第五十一話 NPO法人の瓦解
道明寺海。この男は使えない。香坂志遠、この男もだ。洗脳をしているのに、正確な答えが出てこない。これでは、道明寺翠嵐の情報を得るどころか、正しく操る事も不可能だろう。
職員とボランティアには洗脳をかけ直した。この前よりも強力な洗脳だ。幾ら道明寺翠嵐でも手は出せまい。だから、軌道修正は出来たと言って良い。問題は道明寺海が使えない事だ。これでは、当初の目的を果たせない。
相変わらず、道明寺翠嵐に手を出そうとすると妙な事が起こる。前回は秘書の態度が変だった。今回は香坂志遠を誘拐する様に伝えたはずだが、何の連絡も無い。
香坂志遠が無事な所を見る限り失敗したのか? それとも、誘拐自体をしてなかったとか? これに関して静岡スラムに確認の連絡を入れたが、奴らはだんまりを決め込んでいる。
そもそも、道明寺翠嵐には関わらない方が良かったのではないか? 関わっても碌な事が起きない様な気がする。
「なあ、アルファ。時間の無駄じゃないのか? こいつらは馬鹿だ」
「そんな事は無いと思うんですが……」
「だって、知ってる情報が間違ってるんだぞ! 馬鹿としか良いようが無いだろ!」
「確かにそうですね。事前情報だと、テストの成績は良かったはずですが」
「では、こいつはどうなんだ?」
「香坂志遠ですか? 確か有名大学を首席で卒業しているかと」
「フン! 所詮は人間の学力という物は知識を集めただけだ。知能レベルは猿程度しか無いのだろう」
「流石に猿は言い過ぎだと思いますが」
「兎に角だ! 時間の無駄だからこいつらの洗脳を解いてから解放しろ!」
「道明寺翠嵐に関しては、どうしますか?」
「もう、放って置いても良いと思う」
「そんな可愛く言われましても」
譲らないアルファを睨み付けてから、俺はガンマに視線を送る。こうなったら強制的に命令を聞かせるしかない。最近、同胞たちは俺の事を侮っている節が有るからな。引き締める意味でも、威厳を示さないとならない。
ガンマに洗脳を解かせ、奴らを職員に外まで案内させる。後の事なら何とでもなる。同胞たちは、いずれ分かってくれる。この選択が最善だったと。
流石に強引過ぎたのか、少し同胞たちが黙り込んでいる。何もそんな不満を露わにしなくても良いと思うんだが。
「リーダー。あなたは疲れている様だ」
「アルファ! 何を言っている!」
「思えば我々には休息が無かった。それが原因かも知れない」
「だから、アルファ! 何を言っている?」
「良いですか、リーダー? 我々には休息が必要なんです」
「あ、ああ。そうかも知れないな?」
真顔で詰め寄られては、首を縦にしか振れまい。それにしても、唐突に何を考えてる? これだから人間の体は不便なんだ。憑依を解けば意思疎通が当たり前に出来るというのに。
そもそもだ。休息とは何だ? それは人間のやる事では無いのか? 旧態依然としたまま肉体に支配されている人間だから、休息なんて真似が必要なのではないのか? 我々は違うんだぞ。
「リーダーのお考えは良く分かります。使命を全うされる姿勢は尊敬すべきものです」
「いや、そうじゃなくて」
「でも! いや、だからこそ! 休息が必要なのです!」
「そうだリーダー! 熱海に行くのはどうでしょう?」
「デルタ。お前まで何を言っている?」
「報告した事が有りますよね? 静岡の再生プロジェクトに関わっている官僚に知り合いが居ると」
「覚えてる。香坂志遠の誘拐もそいつを経由したんだろ?」
「えぇ。スラムの連中はしらばっくれた様ですが」
そうだ。デルタが議員の時に知り合ったという官僚を使ったんだ。結局はそいつも使えない奴だったって事だな。こちらの指示をまともに遂行出来なかったんだからな。
「彼にも罰が必要でしょう」
「そうだな。何らかの制裁は必要だろう」
「だからこその熱海です。静岡スラムの状況を探っておく良いチャンスでは?」
確かにそうだな。静岡スラムの状況は把握しておく必要が有るだろうな。使える連中なのか否かだけでも知っておかないと、作戦の妨げになる可能性が有るからな。
「それよりも、もっと良い案が有ります!」
それまでずっと黙り込んでいたガンマが口を開いた。考え込む様にしていたから、何を言い出すんだ? 少し嫌な予感がする。
「集めた資金をまともなNPO法人へ寄付しましょう!」
「それが良い。流石はガンマだ」
「そうでしょ? それが一番だ! それしかない!」
「あぁ、ガンマ。そうしよう。リーダー、良いですよね?」
「言い訳が有るか!」
何を言い出すと思ったら、寄付だと? 冗談じゃない! 何の為に苦労して資金を集めたと思っているんだ!
ガンマだけならまだしも、ベータまで妙な事を言い出す始末だ。やはり、休息が必要なのか? 我々は疲れているのか? 人間の体に引っ張られて、疲労と言う物質が我々を侵していると言うのか?
「待てよ、そう、そうだ。リーダー、良い案ですよ」
「そうです。リーダー。寄付をしましょう。ぱあっと全部!」
「アルファ、それにデルタまで! お前たち! 自分が何を言っているのか分かってるのか?」
思わず声を荒げてしまった。そして、再び静寂が訪れる。そんな時だ、外線が鳴り響いたのは。職員の誰かが取ると思っていたが、ずっと鳴っているままだ。くそっ、こんな時に職員たちは何をしている!
「特定非営利活動法人ヒューマニティ・リンクです」
「あぁ。同胞か。呼び出す手間が省けた」
「お、お前……。宮司か?」
「あぁ、そうだ」
「何の用だ! こっちは忙しいんだ」
「それなら丁度良い。逃げる準備をしておく事だ」
「逃げる準備?」
「タレコミが有ってな。それも、外部と内部からだ」
「はぁ?」
「これから、お前の法人にガサ入れを行う」
「なんでそうなる?」
「言っただろ? タレコミが有ったってな」
俺は急いで電話を切ると、同胞たちに今の事を伝えた。宮司に憑依した同胞は、生真面目だ。絶対に我々を裏切る事はしない。だからこその一報だったのだろう。恐らく、令状が発行されてるはず。後は時間の問題だ。
「旅行だの何だの言ってる場合じゃなくなった! 急いで逃げる準備をするぞ!」
「わかりましたリーダー。つまり、急いで寄付をするんですね?」
「違う! 寧ろ、裏帳簿を金庫から出すんだ!」
「リーダー。金庫に帳簿なんて有りませんでしたよ」
「何を呑気な事を言っている!」
「それよりもリーダー。寄付を先にしちゃいましょう。それだけすれば、警察が我々を捕まえる理由が無くなります」
「それはそうだが、それより逃げるんだ!」
「なんでです? 寄付をしましょうよ!」
それから混乱を極めた。同胞たちは、警察が来るまでにどうやって集めた資金をばら撒くかを相談している。俺はそんな同胞を叱り飛ばし、逃げ出す準備を強制する。時間は無駄に過ぎて行く。
せめて、職員たちに時間稼ぎをさせようと、内線で事務所に連絡する。しかし、幾ら鳴らしても内線を取る様子が無い。そう言えば、さっきも外線を誰も取らなかった。
おかしいと思った俺は、勢いよく扉を開け放ち廊下に出る。耳を澄ましても聞こえるのは同胞たちの声だけ。
慌てて事務所に向かったが、人っ子一人見当たらない。そもそも事務所の電気が消えている。パソコンのモニターだって全て消えている。
どういう事だ? さっきまで普通に働いてたはずだが?
そう思い、至るドアを開けたけれど、やはり人の気配は無い。そうこしている内に、入口のドアがダンダンと強く叩かれる音が響く。
「警察だ! 令状持ってる、開けろ!」
「警察だ! 中にいるのはわかってるぞ!」
がなり立てる様な声に驚き、俺は思わず裏口から逃げた。それも、同胞を置き去りにして。仕方が無かった。同胞たちは混乱している。このままでは全員が捕まってしまう。
捕まった後の事は、後で考えれば良い。先ずは俺だけでも逃げないと。そうして、俺は走った。全力で走り続けた。
くそっ、どうしてこうなった。




