は――?」


 そこに現れたのは、この二か月間、病を理由に姿を現してこなかった人物――この国の、第三王子だった。


「待ってください!」

 二度目の「待て」である。だがそんなことを気にする余裕もないほど、オステニル伯爵は激しく動揺していた。


「殿下は病にかかり、部屋から出られないほどだったのでは?」

「おや、伯爵は何か誤解をされているようですね」

「誤解?」


 伯爵は眉をひそめる。いったい自分が何を誤解しているというのか。周囲をうかがうが、みな同じような表情で第三王子を見ている。やはり、何か誤解があるとはとても思えない。


「ええ。私が部屋から出ないのは、病のためとお伝えしたはずです」

「だから、病にかかって部屋から出られなかったのでしょう?」


「何をおっしゃいます。――申し訳ありませんが、部屋から出られなかったというのは嘘です。見ての通り、私は何も患ってはいませんから」

「……その理由付けに、病にかかったことにしたと?」

「違いますよ。部屋から出られなかったというのは嘘ですが、理由の方は本当です」

「は……?」


 言っている意味が分からなかった。「部屋から出られない」という嘘をついた理由が、「病のため」? 論理が破綻している。


「私が嘘をつかざるを得なかった理由は、()()()()()()()()()()()()()()です」


 一瞬、言葉の意味が呑み込めなかった。


 その空白を経て、伯爵はようやく理解した。


「まさか、ヘイルローゼ公爵の命を奪った病について調べていたのですか?」

「その通りです」


 疑問形にして聞いてしまうほどには意外な真相。それを肯定され、何か発言しようにも喉は何の音も発してくれない。そのもどかしさを抱く裏で、伯爵は一つの矛盾に気づいた。


「それもおかしな話ですな。殿下がそうおっしゃい始めたのは三か月ほど前ですが、公爵は急に病が発症し、よい治療法を模索する間もなく亡くなられたのですよ。時期が合いません」


「そこにもまた嘘があります。公爵が病にかかったのは三か月以上前。そのくらいの時期から周囲との接触を減らし、病状の進行の発見を遅らせたんです」


「なぜそんなことを?」

 病が見つかっていたのなら、それを伏せておく理由はない。再び第三王子を追及しながらも、伯爵は第三王子のことを測りかねていた。


 突けば突くほど矛盾は出てくるが、今のところ第三王子は明確な動揺などを見せずに状況を説明している。今の段階では、彼が前代未聞の大法螺吹きなのか、それとも真実を知る数少ない人間なのかがわからない。


「薔薇病」


 第三王子は、感情の読めない瞳でそう言い捨てる。


 薔薇病。それは、特有の症状をほぼ持たないために、症状のみから病名を判別することは不可能と言われる病気である。


 名前の由来は、薔薇病唯一の特有の症状にある。それは、薔薇のような形の痣が体のどこかにできることだ。この痣と病状は大きくかかわっており、まず痣の周辺から不調をきたし始めることが多い。それで痣が薄くなれば薔薇病は完治するが、色濃く残り続ければそのまま病状は進行する。これを繰り返し、やがて全身にまで支障が出るようになると、死に至る。


 治療法は確立されていない。そのため、発症後は痣の濃淡次第ですべてが決まるという、恐ろしい病だったのである。そのうえ、何年もの間症状が変わらないこともあったようだ。


「薔薇病、とは……恐ろしい病ですが、すでに患者はいないはずでは?」


 ところが、そうなのだ。薔薇病は今では患者は存在しないといわれている。


 これは、先王の政策によるところが大きい。

 薔薇病は感染症のようなものである。先王はそう結論付け、患者の隔離を徹底した。これは事実だったようで、新たな感染者が生まれることなく数年が経過し、今に至る。


「エイミー公爵代理」

「はい。こちらをご覧ください」


 第三王子の呼びかけに応じ、エイミーが一つの資料を伯爵に渡した。


「これは、薔薇病患者の隔離リスト?」

 薔薇病の患者はとても多いわけではなかったが、脱走者も出る。その予防や事後処理などのために作られた、患者リストだった。


「二枚目の、六行目です」

 言われるがままにリストをめくり、該当箇所を見つける。


「シリー・ヘイルローゼ……?」

 そこにあったのは、元ヘイルローゼ公爵夫人の名前だった。


「彼女は薔薇病の患者でした。――そして、犠牲者でもあった」

 リストには名前とともに、病状の重さなども書いてあった。確かに、「死亡」と書かれてある。


「彼女の病状は重く、当然隔離もされていました。ですから、見張りたちも大金を払って雇われ、仕事を果たしていたわけです」


 理由はわからないが、第三王子の意味深な言い回しに気持ち悪さを覚えた。

 何か、見てはいけないものを見てしまったように。


「ですが彼らも人間。払われた以上の金があれば、そちらになびいてしまっても無理はない」

「つまり……?」

 思わず問いかけてしまったが、伯爵自身も答えは自分の中にあった。ただそれを、信じたくないだけで。


「公爵夫人は、娘を産んですぐに隔離されてしまった。その状況に心を痛めた公爵は、こっそり母娘を対面させようとしたんです。その時に、見張りを買収しました。そして、母娘の対面は実現。今日この時まで、ほかの誰にも知られることはありませんでした」


 ここまで断言されてしまえば、この場の誰もが真実を理解しただろう。闇に葬られていた方が、よかったかもしれない真実を。


「そして愚かな私の友人は、薔薇病にかかってしまったのですね」

 どこか自嘲するように、伯爵は言った。


「……そうです」

 第三王子はわずかにそう言うことに躊躇を見せたが、真実を受け入れるので手一杯の、オステニル伯爵を始めとした貴族たちは気づかなかった。


 その第三王子を、二人だけは物憂げな瞳で見ていた。



「殿下。少し、お時間をいただけませんか」


 会が重い空気に包まれたまま終わった後。会場を見て回っていた第三王子に、声をかけた人物がいた。


「どうした? エイミー公爵代理に、リーシア」

「公爵代理なんて、やめてください。ヘイルローゼは終わったのですから」

「……それもそうだな。エイミー」


 エイミーとリーシアは、第三王子を庭園に連れ出した。

 先に話し始めたのは、エイミーの方だった。


「それにしても、驚きました。あの手紙の山に、殿下からのものを見つけたときは」

「だろうな。だが、すまない。大量の手紙が来ているだろうに、わざわざ手紙で連絡してしまって」

「お気になさらないでください。優秀なメイドが、しっかり仕分けてくれましたから」


 そう言ってエイミーがリーシアを見ると、リーシアは照れた顔で笑っている。

 エイミーが第三王子から受け取った手紙には、先ほど第三王子が会で暴露した真実の内容がつまびらかに記されていた。

 それを読んで、手紙を見つけた時以上に驚いたのは言うまでもないが、手紙の末尾にはこう書いてあったのだ。


 ――公爵を悼む会を行ってもらえれば、そこですべての真実を明らかにしてみせる。


 それからエイミーと第三王子はやり取りを重ね、今日に至ったのである。


「殿下は……なぜ、公爵様の死の真実を世に出そうと?」

 これは、初めて手紙を見た時から気になっていたことだった。


「それが彼の望みだったからだ。託されたからには、やりきらないとな」

「それは、いつ?」

「三か月くらい前だろうか」


 三か月前には確か、第三王子が公爵家に来ていたはずだ。その時だろうか。


 だが、これは本題じゃない。本当に聞きたいことは、もっと第三王子が隠したがっていること。


「やはり、旦那様と殿下は、私たちの見えないところで繋がっておられたのですね」

「繋がって……まあ、そうなるんだろうな」

 リーシアの表現に、微妙な表情で答える第三王子。


「ではお嬢様とは、どのような繋がりがあったのですか?」


 だがその表情も、次の一言で吹き飛んだ。

「レイラ嬢のことか? 君たちが知っている以上のことはないよ」

 笑いながらそんな風に言ってみせるが、わずかに不自然だ。観察に徹していたエイミーは、それを見逃さなかった。


「一年ほど前、お嬢様の婚約騒動があったのは覚えていらっしゃいますか」


「もちろんだ。何せ私も、あの時は父に命じられてレイラ嬢の婚約者を探していたからな」


「あの時。殿下は、お嬢様と二人になってお話をしていましたね? 本当にあれは、ただの恋人同士の会話だったのですか?」

「ああ、そうだ」


 第三王子は即答する。まるで、そう決められているかのように。


「では、単刀直入に聞かせていただきますが」

 その流れに逆らうように、リーシアは第三王子に問いかける。


「お嬢様は、薔薇病だったのではありませんか? ――()()()殿()()


 今度こそ表情を繕いきれず、第三王子――カイルは、目を見開いた。


「どうして、それを……」

「お嬢様は、昔からどこかおかしなところがあったんです。露出を好まれませんし、使用人は避けていましたし、幼い頃は悪女ごっこでもしているのではないかという振る舞いばかりでした。けれど薔薇病なら、説明がつきます」


 カイルは、驚愕や動揺を必死に追い出そうとしているようだったが、それが上手くいっていないのはエイミーの目から見ても明らかだった。


「露出を好まないのは、薔薇の痣を隠すため。使用人を避けたのは、薔薇病にかからないようにするため。わざと悪女じみた振る舞いばかりしてきたのは、他人と関わらなくて済むようにし、かつ病がひどくてパーティなどに出られないことを誤魔化すため」


 その言葉は、かつてレイラから直接聞いたものとほぼ同じだった。リーシアたちはもう、カイルが覆い隠せたと思っていた真実にたどり着いてしまったのだ。


「もしかしたら、先に薔薇病にかかったのはお嬢様だったのではありませんか? そしてお嬢様を通じて、旦那様も薔薇病にかかってしまった。そしてはじめて、お嬢様は薔薇病のことを――」

「そうだ。リーシア、お前の言っていることは正しい」


 隠しても無駄だと気づいて、カイルはリーシアの言葉を遮っていた。


「だからこそ、それは世に出してはいけない」


 この言葉を、伝えるために。


「どうしてですか? これが公になれば、レイラお嬢様の評価だって上がります」

 こう反論したのは、事態を静観していたエイミーだった。


「これもまた、レイラの願いなんだよ。レイラは言ったんだ。――わたくしはこのまま、悪女として散るべきなのです、ってな」


「そんなことありません! このままではお嬢様は、ただ身勝手に生きて死んでいった、嫌われ者の悪女になってしまいます! けれど、真実を公表すればきっと、周囲の人間のために健気に生きた令嬢と思ってもらえます」

 リーシアもまた、この真実を世に出すべきだと考えているようだ。


「ああ、そうなるだろうさ。私が――俺が、そうだったように」

 そう言うカイルは、遠い目をして庭園の薔薇を見ていた。


「だが、これを公表すればどうなる? レイラが公爵に病をうつしたことが公表されれば、責任があると見られるのはレイラを公爵夫人に引き合わせた、公爵だ」

 それを聞いて、エイミーとリーシアはようやく、レイラの遺志のすべてを理解できた気がした。


 レイラは、自身が「悪女」として記憶に残る代わりに、病を広げず、かつ父の名誉を守ろうとしたのだ。


「レイラにとっては、この秘密を託すのは誰でもいいと思っていたのかもしれない。だけど、嬉しいんだ。理由なんてなくても、レイラが俺を選んでくれたのが」


 今となっては、レイラの真意を知る術はない。

 しかしエイミーの中には何となく、確信めいたものがあった。


「レイラお嬢様はきっと、殿下だからすべてを打ち明けたのですよ。――だってあの方は、殿下と結婚してもいいとさえ思っていたんですから」


 レイラはきっと、結婚するつもりなど最初からなかったのだろう。結婚すればどうしても夜を過ごさなくてはならないし、いつ死んでしまうかもわからない妻などいない方がマシくらいのことは考えるだろうから。


 けれど、レイラはカイルと結婚する可能性を受け入れた。「第三王子なら、公爵家との婚約も簡単に破棄できる」くらいの理由しかなかったのかもしれない。だが、それだけで取れる行動とも思えなかった。レイラは、カイルだから選んだのだ。


「――光栄だな。稀代の芝居上手に、選んでいただけるとは」

 苦笑交じりの言葉だった。けれどそこには、死してなおその演技をやめない令嬢への、確かな愛しさがこもっていた。

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