第三十八話 職員の解放作戦
「海。もう調子は良さそうだね?」
「はい。ご心配をおかけしました、養父様」
「大変だったわね。もう少し寝てても良かったのに」
「もう心配は無いです。養母様」
養父母の帰りを待った僕と姉だが、帰って来て早々に労いの言葉をかけられた。こういう所が、上に立つ人って感じがするんだよな。僕も見習わなきゃ。そんな事を思いつつ、僕たちは夕食を食べ始めた。
それぞれが忙しいから家族が集まっての食事は珍しい。最近では、姉と食事をする機会すら減って来た様に感じる。そんな中で、『僕が睡眠薬を盛られた』ってだけで家族が集まってくれるのは、本当に嬉しい。
だって、病院に運ばれた訳でもなく、入院している訳でもない。それなのに、貴重な時間を作ってくれて、温かい言葉をかけてくれたんだ。僕が大事にされている証拠だよ。
「ところで翠嵐。話が有るんだろ?」
「ええ。作戦を実行するにあたって、養父様のお力をお借りできればと」
「何をすれば良いんだい?」
「スラムの人たちを動かしてください」
姉が話した作戦はこうだ。
潜入中の諜報部隊だけで、団体に所属する全ての人を洗脳から解放するのは難しい。一人ずつ洗脳から解放していたのでは時間が掛かり過ぎる。また、時間がかかれば相手に感付かれる可能性が有る。だから、洗脳からの解放は短時間で行った方が良い。
だから、人員比率の高いボランティアの人たちは、スラムの人たちに任せようって作戦だ。
諜報部隊からは、明後日には地上での配給手伝いが行われるとの事だ。その際に、スラムの人たちを使って、一気にボランティアの人たちを元に戻しちゃおうってつもりらしい。
「洗脳と言うよりも、マインドコントロールに近いんだろうね」
「仰る通りです、養父様」
「そうなると翠嵐ちゃん。対象に薬は効くの?」
「それに関しては問題有りません。洗脳もマインドコントロールも、同じく精神支配です。これに対抗するのが、『洗脳を解いちゃうぞ』です」
「わかったよ、翠嵐。スラムには話を通しておこう。その薬に関しての受け渡しも、話をつけておこう」
「助かります。養父様」
「それにしても、厄介な事になったね」
「ええ。こういう件は、警察に届けても時間がかかるだけですし」
姉と養父の言う通りだ。「団体に所属している人たちが精神支配状態に有る」と警察に通報した所で、まともに相手をしてくれないだろう。仮に捜査の手が入った所で、調べるのには時間がかかるだろう。
何せ、マインドコントロールなんて物は、目に見える症状ではないのだから。
そうなれば、姉の薬で解決するのが早い。多分、それが一番面倒がなく、後遺症も少ないんだと思う。後遺症に関しても、姉は考慮してるはずなんだ。だって、天才なんだから。
ただ、こうなって来ると、いよいよ僕の出番が無くなる。僕だって何かしたい。このまま睡眠薬を飲まされただけで終わりたくない。僕だって怒ってるんだ。何かの形で反撃したいって思ってるんだ。
「聞いて欲しいんだけど!」
僕は少し大きな声を上げた。みんなが僕に注目する。そして、僕は意を決して自分の気持ちを話した。それこそ、役立たずだから参加するなって言われても、今回に限っては引く気はないんだ。
「つまりだ、海。お前は、もう一度ボランティアに参加すると?」
「そうだよ、姉さん。僕は狙われてるんでしょ? だったら、僕の存在は相手の目を引く事になるよ」
「つまり、自ら囮を買って出ると?」
「そうだよ。今回ばかりは引かないよ!」
海が面倒な事を言い出した。男の子なんだろう。泣き寝入りなんて、自分が許せないに違いない。自分の手でやり返したい気持ちも理解は出来る。だけど、危険な所に自ら足を運ぶなんて持っての他だ。
あのバカが、まともに護衛をしていればこんなに心配する事も無かった。海は護身術を身に着けている。だから自衛が出来る。その意味では心配していない。例え、スラムの連中に囲まれたって、無事で帰って来るだろう。
心配なのは海の純粋さだ。今回の睡眠薬騒動は、その純粋さを突いた策だ。こればっかりは避けようがない。何せ、海の弱点で有る以前に、最大の長所なのだから。
「海。作戦当日は、もう一度ボランティアに参加しなさい」
「養父様!」
「翠嵐。海も男なんだよ」
「わかってます! わかってますが……」
「海。香坂君も連れて行きなさい」
「香坂さん? はい、あの人が一緒なら安心です」
「ちょっと待って下さい、養父様! アレには荷が重すぎます!」
養父ともあろう人が、馬鹿な事を仰る! あのクズが一緒で安心できるものか! あの滓は頭脳労働タイプだ! 本来ならば、肉体労働には向かない!
何故、私が大事な海にあんなゴミを着けたのか、それは対人関係に強いからだ。ボランティアや地上の人たちに混じっても、あの糞なら上手く立ち回ると思ったからだ。
今回の作戦はそんな軽いものじゃない。荒事に発展する可能性だって有る。そうなったら、あのウジ虫では役立たず以下に成り下がる。それでは、海を余計な危険に晒す事になる。
「翠嵐。気持ちはわかる。でも、香坂君にも挽回の機会を与えてやれないか?」
「アレに挽回の機会など必要有りません!」
「翠嵐。彼も男なんだよ。使命を果たせずに、内心は煮えくり返っている事だろう」
あんな下衆がどれだけ鬱々としてようと知った事か! 大事なのは海の無事だ!
海は素直な性格だ。でも、一度決めた事はやり通す一途さが有る。言い換えれば、頑固な一面というやつだ。
今の海は覚悟を決めた表情をしている。恐らく、私が何を言った所で発言を取り消すとは思わない。それならば、海の安全を確保するのが最重要事項になる。それが分からない養父ではあるまい?
「翠嵐。海が心配なのは良く分かる。でも、人間にとって戦う事、一歩も引かずに前進する事は、とても大切なんだよ」
「わかってます。養父様の仰ってる事はごもっともです」
「心配ならば、もう一人付けるとしよう」
「もう一人?」
「そうだよ。とっておきの助っ人だ」
そう語った養父の目は、何かを企んでいる時の目だった。その瞬間に私は悟った。その助っ人が誰で有るのかを。私の不安を解消してくれる人である事を。
それを理解した私は、敢えて口角を吊り上げて見せた。
「その方であれば問題有りません。作戦を実行しましょう」
姉と養父が不敵な笑みを浮かべて頷き有っている。ちょっと不気味だ。でも、僕も参加出来る事になって良かった。
実際に薬を使って何かをする事は無いんだろうけど、やっぱり囮くらいにはならないとね。そうすれば、スラムの人たちだって動きやすくなるだろうしね。僕の役割は、案外重要だと思うんだよ。
それに、香坂さんが居てくれれば安心だよ。あの人が僕に対して、罪の意識を感じる事は無いんだよ。アレは僕のミスだからね。でも、香坂さんだって思う所は有るはずなんだ。一緒に何か出来れば、鬱憤的なのも晴らせるはずだよ。
それにしても、特別な助っ人って誰なんだろうね? どうせ、僕の知らない人なんだろうけどさ。でも、養父と姉の不敵な笑みが気になるね。
「海も会った事が有る人だよ」
「そうなんですか?」
「お前は小さかったからな」
「姉さんは知ってるんだよね?」
「あぁ。暫く会ってないがな」
それからは、作戦実行の日まであっという間だった。姉は準備で忙しくして、養父母もそれぞれ忙しそうだった。僕だけが、準備も何もせずに当日を向かえた。
そうなって来ると返って不安が高まるもので――。「いざとなったらこれを使え」と姉から拳銃を渡された時は、腰を抜かすかと思った。勿論、拳銃なんて受け取らなかったけどね。
そんなこんなで、当日が訪れる。そして、戦いの部隊は地上へと移る。




