第四十五話 香坂志遠の救出
「はい、仰る通りです。では、その様に。わかっております、海様には秘密にします。それでは」
団体内部を調査した結果、香坂志遠の誘拐は『安西という名の理事』による計画でした。全てをお嬢様に報告しましたが、「理事にはまだ手を出すな」と仰せでした。面倒なので、この際理事を全員始末しようと考えたのですが、それは浅はかな考えの様です。
恐らく、お嬢様は香坂志遠の誘拐も視野に入っていたのでしょう。だから、平然としておられた。
お嬢様と香坂志遠の関係は、少し良好になったと理解しています。以前のお嬢様であれば、「放っておけ」と一言で切り捨てたでしょう。つまりは、海様に危害が及ばなければ別に構わなかったのです。
ですが、今回は違います。神代様から連絡を受けたお嬢様は、直ぐにご主人様へそれを報告して対処する様に求めました。
判断の早さは、お嬢様の長所です。ですが、お嬢様とて人間です。突発的な状況が降りかかれば、狼狽える事だって有るのです。但し、今回はそれが無かったのです。
つまりは、これも想定内という事です。
既にご主人様と神代様が連絡を取り合って、首謀者たちを取り囲んでいます。故に、香坂志遠はいつでも救出が可能です。しかし、想定外の問題も有る様です。
それは、首謀者が東京スラムの人間では無い事です。
ご存じの様に、スラムは『大災害後に取り残された地上の人たち』が集まり、力を合わせて生き抜こうとしたコミュニティが発祥です。これらのスラムは、東京だけでは有りません。大災害の影響が大きかった地域には、必ず存在します。
また、スラムは旧時代の暴力団と同じ様に縦社会です。そこには当然ながら、弊害も存在します。末端になればなる程、命令系統が上手く伝わり辛いのです。
スラムの末端ならば、まだ統制が利くでしょう。しかし、スラムには直接的に所属はしておらず、間接的な影響を受けているだけの人間は、その限りでは有りません。
地上で暮らす人たちの全てが、スラムの影響下に有るとは言い難いです。だから、勝手な諍いを起こすのでしょう。以前、議員の秘書がコンタクトを取ったのも、これらの人間です。
前回は、神代様がいち早く気が付き、事態を収めてくれました。しかし、今回の問題は別に有ります。何故、別のスラムの構成員が東京スラムにやってきているのでしょうか。安西という理事は、どうやって彼らを動かしたのでしょうか。
状況をちゃんと把握しておかないと、こんな事態は何度も起こり得ます。対策の取り様が有りません。ですから、旦那様と神代様は背後関係を洗っている状況です。
「ねぇ、ジェニファー。やっぱり、一人位はやっちゃわない?」
「何を言ってるんですか? シルビア、それはお嬢様の命令には有りませんよ」
「でもさ、根本を叩かなきゃ駄目じゃない?」
「それはそうですよ。でも、今はその時期では有りません」
「なんだっけ? お嬢様の薬、あの変な名前の――」
「僕の物は君の物ですね」
「それを使っても良いし、裏帳簿を警察に流しても良いし」
「警察に横流しすれば、彼らは地上送りになるだけですよ」
「良いじゃない、地上送り」
「駄目ですよ。あんな小賢しいだけの人間を地上に流しては……」
「静岡スラムの力が増すだけ?」
「そうです。あそこは、かなり特殊ですから」
大災害で最も酷い影響を受けたのが、静岡や近畿地方です。それらの地域では、水が引いた後の復旧作業が大変だと聞いてます。
特に静岡は、大災害前に『海産物の加工品に関して全国的にもかなりのシェアを誇った地域』です。政府としては、その辺りの復興を望んでいるのでしょう。東京下と違って、政府主導で復旧工事を行っている地域でも有ります。
東京下と異なり政府の影響力が高い地域だからこそ、危険なのです。
スラム同士が力を合わせる事で、現状の支配構造を打開する鍵になるのです。それが、打開した後の支配権を巡る争いになっては目も当てられません。今は、『静岡スラムの力が増しすぎる』事は避けねばなりません。
「面倒ね。でも、お嬢様の事だし、私たちと違って先を見通してるだろうし」
「私たちって、シルビア。私を混ぜないで下さい」
「や~ね~。目糞鼻くそって言うじゃない?」
「もう少し、綺麗な表現を出来ませんか?」
全く、面倒な事です。シルビアの言う通り、理事を始末してしまいたいです。ですが、お嬢様の天才的な頭脳を推し量るには、私程度では足りません。深謀遠慮とはお嬢様の事を言うのでしょう。
それにしても、指示を受けて伝達するだけの役割は、どうしてこうも退屈なのでしょう。こんな時に限って、お嬢様は地上に行ってしまいましたし。私は、どうすれば良いのでしょう。ただ待っているだけでしょうか?
そんな事を考えていたら、連絡が来ましたね。
「もしもし? 旦那さ、いえ。ボス、状況が変わりましたか?」
「ジェニファー、背後関係が分かったぞ!」
「流石はボス。それで? どんな状況だったんですか?」
「それがな――」
旦那様の話では、静岡スラムを構成する団体の内、政府よりの団体に所属する一部が暴走した様です。
また、どうして安西が静岡スラムの人と繋がれたかと言うと、それは紹介の様です。安西にスラムの人間を紹介したのは、政府よりの上級国民です。だから、同じ政府よりの団体を紹介出来たのでしょう。
「そんな訳だ。今から、香坂君を解放する」
「畏まりました。お嬢様にはその旨を伝えます」
突然、バタバタと足音が聞こえたかと思ったら、目隠しを取られた。そして、僕の目に入って来たのは、大勢に囲まれた上に『打ち据えられて横たわる五人の男』だった。
ようやく、神代仁志が動いてくれたか。僕はそのまま拘束を解かれて自由になった。
「ボスの命令だ。地上への入り口まで、お前を送って行く」
「あ、ありがとうございます」
僕に声を掛けたのは、かなり強面だった。だから、またチビリそうになった。でも、予想外に紳士的なのかも知れない。縛られて弱っているだろう僕を、労う様な言葉を掛けてくれる事も有った。
僕も単純だ。こんな一言で印象が変わるんだから。でも、地上も上空も無い。元々は同じ日本人なんだから。上級国民だからと、胸を張ってる連中の方がおかしいんだ。
今は、そんな事を強く感じる。
ただ、捕まった五人はどうなるんだろう? ふと、それが気になって、案内してくれた人に尋ねてみた。
「始末するに決まってんだろ? それで、首だけを送り返すんだよ!」
そんな怖い事を言っていた。「本当にやるのか?」と聞き返したら、「当たり前だ」と言っていた。
スラム同士にはルールが有るらしい。細かい事までは言っていなかったけど、他のスラムで好き勝手するのは無しらしい。
「お前は、革命の渦潮なんだろ?」
「え?」
「隠さなくていい。ボスから聞いている」
「は、はい。そうです」
「それなら、教えてやる」
「何をです?」
「あの五人が所属してるのは、静岡スラムの中でも政府よりの団体だ」
「はぁ? 静岡スラム?」
「この際に、その団体への処罰も考えたらしい」
「は、はぁ――」
「だがな、政府寄りの団体が全員失踪したら、怪しまれるだろ?」
「そ、そうですね」
「だからこその、見せしめだ」
「み、見せしめ? それで、始末すると?」
「まぁ、こんな時代だからな。ルールは厳格にしないとな」
思ったより、凄惨な結末になりそうだ。もう少し平和的な解決方法でも良いと思うけど。でも、こればかりは僕が口を出す事でも無いし。仕方ないとは思わないけど、早くこんな歪んだ社会は正さなきゃならないと、本気で思う。




