第三十二話 地上の異常
それにしても、香坂さんって馴れ馴れしい人だね。初対面なのに僕の事をいきなり名前で呼んだし、姉の事は『ちゃん付け』だったし。
確かこの人って姉の部下なんだよね。それだったら、呼び方は『道明寺さん』とか『室長』とかじゃない? それにさ、肩を組んで来たよ。凄く顔も近いし。なんか距離感がバグって無い?
仕事は出来る人だって聞いたけど、本当なのかなぁ? 大丈夫なのかなぁ? 実は何も考えてなかったりして。でも、仕方ないか。この人にとっては、報酬が出ない休日出勤と同じなんだろうしね。
たださ、確か姉は変態って言ってたよね? 変態かぁ、ちょっと分かる気がするな~。だってさ、ちょっと普通の人とは違う感じだもん。僕が生まれる前に居たって言う、パリピって人たちの名残なのかな?
「僕の事ぉ、怪しいって思ってるぅ?」
「いや、そこまでは……」
「はははぁ。思いっきり怪しんでる顔をしてるねぇ」
「え、ええ。まぁ」
姉にも小野寺さんにもよく言われるけど、そんなに僕って分かり易いかな? 思ってる事が顔に出るのかな? クラスメイトには言われた事が無いんだけどな。この人と姉たちが特別に察しが良いだけじゃないのかな?
「気を付ける事だよぉ。本当に怪しいのはぁ、僕じゃないからねぇ」
「どういう事です?」
「それは君の目で確かめる事だよぉ」
この人が言ってるのは、団体の事なんだろうね。実際に団体の現状を見極めるのも、僕の役割なんだろうし。平凡な僕だからこその目線ってのが有るだろうしね。それに、見聞きした情報よりも自分の目で確かめた方が確実なんだ。
それから集合までの間、香坂さんと話をした。何と言うか、掴めない人ってイメージだった。
賢い人なんだとは思うよ。だって、核心めいた事を言ってたしね。曲がりなりにも、姉の研究室の一員なんだしね。相当優秀じゃないと『天才の部下』は務まらないと思うよ。
でもね、何だかとっても軽いんだよ。口調とか態度とかだけじゃなくてさ。纏ってる雰囲気みたいなのが、軽いんだよ。真面目な人とはとても思えないんだよ。
だから、この人は居ない者として考えよう。自分の目でちゃんと確かめよう。
それから集合の時間になって、僕たちは一か所に集まった。今回のリーダーっぽい人が挨拶をして、色々と説明をしてくれた。
今日のボランティアは、政府が行っている配給の手伝いなんだってさ。配給自体は政府主導なんだけど、配るのには人手が必要だからね。だから、ボランティアを集めてるらしい。
それに、本来なら政府の許可なしに地上には降りられない。そもそも地上に降りるゲートは、政府が管理してるしね。だから、地上の様子をこの目で見られるチャンスかも知れないね。
ただ、注意事項も有ったよ。地上は危険だから、単独行為は絶対にしない事。政府の人や団体の職員の目が届く範囲に居る事だってさ。子供じゃないんだから、その位は分かるよね? でも、うっかりも有るだろうから、気をつけないとね。
そして、僕らはゲートを通って地上に向かった。
ただね。僕ってよりも香坂さんが浮いてる感じがするんだよ。今日集まったボランティアの人たちは、地上に行くのを分かってたんじゃないかな? 緊張した様子が伝わって来るんだよ。
だってさ、集合前に僕と香坂さんが話をしてた時だって、誰も喋ってる人は居なかったんだよ。それだけ真剣に臨んでるって事だよね?
ゲートを通ってる時だってそうだよ。呑気に鼻歌を歌ってる人は香坂さんだけだったしね。だから、一緒にいる僕も浮いてる様に見えるんじゃないかって思うんだよ。
勿論、怪訝そうな視線を向けられた訳じゃないけど。僕らも、もう少ししっかりしないとね。
「もう、違和感を感じたみたいだね」
こっそりと香坂さんが耳打ちして来た。何が言いたいのかな? 違和感の正体は香坂さんだと思うんだけど。真面目に作業をしないと、追い返されるかも知れないよ。そしたら、僕たちが潜入した意味が無くなっちゃうんだよ。
それよりも、重要なのは目の前に広がる光景だよ。
僕の記憶に有る地上ってのは、それなりに酷かったと思う。何せ小さかったから、記憶も漠然としてる。だから、薄っすらとした記憶を頼りに想像するしかない。
でも、目の前に広がっているのは、僕の想像より何倍も酷い。
上空に都市が太陽の日を遮ってるから、なんだか薄暗い。多くの建物は倒壊して、無事なのは見当たらない。瓦礫が道路の上にそのまま残されてるから、車なんかも走らせられない。倒壊した建物の跡には草木が生い茂ってる。
もう、人が暮らせるまともな環境じゃないよね。
僕は、こんな所で生活してたの? だから、いつもお腹を空かせてたの? 多分、僕が居た頃よりも酷くなってるんじゃないかな?
だって、瓦礫を分ける様にしてしゃがみ込んでる人を、ポツポツと見かけるんだ。その人たちは、みんな頬がこけてる。虚ろな目をしてる。
太陽の日が差さない薄暗い中で、屋根も無い場所で暮らすしかない。しかも、まともな仕事もなければ収入もない。仮に収入が有ったとしても、食料品や生活用品を買う店が無い。そんな環境で暮らしてれば、そうなるのも仕方ないよね。
それに、若い人が居ないのも変だ。見かけるのは、お年寄りと子供だけ。それは、何でなんだろう?
「海君。気が付いたかぁい?」
「何をです?」
「若い奴らが居ない事にさぁ」
「それは確かに変ですけど……」
「それはさぁ。若い奴らは自衛隊に入ってるからさぁ」
「自衛隊に?」
「そうさぁ。自衛隊に入ればぁ、まともな飯が食えるからねぇ。訓練が大変でもぉ、飯が食えるって方が重要なのさぁ」
若い人が居なかったのは、それが理由なんだね。でも、それだけじゃないよね。養父の会社でも地上の人を雇ってるしね。そうやって、上に働きに出てる人は居るんだよね。そうやって、生活するしかないよね。
ここじゃ、何も生み出せないし、何の循環もないんだから。
何で政府は、こんな酷い政策をしたんだろう? 何で同じ日本人なのに、区別をしたんだろう? なんで上空都市なんて作ったんだろう?
国家予算がどうのなんて、僕にはわからないよ。でも、新しく都市を形成するより、復興する方が良かったはずなんだよ。その方が、みんなで幸せに暮らせたかも知れないんだよ。
それなのにさ……。
でも、地上の事に想いを馳せている時間は、僕には無かった。直ぐにサイレンが鳴る。何となく覚えてる。これは、配給が始まる合図だ。
サイレンと共に、人がバラバラと集まってくる。それからは、時間を忘れて配給食を配った。集まって来る人たちに生気を感じない。ただ、配給食を貰って貪るように食べるだけ。
時折、喧嘩が始まるけど、役人さんに取り押えられてた。そんな事をしなくても沢山食べれば良いのにって思うけど、そうじゃないんだよね。
だって、僕は覚えているよ。こんな配給じゃ足りないってね。
芋類なら、多少はお腹が膨れると思うよ。でも、配ってるのは見ただけで薄いって分かる粥みたいな物だ。こんなんじゃ幾ら食べてもお腹はいっぱいにならないよ。
もっとマシな物を配れないのかな? なんで、こんな事をしてるのかな? そもそも、役人さんは地上の人を人間として扱ってるのかな?
酷いよ。酷すぎる。こんなのは、援助の体をした虐待だよ!
「海君。君も知ってるだろぉ? これが現実だよぉ」
そうだ。これが現実なんだ。だから、変えなきゃいけないんだ。それが今日、はっきりわかったよ。




